世界的なインフレや歴史的な円安、新NISAの一般化など、ここ数年金融・経済についての関心が高まりつつある。そのようななか、私たちはどのような金融知識を身につければいいのか。小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)や新書『新・臆病者のための株入門』(文春新書)、新刊『プアジャパン インフレ世界を生き抜く資本戦略』(プレジデント社)など、金融市場を題材にした著作を多数発表している橘玲氏と、新刊『為替介入とは何か 200兆円規模「外為特会」が生まれた謎』が発売即重版により2万部を突破した経済学者・服部孝洋氏に訊く。

すべてが市場化する時代の金融知識
服部:私は今大学の教員をやっていて、どのように若い世代に金融の面白さを伝えるかということを日々考えています。橘さんが書かれた『新・臆病者のための株入門』や『プアジャパン』を拝読しましたが、これは金融の教材としても活用できるものだと感じました。今の学生はどのように金融を学んだ方が良いと思いますか。
橘:私たちは市場経済の中で生きていくしかないのですから、それがどういう仕組みになっているかについては、すべての人が知っていた方がいいと思います。ムラや町内会のような共同体が解体すると、いろいろなものが市場に代替され、値段をつけて取引されるようになる。需要と供給の法則から始まって、市場がどういうふうに動いているのかを知らなければ、ただ翻弄されるだけになってしまいます。
市場では、すべての参加者がすこしでも得をしたいと思っているから、善意で他人になにかをしてくれる人はいません。ただ、それを前提としながらも、市場は弱肉強食の世界ではなく、上手な仕組みをつくればwin-winの関係になれます。市場化の流れはもはや変えられないのだから、「グローバル資本主義」に呪詛の言葉をぶつけるのではなく、なるべく多くの人が得するように市場を設計していくのが最善の道です。そのような意味で、若い人たちにこそ金融の仕組みを知ってほしいと思います。
経済学でいえば、ミクロ経済学やゲーム理論は学ぶ価値が大きいと思う一方、マクロ経済学はデータを使った検証が難しいので、言っていることが人によって違いますよね。MMT(現代貨幣理論。独自通貨を持っている国はどれだけ借金をしても破綻しないという主張)などが一定の人気をもっている日本の現状をみると、「マクロ経済学ははたして科学なのか」という疑問があります。「この経済学者のファンだから、言っていることはすべて正しいはずだ」という“推し活”のようになってしまっているという印象があります。
服部:経済小説『マネーロンダリング』でデビューされた橘さんは、著作ではファイナンス(金融)においてスタンダードな理論の説明もしていますよね。例えば、為替については、購買力平価と金利平価についてきちんと説明しており、経済学者の本や論文を基にしていることがよくわかります。
橘:ファイナンス理論で金融市場の全てを説明できるわけではないですが、長い間、市場で検証されてきて、それが有効だからみんなが使っているわけですよね。金利と債券の関係を理解できていないのに、「市場原理」を批判してみても、まったく意味がないと思います。

文学部卒の編集者はいかに金融を学んできたか
服部:橘さんはもともと編集者で、早稲田の第一文学部出身なんですよね。大学ではファイナンスを勉強していなかったと思うのですが、どのように金融の勉強はされたのですか。
橘:出版社に勤めていて、90年代半ばにオウム真理教事件の取材をしたことで、編集の仕事はやり尽くしたかなと思ったんです。当時、30代半ばで独立を考えるようになったんですが、そのときはじめて、お金のことをちゃんと理解しないと生きていけないと気づきました。そこから独力で調べ始めてそれでファイナンス理論を知ったのですが、金融市場を数学で明快に説明できることに驚きました。
第二次世界大戦後、とりわけ1960年代に、株式市場のデータを統計学とコンピュータで分析すれば富の秘密を手に入れられるはずだという熱狂があって、数学の天才たちがファイナンスの世界に殺到します。ノーベル経済学賞の対象になったブラック・ショールズモデルが発表されたのは1973年で、その時点でファイナンスの重要な理論はほぼ完成している。
いちばん影響を受けたのはピーター・L・バーンスタインの『証券投資の思想革命 ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち』で、これは名著だと思います。
服部:橘さんが自らの編集者経験を書いた『80’s エイティーズ ある80年代の物語』(幻冬舎文庫)を読むと、自分のお金を使って株で積極的に運用するタイプだったんですよね。
橘:やりながら考えるタイプでしたね。凝り性でもあるので、ファイナンス理論がある程度わかったら、日経225のデータを取得し、Excelでプログラムを組んで、理論と合っているか検証しました。実際のデータをみると、理論と整合的なことが多くて驚きました。
その当時は、オフショアの銀行など、海外の金融機関に口座を作るのにハマっていました。はじめて株を買ったのもアメリカのネット証券です。インターネットバブルの絶頂期だったので、マイクロソフトやインテルなど、ネット銘柄に投資しました。その頃は、日本の証券会社で米国市場の個別銘柄を買うことができなかったのです。
それからデリバティブに関心が移って、シカゴの先物会社に口座を作って、マーカンタイル取引所で S&P500の先物やオプションを売買しました。ブラック・ショールズ式でオプション価格を計算できるようにExcelでプログラムを組んだりして、これもかなりハマりました。
結局、2000年代にインターネットバブルが崩壊します。これで投機的な取引は一段落して、次に夢中になったのは、新興国の金融機関に口座を作ることです。私は旅行が好きなんですが、アジアを中心に銀行や証券会社に口座を開けて、どんな仕組みになっているか調べてみました。ラオスやカンボジアも含めて、ミャンマー以外の東南アジアの国は、ほぼ全て口座を開けたんじゃないかな。
服部:すごい実践的ですね。どういう銘柄を買っていたんですか。
橘:銘柄分析なんてできないから、百万円くらい振り込んで、主要銘柄を適当に買っておく、という感じですね。そのなかでも一番儲かったのはタイのセブンイレブンです。 知っている株がそれしかないから買っておいたら、結果的にすごい上がった。現地の知り合と同じ時期に投資したんですが、みんなは途中で売っちゃうんです。でも私は日本にいるから、いちいち相場を確認するのも面倒で、長期で保有できたんです。
本格的に海外で資産運用するというよりは、せっかく海外に旅行に行くんだから、ついでに何か面白いことをやろうという感じでしたね。英語のホームページがあるところを探して、アポなしで証券会社を訪問すると、たいてい私が初めての日本人でした。「なんで日本人がこんなところに来るんだ」とびっくりして、すごく歓迎してくれて、一緒にご飯を食べに行ったこともありました。
服部:今ではNISAで株式投資が身近になっていますが、90年代から海外投資をやっているのは、かなり日本でも珍しかったのではないでしょうか。
橘: 投資や資産運用というよりも、もともと編集者なので、取材としてやっている感じなんです。オプションのようなデリバティブも、どういう仕組みになっているのか知りたくて、一時はすごくハマるんですが、ある程度わかると飽きてしまって、興味が別のものに移っていく。そもそもギャンブルにまったく関心がないので、それがかえってよかったのかなと思います。
服部:橘さんの小説は金融に関する細かな記述が多いので、読んでいて面白かったのですが、実際の経験が役に立っていることがわかりました。橘さんは仕事に集中するため、2008年の金融危機の前に全部売ってしまったら、結果的に得したそうですね。
橘:新興国に一通り口座を作り終えたのが2005年ぐらいなのですが、いろんな国の口座を管理しながら執筆活動もする才能は自分にはないと思うようになりました。金融資産は分散投資して、人的資本は一つのことに集中するというのが私の基本戦略なので、相場を見て一喜一憂するのをやめることにしたのですが、結果的に、それで世界金融危機の暴落を避けられました。

『プアジャパン』をいま世に問う理由
服部:最新刊の『プアジャパン』は、個人向け国債の商品性などかなり具体的に記載している点が印象的でした。債券についてもかなり紙幅を割いて説明していますね。
橘:『プアジャパン』は、未来予測のシナリオを書いた小説と、金融市場を使ってインフレという経済的リスクをヘッジするための知識がセットなのですが、この本のもとになったのは2013年に刊行した『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』という書籍です。
当時は「アベノミクスの金融緩和で財政破綻する」と騒がれていて、「国家破産」の不安が広がっていました。そこで、誰も未来を知ることができないとしても、「最悪のシナリオになっても、金融市場を使って自分や家族が生き延びられるようにしよう」と伝えるための本だったのですが、現実に円安・インフレの世界が到来したことで、小説の部分を大幅に書き直しました。ただ、金融市場の知識は変わらないんですよね。ちなみに『プアジャパン』で書いた国債の説明は、服部さんの前著『はじめての日本国債』を参考にしました。
服部:日本国債についての解説書は、ほとんど一般向けのものがないんですよね。
橘:この本を読んで、初めて日銀が何をやっているかがわかりました。日銀のオペレーションのことはなんとなく知っているけど、具体的にそこまで細かく記載しているものが少ないですよね。
服部: 日本国債について説明した書籍が少ないのは、私の理解では構造的な問題です。金融危機以降、金融機関に対する規制が強くなり、金融機関内のコンプライアンスが強くなった結果、業務内容や解説を外部に発信できなくなったんです。ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどの外資系の金融機関は日本以外のルールにも縛られるなど特にコンプラが厳しいと聞きます。私は野村證券や財務省での実務経験を経て学者に転身したので、説明できることが多いのだと思います。
橘:たしかに金融機関がやっていることでも、個人向けものはある程度わかりますが、法人向けだと外からほとんど見えないですよね。とりわけ債券や為替はクローズドの参加者で取引されているので、わかりづらいのかもしれません。
服部:どんな職業もそうだと思いますが、実際に働いてみないとわからない部分が多いですよね。たとえば私は編集者の経験がないので、本を作ることがわかりませんが、証券会社の仕事の仕組みはわかります。
国債や金利のビジネスを学びたければ、証券会社の債券フロアに足を踏み入れ、トレーダーやセールスが実際に口頭でやりとりしているのをみることができるのが一番いいんですよね。例えば、国債の入札をする際は、セールスが投資家に電話をして札を集めてくれて、トレーダーが日銀ネットを通じて札をいれる。その後、みんなで入札の結果を待つみたいなことも、実際に体験できると深い理解が得られます。
だから『為替介入とは何か』では財務省の官僚、『はじめての日本国債』は証券会社のトレーダーに、読者になってもらった想定で書いている部分があります。なので、金融に携わる仕事のストーリーを重視した本をいつか書いてみたいですね。

(取材:集英社新書編集部 構成:服部孝洋)
プロフィール

服部孝洋 (はっとり たかひろ)
経済学者。東京大学金融教育研究センター特任准教授。著書に『はじめての日本国債』(集英社新書)、『マネー・マーケット入門 日本銀行の金融政策と短期金融市場』(日本評論社)、『日本国債入門』(金融財政事情研究会)、共著に『国際金融』(日本評論社)。Xやnoteでも、一般の読者に向けての情報発信を積極的におこなっている。
橘 玲(たちばな・あきら)
作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。05年の『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補に。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。
著書に『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(幻冬舎文庫)、『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)、『新・貧乏はお金持ち 「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(プレジデント社)など多数。
服部孝洋×橘玲







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