プラスインタビュー

「長沢蘆雪」展

江戸絵画も「かわいい」が正義
金子信久

「江戸絵画まつり」をしめくくる蘆雪は、最多出場選手

「長沢蘆雪」展の前期展示風景。子犬を描いた掛け軸が並ぶ

――20年以上続いた「春の江戸絵画まつり」の最後となる今回の展覧会で、長沢蘆雪を取り上げることについては、スパッと決められたのでしょうか?

金子 スパッとですね。これとこれをやりたいなと思っていた中から、あまり考えずに蘆雪に決めました。でも、なんで蘆雪にしたんだろうって改めて思い返したときに、今の「江戸絵画まつり」の内容的なスタートになっている、「動物絵画の100年」という展覧会が重要だったんだなと思いました。

蘆雪の虎が主役となった「動物絵画の100年」のポスター(写真/金子信久氏提供)

――2007年開催の展覧会ですね。

金子 はい。その展覧会を開くきっかけになったこととして、とある古美術商さんと別件でお会いした時に、「うちにこんな作品があるので、見にいらっしゃいませんか?」と声をかけていただいたんです。その絵というのが、蘆雪が若い頃に描いた「虎図」(前期展示)でした。当時はことさら蘆雪に興味があったわけじゃないんですが、応挙風にかっちりと描かれたその虎の絵を見て、「すごいなぁ、江戸時代にこんな絵があったのか」と感激したんです。その方は動物の絵をいろいろお持ちだったので、他にもたくさん見せていただきました。

その頃は、江戸時代の動物画の人気があったわけではないし、展覧会でも花鳥画の一部みたいな感じでオマケとして紹介される程度でした。美術の本でも、琳派だとか円山四条派といった流派ごとに説明されていて、「動物」という切り口が注目されていたわけではありませんでした。でも、その古美術商さんが見せてくださった動物画には、聞いたこともない画家がたくさんいましたし、私が知らなかった面白さがいっぱいあって、「やっぱり絵というのは、一作一作違うんだな」と思い知らされたんです。江戸絵画の専門家のつもりでいても、結局、本で得た知識というのは、すごくいろんなものがある中で、公約数だけを見ているようなものだと思ったんですね。

――いわゆる「代表作」だけ追うような……。

金子 そうです。同時に、知識として得た公約数を通していろんな作品を見ているところがあって、そんなんじゃダメなんだと。実際には、公約数ではない、本に出てこないような絵の面白みというのがたくさんあって、これは展覧会にしてみたいと思ってやったのが、「動物絵画の100年」だったんです。

そこで、蘆雪のかっこいい虎をメインビジュアルにしたんですよ。今、振り返ってみると、その展覧会でも「かわいい子犬と変な虎」みたいなコーナーを作っていましたね。それが江戸絵画の中の大事なものだと気づいていたんですね。

――それが出発点であり、そこに蘆雪もいたんですね。

金子 はい。その後も、「山水に遊ぶ」(2009年)とか「江戸の人物画」(2011年)とか、いろんな切り口の展覧会がある中で、おそらく蘆雪は最多出場選手だと思います。どこか気になったり、惹かれるところが多かったんでしょう。あるいは、蘆雪の作品が多面的で、いろんなテーマに引っかかってくる画家だったと言えるかもしれません。

――そして、当然「かわいい」にもひっかかってくる。

「かわいい江戸絵画」と「へそまがり日本美術」の展覧会図録

金子 「かわいい江戸絵画」の開催が2013年でした。ズバリ、蘆雪を含めた「かわいい絵」を真正面から見てみようということで。これはかなり思い切った試みだったので、業界から袋叩きににあうだろうとか、お客さんが全然来ないだろうとかけっこう心配したんですよ。

――そうですか? 少なくとも、お客さんは来そうに思えますが。

金子 今から結果を見ればそうなんですが、当時はまだ予測がつきませんでした。第一、かわいい絵画って、手の込んだものが多くないじゃないですか。開幕前日に会場に並んだ作品を見て、これでいいのかな……と思いましたよ。でも、そういうことじゃないんだ、と。絵というものは、専門家が注目するような、「手が込んでいる」とか「よく考えて作られている」とか、そういうことだけじゃないんだっていうことがよくわかりました。自分が馬鹿だったって思いましたよ。

それでもって、図録は増刷を2回しても追いつかなくて、それでもまだ欲しいという方が大勢いらっしゃったので、出版社を通じて数か月後に一般書籍として出していただきました。この時期ですね、「かわいい」というのが、江戸時代の絵画あるいは日本美術の中でひとつの大事な表現であることを強く意識するようになったのは。

――そこで手ごたえを感じられたんですね。前期展示の、動物と子犬の展示室もそういう感じがあります。そして、展覧会としてもうひとつ画期的だったのが、2019年の「へそまがり日本美術」でした。

金子 その時も蘆雪が大活躍でしたね。禅画や文人画など、日本ではカチッと描くものに対してあえて崩した絵が古くからあって、それがおかしさとかかわいらしさという表現にもつながってきたことを、展覧会で明らかにすることができました。うさぎや鳳凰のような、徳川家光の動物画がこんなに現代に受けるとは思わなかったという、おまけもつきましたね(笑)。

その後もいろんな展覧会をやり、2年前には、「心の問題」を取り上げてみたかったので「ほとけの国の美術」という展覧会を開きました。

「ほとけの国の美術」(2024年)の展覧会図録

――「心の問題」とおっしゃいますと?

金子 研究者が動物画をはじめとする江戸時代の絵画について何かを語る時、たいていは画法のことと、意味についてなんですよ。これは「見たままじゃない、意味がある」って言うんだけれども、その意味って何だろうと思って論文を読んでみると、要は「縁起もの」だということなんです。

――神様の使いであるとか、多産だからめでたいとか、とか。

金子 そうです。大上段に構えて、「意味が、意味が」って言うほどのことではない。意味というのは絵を描くきっかけであって、画家にとっては、それをどういうふうに表現するかが腕の見せどころだし、大事なんですよ。そして、江戸時代ほど仏教が日本の人たちに染み渡っていた時代はないんです。極端にいえば日本国民全員が仏教徒だった。必ずどこかのお寺の檀家だったわけですから。それで、「ほとけの国の美術」なんです。

江戸時代には、毎年二月になると涅槃会があって、旦那寺の和尚さんが涅槃図の下の方に描かれた嘆く動物たちを説明しながら、人間も動物も同じ心を持っているんだよということを教えていました。現代人はすぐ「擬人化」って言うんだけれど、動物が人間と同じようにふるまっている絵というのは、「鳥獣戯画」の時代からあります。特に江戸時代はそういう絵がたくさん描かれていて、下地があったんですよね。それが18世紀の蘆雪のかわいい動物画にもつながってくるわけです。

つまり、蘆雪の絵に登場する子犬でも雀でも、生き物は人間と同じように心を持ったものとして表現されているわけで、それをあそこまでストレートに描いたのは蘆雪だけだと思うんですよ。そういう今までやってきた「江戸絵画まつり」の歴史と、そこで掘り下げてきたいろんなテーマというのが、蘆雪という一人の画家を通して全体を見渡せたり、その作風の中に集約することができるかなと思いました。

――確かに、蘆雪の動物画を見ていると、生き物の「心」を感じますね。「月に水鳥図」のがんばっている感じにもキュンとなります。

⑬ 長沢蘆雪「月に水鳥図」 個人蔵 〈後期展示〉

金子 これは後期に展示しますが、傑作ですよね(笑)。とぼけた表情の水鳥が一生懸命泳いでいる様子が、本当によく伝わってきます。水面の月の揺らめき、波紋も、シンプルな線だけでささっと描き上げています。

禅画における、「かわいい虎」の系譜

――後期展示のひとつの核となる動物として、「虎」が挙げられます。無量寺本堂の襖に描かれた虎は、体長基準なら実物大とも言えるサイズ感ですが、こちらも「かわいい」印象です。

⑭ 長沢蘆雪「虎図襖」(部分) 重要文化財 無量寺・串本応挙芦雪館 〈後期展示〉

金子 この虎のかわいさについては、学者の先生は悩んできたんですよね。「かわいい」という言葉そのものは使っていらっしゃらないですけど、『奇想の系譜』の辻先生も「見る人をたまげさせる」「型破り」と表現しつつ、「凄みをさっぱり欠いていて」「猫を思わせる無邪気さ」があるのが気にかかると書かれています。

江戸時代の虎の絵がいまひとつ迫力に欠けるという話になると、虎の実物を見たことがなかったからだ、という理由づけがよくされるんですが、私はそうじゃないと思っています。禅の世界の虎の絵は、中世からかわいく描かれてきたんですよ。たとえば「四睡図」。これは豊干禅師と寒山拾得が虎と一緒に眠る姿によって、禅の境地を示す画題です。禅の高みにあるお坊さんは恐ろしい虎をも手なずけてしまうくらいすごいんだ、ということが背景にあるんですよ。無量寺の虎も禅寺の本堂の襖絵ですから、かわいくていいわけです。

【参考作品】「四睡図」(部分) 重要文化財 中国・元時代 東京国立博物館蔵 〈※展覧会には出品されません〉  出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

――確かに、中国の絵でもけっこうかわいい描写があったりするんですね。

【参考作品】雪村周継「龍虎図屏風」 米国・クリーヴランド美術館蔵  Purchase from the J. H. Wade Fund 1959.136  〈※展覧会には出品されません〉

金子 もうひとつは、室町時代の画僧、雪村周継が描いた龍虎の屛風が典型的ですが、虎だから単純に「怖い」じゃなくて、人間みたいな表情、不可解な表情を浮かべている。こういう言葉で説明できないような表情をしているところが禅の世界の入口を示す役割を果たしているんだろうと、私は思っています。そのふたつがあって、蘆雪の虎の絵が生まれてくる。でも、一番大きいのは、蘆雪が「かわいいものが好き」ということですよね。「四睡図」にしても、過去の作品より圧倒的にかわいく描いていますし。

――本間美術館の作品の虎は抱き枕みたいで、もはや笑っています(笑)。

⑮ 長沢蘆雪「四睡図」 本間美術館蔵 〈後期展示〉

金子 そうなんです。かわいい虎を描く歴史と思想的な土壌があって、さらに蘆雪のかわいいもの好きが加わって、こういう絵が生まれた。かわいいもの好きじゃないと、こうは描かないですよ(笑)。安穏とした表情に描けてこそ、この人たちの境地が伝わってくるんです。

――来客を威圧する桃山御殿のような虎の描き方ではいけない、と。

金子 おっしゃる通りで、「四睡図」の虎がリアルな猛獣らしい顔をしていて、次の瞬間に3人を食べてしまうように見えてはダメなんですよ(笑)。

――「かわいい虎」に関するそうした捉え方は、江戸時代の民衆の間にも共有されていたのでしょうか?

金子 禅の教えそのものはむずかしいですし、修行しなくてはわからない世界です。でも、その中にも庶民にも役立つ教えってきっとあったと思うんです。それはものすごく簡単に言っちゃうと、「常識に縛られるな」っていうことが一番大きかった。ですから、禅僧の白隠(図⑦)にしても仙厓にしても、それぞれの破天荒な絵を通して、「絵の価値って何だ?」っていうのを教えることができたと思いますし、禅の高みにある人だからこそできる伝え方も存在したでしょう。虎がかわいい顔をしているということからも、教え導くことはあったでしょうね。

――白隠の書画は、豊かでほのぼのとした薄墨のニュアンスが印象深いです。

金子 私は昔、白隠にはあまり興味がなかったんですよ。でも、「江戸絵画まつり」でたくさん扱ううちに、言葉では説明しにくいんですけど、あの薄い墨が持っている「重み」みたいなものを、すごく感じるようになりました。現物を拝見すると、薄いんだけど何かどっしりしているなぁ、という不思議な奥深さがあるんです。

――それは、写真では伝わらない、現物を目の当たりにしてこその作品の力ではないかと思います。墨が染み入るごくごく薄い紙や絹にも、深度や奥行きがあるというような。「江戸絵画まつり」で展示されてきた作品は、どちらかといえば小品的なものが中心ですね。「立派な有名作を見せていただく」というのではなく、絵との距離感が近くて、昔の人々と同じ感覚で絵を楽しめていた気がします。

金子 もしそうならすごく嬉しいですね。私自身、展覧会のために、作品をお持ちの方のところで多い時には200から300点も見せていただくんですよ。それが面白くて、わぁわぁ言いながら見ちゃうんですけど(笑)、「金子さんに見せると楽しいな」って言ってもらえるんですね。他の学芸員は違うんですか?って聞いたら、黙って見て帰っていくんですって。私はとにかく作品を見ると楽しくなるので、その面白さや楽しさを展覧会でどうやってお客様に伝えようかということを、いつも考えてきました。

――そうした実感のこもった作品選びやテーマ設定とともに、市の美術館というほどよい規模の空間での開催だったことで、リラックスして展示を楽しめた方が多いのではないでしょうか。「江戸絵画まつり」には居心地のよさや安心感のようなものがありました。

金子 展示空間というのは必ずしも大きければいいということはなくて、障壁画などは別ですが、近世絵画の掛け軸などはある程度天井が低くて狭い方が絵が近しく感じられるところはありますね。照明設備が古くてよくないんですけど、開き直ってやってきました(笑)。

――毎春の開催を楽しみにされてきたリピーターもたくさんいらっしゃるはずですが、これまでの金子先生の蓄積は、今後どのように生かされるのでしょう?

金子 X(旧ツイッター)で、金子が府中市美術館を辞めた後、他の美術館に行くのか、大学教員になるのか見ものだっていう投稿があったんですけど、YouTuberになります(笑)。もう、どこかに所属して人の下で働くのはやめることにしました。

――それは意外すぎる展開ですね(笑)。

金子 でも、展覧会は今でも準備していますよ。ただ、展示については、会場となる美術館の方がやらなくてはいけないから、今の府中市美術館みたいに、何でも自分の考えでできるということはないでしょうね。YouTubeはけっこう可能性があって、美術館の展覧会以外でも、江戸絵画や日本美術を楽しむ場を作れるんじゃないかなと思っています。蘆雪展の広報活動もかねて、「へそまがり美術チャンネル」として始めました。

――では、山田五郎さんの美術チャンネルともまた違う新たな展開を楽しみにしています。お話、ありがとうございました。

金子 こちらこそ、ありがとうございました。                                                                                    

 

展覧会情報

春の江戸絵画まつり 「長沢蘆雪」展 

府中市美術館

18世紀の京画壇で活躍した長沢蘆雪の、東京では実に64年ぶりとなる回顧展。師の円山応挙に匹敵する写実的な描写、禅や文人の世界から影響を受けたラフでかわいい作品など、その多彩な画業を紹介する。これらのテーマのほか、前期は蘆雪の子犬画に至る歴史、後期は代表作の無量寺の襖絵とそれをより深く味わうための作品を特集展示。初回の半券提示で2回目の入場料が半額となる。

会期/[前期] ~4/12、[後期] 4/14~5/10

観覧料/一般800円ほか

開館時間/10時~17時(入場は16時半まで)

休館日/月曜(ただし5/4は開館)

所在地/東京都府中市浅間町1-3

問い合わせ/☏050・5541・8600(ハローダイヤル)

展覧会特設HPhttps://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/2026_Rosetsu.html

1 2

プロフィール

金子信久

かねこ のぶひさ

1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。福島県立博物館などを経て、府中市美術館学芸員。専門は江戸時代絵画史。府中市美術館でシリーズ化した「春の江戸絵画まつり」として、「動物絵画の100年」「かわいい江戸絵画」「へそまがり日本美術」「リアル 最大の奇抜」「ふつうの系譜」「江戸絵画お絵かき教室」など、子どもから美術ファンまで楽しめる展覧会を多数企画。『もっと知りたい長沢蘆雪』『もっと知りたい司馬江漢と亜欧堂田善』『日本の動物絵画史』など著書多数。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

「長沢蘆雪」展

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X