徳光和夫の昭和プロレス夜話 第2夜

プロレス担当配属の挫折から立ち直れた理由

徳光和夫

 なんだかんだあって、徳光さんは念願の日本テレビに入社。一応、アナウンス部の上司には野球の実況を担当したいと申し出たのですか。

「はい。いや、申し出るもなにも……越智(正典)さん……越智さんはですね、当時、NHKから民放に来られた野球の実況中継の草分け的な存在の方なんですが、その尊敬する雲の上の存在の越智さんに、まずは自分の想いを伝えたんです。長嶋茂雄さんのあの熱きプレーのすべてを的確に自分の口でしゃべれるようなアナウンサーになりたいです、頑張ります、というようなことを……ねえ」

 越智さんの目の前で言ったけども。

「“ああ、そうですか”みたいなリアクションで(笑)」

 それはまた、素っ気ない。

「でも、優しい人ではありましたね。今から思えば、新人の私に多少なりとも気を遣ってくれていたのかな、と思うこともありましたし。当時、越智さんが司会されていた野球教室の番組がありましてね、そうそう、日曜日の朝に生放送されていた番組です。

 その番組に私も研修の一環として参加していたんですね。そうしたらですよ、驚いたことに越智さんがたまたまゲストとして出演していた長嶋さんを私のいるところに呼んでくれたんですよ。あのとき、越智さんは何て言ったかな……確かミスターとは言わなかったな、茂雄ちゃんと言ったのかな。そう長嶋さんに語りかけ『この新人は立教大学出身で、なんでも長嶋茂雄に憧れて立教に入り、うちに入社したんですよ』と紹介してくれて」

 そのときが長嶋さんとの――。

「初対面。それが初対面になります」

 長嶋さんはどのような言葉を。

「いやもう、なんかもう、東北の民謡歌手のような甲高い声で『そうなの、よかったね、頑張れよ』と言ってくれてねえ。あのときの甲高いトーンがいまだに私の体の中に染み込んでいますよ。もちろん、そう言われて、よし、頑張ろう!と思いました」

 そりゃもう、必死こいて野球の実況を頑張っちゃおうと思いますよね。

「神の声ですから、私にとっては。その神様から声をかけてもらうというのは、なんだろうな、とんでもないことだったです」

 神を簡単に呼べる越智さんもまた――。

「ええ、すごいんですよ。長嶋さんが尊敬していたアナウンサーでもありましたからね、越智さんは」

  でも、長嶋さんに引き合わせてくれた越智さんなのに、なぜに徳光さんを野球担当にしてくれなかったのでしょう。

「いや、越智さんはですね、新人の配属先を決めるアナウンス部長ではありませんでしたから。越智さんのちょい下の人間がアナウンス部長でして。この方も野球担当だったのですが、突然、本当に突然、入社2年目の私はプロレスに配属されることになりまして――」

  その背景には何があったのですか。

「当時の日本テレビのプロレス担当は2人いたんです」

 清水(一郎)さんと佐土(一正)さん。

徳光さんの先輩の一人、清水一郎アナウンサー。写真/宮本厚二

力道山にインタビューする佐土一正アナウンサー。写真/宮本厚二

「そうです。やはり毎週のプロレス番組を2人のアナウンサーで回していくのは、少しきつかったんじゃないでしょうか。現場から誰かもうひとり入れたいと、そういうお願いあったのかもしれません。そのタイミングで研修中の入社2年目である自分に白羽の矢が立ったのだと思いますねえ、僕の知らないところで」

 単に運が悪かったのかも。だって徳光さんが日テレに入社したとき、3人しかアナウンサーを採用しなくて。

「そのうち2人が女性でしたから」

 そうなると、徳光さんがプロレスに回るのは致し方ないというか。

「しかも、私の2年上の先輩ひとりと、1年上の先輩2人、その3人が野球担当になっていたんですよ」

 ああ、タイミングが悪すぎる。

「本当に。あのとき運よく野球担当になり、諸先輩たちがいますから、そんなに自分がしゃべれる試合は少ないかもしれないけども、それでもちょっとでも長嶋さんの全身全霊を込めたプレーを多くのプロ野球ファンに伝えることができれば、それだけで本望だ、と真剣に願っていた時期でしたから。それなのに……それだけの熱い想いがあったのに」

 そりゃないぜ、と。

「日本テレビの社屋の7階に喫茶店があったんですね。そこに部長から呼び出され、こう言われました。『プロレスの佐土さんから望まれているから、プロレスを担当しようか』。ガクッときました」

  抵抗を試みなかったのですか。やっぱり野球を担当させてくださいとか。

「無理です、そんなの、ムリムリ。私はペーペーの新人でしかなく、相手は部長なんですから。あのときは黙って下をうつむくしかなかった」

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プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

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プロレス担当配属の挫折から立ち直れた理由