ガザの声を聴け! 第36回

ガザ、崩壊寸前

清田明宏
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血管外科の専門医の話も聞いた。当日は運ばれてきた患者を次から次へと手術した。命を救いたかった。負傷した手足を切断から守りたかった。ただ、どんなに手術をしても手術を待つ患者の数は減らず、増えていった。彼らの叫び声、うめき声が手術室でも聞こえた。このままでは死ぬから助けてくれ、と叫んでいた患者もいた。実際手術を待っている間に亡くなった患者もいた。

 

その専門医は「ものすごい無力感を感じたが、とにかく手術を続けていった」と語った。

 

医療サービスが崩壊の危機にある背景には、医療サービス自体が2014年の戦争後から悪化していることもある。様々な理由で必須医薬品が慢性的に不足しており、医療機器の整備も不十分だ。主に政治的な理由で医療従事者の給料も十分支払われていない。世界保健機関の発表では、デモが始まる前の今年3月の時点でガザの保健省の医療機関では約5割の必須医薬品が枯渇していた。

 

すでに状況が悪化していたガザの医療サービス。そこに世界中のどの病院でも対応できないほどの大勢の重傷患者が発生する。

 

今回の状況は、私が仕事をするUNRWA「ウンルワ」への影響も大きい。

 

ガザにはUNRWA「ウンルワ」が運営するクリニックが22施設ある。そのサービスの質は良い。年間約400万人の外来患者に対応できる能力がある。通常病院での治療が必要な場合、契約している病院に紹介し、治療費を一定の割合で国が補助する。

 

本来なら、今回のような重傷の手術を要する患者のケアは、クリニックではなく、もっと設備の整った「病院」の仕事だ。手術やその後の治療等に高度な医療が必要なためだ。それが今回は全く違ったのだ。ガザ中部のハンユニス・クリニックを訪ねてそれを実感した。

 

デモに参加した負傷者が病院での手術のあとUNRWA「ウンルワ」のクリニックに来院していた。それも単に包帯交換という単純な治療のためだけではない。

 

負傷者は病院で治療を受ける。ただ、今回は病院の収容能力を超える患者が発生している。それも定期的に。デモは毎週金曜日に起こり、大勢の患者が毎週金曜日に発生する。病院は次のデモの負傷者に対応するため、入院患者がある程度落ち着くと退院させていた。

 

シーファ病院を訪ねたのは18日でたまたま木曜日だったが、そこでも松葉杖をつきながら退院している患者にあった。金曜日に新たな負傷者が発生する場合に備えるためだ。

 

そのように病院を退院した(させられた)患者がUNRWA「ウンルワ」のクリニックに来院していた。ハンユニス・クリニックにも1日10人以上が来院していた。

 

1日数百人が来院するこのクリニックでは、10人の新たな患者は数的には小さい。大きな影響はないのでは、と最初に思った。それは完全な間違いであった。

 

クリニックには小さな処置室がある。Dressing  roomと呼ばれ、通常は検診等の手続きや喘息の吸引治療がおこなわれる部屋だ。ケガをした人が訪れることもあるが非常に稀だ。通常は看護師さんが一人で業務をこなし、それで十分な部屋だ。

 

そこが負傷者を治療する場所になっている。処置室に、病院を退院した負傷者が次々に来ていた。重傷の患者もいた。

 

最初に26歳の男性患者が来た。右の足首を撃たれ、病院で治療を受けた傷の消毒と包帯交換だ。松葉杖を使い来院だ。撃たれた右足首は非常に腫れており、弾丸の射出口がまだ痛々しい。レントゲン写真は無かったが、骨が破壊されているように見えた。彼が将来普通に歩けるようになるのか、全くわからない。

 

この男性患者は「傷がとても痛い。クリニックで出す通常の鎮痛剤では効かない」と話していた。「もっと強い鎮痛剤が必要だろうか」と処置室を案内してくれた責任者と話した。

 

その後も同じように銃弾を受けた傷を持つ患者が数人来た。全て若い男性であった。

 

そして、13歳の女の子が治療にきた。右足のふくらはぎ近くを撃たれ、病院で治療を受けていた。レントゲンを見せてもらった。骨は大丈夫だが、ふくらはぎに銃弾の破片が二つ残っていた。未だ松葉杖なしでは歩けない。

 

彼女はデモには参加していない。彼女の自宅はデモが行われた国境の近くにある。当日家で遊んでおり、玄関を出たところで撃たれたと、彼女と一緒に来ていた父親が話していた。

 

彼女に「まだ痛い?」と聞くと、頷く。松葉杖なしでは歩けず、幼い顔が不安で一杯だ。彼女が普通通りに歩いて走れる日が来ることを、祈らずにいられない。

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ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
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