徳光和夫の昭和プロレス夜話 第6夜

「受け身の高千穂」「エリート坂口」、印象に残る日本人レスラー

徳光和夫

 当時、先輩の清水アナ、佐土アナが「こいつは、上手いレスラーだ」と評判になっていた選手は誰だったんですか。

 

「それが高千穂明久でしたね。あの頃は本名の米良ちゃんと呼んでいましたけど」

 

 ほぉほぉ、そりゃまた、清水さんたちも渋いところに目を付けていましたね。

 

「いやいや、それがね、渋くないんですよ。逆にデビュー当時の高千穂選手は派手でしたから」

 

 派手というのは?

 

「私が好きな外国人選手にスウィート・ダディ・シキという選手がいまして」

 

 ああ、はい。ドロップキックの上手いレスラーでしたよね。

 

「そうです、そうです。いわゆるスクリュー式のドロップキック、空中で自らの体をひねりながら蹴る技を使いこなしていたんですが、そのスクリュー式ドロップキックを当時の米良、高千穂選手も繰り出していたんですよ。そのフォームといい、破壊力といい素晴らしかった。清水さんとも“将来、高千穂が天下を取るかもしれないよね”と話し合っていたぐらいです」

 

 なるほど。

 

「先日、プロレスのトーク番組で久しぶりに高千穂さんにお会いした時に、そのスクリュー式ドロップキックの話をしたら“いやあ、よく見てくれていましたね。嬉しいです。あの技、一生懸命に研究して必死に練習しました”と言っていましたよ」

 

 他に高千穂選手の特徴といえば、体の柔軟さ。

 

「そうそう、そうです。柔らかったねえ、米良ちゃんは。その体の柔軟性があるから、どんな体勢でも受け身を上手に取れていたし、どんなに危険な技を仕掛けられてもケガをしなかったんでしょうねえ。プロレスはやはり、見栄えがよくていくら強くても、受け身が半人前だったり、下手くそだとリング上で相手から信用されませんし、プロモーターも使いづらくなりますもんね。私たち実況陣も米良ちゃんの試合は安心して見ていられましたよ。たまに不器用な外国人選手が来日してメリハリのない試合になることもあったんですが、対戦相手が米良ちゃんだとそういうことにはならない。稚拙な投げ技、打撃技でも米良ちゃんがきっちり正面から受け止め、華麗に受け身を取るから見栄えのいい見応えのある試合になっていました。プロだな、米良ちゃんはっていつも感心していたもんです」

先輩レスラーたちからは童顔だったこともあり〝坊や〟と呼ばれ、可愛がられていた。写真の対戦相手は、“噛みつき魔”フレッド・ブラッシー。 写真/宮本厚二

 

 カブキに変身する前の高千穂選手がアメリカマットで干されなかったのは、受け身の上手さのおかげかも。

 

「ええ、間違いなくそうでしょう。それに受け身が上手いというのは、観ている観客に技の壮絶さ、痛さなどをダイレクトに伝えることができる側面があるわけですよ。アメリカのマット界はそれができるレスラーを評価しましすしね。いや、それができるからこそ、アメリカのプロモーターたちもこぞって米良ちゃんをヒールとして重宝したのだと思います。だって、結局は善玉レスラーというのはカッコつけたいわけでしょ、リング上で(笑)」

 

 ですね、地元のファンに向けて少しでもいいカッコしたいですから。

 

「自分の得意技をバーンと決めてね(笑)。それを受けてくれる相手が米良ちゃんのように受け身の上手いレスラーだと、そのバーンの激しさが10倍、20倍も膨れ上がってダイレクトに観客に伝わる。そりゃ善玉レスラーは気持ちいいと思います。何度でも米良ちゃん相手に必殺技を出したくなる」

 

 何回でも高千穂さんと闘いたくなる。

 

「そういうことです。で、結果的に米良ちゃんはアメリカマット界で引っ張りだこになった、と」

 

 当時のアメリカマット界は各地のプロモーターの連合体で構成されていましたから、そういう評判はすぐに伝わっていたのでしょう。ましてや仕事のできる受け身の上手いレスラーは、どのプロモーターもほしがっていたはずで。 

 

「ええ、ええ、この間、本人もそう言っていました。あの頃は各地のプロモーターからのニーズがすごかったですよって」

 

 そうなるでしょうね、やっぱり。

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プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

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