「常識を疑おう」
今年の一月、東京大学野球部の特別コーチに就任したとき、最初に選手たちに与えたのは、そんなキーワードでした。
東大野球部は、東京六大学リーグで一度も優勝したことがありません。はっきり言ってしまえば、万年最下位に近い成績です。
東大以外のチームには、毎年、高校野球のエリートたちが推薦で入ってくるのですが、東大野球部にそんな選手は一人もいません。だから「常識」で考えれば、万年最下位でも仕方ない、ということになるでしょう。
でも、選手たちは「目標は優勝です」と言うのです。「本当に優勝したいと思っているの?」と聞いたら「したいです」と答える。だったら常識を疑ってみようよ、という話を彼らにしました。
同じことを続けても、結果は変わらない。結果を変えるためには、思考と行動を変えなくてはならない。常識を疑って、いままでやったことのない思考や行動を試してみて、それで結果を変えてみよう。そんなふうに問いかけたわけです。
その後、しばらく様子を観察していたのですが、「東大らしいな」と感心したのは、知識を吸収する力、理解する力です。「これがいいんじゃないか」と思ったことはどんどん取り入れて、何でもやろうとする。いいとされていることが一〇個あるとしたら、一〇個全部をやろうとする。理解力があるから、やろうと思えばできるわけです。むしろ、僕の目には「やり過ぎ」と映るくらいでした。
そして、コーチ就任から半年が経過しました。いま、彼らに与えている新たなキーワードは「選択と集中」です。
ひと通りいろいろなことを試してみたら、何が自分にとって必要なのかを選択しよう。そして、それに集中して取り組んでみよう。この「選択と集中」が重要なのです。
そもそも、東大の野球部員たちは、野球の練習ばかりやっているわけにはいきません。しっかり授業に出て、勉強と野球を両立しなくてはならない。どうすれば、短時間集中型で効率のいい練習をして技術を向上させられるのか。試行錯誤しながら、選手たちと一緒に考えているところです。
もともと僕は、現役時代から「練習は量より質」が持論でした。プロ入りする前のPL学園時代も、コンディションを自分で判断して、「疲れているな」と思ったら無理な練習はしませんでした。肩やひじを壊さないようにケアして、万全な状態で試合のマウンドに立つためにはどうすればいいのか、いろいろな工夫をしていたわけです。
しかし残念ながら、日本の野球界に、そういう考え方が広く浸透しているとは言えません。長時間のスパルタ式練習をよしとする風潮、コンディションに配慮しているとは思えない選手起用や大会スケジュール、「無理をしている」選手を美化するような報道……。
僕は、そういったものを変えていきたいと強く思っています。新書の中でも述べましたが、スポーツの世界は日々「進化」しているからです。競技自体も進化しているし、スポーツ医科学も進化しているし、道具も進化している。だとしたら、指導者や関係者のメンタリティも「進化」しなくてはいけないはずです。それが進化していないから、社会問題になった「体罰」や「暴力」、あるいは、その背景にある「勝利至上主義」などが改まらないのではないでしょうか。
日本の野球には、素晴らしいところがたくさんあります。たとえば、グラウンドに入るとき、グラウンドから出るとき、帽子を取って挨拶をする。僕はいろいろな国の野球選手を見てきましたが、そんなことをするのは日本の選手だけです。また、つねにグローブを丁寧に磨いているのも日本の選手だけです。どこの国の選手よりも、道具を大切にしているのです。
そのような光景を見ると、僕は「日本の野球は世界一だ」と思います。僕たちが先輩から受け継いできた、素晴らしい伝統がそこにあるのです。
素晴らしい伝統は受け継いで、悪しき慣習は改める。そうすれば、日本の野球は本当の意味で「世界一」になる。僕はそう信じていますし、そういう野球界にしていかなくてはなりません。それがこれからの僕の仕事であり、野球からいろいろな幸せをもらった恩返しだと思っています。
日米の野球史に精通されている佐山和夫さんは、僕にとって先生のような方です。今回の新書のための対談でも、スポーツや野球の歴史について、さまざまなことを教わりました。そして、自分の考えが一層深まったような思いがしています。
胸を張って「世界一」と言えるような野球界をつくること。その目標に向かって、僕はこれからも挑戦を続けていきます。
(談)
くわた・ますみ●野球解説者
青春と読書「エッセイ」
2013年「青春と読書」10月号より