ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説 第2回

ウルトラマンの最期のポーズに込められた意味

古谷敏×やくみつる

やく 当時、1年間はウルトラマンが続くはずだったという話もあったようですが。

古谷 ええ、確かに。実際に36話の『射つな!アラシ』の撮影が始まった頃、制作の円谷一さん(ウルトラマンの監修を務めた日本特撮の父、円谷英二氏の長男)から「もう1クールできるかい?」と言われていたし。もちろん「はい、できます、大丈夫です」と答えました。30話を超えたあたりから、僕もウルトラマンを辞めたくない、続けばいいな、と思っていましたから、その言葉は嬉しくてね。他のスタッフもみな、同じ気持ちだったんじゃないかな。

ホシノ でも、なぜ第39話で終了となったんですかね。視聴率は平均30%以上。1967年3月26日に放送された第37話『小さな英雄』では驚異の42.8%を記録。スポンサーだった武田製薬も辞めたくなかったはず。

古谷 でしょうね。

ホシノ 一説には、監修の円谷英二御大のチェックが厳しすぎて、制作スタッフ側が音を上げ、結局は辞めざるをえない状況に追い込まれたからという噂がまことしやかに流れていたりしますけども。

古谷 ですね(笑)。円谷英二さんのチェックが厳しすぎたのは間違いないです。ウルトラマン終了の半分以上の理由が御大チェックでした。

ホシノ ひょえええ。マジだったんですか!

古谷 御大の作品に対する姿勢とでも言えばいいのかな、要するにロマンが感じられない映像に仕上がっていると、すぐにNG、撮り直しを指示していましたから。

やく いろいろな文献を読むと、円谷英二さんは名目上の監修ではなく、本当に厳しくチェックされていたようですね。

古谷 ええ。しかも、お忙しい人でしたし、例えば映画の『ゴジラ』シリーズと制作がぶつかってしまった時期があったんですね。そうなると『ウルトラマン』は現場であれこれ指示する時間がなく、どうしても撮ったばかりのテープ、最終編集前のテープで確認することになるわけです。そこで納得できないシーンを見つけてしまうと、やり直し、撮り直し。

ホシノ 現場はパニック。

古谷 そうなります。現場はテレビ局に納品する時間に余裕がなかったものですから、とにかく撮ったら次のシーン、撮ったら、次のエピソードに突入という感じでフル回転。そうしなければ1週間のサイクルで1本作るのは難しかったんです。そこに御大のストップがかかる。みんな混乱しますよね。それこそウルトラマンと怪獣との戦いで破壊してしまった街を、もう一度作り直したりね。

ホシノ ご丁寧に一から作り直すんですか。

古谷 もちろんです。ただ口で作り直すと言うのは簡単ですけど、実は本当に大変なんですよ、壊した街を復元するのって。壊した街とそっくりに作り直す、つまり、どこにもズレがあってはならない、電柱や看板も壊す前と同じ場所、同じ位置にする。それだけで時間がかかっちゃっていたし。そういう理由もあり、どんどん時間が削られ、制作が間に合わず、結局は終了ということに。

やく ウルトラマンはどうだったのですか。円谷さんから、こういう動きをしてほしいとか、そういう注文があったりとかは?

古谷 ああ、それはなかったですね。御大がクレームを入れるのは全体の絵のバランスだったり、あとは残虐性に関しても、うるさかったです。例えば、無駄に怪獣を血だらけにするとかはダメ。許さなかった。子供が観ているのだから、というのが最大の理由。子供の心に暗い影を落とすような映像表現は絶対に許さない人でしたよね。

 ただね、御大チェックがあったからこそ、『ウルトラマン』はこうやって今でも語り継がれる作品に昇華したと思っているし、なにより“子供たちのために、子供たちが喜ぶ作品にしたい”という御大の気持ちをスタッフが理解していましたから、しんどい復元の作業も苦ではなかったと思いますよ。

日本特撮界の父、円谷英二氏とウルトラマン。昭和8年に公開されたアメリカ映画『キング・コング』を試写で見た円谷英二氏は、その特撮技術に衝撃を受け、映像の研究を重ねた。この円谷英二氏が受けた衝撃から、日本の特撮は偉大なる一歩を踏み出すことになる

ホシノ えっと、この辺でそろそろ第10位のゼットン戦におけるウルトラマンの戦いぶりを振り返っていただければと。おいおいまた、御大の話は出てきそうですし。なんかもう、誰かがストップをかけないと、前回の前夜祭のようにバトルの話に移れない気がして。ではでは、第10位のゼットン戦、その壮絶な戦いを振り返ってみましょう。

 

不滅の10大決戦 第10位

宇宙恐竜 ゼットン 身長60m・体重3万t

【バトル・プレイバック】

ウルトラマン、空中に飛び立ち、胸の前で手をクロスさせ、回転しながら降下。いきなりキャッチ・リングを繰り出すもゼットンが振り向き、反撃の光線攻撃。しかも、恐るべきことにゼットンがキャッチ・リングの光の輪を引きちぎる。

 ようやくゼットンと対峙するウルトラマン。しかし、ゼットンが目の前から消え、驚くウルトラマンの右後方に現われると、口から弾丸状の光線を発射。なんとかウルトラマンはよけるが、その光線は無残にも科特隊本部ビルを破壊する。

 怒涛の攻勢を仕掛けるゼットンにたじろぎながらも、ここでウルトラマン、ウルトラスラッシュ(八つ裂き光輪)を渾身の力で投げるが、ゼットンはナント、バリアでブロック。そして、ついに肉弾戦に突入。ウルトラマン、果敢にチョップを放つも、ゼットンの逆水平に弾き飛ばされ悶絶。さらにマウントポジションを取られ、えげつないチョーク攻撃。抵抗を試みるウルトラマン。なんとか首を絞めているゼットンの腕を振り払い、そのまま相手の力を利用した巴投げ。

 勝負所とみたウルトラマンが必殺のスぺシウム光線を放つがゼットンは微動にせず。焦りと驚愕の表情が浮かぶウルトラマン。その戸惑いを見透かしたように、再びゼットンが弾丸上の光線を発射! よけきれず、ウルトラマンの胸に命中。2発目は赤く点滅したカラータイマーに直撃、よろけるウルトラマン。もがきながら、ウルトラマンの目の光は次第に弱々しくなり、ふっと光が消え、前のめりに倒れる――。

 

古谷 今観ても、弱そうなんですよね、ゼットンは。

やく えっ、弱そうに感じていたんですか。

古谷 ええ。とくに外見がね。どうして負けちゃったんだろう(笑)。

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プロフィール

古谷敏×やくみつる

 

古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。

 

やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。

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ウルトラマンの最期のポーズに込められた意味