対談

「教育虐待」から生き延びるために

古谷経衡×五野井郁夫

■真冬の浴室で、冷水のシャワーを浴びさせられた

古谷 裁判所に訴えてでも親に付けられた名前を捨てたかったのは、それによって親との過去の関係性を清算したかったからです。

 もちろん、子どもにある程度の学歴を授けたいということは、親であれば多くの人が考えるでしょう。大学に進学してある程度の大企業に勤めることが子どもの経済的利益になるというのは社会通念上当たり前のことであって、それを親が望むというのは、私にとっても別に許せるところです。

 ところが私の場合は、幼稚園児の段階からすでに、いずれ北海道大学(北大)──札幌出身なので──に進学するという人生設計が親によってなされていました。

五野井 一択ですか。それはきついですね。

古谷 そうです。そして、北大に進学するためには当然高校も進学校に行かねばならないというので、両親は私の幼稚園時代に、北大に進学できる確率の高い公立校の学区内に家を買ったんです。私がまだ右も左もわからない、何の決定権もない時期から、私の人生は彼らによって設計されていたんですね。

 にもかかわらず、私はあまり受験的な勉強に熱心なタイプではなかったので、成績はそれほどよくありませんでした。そうすると、今度は物理的な虐待が始まったんです。たとえば、私が浴室でシャワーを浴びていると、母親がガスの元栓を閉めてしまい、冷水を浴びるはめになったことが何百回とありました。

五野井 古谷さん、出身は北海道でしたよね。それ死に関わるのではないですか?

古谷 はい。もちろん冬は氷点下になりますが、それでも何度もやられました。その理由が、私が真面目に勉強せず、北大に行く意思を見せないからというものだったんです。

 それ以外にも、「ゴミ」「クズ」「低能」「これまでお前にかけた教育費を返せ」と罵られたり、学校に持っていく弁当箱に、ごはんとおかずの代わりにゴミを入れられたりと、さまざまなことをやられました。一番ひどかったのは、自宅の私の部屋のドアを蝶番ごと撤去されたことです。ドアの代わりに入り口には薄い布を一枚吊すだけにして、両親が鎮座するリビングから24時間、私の勉強が進んでいるかどうかを監視できる「代用監獄」をつくり上げたんですね。

 こういう虐待が1日2日ではなく、数カ月、数年にわたって続きました。もちろん、そんな奴隷的な状況に置かれて勉学が進むわけもなく、私は強く反発します。そうすると今度は、或る新宗教に入っていた母が、その教義に基づいた呪詛──「仏罰が当たる」といったことを、毎日延々と言ってくるようになりました。当時、私は14〜15歳でしたが、ついに精神的に破綻を来して、18歳でパニック障害──当時はパニック障害という言葉は普及しておらず、不安神経症などといわれていたのですが──と鬱病を発症することになります。

 しかし、それに対しても「気のせいだ」「日蓮に祈れば解決する」というのが両親の反応でした。さらには、私が精神科や心療内科を受診するのを阻止するために、保険証を隠すということまでやったのです。つまり、私がそんな医者に行けば、精神障害者が出たということで、古谷の家名に傷がつくということですね。

■「従わないなら、死んだものとして扱う」

五野井 私の場合は、先ほどお話しした名前の問題に加え、生まれ落ちた環境が、親は東大の、それも教育義務のない研究所付けの研究者、親族にも東大法学部の研究者や官僚が何人もいるというものでした。そして、その後を継いで研究者になるか官僚になるか、あるいは家がカトリックだったので司祭になるか、くらいしか将来の選択肢がなかったんです。司祭の場合も、カトリックの中でも一番規律が厳しく、司祭になるには博士号を二つは取得していないとならないというイエズス会に行くというのが何となくの既定路線でした。そして、それらに向かって敷かれているレールに乗ることに従わないのなら「死んだものとして扱う」と言われながら育ったんです。逃げ場は団子坂にいた大叔母の家くらいで。

 小さな子どものときから、乱暴な教育を押しつけられてきました。まだ10歳にもならない小学生なのになぜか『論語』を手渡されて、そのうち「四書五経を白文で読め」と言われたりね。さらに、中学生くらいになって私が遊びすぎて勉強しないと「好きに遊んだりできないように全寮制の進学校に入れる」と脅されました。

古谷 それ、私も言われましたよ。「勉強しないのなら全寮制の学校に入れる」。

五野井 後で親と話をしたときに、教育虐待の事実をまったく認めようとしなかったというのも同じです。いくら私が苦しかったという話をしても「知らない、いまのお前は立派に育った、お前によかれと思ってやったことだ」と開き直られました。

古谷 繰り返しになりますが、親が子に対していい環境を提供しようとすること自体は、普遍的なものであって悪いことではないと思います。ただ、それを子どもの意思を無視して、有形力でもって強制してくるのが「教育虐待」なんです。

 しかも、それに耐えかねた子どもが10年後、20年後に親を問い詰めても、「そんなことはやっていない、知らない」と言われる。そうなると、子どもの側としては絶縁するという選択肢しかありませんよね。被害者としての正当な権利だと思います。

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プロフィール

古谷経衡×五野井郁夫

 

 

古谷経衡(ふるや つねひら)
1982年札幌市生まれ。文筆家。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。時事問題、政治、ネット右翼、アニメなど多岐にわたり評論活動を行う。著書に『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『左翼も右翼もウソばかり』『日本を蝕む「極論」の正体』(ともに新潮新書)、『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『女政治家の通信簿』(小学館新書)、長編小説『愛国商売』(小学館文庫)などがある。

 

五野井郁夫 (ごのい いくお)
1979年、東京都生まれ。政治学者/国際政治学者。高千穂大学経営学部教授。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)など。

 

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