連載:座間9人殺害事件裁判 第12回

座間9人殺害事件裁判「“死にたい”は心の風邪」

共同通信社会部取材班

日本犯罪史上まれに見る猟奇的な大量殺人「座間事件」。白石隆浩被告が死刑判決を受けるまで、計24回の公判をすべて記録した記者たちによる詳細なレポート。

被害に遭った9人はどんなふうに育ち、何が好きで、何に悩み、どんな未来を夢見ていたのか。最後の被告人質問後に行われた遺族の意見陳述で、これまでアルファベットで語られてきた被害者一人一人の輪郭が浮かび上がった。それぞれが悩みや生きづらさを抱えながら、生きようと必死にもがいていた。「死にたい」とSNSでつぶやくことと、自殺願望や希死念慮という死を望む感情はイコールではない。白石隆浩被告が法廷で述べた「被害者の中で、本当に死にたいと思っている人はいなかった」という言葉と一致する結果となった。

 ※白石隆浩被告は2021年1月5日に死刑判決が確定し、呼称は「白石隆浩死刑囚」に変わりましたが、この連載では変わらず「被告」と表記します。

2017年11月、東京地検立川支部に入る白石隆浩被告。写真提供 共同通信社/ユニフォトプレス

 

 2020年11月25日の第22回公判、26日の第23回公判では、被害者9人のうち6人の遺族が意見を述べた。

 当時21歳だった神奈川県厚木市のAさんの母親は、姿が見えないよう、傍聴席に立てられたすりガラスの板のむこうで、ゆっくりと話し始める。

「娘は幼い頃から責任感が強く、思いやりがある優しい子でした」

 母親が病気になった時は家事を手伝って支え、買い物や映画に付き合ってくれた。時折、精神的に不安定になることはあったが、「パソコンの資格を取得し正社員として働きたい気持ちがあり、準備していました。未来のことを考え、人生のプランを考えていました」。SNSや日記には「死にたい」という言葉を残していた一方で、将来のために行動する姿が浮かんだ。

 母親によると、Aさんが夢見ていたことのひとつが、「信頼できる人と出会い、一緒に生活すること」だった。将来のためにこつこつとためたお金で、白石被告と暮らす家を借り、新生活を始めた直後に殺害された。母親はすすり泣きながら「娘の思いを踏みにじり、命が絶たれてしまったかと思うと、無念でなりません」と語った。

 

 当時高校1年、15歳だった群馬県のBさんの両親の陳述書は、検察官が代読した。

「娘が16歳になるはずだった2017年11月9日、私たちが聞いたのは『おめでとう』ではなく、『お悔やみ申し上げます』の言葉でした」。Bさんが被害者の一人と判明した日は、誕生日だった。「くだらないことで笑い合ったり、怖いテレビ番組を見て一緒に声を上げたり、一緒に買い物に行ったり映画を見たり、なんでもないけれど楽しかった日常を返してほしい」。

 代読する検察官の声も震えていた。

 事件の数日前には、新学期用のお弁当箱を注文していた。Bさんが大好きな猫柄の、お箸とスプーン、弁当箱のセット。事件の1~2カ月後に開かれる、好きなアーティストのライブも予約していた。

 Bさんは学校から出された課題を期限までに終わらせることが苦手で、悩んでいた。母親はSNSに死にたいと書き込んだBさんの真意を「気持ちを伝えるのが苦手な子なので、母親が見ているのを知っていて、悩んでいるのに気づいてほしくてわざわざ書き込んだと思います」と語った。

 事件当日は高校の始業式。課題が終わらず、一時的に逃げたくなってしまったのかもしれない。Bさんは被告と会い、しばらく話した後で「色々考えた結果、生きていこうと思います」とメッセージを送り、いったん別れた。

 しかしその後、再び被告のアパートに戻ってしまう。「娘は、自分よりも友人を優先する、思いやりのある優しい子でした。被告に話を聞いてもらったからむげにすることができず、強く言えなかったのだろうと思います」

 

 ▽ちゃんと生きていく

 当時20歳だった神奈川県のCさんの両親も法廷に立った。父親は「息子が、2階の自分の部屋に駆け上がっていく足音や、『父さん、これ一緒に飲もう』と酒瓶を差し出してくる姿をふとした時に思い浮かべてしまいます。もう二度と会えないと思うと、胸の中をえぐるような痛みがこみ上げ、苦しくなります」と声を震わせた。

 バンド活動が生きがいだったCさん。「音楽を人生のよりどころとして生きていた息子の人生をもっと見ていたかった。息子が出演した小さなライブの映像を目にした時、本当に生き生きと輝いていて、楽しそうにステージ演奏している息子が映っていました」と振り返る。

 Cさんは付き合っていた恋人と別れ、バンド活動や仕事でうまくいかないことが重なっていた。白石被告に会った後で「俺、これからはちゃんと生きていきます」とメッセージを送っていたが、口封じを狙った被告に夕飯に誘われ、殺害された。「息子は、一時的には本人にしか分からない、死にたいほどの苦しみを抱え、心を病んでしまったかもしれません。でも、心の底では最後まで生きることを諦めきってはいなかったし、苦しみを取り除いてさえやれば必ず立ち直れていたと、今回の公判で確信しました」と声を振り絞った。

 

 当時大学2年、19歳だった埼玉県のDさんの母親も証言台の前に立った。優しい性格で、教員になる夢を持っていた。大学入学後は成績がふるわず、進級できるかどうか悩んでいた。

 母親によると、Dさんは叱責されたり追い詰められたりすると、突発的に家出をすることがあった。当時は進級のことで大学側との面談を控え、少し追い詰められていたのかもしれない。それでも、事件の2日前には1週間後の美容室の予約を入れていた。翌年に成人式を控え、同じ美容室でヘアメイクをお願いすることも決めており、「カウンセリングの予定も決めておくね」と母親に話していた。

 死のうとしている人間の行動には思えなかった。母親は「誰かに聞いてほしい、ひとまず今の苦しい状況から逃げ出したいという思いで失踪したとしか考えられません。娘はまだ若く、悪意や下心を持って近づく人間を見分けられなかった。夢や未来、娘のすべてを奪われました。どうか血を分けた、かけがえのない娘を返してください」と訴えた。

 

 当時高校2年、17歳だったGさんの両親の陳述書は、代理人弁護士が読み上げた。

「娘は、私たちの太陽でした。いつも笑顔でにこにこしていて、娘がいるだけで家族は明るく照らされました。娘なしでは、生きていくことすらつらいです」。

 Gさんは「やりたいことがたくさんある」と家族に話していた。高校卒業後はバイクの免許を取り、ピアスを開けて、髪を染めたいと語った。一人暮らしをしたら猫を飼って、「好きな物に囲まれて暮らしたい」と夢見ていた。そんな希望を少しずつ叶えるため、ラーメン屋でのバイト代をためていた。

 事件の約1カ月後に予定されていた沖縄への修学旅行をとても楽しみにしていた。生まれて初めて乗る飛行機は楽しみな反面、不安もあり「お母さん、お守りつくって」と頼んだ。「お母さんのキャリーケース貸してね」とわくわくした様子だったという。家族みんなからおみやげの希望を聞き、おどけていた。

「娘が自殺を望んでいたなんて、信じられません。娘はママを悲しませるようなことは絶対しません。犯人は楽しみにしていたことを全部奪いました。憎いです」。

 

 ▽死んでも許さない

 当時25歳の神奈川県のHさんの父親は、Hさんの兄とともに出廷した。

 兄は「この事件から私の生活は変わってしまいました。家族や友人と他愛もない話で笑っていた時間はほとんどなくなってしまいました。時折、妹の夢を見ます。お気に入りのぬいぐるみを抱きながら私と会話をし、けらけらと無邪気に笑っているのです」と語った。

 引きこもりがちだったHさんは、事件の数カ月前にコンビニのアルバイトを始めた。顔つきが明るくなり、ハキハキと話すようになっていったという。家族が希望を持った矢先の事件だった。

 Hさんの父親は裁判官と裁判員の方を向き、ゆっくりと陳述書を読み上げていたが、ひとごとのような態度を取る白石被告に憤りを感じたのか、次第に被告の方へ体を向けていき、怒鳴り声を上げた。

「白石! おまえの身内が同じように殺され、同じ状況に接したとしたら、その犯人を憎まず冷静でいられるか? 殺してやりたいほど恨むだろう! 私たちは、死んでもおまえを許さない。娘を返せ! 平穏な日々を返せ!」

 被告は黙ったまま下を向いていた。

 

 当時23歳の東京都のIさんは、代理人弁護士が聞き取った兄の気持ちを読み上げた。

 Iさんは、事件の約4カ月前に母親を亡くしたばかりで、家族は兄だけだった。母の死もあり、精神的に不安定になることも多かったIさんを、兄は働きながら懸命に支えていた。しかし、「死にたい」と言う家族から毎日のように相談を受けていると、耐えられない時もある。白石被告がIさんに近づいたのはそんな時だった。

 代理人弁護士は「Iさんが被告人の部屋まで行ったのは、自分の気持ちを受け入れてくれると思ったからで、殺されてもいいと承諾していたという弁護人の主張は、論理の飛躍がある」と述べた。唯一の家族だった妹を亡くした兄はこう語っている。「大切な妹の笑顔や、これまで一緒に過ごしてきたことを思い、痛かっただろうし、苦しかっただろうと思うと、かわいそうでなりません。犯人を絶対に許すことはできません。とても人間ができることではありません」

 

 ▽止めてほしかった

 遺族が陳述しなかったEさん、Fさんも、これまでの公判で読み上げられた調書や証人尋問の中で、生前の様子が語られている。

 当時26歳だった埼玉県春日部市のEさんの元夫は、第11回公判で証人として法廷に立った。

 Eさんと元夫との間には幼い娘がいる。Eさんは自分のことより子供を一番に考える優しい人だった。話し合いの末に離婚を選んだが、2人は頻繁に連絡を取り合っていた。互いに愛情もあり、いつかはやり直したい気持ちがあった。

 元夫は法廷で、「Eが本気で自殺はしないという確信がある」と断言した。うつ病を患っていたEさんは、何度か自殺未遂のようなことをしたが、その度に「死ぬ気はなく、止めてほしかった」と話していた。

 Eさんは白石被告と会った際も、何度もアパートの外に出て、「うちが死んだら悲しむ?」「死ぬのこわい、いやだ」などと元夫にメッセージを送っていた。元夫は「戻ってきてまた暮らそうよ」と応じたが、「また言っている」とも思っていた。本気で死のうとしているように思えなかったという。

 連絡が取れなくなった後、Eさん宅に駆けつけると電気やエアコン、テレビが付けっぱなしになっていた。「すぐに帰ってくるつもりだったと思う。承諾殺人はありえないです」。娘にはEさんの死をまだ伝えられないと、涙と拭った。

 

「保健室の先生になりたい。保健室に来る子は悩み事を話に来るから、励ましてあげたい」。当時高校3年、17歳だった福島県のFさんは生前、母親に将来の夢を明かしていた。

 友人には、家族や周囲との人間関係、自分の容姿や恋愛に悩んでいると話していた。こうした悩みに寄り添い、話を聞いてくれる友人がFさんには複数いたことが公判で明かされている。夜中まで相談の電話に付き合ったり、Fさんを励まし、笑わせようとしたりしてきた友人の調書が、何枚も読み上げられた。被害者9人の中では友人の調書の数の多さが目立った。

 Fさんは事件直前まで友人と連絡を取り、状況を逐一伝え、友人から心配もされていた。家を出た翌日には、母親に「ごめんなさい、今から帰ります」とメッセージも送っている。家を出た際は最近購入したヘアアイロンや化粧品を持っていた。母親は「気分転換で少し家を出たとしか思えません。自殺を真に望んでおらず、殺されたとしか考えられない」と語った。

 

 遺族や友人が明かした被害者9人の生前の姿からは、「死にたい」という言葉の真意が、文字通りの意味だったとはとても思えなかった。苦しい現実やなかなか解決しない悩みから逃れたくて、つい口に出しただけだと思える。

 ある被害者の恩師の言葉を思い出した。これまでに多くの生徒を教育現場で見てきた恩師は、10月に公判を傍聴した後、記者にこうつぶやいていた。「誰でも心に風邪を引くことはある。『死にたい』という言葉は、本心とは限らない」

ある被害者の恩師が傍聴した際、法廷で描いた白石隆浩被告

 ▽万死に値する

 第23回公判も終盤に入った。検察官は最後のまとめとして論告・求刑に入った。検察官はこれまでの主張を繰り返し、被害者9人全員が殺害されることを承諾しておらず、白石被告がしたのは単なる殺人だったと強調。最後にこう結んだ。

「2カ月の短期間に、9人もの若く尊い命を奪ったことは、まさに、万死に値する。被告人を死刑に処することが相当です」

「万死に値する」という少し感情的な言葉は、「本当は死刑でも足りない」という遺族の憤りを代弁しているように感じた。

 弁護側もまとめとして最終弁論をした。こちらの主張もこれまで通り。白石被告には刑事責任能力がない上、被害者9人全員が死ぬために被告に会いに行っており、殺害の承諾があったと訴えた。

 刑事裁判では最後に被告も意見を述べることができる。謝罪や反省、弁解や主張をする最後の機会だ。裁判長が「最後に何か述べておきたいことがあれば、述べてください」と尋ねた。

 白石被告はけだるそうな様子のまま「何もありません」と答えた。

 

 裁判官がもう一度聞き直す。「何もありません、ということでいいですか」

 白石被告「はい、そうです」

 

 こうして23回に及んだ公判は結審した。判決は半月ほど後の15日。それまでに裁判員と裁判官は評議を重ね、結論を出す。

(つづく)

 

執筆/共同通信社会部取材班

 

 第11回
最終回  

プロフィール

共同通信社会部取材班

※この連載は、2020年9~12月の座間事件公判を取材した共同通信社会部の記者らによる記録です。新聞を始め、テレビ、ラジオなどに記事を配信している共同通信は、事件に関連する地域の各地方紙の要請に応えるべく、他のメディアと比較しても多くの記者の手で詳細に報道してきました。記者は多い時で7人、通常は3人が交代で記録し、その都度記事化してニュース配信をしました。配信記事には裁判で判明した重要なエッセンスを盛り込みましたが、紙面には限りがあります。記者がとり続けた膨大で詳細な記録をここに残すことで、この事件についてより考えていただければと思い、今回の連載を思い立ちました。担当するのは社会部記者の武知司、鈴木拓野、平林未彩、デスクの斉藤友彦です。

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