スーフィズム入門 第十回

対談 スーフィズムとカリフ制①

カリフ制を再興するのは誰か?

中田 考×山本直輝

ナクシュバンディー教団をめぐって:中央アジアから西欧まで

中田 ウズベキスタンでの国際会議でダゲスタンの代表からシャイフ・ナーズィムの話を聞いたのですが、実は彼の先生はアブドゥッラー・ダーギスターニーといって、ダゲスタンからシリアに亡命してきたスーフィーでその先生のシャラフッディーン・ダーギスターニーのハリーファ、後継者だったのですが、シャラフッディーン・ダーギスターニーはもとはナクシュバンディー教団のスィルスィラ(法統)に連なるスーフィーだったのですが、彼の先生から破門されたということでした。

山本 実は結構前に系譜が途切れているのですね。

中田 そう。系譜が途切れている。少なくともダゲスタンのナクシュバンディー教団員の彼らが言うところでは、アレはダメだ、と(笑)。

山本 トルコではカリスマ的な導師として知られていましたが、シァイフ・ナーズィムはそこではナクシュバンディー教団の教えを受け継ぐ導師として認められないのですね。

中田 そう彼らは言っていました。さらに言うなら、私がシァイフ・ナーズィムについて最初に知ったのは、東大の修士課程の時で、オーストラリアで開催された国際巡礼会議で出会ったマフムード・クルクチュク君というトルコ系移民の青年からシャイフ・ナーズィムの『慈悲の大海(Mercy Ocean)』を紹介されたんです。ところがそれから20年くらい経ってマレーシアの国際会議で再会したところ、あのときはシャイフ・ナーズィムを紹介したんだけども、後で彼は異端と知った、と言われたんです。というのはマフムード・クルクチュ君はザーヒド・コトクのお弟子さんのエサド・チョシャンのお弟子さんだったからです。実は私も当時は知らなかったんだけどもシャイフ・ナーズィムはナクシュバンディーの正統から外れている、と既に言われていたのです。現代世界で最も有名なスーフィー導師の一人ですらそうですから、スーフィーは預言者ムハンマドの真知を伝えている、というのは一般論としては当然正しくとも、個々人をとった場合、じゃあこの人は本当に霊性があるのかというと、ほとんどは違うということです。

私の場合はシャイフ・ユースフ・バッフールという先生についてスーフィズムを学んだのですが、もちろんそれなりに偉い先生ではあり、政治的には政府からは完全に離れている人で、その意味では全然権力に媚びることはなかったのですが、対抗して新しい政治をやるのかというとそんなことはまったくありませんでした。だからその意味で、政治に積極的に関わって世界を変えていこうという世界観を持ち続けているスーフィーはほとんどトルコにしか残っていない気はしますね。

 

サラフィー主義者の実態

山本 まぁでもサラフィーも実際は8割くらいは非政治的な人たちという感じですよね。

中田 そうなんです。

山本 サラフィー運動っていうとすごいコワモテの政治運動のように見られるんですけど、本物のサラフィーっていうのはアラブの砂漠の中にいて、本当のハディースを伝承してくれる先生を探す旅で一生を終えるというような生活をしていますよね。例えばイエメンのサラフィーはまだ大部分がそういう非政治的なサラフィーらしいのですけど。

中田 そう、サラフィーはともかく些末なことに拘泥する人たちだからね。政治なんてことは基本的には言わない。むしろジハード主義者(近代以降の西洋諸国の植民地化に対する武力行使での防衛・抵抗を掲げる人々)だけが特殊で圧倒的な少数派だと思った方がいい。

山本 そうですね。

中田 サラフィーはひたすらスーフィーと戦っているんですよ。ハディースに書いてない、ビドア(異端)だ、と言って。

山本 結局、本当のイスラームの知識を受け継ぐことはスーフィーにとってもサラフィーにとっても大事なのです。サラフィーは、礼拝するときに手を胸の辺に置くべきかお腹に置くべきか、これでもう何世紀も論争してます。どちらが正しい型なのか、預言者の型をちゃんと受け継ぐということが最大の争点なので、本来は「アメリカの帝国主義」とかは、はっきり言ってどうでもいいのですよね。

中田 どうでもいいんだよね。

山本 スーフィーやサラフィーにとって本当に大事なのは、礼拝の際の手の置き場であるとか、或いは墓に参ってもOKなのか否か、殉教者などの死者が本当は生きているのかどうか、そしてそのような知識を預言者本人から知る方法がいまだに残っているのか残っていないのかとか、そういった議論ですね。

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スーフィズム入門

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。

プロフィール

中田 考×山本直輝

 

 

中田 考(なかた こう)
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。東京大学文学部卒業、同大学院修士課程修了後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授等を歴任。『カリフ制再興』(書肆心水)、『増補新版 イスラーム法とは何か?』(作品社)、『イスラームの論理』(筑摩選書)、『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』(集英社新書)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)、『みんなちがって、みんなダメ』(ベストセラーズ)他著書多数。

 

山本直輝(やまもと なおき)
1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

 
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