『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』 波戸岡景太著

スーザン・ソンタグをカッコよくする

北村紗衣

 2023年で生誕から90年を迎えた“アメリカの良心”、批評家スーザン・ソンタグ。『反解釈』や『写真論』、『隠喩としての病い』といった読者を常に挑発し続ける刺激的な著作群を残し、その言葉は今も残り続けている。しかし一方で、徐々にその存在は薄れつつあるのが現状だ。

 そんな状況に一石を投じるため、ソンタグの思想と生涯に迫った初の入門書が刊行された。『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』(集英社新書)だ。著者は明治大学教授で、ソンタグの『ラディカルな意志のスタイルズ』を訳した波戸岡景太氏。文学研究者の立場から見たソンタグの思想を、昨今のケアの文脈での「脆さ」等のキーワードで、新たな一面にフォーカスしている。

 本書についての書評を、武蔵大学教授で、シェイクスピア研究などで知られる北村紗衣氏が寄稿。本書が「入門書」になっていない理由から、ソンタグの“カッコよさ”を解き明かす。

『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』(集英社新書)

 本書は「入門書」と銘打っているが、困ったことに、おそらく入門書ではない。スーザン・ソンタグの一筋縄ではいかない思想や感性を単純化せずにとらえようとした力作であり、そうした著作はたしかに現在必要とされているものだ。しかしながら本書は入門書とするには高度なところがあり、ソンタグの著作を多少は読んだことがないとピンとこないのではないかと思われるところも多い。

 どういうところが入門書らしくないかというと、たとえば「キャンプ」に関する解説だ。ソンタグの書いたもので現在、一番日本語でよく読まれていると思われる「《キャンプ》についてのノート」は、短くて気が利いているがなかなかとらえにくい読み物である。キャンプという言葉がわかりやすく明快に定義されているわけではなく、さまざまな例示から帰納的に浮かび上がってくるような書き方になっており、たいへん多くの背景知識を要求する。いろいろなタイプのパフォーマンスに触れて、そこから蓄積されてできあがってくる感性がキャンプだ。あまりこのあたりの文化に馴染みのない人が「《キャンプ》についてのノート」を読むと困惑する。多くの人が抱く疑問は、キャンプとはいったいどう定義すればいいのか、キッチュとキャンプの違いは何か、キャンプとは必ずユーモアを含んでいるのか…といったようなことだ。考えれば考えるほど混乱する。

 『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』は、こうした初めてソンタグに触れる人が抱くような疑問にすっきり入門書らしく答えてくれるような本ではない。第2章に出てくるキャンプに関する論を読んでも、おそらく読者は何がキャンプで何かキャンプでないのか、フィールドで実践的に判別できるようにはならないだろう。むしろさらに混乱して、金輪際キャンプに近寄らないようにしたほうがいいかもと思うかもしれない。この本を読んでも、明日からソンタグを安心して使えるようにはならない。そういう意味でこの本は入門書ではない。

 なぜなら本書はスーザン・ソンタグを再びカッコよくするための試みだからである。全体の前提は「ソンタグは、カッコいい。だから、叩かれてきた」(p. 209)だ。この本によると、スーザン・ソンタグは「カッコ悪い」から「カッコいい」を発見する感性であるキャンプを論じて、アメリカを代表するカッコいい批評家と見なされるようになった。しかしながら、ソンタグが体現していた「カッコよさ」はもはや日本ではピンとくるものではなくなってきており、さらにソンタグはものすごく叩かれた批評家でもあった。こうした中、自信に満ちた「カッコいい」批評家としてのソンタグ像ではなく、脆さ(ヴァルネラビリティ)に満ちた批評家としての現代的なソンタグ像を提示することにより、再度ソンタグをカッコよくする試みを行っている。

 副題に「脆さ」を冠しているだけあり、本書はソンタグの脆さについて、近年文芸批評に注目されているケアの視点なども取り込みつつ、丁寧に論じている。ソンタグの思想におけるためらい、単純化へのあらがい、思考がぐらつくことを怖れない真面目さ、きれいに切れないものについてどうにかして複雑なものを複雑なまま言語化しようとする時のもどかしさ、周囲から奇矯だとか知性がないなどと言われそうなことであっても本気で考えていれば発言するある種の「空気」の読めなさなどを、本書は鮮やかに提示している。ソンタグを読むと、大変真面目で読み応えのある文章だったのにもかかわらず、どうも風船と殴り合いでもしていたかのようなふしぎな心地になることがあるが、この本はそうした読後感がなぜ生じるかを、ソンタグ特有のなんとも言えない「脆さ」をキーワードにしてうまく説明してくれている。ソンタグを読んで苦労したことがある人であればなんとなくわかるだろう。

 この本はそうしたソンタグの脆さがカッコいいというところに落ち着く。そしてこの本じたいも、ソンタグ風にあまり綺麗な定義付けや単純化した説明などを行わないカッコいい本である。この本が入門書らしくないのはまさにここだ。本書にも書いてあるように、何かを歴史化したり教科書のようにまとめたりすると、たいていその対象はカッコ悪くなる(p. 40)。入門書は教育的意図で書かれるものであり、教科書同様、カッコよくなるわけがない。この本はたぶん入門書になるにはカッコよすぎるのだ。

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プロフィール

北村紗衣
武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号を取得。著書に『英語の路地裏 オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く』(アルク/2023年)、『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房/2021年)、訳書にキャトリン・モラン『女になる方法――ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(白水社/2018年)など。
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