
第二次世界大戦の終結から81年を迎えた今夏。集英社新書から『ルポ 被爆二世』を刊行したジャーナリストの小山美砂さんと、『せんそうって』(講談社)を上梓した哲学者の永井玲衣さんによるダブル刊行記念対談が、紀伊國屋書店新宿本店で開かれました(2026年7月21日実施)。
各地で哲学対話を続ける永井さんの新刊は、写真家の八木咲さんとともに立ち上げた「せんそうってプロジェクト」を通して、「せんそう」について聞き、考えた言葉を綴ったドキュメンタリーです。小山さんの『ルポ 被爆二世』は、被爆者の子どもとして生まれた人たちが、原爆の遺伝的影響が確定しない中で、調査や差別の対象とされてきた戦後を追ったノンフィクションです。被爆二世の多様な声を取り上げながら、社会のあり方や、小山さん自身の中にある「差別心」とも向き合った一冊で、第23回開高健ノンフィクション賞最終候補作に選ばれました。
アプローチは異なりながらも、2冊に通底するテーマは同じだと話した2人。「声を聞く」ことがテーマとなった対談の内容を、前後編でお伝えします。
取材・撮影/集英社新書編集部
「戦争がどっと入り込むんじゃないかという危うさを感じてきました」(永井さん)

小山 今日の対談は私からお声がけさせていただきました。普段は玲衣さんと呼んでいるんですが、私たちが出会ったのって、2、3年前でしたっけ。
永井 そうですね。
小山 私は広島への原爆投下後に降った「黒い雨」の取材をずっと続けているのですが、玲衣さんが広島にトークイベントでいらっしゃった時に、その降雨地域にご案内したのが最初のご縁でした。その時の様子が玲衣さんの新刊『せんそうって』にも収録されています。
永井 今日(7月21日)はまだ発売前なんですけれど。
小山 世界で一番早く買えるということで。
永井 みさみさのおかげで――あ、小山さんのことは「みさみさ」と呼んでいるんですけれど。みさみさのおかげで出てこられてよかったね、と。
小山 あはは。2冊の誕生を喜びたいと思います。
今回の対談は私からお声がけしたのですが、語りにくいテーマをどのように語っていけばいいか、一緒に考えてみたかったからなんですね。『ルポ 被爆二世』では、被爆者の子どもとしてうまれた方々に焦点を当てているんですが、実態調査が行われていないため人数は不明で、親の受けた原爆放射線が次世代に影響を及ぼすか否かも結論が出ていません。とはいえ、遺伝的影響があるかどうかの研究はずっと続けられてきて、当事者の中にも不安が広がってきました。
本当にいろんな被爆二世の方がいるんです。親と同じ病気に苦しんできたから遺伝的影響があると確信している人もいれば、自分は健康だから被爆二世だなんて言ってほしくないと拒む人もいる。そういう中で、どんなふうに言葉を紡いでいけばいいのかわからないというのが、私の取材の出発点でした。そこで、各地で「哲学対話」をしている玲衣さんにぜひいろいろ聞いてみたいと思ったんです。
永井 ご紹介いただいたように、私は全国各地をうろうろして、対話の場をつくる活動をしています。それに加えて、写真家・八木咲さんと一緒に「せんそうってプロジェクト」というものも試みてきました。戦争について話そうとするんだけど、「私は戦争を知らない」「体験してないから語る資格がない」と、引いてしまう時があると思います。でも、そうやってみんながちょっとずつ、ちょっとずつ後ずさりしていったところにぽっかりと穴が空いて、そこに戦争がどっと入り込むんじゃないかという危うさを感じてきました。
それをひっくり返すところから始めたいと思ったんですね。いや、戦争を知らないんじゃなくて、「戦争を知っている私たちなんだ」というところから始めて、じゃあ、私たちは何を見聞きして考えてきたんだろう? それを語り出してみよう、というプロジェクトで、その経験をもとに書いた一冊が『せんそうって』になります。
小山 涙ぐみながら読みました。やさしい反戦詩みたいだな、って。戦争ってすごい遠くのことのように感じられたり、あるいは「新たな戦前」と言ったりもしますけど、玲衣さんは「私たちは戦後であり戦中であり戦前を生きているんだ」と書くんですね。あ、こういうふうに私たちの中にも戦争ってあったんだ、実は私たちも戦争を今まさに経験・体験しているよねということに、匿名の語りを通して気付かされる。ものすごいアプローチの本だなと思いました。
もう一つ、『ルポ 被爆二世』と通底しているテーマは一緒だとも感じました。話さなかったらなかったことになるとか、遠いと思っていても実は近いところにあるとか、違う方法で同じことを語っている本だなと思いましたね。
「聞き続けることで見えてくる心の変化や変遷がありました」(小山さん)

永井 『ルポ 被爆二世』は、とんでもない質感のある本でした。『せんそうって』で書きたかったことにもつながるんですけど、「生きているんだよ」という怒りであり、訴えであり、呼びかけであり……そういったものがすごく響いている。それを俯瞰して淡々と書くのではなく、みさみさ自身が入り込んで、みさみさの「もがき」の中で獲得した言葉で語っているところに凄みを感じました。被爆者や被爆二世に対する差別を、「当時はあったらしいね」で終わらせるのではなく、今、私たちの社会でどう位置づけられるのか、優生思想のことも考えながら、よろめき、もがきながら描いていく――。
みさみさの本当にすごいところね、これいろんなところで言ってるんですけれど。
小山 えっ、何なんですか?
永井 私は「聞く」ことを大事にしたいと思っているんですけれど、みさみさは単に「聞く」じゃないんですよね。「聞き続ける」なんだな、と思って。単に「こんにちは、取材させてくださーい」じゃなくて、とことん一緒に雑談したり。フィールドワークの時にも、地域のおじいさんがみさみさの名前をスマホで検索してたりとかして、入り込んでいる。「野菜持ってけ」って、何か渡されていたりとか。
小山 そうそう。夏だったんで、ナスとか大量に持って帰らせてもらいましたね(笑)。
永井 それってやっぱり、単に「聞く」じゃない。聞き続ける、それを諦めないんだ、と。被爆二世についても、ステレオタイプな見方や、そもそも光が当たらなかったことがあるからこそ、この本の凄みが際立つんだなと思いました。
小山 私はもともと全国紙の記者だったんですけれど、全国各地を転々とするんですよね。となると、いろんな問題を通り過ぎる人になってしまう。それが私は嫌だと思っていたんです。
たしかに、ぱっと来て、知らないからこそ見える問題もあると思うけれど、根を張らないと見えないこともあると思う。被爆二世についても、聞き続けることで見えてくる心の変化や変遷がありました。第一章「調査される子どもたち」で取り上げた方は、出会った当初は「戦争への怒りはそれほど」という話しぶりだったんですが、2年とか3年お付き合いをして、研究機関の検診を受けた時のカルテを取り寄せ、インタビューをさせていただく中で、彼は被爆二世としてのアイデンティティを確立させていくんですよね。
取材者として伴走させていただく中で、その彼を変化させてしまったところもあると思います。取材の重さを実感するとともに、でもそうやって、人間の心が変わっていくさまを見させてもらったのは、非常に重要だったと思いました。
永井 「せんそうってプロジェクト」だと、私の戦争、あるいは誰かの戦争というテーマで聞き合うんですよね。最初は「殺されたくない」とか「怖い」とか、被害としての語りがすごく出てきます。それがんどん対話の中に出てきて、対話が勝手に自走していくんですよ。誰かが誘導するわけでもなくて、場が回転して動き始めて、場にみんなでついていくようになるんです。
するとみんなも変容していって、「殺されたくないです」という言葉だけでいいんだっけ、と立ち止まる。語りというのは常に不十分さをはらむんですよね。言った後に、「あれ? 何か欠如があるな」とか、「うちのおじいちゃんが満州にいて……、あれ? 満州だったっけ」って、確認したくなるんですよね。それは、言葉にしないと気づけないことなんですよ。
そのうちに「殺したくない」とか、というか戦争ってむしろ加害者にさせられる側面があるよなとか、別の視点が出てくる。「殺されたくない」が「殺したくない」になり、そして「殺させたくない」へ、言葉が育っていく状況に参加したことはありました。人って、くるっと変わるというよりは、見えるものや聞こえてくるものが豊かになって、気がつくものが増えてくるという仕方で変容しているんだなと思います。
哲学対話は複数人でやるけれど、みさみさは一対一で聞くことが多いですか。
小山 はい、基本は。
永井 どういう感じなんですか? 取材の間に言葉がちゃんと育まれているな、と感じて。
小山 『ルポ 被爆二世』はフリーになったら絶対に書こうと思っていた本で、その人の内面にちゃんと迫りたいと思っていました。戦争報道はテンプレート化していると在職中に言われたことがあるんですが、テンプレート化された言葉じゃなくて、心の奥底とか葛藤まで描かないと、被爆二世というテーマの本質が見えてこないなと思ったんですね。
だから、この本に出てくる方々は、みんな数日かけてお話を聞かせていただいているんですけれど……。
(会場から)150時間。
小山 いや、それどころじゃないですよ(笑)。今、「150時間」とおっしゃった方は森川聖詩さんといって、「はじめに」でもご紹介している被爆二世の方です。本にも書いたように、月に1回広島でお会いしていて、それがもう6年なんですね。1回あたり5時間なんで……もう計算できない。
「声が聞かれるというのは、尊厳の問題なんです」(永井さん)

永井 いや、たしかに「聞き続ける」って言ったけど、ここまで聞き続けていると思わなくて、今びびってるんですけれど。また、それだけじゃなくて、みさみさが社会の声も聞いているんですよね。差別とか優生思想とか、被爆二世に対する無関心な声とか、社会に鳴り響く声も聞こうとしている。そして最後には、自分自身の声を聞いていくじゃないですか。みさみさ自身の、「自分で自分を差別する」というまなざしに開かれていくということが、この本の大事な部分だったなと思いましたね。
小山 この本の主題の一つは、私自身との対話でもあるんです。被爆二世に対して差別的な感情を持っているとある時に自覚したんですけれど、なぜその感情が浮かんできたのかを考えない限り、この問題を乗り越えられないと思ったし、変えていけないと思ったんです。だから、自分のことも絶対にまなざさないといけない、書かないといけない、と。でも他者と関わるって、そういうことですよね。話を聞かせていただいている時に、同時に自分の声も聞いているというか。
永井 対話の場をつくる時、「よく聞く」ということを投げかけるんですね。それは、語っている人の声を「よく聞く」もそうだし、自分の声も聞く。あるいは、「沈黙も聞く」ということを言うんです。次の人の手が挙がるまでの沈黙もそうだし、あるいは語り手の沈黙ですね。「そうですね」と言った後、何分間も沈黙する方がいる。でも、それも表現なんです。だから、沈黙にも耳を澄ませる。
最近は、ここにいない人の声にも耳を澄ませてみよう、ともお誘いしています。それはもう亡くなった人かもしれないし、これから生まれてくる人かもしれないし、まだ出会ったことのない人の声かもしれない。それをどうやるのかも、実際はわからないですけどね。
小山 哲学対話では、どういうことを大切にして進めていますか。
永井 哲学対話は、人々と集まって、問いを聞き合って、一緒に考えるというシンプルな実践で、みんなで場をつくるというイメージで進めています。大事だなと思うことは、語りの終わりは語り手が決めるということ。弱い立場に追いやられてきた人たちは、語りの終わりを自分で決められない。水俣病患者の団体と環境省の懇談の場で、団体側の発言の途中に環境省の職員がマイクの音声を切る事案がありましたよね。マイクを切られる、遮られる、そもそも声が聞かれない……そういうことがある中で、本人が「終わりです」と言うまで、その言葉は聞かれるべきだと私は思っています。声が聞かれるというのは、尊厳の問題なんです。
だから、発言している人が「終わりです」と言うまでみんな聞く、という約束で進めたりしていますね。
後編「『語りにくさ』をどう解きほぐすか」につづく(9月2日公開予定)
プロフィール

小山美砂(こやま みさ)
ジャーナリスト。1994年、大阪市生まれ。毎日新聞記者を経て、2023年からフリー。広島原爆投下後に降った「黒い雨」の被害を記録した『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)で第66回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞。旧ソ連のセミパラチンスク核実験場(カザフスタン)を訪れるなど、核被害をテーマに取材を続けている。近著に『気象学者 増田善信 信念に生きた101年』(本の泉社)ほか。広島市在住。
永井玲衣(ながい れい)
人びとと考えあい、ききあう場を各地でひらく。問いを深める哲学対話や、政治社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、戦争について表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社)、『さみしくてごめん』(大和書房)、『これがそうなのか』(集英社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
小山美砂×永井玲衣







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