カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第6回

私にとっての梨泰院(後編)

伊東順子

原作漫画には存在しなかったアフリカ出身のトニー

 『梨泰院クラス』は面白いのだが、やはり「一昔前感」がある。韓国社会の変化は過激すぎて、原作者がこれを書いていた2016年頃でさえ、すでに「過去の物語」になってしまう。その意味ではドラマが、トレンドに敏感な女性たちよりも、むしろ「男のロマン派系おじさん」たちをワクワクさせたというのも理解できる。そもそもドラマに登場する「女性のイメージ」は男性目線だし。特にイソに関しては、高スペックの若い女性が裸一貫で頑張る孤独なオレを抱きかかえてくれるとか? まさにファンタジー。

 孤独な男性の子守は母親世代までで十分。「風と石と女」に象徴される済州島にしても、男たちは「強い女」を持ち上げながら、実際は女に甘えていたとか。そんな旧世代の女性抑圧を現代に上手につなげてベストセラーとなったのが、『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説だった。

 イソもヒョニも新しいタイプの「強い女性」として描かれている。流されずに突進する個性的なキャラが私は好きだ。ただ、今の韓国のトレンドを見ていると、「強さへのこだわり」そのものが一昔前という気がしないでもない。それよりも「あせらず、頑張らず、ゆっくり、自分らしく」みたいな、いわばブレーキ系タイトルのエッセイ本がベスセラーになっている現実もある。

 イチオシと言いながら、実はあれこれツッコみたくなる部分も多いドラマなのだが、例えばキレキレだったイソとヒョニの後半。髪型も服装も一気にコンサバというか、ダサくなってしまって……。大きな革ジャンを着た高校生のイソ、クラブで踊る真っ赤なドレスのヒョニはとても素敵だったのに。

 私が思うくらいだから、韓国人視聴者も当然いろいろ感じたわけで、韓国語でネット検索をかけると、それらに言及したユーチューブやら写真入りのブログ記事などがガンガン出てくる。そのなかでも面白いなと思ったのは、原作漫画との比較である。登場人物の髪の色や長さなど、細かいチェックが入っている。その中には原作と違ってイソがかなりの悪役になっていることを悲しむ声も多い。特にトニーに対する暴言については、いくらソシオパスという設定でも違和感がある。これはおそらく原作になかったものを急ごしらえしたせいだと思う。

 実は原作漫画にはトニーは出てこない。トニーも彼のお祖母さんも、ドラマ化で新たに追加されたキャラクターである。アフリカのギニア出身だが、お父さんは韓国人であるという設定。「だから自分は韓国人だ」と主張するのだが、肌の色の違う彼を周囲は受け入れようとしない。このあたりは、トニーと対立するイソの台詞を含めて全体的にぎこちなく、このテーマに関する未消化感は否めない。

 その不自然さの理由の一つはトニーの母親を登場させないからだろう。このドラマは母親が不在で、主人公パク・セロイも敵対する財閥家の長男も父親との関係オンリー、母親の痕跡すら出てこない。生きているのか死んでいるのかもわからない。それは意識的な抹消かスルーだと思うが、他のメンバーはともかく、トニーに関しては無理がある。アイデンティティの問題をテーマにしているだけになおさらだ。

 それでもやはり彼が追加されてよかったと思う。梨泰院という街には「トニー」が必要であり、それはドラマの制作陣だけでなく、私なども強く思う。

 ドラマの中で初めてトニーを見た時(第6回)、古い記憶が蘇ってきた。あの街の路地裏にあったアフリカン・パブ。タンバムに現れた彼を見た瞬間、あそこに集まっていた誰かの息子が帰ってきたのでは?--そう思ったのだ。

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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