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岩井俊二監督インタビュー「過酷なものと戦っている人たちに感じる自分の憧れや敬意を描いたのが、移民たちを主人公にした『スワロウテイル』だった」

岩井俊二

1996年に公開された岩井俊二監督『スワロウテイル』が公開30周年を記念して「4Kリマスター」として9月4日(金)から全国で上映される。

むかしむかし

円が世界で一番強かった頃

その街は移民たちであふれ

移民たちはこう呼んだ

“円都(イェンタウン)”

そしてこれは、

“円都(イェンタウン)”に棲む

“円盗(イェンタウン)”たちの物語

という予告編のナレーションにもあるように、移民たちを描いたこの作品は未だに多くのファンたちに支持されている。また、90年代後期を代表する日本映画として存在感をより強固なものにし、さらに新しいファンを日本だけでなく海外にも増やしている。

岩井俊二監督は1995年に中山美穂主演『Love Letter』で劇場用長編映画デビューを果たした。それ以降も『リリイ・シュシュのすべて』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『キリエのうた』といった話題作を手がけるほか、プロデューサーとしても劇場映画の製作に携わってきた。また、小説や漫画、音楽など多岐にわたる創作活動を第一線で継続しているクリエイターでもある。

今回は『スワロウテイル 4Kリマスター』を中心として、この30年における岩井監督の創作活動などについて幅広く訊いた。

(取材・構成:碇本学 撮影:内藤サトル)

毛穴まで映るという都市伝説と観客側の受像機としての解像度

――『スワロウテイル 4Kリマスター』が9月4日から公開になります。この企画自体はいつぐらいから始まったのでしょうか。

去年『Love Letter』の4Kリマスターをやって、公開30周年がくるというのがわかってたので、『Love Letter』のあとから作業を始めました。

――『スワロウテイル 4Kリマスター』のあとにも『undo』『PiCNiC』も併映でリマスター上映が決まっています。岩井監督がリマスターを監修するときに一番力を入れるのはどの部分になりますか。

その素材の状態によりますね、それぞれに癖があるので。『undo』『PiCNiC』だと16ミリからの4K化なんですが、撮影の篠田(昇)さんがいろんな現像をしていた。すごく癖の強い状態になっていたので、修正できるところはしていきました。

あとオーディオがモノラルだったりステレオだったりしているので、5.1chに変えたりしてますね。もうほとんど基本手作業です。

――岩井監督と篠田さんは『undo』から『花とアリス』まで、篠田さんが亡くなるまで組まれていました。

特にこの時期のフィルム撮影の時は増感現像とか減感現像とか、篠田さんがいろいろと試していたんです。

基本自分でDP(Director of Photography、撮影監督)をやっていて、アングルとかフォーメーションは僕が指示しているから、どの人とやっても変わらないんだけど、カメラマンの領域はそこから先の動きになります。あと篠田さんのアプローチとしては、このシーンはこの現像にしたいという相談があったり、いろいろ工夫して現像を変えて撮るみたいなことをやっていました。

――今回リマスター監修をされて、色彩などは昔からだいぶ変わっているものですか。

そんなには違わないと思います。ただ、当時と概念がだいぶ違っている。観る側の感度が違うというのがある。この30年でハイビジョンになり、4Kになった。でも、劇場で観ているものの解像度とテレビのほうの解像度の違いについて、明確にわかっている目を持っている人は当時ほとんどいなかった。

受像側の感度というのがあって、例えばテレビでモノラル放送だったものがステレオになったときに、気持ち悪いという人が出てきた。画面から音が出ている気がしない、なにかズレてると感じる人がいたんです。

『SLAM DUNK』ぐらいの頃まで、アニメもフィルムに一旦変換してプリントを起こして放送されていたわけですけど、そのあと突然デジタルのHD放送になったら、フィルムのポストフィルタがないから、画面がベタっとして作品に入り込めなかったりした。

でも、今は逆にフィルムのほうを見るとピントが合っていないようなぬるさを感じて、もっとしゃきっとしてほしいみたいな感じになると思うんです。

――その解像度の違いみたいなものも受像側が慣れているかどうかによって、昔の作品を観る時にはズレを感じてしまう。

過渡期の中でもそこの差はずっとあって、当時の篠田さんからするとハイビジョンはちょっとクリアすぎたんですよね。だからもうちょっと落としたいという感覚があった。それが今だったらどうだったのか、その変化は時代と共に変わっていかざるを得ない感覚だったりもします。

例えば、SDからHDになったときに、役者の毛穴まで映るという話になって、NHKだとみんな厚いどうらんを塗って毛穴を消した。でも、2Kから4Kになったときに誰もそれを言わない。それ自体が都市伝説だったわけです。

毛穴が映るかどうかで言えば、それはサイズによって違う。スチルで12Kで撮れば全身で撮っても毛穴は写ってます。そこは解像度の問題なんですよ。

そういう人の受像機としての感覚に対して、現在においてリマスターするわけだから、そこには合わせたほうがいいだろうと。だから、そういう意味でいうと違うといえば違うし、そこまで違わないともいえる。そこの解像度は損なわないようにやってます。

『スワロウテイル』は16ミリと35ミリを混ぜて使っていた。16ミリを35ミリに合わせるために、コピーを取らなきゃいけない、それをブローアップするというんですが、16ミリを35ミリに変換する。そうするとそこの差がだいぶ開いてしまうんです。

――それが何か映像におけるある種のざらつきみたいなものでつながっているのでしょうか。

つながっていたりするんでしょうけど、それがいいのか悪いのか。ざらつきとか粒子感というのも、今のカメラトレンドではめちゃくちゃおぞましがられているんです。そこは各社がしのぎを削ってるところですね。

粒子感というのは元々ネガに対して焼き出すプリントがあって、観客はそれを観るわけですが、どうしてもそこで一気に解像度が落ちてしまう。ネガなんかより安いフィルムを使うから粗くなってしまう。ネガからそのまま出力すればわりと今風な4Kになる。プリントまで戻ってリマスターすると粒子は出てくる。それはパソコンに出した画をよく見たら全部ドットで観るぐらいの粗さです。

日本映画冬の時代における邦画っぽくしないという流れ

――岩井監督はミュージックビデオから始められて、フジテレビの深夜ドラマを経て1995年に『Love Letter』で劇場用長編映画デビューされます。翌年に『スワロウテイル』が公開となりますが、30代前半の岩井監督には当時の日本映画はどのように見えていたのでしょうか。

当時、ほんとうに日本映画は冬の時代でした。邦画がすごく苦戦していて、ヨーロッパ映画とかのアート映画みたいなものがブームになっていた。そういう流れは80年代からあったんだけど、ある種ハリウッド映画とヨーロッパ映画をコレクションするみたいなことが人気だった。若いOLさんとか、日本映画の一番のメインターゲットが観ないという状況でした。

――アート系のヨーロッパ映画はおしゃれということで観たりはするけど、日本映画は隅に追いやられていた。

90年代は80年代とも雰囲気がまた違うんですよね。70年代に本当に60年代の東宝とか松竹の全盛期からは日本映画は衰退してしまっていて、一気に映画館が潰れていきボーリング場に変わっていった。それも数年で潰えて、そのタイミングで出てきたのが角川映画でした。

往年の日本映画のファンからすると「なんだこれ?」みたいな感じだったと思うんですけど、当時の若い子からしたら日本映画というのは重くて難しいものだった。そこに『犬神家の一族』とかが入ってきたわけです。

音楽が大野雄二さんで、彼は日本テレビで「石立鉄男」シリーズだったり、『ルパン三世』シリーズをやっていたから、僕らからすると新しい風だった。そういうものをいきなり持ってきたのが角川映画だったから、すごくインパクトがあった。

――角川映画というとメディアミックスを成功させたという印象がありますが、映像も音楽も当時の若者が惹きつけられる要素があったんですね。

だからこそ、全部リニューアルされたという感覚ですよね。新しい潮流が生まれた。薬師丸ひろ子さんと原田知世さんという角川アイドル時代も来たし、そこでデビューした若いポップな映画監督がどんどん出てきた。そんな流れがフジテレビに引き継がれていくのが90年代で、ちょうどそれこそ『Love Letter』『スワロウテイル』をプロデュースしてくれた河井(真也)さんが映画をやっていた頃だった。

――日本映画が冬の時代だったことで作風にも影響がでましたか。

ミュージックビデオをやっていた頃だったから、もう否が応でも洋風に撮らないといけないというコンセンサスがありました。

『Love Letter』『スワロウテイル』も予告編とかでもダメ出しが何度もあって、キーワードが洋画っぽくするというものでした。

一旦そうなると不思議なもので、映画館で邦画を何本か試験的に観に行ったんです。タイトルは言えないですけど、オープニングで日本語でクレジットやタイトルが出ると、そわそわして帰りたくなる自分がいた。なにかその時代のテイストに合っていないというのが身体的にわかるというか。

――時代の空気っていうのがあって、身体というか本能的にわかってしまった。

それってすごく恐ろしいですよ。一時ウイスキーが全く飲まれなくなった時代が2000年頃にあったんです。誰もウイスキーを飲まないんですよ、どんなに宣伝しても不思議と誰も飲まない。でも、ある時期を過ぎると飲まれだした。あれって何だったろうっていう。

だから、そういう意味でいうと映画も嗜好品なんです。嗜好されなくなると誰も足を向けなくってしまう。そういうものに自分たちなりに抗うしかなかった。

『四月物語』は自主映画として作ったので、これぐらいは日本語でいいかなって思ったんですけど、いざ公開するときに日本語のクレジットを入れていたので若干恐怖心はありましたね。

――松本幸四郎(現・松本白鸚)さんはやっぱり漢字じゃないと存在感が違ってくると思いますが。

そうですね。今は日本語で何の違和感もないと思うんだけど、時代の空気というものがありますよ、ほんとうに怖い。

――当時私はまだ10代でDVDをレンタルして作品を観たので、監督が言われたような違和感は感じていなかったです。その頃に映画館で作品を観ていた人たちはそういうものを感じていたんですね。

多少ね。『スワロウテイル』とかでその段差を少し均したぐらいの貢献はできたんじゃないかなっていう自負はあります。

2000年に入ってくると違和感だったものはなくなってきて、今度は逆に欧米の吸引力が失われていったんです。ハリウッド映画のステータスが母国内で落ちてくると、日本にも来なくなってくる。売り上げが下がっていくと、かける映画館も小さなところに拡散されていく。テレビのゴールデンでも放送されなくなってくる。BSとかCSでしか観られなくなっていく。要するにトム・クルーズみたいな人がいなくなってしまった。

――状況が変わっていき、フジテレビの『踊る大捜査線』などのテレビシリーズの劇場版が大ヒットするなど、日本映画かっこ悪いという印象は薄れたり、なくなっていったという流れもあるのでしょうか。

テレビ側のトレンドというのは常にあったんです。『ロングバケーション』とかも大人気だったりしたし。映画にはないけど、テレビには新しいトレンドはあったのに映画にはなかなか吸収されないというか、循環していなかった。映画は映画で、一世代前の人たちの空気感でしたね。

テレビには北川悦吏子さんや坂元裕二さんが出てきていたけど、映画界には来なかったし、そこでギャップが生まれていた。『新世紀エヴァンゲリオン』も映画まではきたけど、アニメだったし、ちょっと世代のズレがややあるかなというのは側から見て感じていました。

移民たちのバイタリティやポテンシャルに惹かれていた

――『スワロウテイル』は2026年現在の円が安くなっている状況とは正反対で、円が世界で一番強かった架空の時代と街が描かれています。一攫千金を求めて日本にやってきた外国人は街を「円都(イェンタウン)」と呼び、彼ら違法労働者を日本人は「円盗(イェンタウン)」と呼んで蔑んだという部分は、現在における排外主義や移民問題を予見していたように見えます。

いや、当時は当時でそういう問題は今と変わらずにあったんです。いまだと2021年に名古屋入国管理局で亡くなったウィシュマさんの事件を思い出すかもしれないですが、90年代にもそれと近い事件もあったし、そうしたものを一つ題材にはしています。築地に行くと中国の方がたくさん労働者として入っていて、文化も違うからいろいろなトラブルが起きていたというのが自分の印象としてあるんです。

『スワロウテイル』で移民たちを描いたことで、けっこう叩かれたし、社会問題だからまじめに描けみたいなことも言われました。だけど、こっちもまじめに描いていた。ただ視点がまったく違った。

僕は移民の人たちに憧れがあって、尊敬も敬意もあった。だから、気の毒だと思っていたわけでなくて、むしろ超人のような、スーパーマンのように思っていました。違う国に来て慣れない文化の中で、お金を稼いで生活して、祖国にもお金を送らないといけない。そういうワイルドなところで生きている人間のバイタリティや潜在的なポテンシャルに惹かれていました。

――日本人がほとんど出てこないのは、岩井監督が彼らへの憧れや惹かれている部分があったからなんですね。

その頃の自分の言い方だと、「日本人は病院の中で生活してやいないか」というのが当時のテーマでした。『PiCNiC』が病院から脱出する話なのは、そういう観点から見ていたからです。

日本人が描かれていないのは、病院でぬくぬくと好きなだけ点滴を受けているような、そんな状態にすらも不満を持っていない人たちには興味がなかったから。それは今に至るまで一緒ですが。なにか過酷なものと戦っている人たち、ハンディキャップを背負っている人たちにすごい憧れを自分は持っています。

――三上博史さんが演じたフェイホンが足を引きずっている描写もありました。

あれは三上さん本人のアイデアで、僕が設定したものではなかったと思います。そこで話し合いはいろいろしました。

物語に出てくる「円盗」たちもそうだし、移民たちは言葉の壁とかいっぱいハンディキャップを背負っているけど、その中でもタフに生きている人間に対して、「俺たちは大丈夫か?」という、自分に対しての自戒の念も込めていました。彼らには本当に敬意しかないし、すごいとしか思えない。それって大谷翔平に感じるスーパーヒーロー感と同質のもののはずなんですけどね。

だけど、どうしても入り口は気の毒に見えてしまうっていうか。明日どうなるかわからないような環境の中で生きているっていうこと、そこにスポットを当てる。敬意とか憧れを持って描いたら自分自身の学びにも気づきにもなる。というのがここまで振り返ると一貫として、意識せずに自分が通底してやってきたことなのかなって。

――小林武史さんが音楽を担当されたり、歌い手にもなるグリコをCHARAさんが演じるのは最初から決まっていたのでしょうか。

そうですね。『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』のあとに第一稿を書いたんですが、その段階でCHARAと三上さんに会って役柄は決まってました。あと伊藤歩も早い段階で決まってましたね。彼女は「打ち上げ花火」のオーディションに来ていた。

――「打ち上げ花火」のヒロインのなずなは奥菜恵さんが演じられましたが、伊藤さんもオーディションに来られていたんですね。

「打ち上げ花火」のヒロインのオーディションは奥菜恵と伊藤歩の二人しか会っていないんですよ。最初に歩が来て、「この子はスワロウにぴったりだ」と思ってチェックしてたんです。

――二作品のヒロインが、二人で決まったのってすごいですね。

自分にとってもすごい人生の中でも重要な時期だったと思うんですけど、河井さんに会ったり、そこまで多くの人には会っていないのに、結果としてそういうときの出会いってすごくシンプルなんです。定められたように『スワロウテイル』まではスーッといった感じがしました。

――主演の三上さんもですが、リョウ・リャンキを演じた江口洋介さんやランを演じた渡部篤郎さんなどはトレンディドラマに出られていたイメージがあります。このキャスティングはどのように決まったのですか。

江口さんとはCMを一緒にやっていたりもして、迫力もあるし画映えもするし、今振り返ると、あの頃はすごいいい俳優がそろっていた時期でもあったんです。木村拓哉さんもいたし、女優だと鈴木保奈美さんも中山美穂ちゃんもいたし、こうやって考えると層が分厚いですよね。

――『undo』には今作にも出演されている山口智子さんと一緒に豊川悦司さんが主演されています。豊川さんはドラマ『ルナティック・ラヴ』と『Love Letter』と続けて出演されていて、一度お仕事された役者さんにまた出てもらうという時期だったんでしょうか。

この時期に限ったことでなくて、常にそういうことはあるんですが、ただあんまりずっと続くということは多くはないです。こちらが選んでも、あちら側の事情やスケジュールもあるので、そこのパズルはなかなか合いにくい。

個人的には一緒にお仕事をした方とは、いつでも何度でも、とは思っています。しかし、言うほどそれが実現しないのが現実だったりします。

――さきほど「打ち上げ花火」のオーディションに奥菜恵さんと伊藤歩さんがいらっしゃったというお話がありましたが、『スワロウテイル』だと伊藤さん演じるアゲハと終盤一緒に偽札を作る子どもたちがたくさん出てきます。岩井監督作品には少年少女が出てくる作品が多いと思うのですが、大人の世界との対比だったり、物語として動かしやすいということもあるのでしょうか。

いろんなお手本があるからだと思うのですけど、『スワロウテイル』に出てくる子どもたちは白土三平さんの『忍者武芸帳 影丸伝』という漫画にでてくる影丸とその一群がイメージでしたね。

白土さんの漫画は大人が主人公の場合と、『サスケ』『ワタリ』とか子どもが主人公のものがあるんです。「影丸伝」には戦災孤児たちのパートがあって、それがどこか頭の片隅に残っていて出てきたんじゃないかな。

あとは『マッドマックス/サンダードーム』という作品で、飛行機事故で亡くなった大人たちの言い伝えを守って暮らしている子どもたちのパートがあって、それも印象に残ってました。アラン・パーカー監督『ダウンタウン物語』というギャングものだけど、登場人物を子どもたちだけでやっているものとか、子どもにスポットが当たっているものが自分は好きなんでしょうね。

『スワロウテイル』の続編やスピンオフの可能性は今もある

――エドワード・ヤン監督とスタンリー・クワン監督と一緒にされていた「Y2Kプロジェクト」の一環で企画されたものの中止となり、2012年に小説として刊行された『番犬は庭を守る』を読み返していたのですが、終盤に主人公のウマソーが警備する廃炉に子どもたちがやってくるシーンは『スワロウテイル』の子どもたちに通じるものを感じました。

入り口から何から世界観は違うものであって、そこまで自分の中で『スワロウテイル』に寄せようとは思っていないですね。ただ、同じ作家が書いているので、どうしても似ているところはあるかもしれません。

――「Y2Kプロジェクト」でご一緒されていたエドワード・ヤン監督のこともお聞かせください。去年4Kリマスター版が公開された『ヤンヤン 夏の想い出』の予告編を岩井監督が作られています。エドワード・ヤン監督作品でも経済と都市における移民の話などが描かれていて共通点も感じますが、どのような交流をされていたのでしょうか。

どっちかというとお友達という感じでしたね。すごく楽しい人柄という印象が一番強く残っていて、作品になると非常に変わった撮り方をする人でした。

2000年の「ヤンヤン」も公開当初は正直、初見で観てもよくわからなかったんですけど(笑)。なんというか本当につかみきれなかったというか、場面場面はすごくいいけど、全体でなにをどうしようとしているのか、でも予告編を作る時にやっとわかったんです。

当時、予告編を作る時に作品をピックアップしていく中で、構造式が見えてきた。ここにこれが乗っかってきて、さらにこういうものが乗ってきて、とすごい多層構造でわかりにくい編集にもなっていた。僕としてはもう少しわかりやすく説明できたんじゃないかなって思いながら予告編を作っていました。

一旦映画の構造式がわかると、こんなにしれっと映画をコントロールできるのはすごいし、本当に知性的な人だなって。実際に会った時には全然そんな雰囲気の人じゃなかったのでそのギャップも感じました。

――2005年に岩井監督は拠点をロサンゼルスに移されて、『ヴァンパイア』を撮影されています。エドワード・ヤン監督は亡くなるまで同じくロサンゼルスに滞在されていて、時期が重なっていたのではないかと思うのですが。

ロサンゼルスにいた時は会っていなくて、彼が来ていたのも知らなかった。だから、交流はなかったんですが、亡くなったと連絡が来て、お葬式の場所が送られてきたら徒歩15分ぐらいで歩いて行けるところだったんです。

散歩道にある墓地で、本当にあそこでやるのかなって思って足を運んだら、みなさんいらっしゃっていて、本当に亡くなってしまったんだと。59歳でしたか、早すぎる死でした。

――去年は『ヤンヤン 夏の想い出』が、今年になってから長編デビュー作『海辺の一日』が公開されるなど、近年リマスターで過去作が上映される機会も増えてきて、エドワード・ヤン監督の再評価が始まっています。

すばらしいことですね。

――同様に岩井監督も、アジアの若い監督が影響を受けた作家として名前を挙げていたり、日本では映画プロデューサーの川村元気さんや新海誠監督などが影響を受けたと公言されています。ご自身の影響を受けた作り手がどんどん世の中に出てきていることについてどう思われますか。

それはありがたいことです。僕もいろんな影響を受けてやってきているので、そこは僕なのか、その手前にいた人の影響なのかというのはあるとは思いますが、ある種わかりやすいハブになれているんだったら、先達たちから自分はいいコレクションをしてきたなと思いますね。

それが下の世代につながっているのなら、少しは役に立てたのかなっていうぐらい。僕もいっぱい吸収しているうちに受け流している。自分が受け取ったものを、自分を通して次世代に渡していく。それが創作の在り方だなって思います。そういうことは「少年ジャンプ」から学びましたね。

例えば『ジョジョの奇妙な冒険』があれば、次世代は「ジョジョ」に出てくる技をコピーして次のものを作るし、『NARUTO -ナルト-』が出たら、そこで展開された新しい発想を全部引き継いで新作が次の世代の漫画家によって作られている。

もう前の世代の作ったものを飲み込んで、絶妙な精神的なバトンリレーが行われていると感じますね。最近は漫画家さんもそこを隠さなくなってきていて、オマージュだとわかるように描いているし、ちゃんと印を残していたりする。和歌における本歌取りみたいな領域に入ってきていると感じます。

『呪術廻戦』が終わったら、しばらく新しいのは難しいだろうなって思っていたら完全に後継者みたいな『カグラバチ』が出てくる。もう、各メーカーが新しいカメラのバージョンや高機能なものをどんどん出してくるような状態なので、ほんとうにすごいですよ。

――先ほどの自分が受け取ったものを、自分を通して次世代に渡していく、というのはたしかに「少年ジャンプ」掲載作を思い浮かべるとわかりやすいですね。

だから成功作もあれば失敗作もある。相撲はうまくいったけど、総合格闘技では失敗して早く終わるとか、落語は難しんじゃないのって思ったら『あかね噺』は爆発的なヒットになったり。そこになにがあるかというと、受け継がれているもの、直接バトンを受け取ってリレーしているような流れを感じます。

――お話を岩井監督作品に戻させてもらうと、フィルモグラフィーの中に製作中止になった作品がいくつもあって、いちファンとして映画として観たかったというものが多いです。

自分の人生設計としては、『宇宙戦艦ヤマト』の実写化とかそういうメジャーIP作品をやりながら、自分のオリジナル作品をやっていこうというプランだったんです。

ただ、原作をそのままやるというアプローチはどの作品もしていなかったのもあって、企画が頓挫したり玉砕を重ねていて、気がついたらオリジナル一本でやってきたようなフィルモグラフィーになりましたね。全く予定していなかったんですけど、結果としてこれでよかったのかな。

――最後になんですが、1998年に出た庵野秀明監督との『マジック・ランチャー』という対談本の中で、お二人が売れなくなったら、「エヴァ2」「スワロウテイル2」を作るという話をされていた記憶があるのですが、『スワロウテイル』の続編やスピンオフを作ろうという話は今までありましたか。

売れなくなったらということではないんですけど(笑)、ありましたよ。当時はまだ若くて、次々とどんどん作品を作って出していこうという時期だったと思うんです。

『スワロウテイル』という作品はなにか、アミューズメントパークを作った中のパビリオンの一個で終わっているんですよ。だから、僕の中ではほかの場所の物語も存在している。ほかの場所を見せる意味での構想はあるので、どこかでまたやる可能性はあるんじゃないでしょうか。

【公開情報】
■ 『スワロウテイル 4Kリマスター』
2026年9月4日(金)よりTOHOシネマズ日比谷他 全国公開
■ 『undo 4Kリマスター』
9月25日(金)よりTOHOシネマズ日比谷他 全国公開 ※『PiCNiC 4Kリマスター』と同時上映
■ 『PiCNiC 4Kリマスター』
9月25日(金)よりTOHOシネマズ日比谷他 全国公開 ※『undo 4Kリマスター』と同時上映

プロフィール

岩井俊二

1963年、宮城県生まれ。1988年より「GHOST SOUP」「ルナティック・ラヴ」など数々のドラマやミュージックビデオ、CF等多方面の映像世界で活動を続け、その独特な映像は"岩井美学"と称される。1993年、フジテレビのオムニバスドラマ『if もしも』の一作品として放送された「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」がテレビドラマとしては異例の日本映画監督協会新人賞を受賞。その後、映画へ進出。1995年、初の長編映画『Love Letter』を公開。代表作は、映画『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』『ヴァンパイア』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』、小説『ウォーレスの人魚』『番犬は庭を守る』『零の晩夏』等。2012年、東⽇本⼤震災復興⽀援ソング『花は咲く』の作詞を担当し、岩谷時子賞特別賞を受賞。2015年、初の長編アニメーション『花とアリス殺人事件』を公開し、国内外で高い評価を受ける。2018年、中国映画『你好,之華(チィファの手紙)』を制作。2023年、⾳楽映画『キリエのうた』を公開。2025年4月、公開30周年を記念して『Love Letter [4Kリマスター]』が公開され、自身も映画監督として30周年を迎えた。国内外を問わず、映画監督・小説家・音楽家など多彩なジャンルでボーダーレスに活動し続けている。

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