世界と人間の発見
資本主義・価値・生産・福祉といった、われわれ現代人に馴染み深い思想やシステムの多くは、ルネサンスによって幕を開ける近代に起源をもっています。その意味で近代は、これまで紹介してきた古代や中世と比べて、ずっと親しみやすい時代といえるでしょう。しかし別の見方をすれば、われわれが生まれたときから当たり前としてきた前提が、「ない」状態から「ある」状態へと変化する、最も不可思議で異質な時代でもあります。
ルネサンスはフランス語で「再生・復興」を意味し、中世のあいだ失われていた古代ギリシャ・ローマ文化が再発見され、その再現が目指された16世紀前後の運動である、というのが一般的な説明です。初めてルネサンスという言葉を用いた歴史家のジュール・ミシュレは、ルネサンスを「世界の発見と人間の発見」と呼びました[^1]。前者の「世界の発見」については、ミシュレの端的な例示が十分に説明しています。「十六世紀は、その偉大かつ必然的な拡大の中で、コロンブスからコペルニクスへ、コペルニクスからガリレオへ、地上の発見から天上の発見へと進んでいった」。
わかりにくいのは「人間の発見」のほうです。ミシュレはこの発見を、当時の解剖学者や医師たちによる生命への理解の深まり、およびカルヴァンやラブレーやシェイクスピアらが「心の神秘に分け入った。そして、人間の本性の深い基盤を測り、それをはじめて正義(Justice)と理性(Raison)のなかに確定した」ことに見いだしています。ここで言われているのは、神と自然に従属していた中世までの人間観から、自律した主体としての近代的人間観への移行です。人間の生を、神の目的のための手段、幸福な来世のための手段としてではなく、それ自体尊厳ある目的として見る視点が生まれたのです[^2]。
これらの発見によって、労働観および労働そのものもまた根本的に変化していきます。すでに中世後期に見出されつつあった、労働の「自然を作り変える手段」としての側面は、自然の解明に比例してより徹底されていきました。これまで「罰」かせいぜい「神へのよき奉仕」として、いずれにせよ宗教によって価値を規定されていた労働は、近代化の進行につれ、やがて神にお伺いを立てずとも独自の価値を主張するようになっていきます。
まずは、中世までの宗教観が揺らがされつつもなお宗教が力を持ったルネサンスの時代において、いかに現代の「当たり前」が生み出されたのか、16世紀初頭に書かれたビジネス書と、ユートピア小説の二冊を通して見てみましょう。
ルネサンスは、ビジネス書を生み出した
イタリアで外交官であったバルダッサーレ・カスティリオーネが1528年に出版した『宮廷人』は、最初期のビジネス書です。カスティリオーネ曰く、宮廷人は「自分のいる場所と対面している人物をわきまえ、磁石が鉄を引きつけるように見物人の目を自分に引きつける、ほどよい策略·適切な姿勢·気のきいた工夫をもって自分を提示」しなければならない[^3]。そのための方法が事細かに説かれています。
『宮廷人』が取り上げたテーマは、人に好かれる会話術や、付き合う相手の選び方や身体の鍛え方、ふさわしい服装や身につけるべき教養など多岐にわたります。いずれも現代のビジネス書でも定番のテーマです。たとえば「むしろ好感を持たれようと精を出す者」こそ「自分は人に好かれているのだからと、ある種の自由気儘な振舞いを許すようになり、いきおい少々遠慮のないことを言ったりしたりしても構うまい、あるいはむしろその方がよいのだ、などと浅はかにも思い込みがち」だから注意すべし、という教えなどは、そのまま現代のビジネス書に載せても違和感がありません[^4]。
もっとも、孔子やイエスの言葉でさえビジネスに活かせるように、ビジネス書として読みうる本は以前から存在しました。にもかかわらず『宮廷人』を最初期のビジネス書と呼ぶのは、はじめからビジネスで成功するための心得集として書かれ、かつとてもよく売れたためです。この本は1528年から1616年までの間に少なくとも108版が発行され、英語・フランス語・スペイン語など多数の言語に翻訳されました。当時イタリアの絢爛な文化に追いつこうとしていたイギリスでもこの本は広まり、のちに誇るべき文化として花開く「ジェントルマン」像の素地となったと言われています。同時期の1532年にはマキャベリの『君主論』が書かれ、こちらも人気を博しましたが、当時においては『君主論』よりも『宮廷人』の方がよく読まれたようです。つまり、少数の個人や特定の集団の意識ではなく、国境さえも越えた、ひとつの時代全体においてビジネス書が求められるようになったことを示しています。
こうしたビジネス書の需要の高まりは、身分によって仕事と生き方が定められる時代の終わりに呼応しています。近代以前の、どのような身分のどの家に生まれたかで職業や役職が決まってしまう社会では、どう振る舞おうが出世も降格もしないために、ビジネス書はまったくの無意味です。このころに成立した「頑張れば出世できる」という新しい考え方と社会構造は、やがて近代のすみずみまで広まっていくことになります。
幸福で、少し不穏なユートピア
もう一冊の、1516年に書かれたトマス・モアの小説『ユートピア』は、「ユートピア」という単語自体を生み出した、当然ながら史上初のユートピア小説です。ユートピア(Utopia)は、ギリシャ語のou(無い)とtopos(場所)に国を表す接尾辞-iaを組み合わせた、モアの造語です。この小説は、モアが旅人から聞いた奇妙な国家についての話をまとめた報告書、という体裁で書かれています。
それによるとユートピアという国では、貪るばかりの貴族が存在せず全員が働くので、一人あたり1日6時間の労働で豊かな暮らしができている。それ以外の時間は自由だが、怠ける人はなく、皆が公開講義から好きなことを学んだり、さらなる仕事に励んだりしている。全員が一生に一度は農業に従事し、加えて機織りや鍛冶や大工などのスキルも最低ひとつは身に着けなければならない。農業は厳しい仕事であるため、人を毎年入れ替えているが、好んで続ける者も多くいる。国民の多くを占めるそれら肉体労働者のうち、勉学の才を示した者が市長や外交官などの知的な仕事に就く[^5]。家には鍵がなく、財産はすべて共有である。必要なものは倉庫から自由に無償で持ち出してよいことになっているが、それで問題が起こることはない。「なぜなら、すべての物資が豊富にあって、しかも誰も必要以上に貪る心配のない所では、欲しいものを欲しいだけ渡してなんの不都合もないからである。〔…〕今さら言うまでもないが、あらゆる種類の動物が餓鬼のように貪欲になるのは、実に欠乏に対する心配であり、特に人間においては虚栄心である。〔…〕そういう悪徳を知らない国民、それがすなわちユートピア人なのだ」[^6]。
まさに「ユートピア的」という形容がふさわしい、あまりに理想的で、ありそうもない国の話です。しかしかつて聖書に描かれたような「もはや飢えることも渇くこともな」い楽園[^7]が、死後の世界ではなく、現世のどこかに存在する島として想像されるようになったということが、中世の宗教的世界観から解き放たれた新たな想像力の誕生を証明しています。現代において「ユートピア」は現実離れの代名詞として用いられますが、それでも死後の楽園よりはずっと現実的です。じっさい作中の旅人は、ユートピアを見習えばヨーロッパの国々も悪がはびこり争いが絶えない悲惨から抜け出せるはずであるが、「幼い時からあらゆる邪な議論によって惑わされている」国王は聞く耳を持たないだろう、とあけすけに語っており、現実の社会を風刺する意図が明白です[^8]。
『ユートピア』が提示した、私有財産の否定と国民に平等に課せられる労働によって創造される豊かな社会、という理想は、その後の社会主義・共産主義に大きな影響を与えました(マルクスはそれら初期の社会主義思想を「ユートピア社会主義」として批判し、自らは「科学的社会主義」を標榜しました)。しかし、モアがこの理想を本心から望ましいものと考えていたかは、作品をよく読んでみると疑問が残ります。たとえばユートピア人に怠け者がいないのは「怠けてぶらぶらすごす人間が一人もいないように、各人がその仕事に専心精を出すように〔…〕注意し監督する」役人が存在し、それに従わなければ奴隷として厳しい強制労働を課せられるからです[^9]。そのような社会の「素晴らしさ」を語る以下のくだりは、冷戦下で共産党の検閲をかいくぐり、なんとか悲惨な実情を伝えようとしている手紙のようではないでしょうか。
こういうわけで、いかに彼らにぶらぶらと時間を空費する自由が許されていないか、また怠ける口実や言訳があたえられていないか、ということがお分りになったと思う。つまりここには酒場も居酒屋も女郎屋もない。悪徳にふける機会もなければ、いかがわしい潜伏場所も、陰謀と不法集会の隠家もないのである。あらゆるものが白日の下にあり、衆人環視の下に行われるのである。人々はどうしても日常の仕事に精を出さざるをえないし、健康な明るい娯楽をもって心身を慰めざるをえないのである。[^10]
ユートピアでは怠惰が許されない一方で、働きすぎもまた禁止されています。先の役人は怠惰のほかに「こき使われている牛や馬のごとく朝早くから夜遅くまでのべつ幕なしに働いて疲れてしまうことのないように」監督する役割も負っています。「なぜなら、かような牛馬のごとき生活こそ、悲惨と酸鼻を極めた奴隷の生活よりも、なおいっそうひどいものであるからである。しかし、思うに、かような生活はユートピアを除いては実は世界中のすべての労働者と職人の生活にほかならないのである」[^11]。それは確かに素晴らしいことではあります。しかし「野心満々、むやみに立身出世を願うものは、一生涯昇進の見込はない。ユートピア人はみな和気あいあいと生活している」という話とも組み合わせると、やはり技術と経済が停滞した社会主義国家の姿まで予見していたように思われます[^12]。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
このように近代初期は、教会に縛られた中世までの考え方が揺らぎ、現代人にとって共感しやすい多くの思想や理想が生まれた時代でした。しかし必ずしも宗教の力が弱まったわけではなく、中世とは異なる方法で人と神が関わるようにもなった、という方が正確です。1517年のルターに始まる、宗教改革はその最たる例でしょう。近代の宗教改革と中世の修道院は、どちらも教会の腐敗に対する批判的な立場は共通していますが、教会の存在そのものを否定した宗教改革の方が、はるかに徹底的でした。
社会学の本として一番有名かもしれない、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下、『プロ倫』と表記[^13])は、宗教改革によって生まれた清貧の思想が、意図せざる結果として、俗物の極みである資本主義を発展させる役割を果たした、という本です。
その論理は次のようなものです。カルヴァンの予定説によれば、その人が死後救われるかどうかは、生まれてからの行いに関係なく、あらかじめ神が定めているとされています。別の言い方をすれば、現世でいくら善行を積んだとしても、あらかじめ地獄行きが定められていれば、死後の救いはありません。そのようなことを聞かされた信徒は当然不安になるのですが、せめて「神に選ばれた者らしく振る舞うこと」によって、不安を和らげようとしました。その振る舞いとは具体的には、神から与えられた天職としての職業に真剣に取り組み、怠けや浪費を避け、規律ある生活を送ることです。こうした生き方は、死後に救われることを証明するわけではないものの、「自分は選ばれた者のように生きている」という感覚が得られ、不安を軽減する役割を果たしました。このようにしてプロテスタントにとっては、勤勉に現世での成功を目指すことが倫理的に望ましい行いとなり、その態度が資本主義発展の原動力ともなった……。これが『プロ倫』のあらすじです。
このような『プロ倫』の主張に基づいて、歴史的事実としてプロテスタントが資本主義発展の主原因であったのだ、と言われることがしばしばあります。しかし、最も有名な古典にはそれに相応しいだけの批判がなされてきました。その結果として現在の研究では、プロテスタントと資本主義に因果関係は無いか、あったとしてもウェーバーが言うほど直接的でも強くもなかったと考えられています[^14]。
しかし、ウェーバーが全て誤っていたわけではありません。とりわけルターが生み出した「天職」概念により世俗の職業が格上げされたという指摘[^15]は、現代の研究によっても事実と認められています[^16]。「信仰のみによって救われる」という立場を取るルターにとって、修道院での生活は「神に義とされるためには全く無価値というだけでなく、現世の義務から逃れようとする利己的な愛の欠如の産物」でした。それに対し「世俗内職業の内部における義務の遂行を、およそ道徳的実践のもちうる最高の内容として重要視」しました。修道院で尊ばれた「労働」は、怠惰の罪を遠ざけるための手段として位置づけられていました。しかしルターは、世俗の人々が各々の「天職」に励むことこそが神意にかなう行いであるとして、世俗の労働へ積極的な価値を与えたのです。ウェーバーは宗教改革およびルターの業績のなかで、世俗の職業生活に道徳的性格を与えたことを「後代への影響がもっとも大きかったものの一つ」と位置づけています。
労働の道徳的格上げにおいて大きな役割を果たしたのが、「天職」という言葉をルターが独自の意味で使ったことでした。「天職」はドイツ語でBeruf、英語でcallingに対応し、いずれにせよ神から呼びかけられた(callされた)使命というニュアンスが込められており、日本語に訳す際は天職の他に召命と訳される場合もあります。この言葉はルター以前から存在してはいましたが、神による救いへの召命や聖職者の任命など宗教的な出来事を対象とする言葉であって、世俗の労働が天職や召命とみなされることはありませんでした。聖書の俗語翻訳においてルターは、世俗の職業を表す意味でBerufという言葉を使い、やがて「各人の労働は天に与えられた使命(Beruf)である」という考え方がヨーロッパ世界に広く定着しました。それはすなわち、あらゆる職業は平等に価値があり、おのおの勤勉に取り組むべし、という規範の誕生でした。
働かないことは罪である
労働が道徳的に素晴らしいものへと格上げされるということは、必然的に怠惰が道徳的に罪であるという考え方をもたらしました。現代では常識となっている「働かないことは罪である」という考え方は、実はこのころに成立した新しい観念なのです。
中世以前はイエスが語った、永遠の命を得るには「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」[^17]という教えに従い、教会や貴族が乞食に施しを与えていました。その施しは単なる気まぐれに左右されるものではなく、日取りや分量などが高度に体系化された儀礼としての性質をもっていました。
表面的には、現代の福祉制度と同じようなことを、国家ではなく教会や貴族が行っていたように見えます。しかし、中世の施しが近代以降の福祉と異なるのは、貧困そのものを解消しようとは誰も考えていなかったという点です[^18]。その理由は簡単で、聖職者や貴族が死後の救いを得るためには、施しを与える相手としての「貧しい人々」に存在してもらわねば困るのです。そうした状況は「富裕な人々は貧しい人々の救済のために創造されていて、貧しい人々は富裕な人々の救済のために創造されている」という、持ちつ持たれつの関係として理解されていました。したがって、中世までの社会において貧民は、解決すべき問題ではなく、いわば富裕な人々の魂を救う「保険」の重要な支払先とみなされていたのです。
しかし、『宮廷人』・『ユートピア』が著されてからおよそ半世紀後の16世紀後半から17世紀初頭、エリザベス女王治世下のイングランドにおいて、こうした持ちつ持たれつの関係は終わりが宣告されます。宮廷人に出世のチャンスをもたらした身分制度の緩みは、その反面、貴族の義務として成されていた、貧民への救済を弱めるという副作用をもたらしました。その結果として、領主や家族の庇護を失い直接的には誰の扶養責任にも属さない貧民が、仕事や物乞いの機会を求めて都市に流れ込み、社会革命と呼べるほどの変化が起きたのです[^19]。
その解決策として考案されたのが、生活保護などの社会保障制度の元祖とされる、1601年のエリザベス救貧法です。この法律の画期性は、貧者の救済を教会や地域社会の慈善に頼るのではなく、自治体に法的義務として課した点にあります。国家レベルで公的救済を制度化した最初の事例として、エリザベス救貧法は近代福祉制度の原点とみなされています。そして、この法律に書き込まれた思想が、その後の「働かない人々」への対処を基礎づけました。
救貧法の第一の思想は、もっぱら労働による解決を目指していたことです。何らかの救済を受けており肉体的欠陥に苦しんでいないあらゆる人々は、彼ら自身の労働を用いて何らかの商品を生産することができ、それを売ることによって貧民法制度をある程度自給的なものにしうると考えられました。
救貧法の第二の思想は、貧民を複数のカテゴリーに分類したことです。たとえば家庭での保護を受けられない児童は就労させられるか徒弟に出され、教育を受けて責任ある市民に成長することを期待されていました。他方で病人と老人に分類された人々は労働を強制されませんでした。
問題となったのが条文中で「頑健な乞食」と呼ばれた、労働能力があると思われるにもかかわらず働いていない人々です。「働かざる者食うべからず」というキリスト教の格言は、この時代からわれわれの知る意味で使われるようになります。救貧法は「頑健な乞食」に対して、他の一切の救済を禁止し、労働施設で働くことによってのみ救済を与えると定めています。ここにみられる貧民の分類、働く能力がなく哀れみと救済に値する「良い貧民」と、働く能力があるのに働かないために懲罰的労働に値する「悪い貧民」という区別は、現代の福祉制度にまつわる議論でも、しばしば目にします。
この新たな法律に対して、それまでの施しを担っていたカトリックは「餓死しかけているイエスに一片のパンを与えるのを拒むことにならないかという恐れ」や「慈善は、法によって認められた国家に対する義務に、貧乏は公共の秩序にたいする罪に変わってしまわぬだろうか」という思いから、当初この動きに反対していました[^20]。その後の歴史を見れば、少なくとも後者の危惧は的を射ていました。他方でプロテスタントは救貧法に賛成の立場を取りました。かれらにとって天職に励まないことは罪であり、その結果としての貧困は、神から与えられた耐え忍ぶべき罰であると考えられたからです。信仰によってのみ救われるプロテスタントにとっては、慈善もまた意味をもちませんでした。
現代社会を見ればわかるように、最終的にはプロテスタントの意見が勝利しました。カトリックの聖職者たちも時代の変化には抗えず、やがて「イエス・キリストは、貧しき者、つまり自分の怠惰と悪行を保ちつづけるために、すべての本当の貧しき者の救済を目的として神聖に設立された秩序に服従しようとしない者の姿をとって現れないだろう」、つまり「悪い貧民」は見捨てても問題ない、とプロテスタント同様の結論に至りました。教会も信徒も、貧民を「同情すべき彼らの身体的な惨めさによってよりも、人を怖気づかせる彼らの精神的な惨めさによって、共和国のどん底にある人々、その屑」とみなすようになり、「良い貧民」と「悪い貧民」の区別は、カトリックとプロテスタントの枠を超えた共通理解となりました。
当時の文章で「イエス・キリストの貧乏人」と「悪魔の貧乏人」とも呼ばれたこの区別は、いずれの貧者にしても、労働施設へ監禁するのが正当でありよい行いである、という強力な論理を生み出しました。なぜなら「良い貧民」は「忍耐づよく、控えめで、つつましやかで、救済本部が差し伸べてくれる救いと自分たちの状態に満足している彼らは、そのことを神に感謝している」し、「悪い貧民」は「正しい秩序の敵であり、無為無能で、うそつきで、酔っぱらいで、みだらであり、父とあおぐ悪魔の言葉しか操ることのできない彼らは、この救済本部の設立者や監督官に何千回となく呪いの言葉を投げつける」ので、彼らが「サタンの栄光のためにしか用いない自由をうばわれる」のはまったく正当である、と。
貧者の監禁はのちに医学的な意味や博愛精神による正当化が付け加えられますが、フーコーによれば監禁の当初の目的は、単に怠惰にたいする道徳的非難と、労働力としての需要だけであったといいます。貧者の監禁は、不景気の時期に、怠け者たちが治安を乱さないようにする消極的な意義と同時に、好景気・高賃金時における安価な労働力のプールとしての積極的な効用も期待されました。
しかし実際には、不景気時の期待はそれなりに達成されたものの、労働力としての期待は打ち砕かれました。働きたがらない人を働かせるためには強力な管理監督が必要となり、かえって大きな労力が必要になるという不経済性や、施設で生産された安価な製品が周辺の製造業を衰退させむしろ貧民を生み出してしまう、という構造的矛盾が存在したからです[^21]。
パリの労働施設では当初「首都パリが提供しうるあらゆる種類の手工業」が試みられたといいますが、結局「いわば万策尽きて、もっとも費用のかからぬ紐つくりに落ち着いた」と記録されています[^22]。他の施設では水を揚げるために囚人たちが5時から20時まで働かされており、それを見た人の困惑が記録されています。「この奇妙な仕事は、どんな動機によって決まったのだろうか? 経費の節約のためであろうか、それとも、単に囚人たちを働かせる必要からなのか? 単に彼らを働かせる必要のためならば、彼らにとっても収容施設にとってももっと有益な仕事につかせるのが、遥かに適切ではあるまいか? 経費の節約のためだとすれば、それはどう見ても節約どころではない」。
この謎を解くためには、やはり近代初期の労働観が、未だ宗教によって強く束縛されていたことを思い出す必要があります。この無駄にしか見えない労働も、神への不服従に対する罰としてなら十分に理解可能です。じっさい施療院の規則を見てみれば、もはや経済的利益は目指されず「彼らの力と場所が許す限り長時間、しかも、できる限り苛酷な仕事に従事させるべきである」と、罰としての性質がむき出しにされています。
このようにして労働の拒否は道徳的罪であるという考え方と、罪への罰を与える監禁施設という、ソフトウェア面とハードウェア面をセットにした新たな発明が17世紀ヨーロッパに広く行き渡りました。労働の拒否を罪とみなす考え方は現代と共通しています。しかしこの時代に問題とされていたのは生産性や経済ではなく、あくまで道徳な罪であり、そのため人的資本の効率的な活用といった考えからは未だ遠いものでした。
労働はまだそれ自体の価値をもっていない
このように近代初期においてはじめて、初回で述べた二番目の意味での〈人間の条件〉としての労働―「まともな」人間とみなされる条件としての労働、という考えが成立しました。しかし現代と異なるのは、この時代の「人間」は神との関係を抜きにして成立しえない存在だったということです。したがって正確に言えば、まだ労働は〈(神に愛された)人間の条件〉にすぎません。その意味では、古代ギリシャにおけるヘーシオドスの「人間は労働によって家畜もふえ、裕福にもなる、また働くことでいっそう神々に愛されもする」という考え方から変わっていません[^23]。
「神の教えは正しい」という古代以来の自明な前提に、「労働は神が望んだ義務である」という新たな前提が加わった結果として導かれるのは、労働に対する文字通りの「神聖視」です。フーコーによればこの時代の労働は、生産性ではなく「ある種の精神的な魔力〔…〕倫理的な超越性」によって、「すべての形式の貧困にたいするあらゆる解決策、間違いのない万能薬、救済手段」とみなされていました[^24]。
しかし「労働はいいことであり、それに励めば幸せになれる」という、強力でありながら素朴な考え方は、やがて産業革命以降における工場労働の現実の前では、まさしくユートピア的な考えとみなされるほかありませんでした。次回は、神と切り離された労働がいかにして価値を持ち得たかを見てみましょう。
(次回へつづく)
文献
マックス・ウェーバー([1905]1920=1989)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波文庫
バルダッサーレ・カスティリオーネ(1528=1987)『カスティリオーネ宮廷人』清水純一・岩倉具忠・天野恵訳、東海大学古典叢書
アーロン・グレーヴィチ (1984=1992)『中世文化のカテゴリー』川端香男里・栗原成郎訳、岩波書店
アドリアーノ・ティルゲル(1929=2009)『ホモ・ファーベル――西洋文明における労働観の歴史』小原耕一・村上桂子訳、社会評論社
橋本努(2019)『解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』講談社選書メチエ
ミシェル・フーコー(1972=1975)『狂気の歴史――古典主義時代における』田村俶訳、新潮社
ヘーシオドス(n.d.=1986)『仕事と日』松平千秋訳、岩波文庫
ジュール・ミシュレ([1855]1982=2019)『フランス史VII――ルネサンス』桐村泰次訳、論創社
トマス・モア(1516=1957)『ユートピア』平井正穂訳、岩波文庫
ブライアン・ロジャーズ(1969=1986)『貧困との闘い――貧民法から福祉国家へ』美馬孝人訳、梓出版社
Applebaum, Herbert. (1992) “The Concept of Work: Ancient, Medieval, and Modern”. State University of New York Press.
Becker, Sascha O., Pfaff, Steven. and Rubin, Jared. (2016) “Causes and consequences of the Protestant Reformation”. ESI Working Paper 16-13.
注
[^1]: ミシュレ([1855]1982=2019)§1.1
[^2]: ティルゲル(1929=2009)§6
[^3]: カスティリオーネ(1528=1987)§2.8
[^4]: カスティリオーネ(1528=1987)§2.50
[^5]: モア(1516=1957)§2.4
[^6]: モア(1516=1957)§2.5
[^7]: 「ヨハネの黙示録」(新共同訳)§7
[^8]: モア(1516=1957)§1 これを語る旅人がヒスロデイ(おしゃべりが得意な人)という滑稽な名前を持つのは、風刺をユーモアで包み隠す意図があった、と考えられている(訳者解説)。
[^9]: モア(1516=1957)§2.4
[^10]: モア(1516=1957)§2.6
[^11]: モア(1516=1957)§2.4
[^12]: モア(1516=1957)§2.7
[^13]: ウェーバー([1905]1920=1989)
[^14]: Becker et al. (2016)§4.1 もっとも、ウェーバーが問題にしたのは「ただただ、歴史における無数の個別的要因から生まれ出て、独自の『世俗的』な傾向をおびる近代文化の発展が織りなす網の目のなかに、宗教的要因が加えた横糸をばある程度明らかにする、ということだけ〔…〕どれだけを歴史的原因として宗教改革の影響に帰属させることができるか、ということだけ」だった(ウェーバー [1905]1920=1989 §1.3)。そのためプロテスタンティズムが資本主義発展の「唯一の原因」ないし「主原因」であるとウェーバーが主張した、というのはよくある誤解である。しかしそれを踏まえてなお、特に禁欲倫理による心理的影響に関しては、ウェーバーが「帰属」させたほどの影響力は持たなかったとBecker et al.は結論している。禁欲倫理と天職倫理の関係などウェーバーの主張の整理としては、橋本(2019)を参照。
[^15]: ウェーバー([1905]1920=1989)§1.3
[^16]: Becker et al. (2016)§4.2、Applebaum(1992)§14
[^17]: 「マタイによる福音書」(新共同訳)§19.21
[^18]: グレーヴィチ (1984=1992)§4.3 以下の4段落も同書による。
[^19]: ロジャーズ(1969=1986)§2.1
[^20]: フーコー(1972=1975)§1.2
[^21]: フーコー(1972=1975)§3.2
[^22]: フーコー(1972=1975)§1.2
[^23]: ヘーシオドス(n.d.=1986)
[^24]: フーコー(1972=1975)§1.2
プロフィール

あいかわけい 生活保護受給者。30代、無職、職歴無し。不登校による高校中退後、大学で社会学・哲学に没頭するも留年を重ね除籍。古代哲学から現代社会論までを横断する、歴史に根ざした生活の思想を展開している。note(https://note.com/kei_aikawa)においても、本連載を補足する記事を執筆している。
相川計





星野博美
速水健朗×角由紀子

亀石倫子×ダースレイダー
平尾剛
森野咲