ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説 第8回

全39話中、ウルトラマンが唯一脇役となった名作

古谷敏×やくみつる

古谷 ウルトラマンを単なる子供番組、いえ、あの頃はもっとひどい言い方をされていましたよ、ジャリ番組とかね。そのジャリ番組を視聴率のためだけに作っていたならば、もっと派手に簡単にジャミラ戦を演出しているはずです。

ホシノ ええ、はい。

古谷 ジャミラが人類に復讐するために国際平和会議場を襲った。人々が逃げ惑う炎を吐いた。彼らの窮地を救うべく、ハヤタ隊員がウルトラマンに変身。ジャミラに派手に攻撃を仕掛けた。

やく 居反りとか。

ホシノ ジャミラには首がないのにスリーパーホールドとか。

ホシノ そうそう。それでテレビを観ている子供たちは大喜び。別に念力を利用しての “ウルトラ水流” を使わず、最後も華やかに必殺のスぺシウム光線を放てばいい。そして、悠々といつものように大空に飛んでいけばいい。

ホシノ ですね。

古谷 でも、そうしなかった。科特隊の攻撃で、すでにジャミラが水に弱いことを知っていたウルトラマンは “ウルトラ水流” を使う。これは正論なんです。攻撃的には正しいことなんです。だって、繰り返しになりますけど、ジャミラが水に弱いことを知っているんですから。戦う者として、相手の弱点を的確に突く。それはまさしく王道であり、常套手段でもあり、正しいことなんです。

 しかし、結果はジャミラがもがき苦しみながら死ぬことになった。スぺシウム光線を放てば苦しませずに倒せたものを “ウルトラ水流” で断末魔の叫びをあげさせることが正しかったのかどうか。そんな問いも含めた戦いをなぜ、ウルトラマンとジャミラの一戦で表現したのか。そこには勧善懲悪ではくくれない、人間の業だとか、さきほども言いましたように、科学の進歩のためには多少の犠牲は仕方ないといった正論が、すべて正しいのかという制作側の声なき声が反映されていると思うんですね。

ジャミラがもがき苦しむ水攻撃、ウルトラ水流をあえて使っての戦いには製作陣の思いが込められている

 そんな想いが熱き塊となって、観ている子供たちの胸に突き刺さり、何十年経っても、いまだに「本当にあれでよかったのだろうか……」という自分自身への問いかけに繋がっているのではないでしょうか。自分への問いかけとは、考える第一歩目の作業ですからね。思考を停止させない重要性というんですかね。

ホシノ わかります。

古谷 僕たちはジャリ番組だと蔑まれようと、大いなる志と使命感をもって、子供たちの心に、考える大切さを訴えていたんです。第6位のザンボラー戦でも、スタッフの「ジャリ番組でも、これぐらいのことはできるんだ!」といった気構えが大掛かりな爆発シーンを生み出したと言いましたけど、当時はそういうね、作り手の矜持を大事にしていましたよね。

正論がすべて正しいわけじゃない――と訴える古谷氏。次回以降のベスト3の発表で“人間・古谷敏”の裏側が明らかになっていく

ホシノ 当時の制作スタッフの熱き魂は、すべての世代にきちんと伝わっていると思います。なにせ、冒頭でも言いましたように、今でも50代を中心としたサラリーマングループのおっちゃんたちはマスク越しに、激しくジャミラ戦について語り合っていましたし。

古谷 ありがたいことです。

やく そうやって語り継がれ、今も議論が繰り返されているのは、当時の制作者のみなさんの矜持はもちろんですけど、第4位に選出した理由のひとつ、ジャミラのスーツアクターだった荒垣さんの熱演の影響力もあるのでしょうね。

古谷 おっしゃるとおり。凄かった、鬼気迫るというのはこのことか、と思うほど、気迫の演技でした。

やく 当然、リハはナシ?

古谷 はい、ぶっつけ本番。

やく 荒垣さんは1回こっきりの泥まみれのもだえ、断末魔の苦しみを表現されていたんですね。

映像に写り込んだ墓碑銘によればジャミラの生没年は1960-1993年となっている。この墓碑銘に対するイデ隊員の言葉が実に印象的で作り手のメッセージ性が感じられる…が、ウルトラマンの設定年代は1993年てこと??

古谷 尊敬の言葉しか見つからない演技でした。とくに最後の最後、力尽きる寸前に星条旗に手を伸ばすシーン。愛した祖国に裏切られ、その哀しみをぶつけたくても、国旗さえ握りつぶせない悔しさ、辛さ……。僕は今でも、このシーンを見ると涙が出てきてしまう。そこまで人の心を揺さぶる荒垣さんの演技、うん、素晴らしかった。それこそジャミラの星条旗に伸ばした指先の震え、その震えは万の言葉を宿していたと思います。僕は、いや、ウルトラマンは『故郷は地球』に限っていえば、傍観者でしかなかった。そういう意味でも、やくさんが指摘したウルトラマンは脇役でジャミラが主演男優賞との指摘は間違っていないんです。

やく 思うに、ジャミラの存在、そして、末路――。これはもしかすると、戦後の子供らが初めて見た “悲劇” だったのかも知れません。

古谷 そうか、なるほど。初めて間近で、その目で体験した “悲劇” だったのでしょうね。

やく それより前の世代の子供たちだと実際に戦争を体験していますよね。リアルな “悲劇” をイヤってほど間近で見ているし、自ら体験もしている。ですが、私たち昭和30年代半ばの子供たちは身近な “悲劇” を見ていないんですよ。

ホシノ それは昭和30年代半ば以降の子供たちだってそうですよ。例えば、おじいちゃんが亡くなっても、それほど深くは悲しみを噛みしめていない。同居していなければ尚更です。両親が騒いでいるけども、どうしたのかな? と理解できていなかったりする。要はピンときていない。感受性の強い子供はそれなりに悲しみに耽るでしょうが、多くの子供はおじいちゃんの死を、ひとつの出来事でしか感じ取れない。

やく しかも、私たちの子供時代はイケイケでしたしね、高度成長期の。そんな勢いのある世の中で暮らしているときに、いきなりテレビの中でジャミラのもがき苦しむ姿、心の底をエグられるような咆哮を耳にしてしまったわけです。そのインパクトたるや、とんでもない衝撃だったですし、自分が生まれて初めて接した、体験した “悲劇” だったからこそ、強烈に “ウルトラマン対ジャミラの2分3秒の戦い” が深く広く刷り込まれたんだと思います。

 

(第3位は12月30日に発表予定)

司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹

撮影/五十嵐和博

©円谷プロ

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プロフィール

古谷敏×やくみつる

 

古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。

 

やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。

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全39話中、ウルトラマンが唯一脇役となった名作