徳光和夫の昭和プロレス夜話 第3夜

アナウンサーとして大事なことはプロレスから学んだ

徳光和夫

 そういう夜話を聞いてしまうと、がぜん興味がわいてくるのですが、そんな徳光さんであっても、実況中に言葉が出てこなかった試合はあったのですか。

「ありましたねえ。年月日は忘れてしまったのですが、広島で試合が行われたんです。そのとき、金ちゃん、大木金太郎がリングに上がった瞬間、絶句しました。放送は始まっている、何か言わなきゃいけないと思っても、言葉が出てこない」

 何が起きたのですか。

「金ちゃんのガウンに原爆の図柄が――」

 それはダメですね。

ガウンを着てポーズを決める大木金太郎(左)とアントニオ猪木。大木氏は表には出せない爆笑エピソード満載だったらしい。写真/宮本厚二

「ねえ。試合後、金ちゃんにどうしてあんなガウンを着たんですかって問い詰めたんですけど、“どうもこうも広島だから、原爆にしようと思った”と言うんですよ。いやいや、金ちゃん、逆だよ、それが一番NGなんだよって本人には言いましたけどね。いやあ、本当にあのときは実況席で黙るしかありませんでした。だって、背中が爆発しているんですもん。それでも最初はね、金ちゃんが入場してくるシーンで“大木金太郎選手、堂々の入場です。今日初めて着るガウンを身にまとい……ん?”。そのまま私の体が凍りつきました。それでもなんとか“白地にオレンジの炎が……”と言ってはみたのですが、あとは無理でした。言葉を紡げなかった、さすがに。

 でもね、金ちゃんはいい人なんですよ。素直な人でねえ、私とも仲がよかったですから。ただ、あのガウンの図柄に代表されるように、あまりに素直過ぎて不器用なところがありましたね」

 今ではアトミック・ドロップという技の名前もテレビでは流せないんじゃないですかね。

「そうでしょうね。ディック・ザ・ブルーザーの必殺技だった、アトミック・ボムズウェイもNGかもしれません」

(第4夜につづく)

 

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第4夜  

プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

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