医療費が高額になった場合、自己負担額を一定に抑える「高額療養費制度」。疾患当事者や研究者の発信が幅広い批判を喚起し、石破政権時の2024年度〈見直し〉案は、土壇場で一時凍結された。しかし、若干の改善点はあるものの、依然として問題含みの2025年度〈見直し〉案は、さして注目を浴びることもなく、先日衆参両院を通過した。
この一連の出来事、さらに日本の現行医療保険制度の問題点を多角的に検証したのが、4月17日に刊行された『高額療養費制度 ひろがる日本の〈健康格差〉』(集英社新書)だ。
本書の著者で高額療養費制度利用の当事者でもある西村章氏と、近著『増補改訂版 「差別はいけない」とみんないうけれど。』(朝日文庫)で福祉排外主義の問題を取り上げた、文筆家の綿野恵太氏の対談をお届けする(全二回)。前編では、高額療養費制度問題の背景として、熟議しようとしない政府の姿勢や、デマすらもいとわない「左派系インフルエンサー」の存在、健康保険間の格差などが語られた。後編では、日本社会の現状の問題点をさらに整理しつつ、社会保障制度の根源にある「助け合う」思想をどう再構築するか、考える。
撮影:五十嵐和博

国民皆保険制度の「サステナビリティ」はどうあるべきか?
綿野 自分の家族が経験してみて初めてわかったのですが、今のがん治療は高度な新薬がいろいろとあって、以前なら予後が悪いと言われたがんでも、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬などのおかげで生存率がすごく改善しています。ただ、非常に高額で、それを何年も使用しつづけなければならない。
また、乳がんには遺伝子検査もあります。アメリカに組織を送ってチェックしてもらう検査があって、それは保険適用でも10数万円かかるんです。で、治療を始めた頃は僕らも高額療養費制度についてあまりわかってなくて、本人も「お金がかかるから検査を受けない」とか言っていたんですね。
自分たちの例を考えても、自己負担上限額が引き上げられれば、お金がかかるから検査や治療を受けない、あるいは受診をまったくしないという選択をする人は確実に増えると思います。乳がんは若い女性も罹患する場合が多いので、同世代として強く発信していかなければいけない、とつくづく思いました。
西村 理想としては、金銭的な不安を感じずに治療できるようになればいいわけですよね。治療に金銭的な不安を感じている人は実際にすごく多くて、それではとても〈世界に冠たる〉制度とはいえないのではないか、ということが今回の取材を通じて鮮明に見えてきたし、それが日本の現実なのだと思います。高額療養費制度があるとはいっても、大きな病気や怪我をした時にある程度お金がかかるのは仕方ない、と思い込んでいる人がどうやら多そうなのですが、健康な状態でいることは生得の権利なので、もっと金銭的負担を軽くする保険制度にできるはずだ、と思うんですよ。
綿野 国民皆保険制度がどんどん形骸化している。「健康格差」が国民皆保険制度の中に存在している、ということですね。
西村 その健康格差は、「これからさらに格差が大きくなってゆくので、自分はその崖の向こう側へ突き落とされないようにしよう」ということではなくて、社会全体で健康格差を解消する方向へ調整することができるはずだし、本来ならそれこそが国民皆保険制度のサステナビリティ、というものだと思うんですよ。
にもかかわらず、政府はそのサステナビリティという言葉を便利遣いして非常に選別的なことをしようとしている。それがここ2年の〈見直し〉案で明らかになったことで、非常にずるいレトリックだと思います。

綿野 いまの国民皆保険制度のもとでも、非正規やシングルマザーの人たちが医療費の支払いで苦しんでいて、病気になったらお金が吹っ飛んでいく。本来格差を防ぐためのセーフティネットなのに、そのセーフティネット自体が格差を生み出す構造になってしまっているわけですね。さらに今回の見直し案は格差を拡大する方向へと突き進んでいる。
しかも「病人VS経済」を対立させるような非常に政治的なイシューであるはずなのに、「システムの持続可能性や効率化・合理化」といった一見、脱政治的な、中立的な物言いですすめられてしまった。
だから、まず健康格差が存在すること。病気になって一番ダメージを負うのは中間層や低所得者層なんだという意識を広めないといけない。
西村 高所得者層も同じですよね。政府は「多数回該当の金額を据え置きにしました」と言っているけれども、今回の〈見直し〉で高所得者層の一ヶ月上限額は最終的に約34万2000円に引き上げられるわけです。多数回該当が適用されるためには、それまで3回、通常の上限額を支払う必要があるわけだから、もしこれから何らかの疾患にかかるとしたら、34万円超を3ヶ月払ったあとでようやく適用になる。子育てや家のローンや親の介護などいろんな事情をそれぞれ抱えているなかで、これだけの高額な支払いにはたして耐えることができますか、ということなんですよね。だから、どの所得層に対してもおしなべて直撃する問題なんだけど、そこがなかなか意識されにくいのかもしれません。
SNSやオンライン署名の功罪
西村 オンラインでは引き上げ反対の署名活動が昨年からたくさんの数を集めていて、それを見る限りでは、いろんな層に対して幅広く訴求しているように見えます。予算通過後もSNSでの署名活動は活発で、現在は当初からの総計で30万筆を超えているようです。
綿野 保団連(保健医団体連合会)の署名ですか?
西村 彼らは署名運動だけではなく、高額療養費の引き上げ反対に関連する様々な記事を紹介するなど、献身的で精力的な活動を続けています。彼らの署名運動を通じてメディアが注目するようになった側面も大きいと思うので、問題の周知には非常に大きな貢献を果たしていると思います。彼らは毎週火曜と金曜の閣議後厚労相会見でも、上野賢一郎厚労相に厳しく鋭い質問をたくさん投げかけています。ただ、SNSでは言葉遣いが少し煽情的に見えるときがあるのはやや危うい気がするし、最初は石破茂首相と福岡資麿厚労大臣だった宛名人を高市早苗首相と上野厚労大臣に書き代えていることも、厳密なことを言えば署名運動を別のものに切り分けるべきだったとも思います。
他方では、今年2月に保団連がそれまでに集まった25万筆のオンライン署名を厚労省へ手交したんですが、その際に厚労省側から出てきた担当者が保険局長や課長といったそれなりの役職者ではなく、見るからに入省数年目の若手官僚でした。あの対応は署名数の重さを斟酌しない姿勢が露骨で、さすがに誠意と真摯さに欠けると思いました。
綿野 ただ、オンラインの署名活動は、街角に立って署名を何万筆も集めていた頃の運動と比べて、重みがなくなりつつある、とも思います。
西村 でもまあこの時代だから、手軽にオンラインで参加できるのはいいことなんでしょうけれども。
綿野 オンライン署名やSNSのハッシュタグ運動は誰でも参加できるから瞬発的にはバッと盛り上がる。でも忘れやすくて、それこそ「持続可能性」がない。近年のリベラルや野党の側はネットに頼りすぎていると感じています。
1973年に田中角栄内閣で老人医療費無料化が実現しましたが、まず東京都の美濃部亮吉知事が先駆けて東京都で実施していたものです。革新政党が支持する知事がどんどんと誕生して、全国に広がった。そのムーブメントに保守の側も対応を迫られたわけです。
このときの歴史にならって、SNSの飛び道具なんか使わずに、地方で少しずつ陣地をつくって中央に攻め上がっていく、地道だけど地に足のついた活動をしていただきたいと思います。残念ながら、参政党がそういうのをやっていますが。

西村 SNSといえば、参議院の質疑で野党議員からの質問に高市首相が「8月からの開始が患者の意向に沿う」という発言があり、これに対して「負担額引き上げを望む当事者がどこにいるんだ」という強い反発が沸き起こりました。国会質疑を聞いていれば、この首相発言は「8月からの年間上限制度開始が患者の意向に沿う」という意味であったことは理解できるのですが、SNSではあたかも「引き上げが患者の意向に沿う」と発言したかのように引用する左派系デマゴーグがいて、それを見た人たちが短絡的な怒りで燃え上がる、というよくある現象です。
政府側の姿勢を批判するのであれば、野党議員の質問にまともな返答をせず、錦の御旗のように年間上限設定を前面へ押し出すことで、いったい何に答えようとせず、何から目を逸らそうとしているのか、という指摘と批判でなければ有効なものになりません。「上限額引き上げが患者の意向だとは何ごとだ!」と怒ったところで、「そんなことは言っていません」と答えられれば終わってしまうわけですから。
先ほども触れましたが、政府に反対を唱えるためならなんでもかんでも利用する、という姿勢は、異議申し立ての論拠や正当性・正統性を危うくするだけなので、反対意見を装ったデマゴーグの言説に安易に乗せられてしまう傾向はあまり感心しません。
綿野 煽動してなんぼみたいなとこが、ネットのよくないところですね。立場の違いを表明することは大事なんですが、結局は同じ社会で暮らしていかないといけない。むしろ、そういうデマで敵への怒りをかき立てる態度も、「われわれ意識」をぶっ壊しているように思えてなりません。人の生死に直結する高額療養費制度のような問題で理性的な議論を壊してしまうデマやフェイクは非常にまずいと思います。
国民皆保険をよりよくするための「精神的土壌」
綿野 高額療養費は、そういうものがあることを意識せずにすむ国であってほしいし、そういう制度であってほしいと思います。昨年秋に大炎上した朝日新聞の記事にも、そういう主旨のコメントをしました。
西村「今の患者は高額療養費をまるで空気のように使っている」と言って大批判された記事ですね。
綿野 そうです。なんで患者が自分の医療費を見て反省しなければならないんだよ、と。
西村 自分の医療費がどれくらいかかっているかということくらい、わかりますよね。要するにあの記事で主張しているのは、「私たちの時代は高額療養費を立て替え払いして差額が償還されるまで苦労したのに、今の人たちは上限額まで払えばいいだけで楽をしているのが釈然としません」ということで、身も蓋もない言い方をすれば、現代の便利さに嫉妬しているだけですよね。
綿野 だからあの記事は、患者は医療費削減を意識して治療を受けましょうという主旨ではなくて、治療でこんなに助けてくれている健康保険をもっと大切にしましょう、という方向の主張をするべきだったのだろうと思います。
西村 ちなみに、奥様は今でも治療を継続しているんですか。
綿野 いまも抗がん剤をやっていて、今後何年も薬を飲み続けなきゃいけないですね。でも、妻は負担が比較的少ないほうで、乳がんはステージやタイプによって治療法は異なっていて、もっと治療費がかかる患者さんがいらっしゃいますね。
西村 僕の病気でもそうなんですが、高額療養費が適用されている疾患の治療に派生して皮膚や内臓や循環器などに影響が及べば、それぞれの科で診てもらうことになるのですが、その治療で別の病院にかかると、1件あたりの治療費がそれぞれ月額2万1000円を超えないと、現在の高額療養費制度では合算できないんですよ。たとえば、今の疾患が原因で循環器の治療が必要になったとしても、治療費がたとえば月額1万5000円の場合だと、高額療養費に丸めることができないので、普通に窓口でその金額を支払う必要があるわけです。本の中では言及しませんでしたが、これも現行制度の大きなバグのひとつです。
綿野 同じ病院でもダメなんですか?
西村 いくつも診療科がある総合病院で会計がひとつなら大丈夫です。問題は、複数のクリニックにかかるような場合ですね。
綿野 うちの妻の場合、なぜか花粉症の薬も処方されていて、何でこれが出されているんだろうと不思議だったんですが、同じ病院だからなんですね。
西村 その場合だと、花粉症の薬も高額療養費の自己負担分にまるめて算入されることになりますから。
綿野 そういう制度のバグがあるわけですね。
今日お話しさせていだいて、あらためて感じたのは、高額療養費制度は非常に複雑でわかりにくいということでした。しかも、「付加給付」など健保によってそれぞれ違うことが、当事者意識を持つことを難しくしている。そういった議論の土台も共有できないままに、「世界に冠たる国民皆保険」という言葉だけ一人歩きして、なんかすごくいいセーフティネットみたいなイメージだけがある。でも、実情は、多くの人が病気になると貧困に転落してしまう穴だらけの制度だ、ということでした。
対談の準備のために色々調べたんですが、高額療養費制度についての本って見当たらないんですよね。その意味でも、この本の出版は画期的なお仕事だと思います。ややこしい制度をわかりやすく解説したうえで、さらにその問題点をはっきりと指摘している。タイミング的にも今まさに読まれるべき本だと思います。
僕は、制度を維持するためのテクニカルな議論はできませんが、やはりこの制度を社会の側から支える精神的土壌が必要だと思いました。日本に住む人々の「われわれ意識」を作り出していかないといけない。
西村 ありがとうございます。「社会保険料の支払いはもう限界だ」ということが、近年ではあたかもコンセンサスのように思われていますが、冒頭で紹介した幼児や子供の高額薬剤などのように、社会保険方式で皆の出したお金がどこにどう使われているのか、それで誰がどんなふうに助かっているのか、ということが理解されれば、決してこの費用負担は高くはないことが納得できると思うんですよね。もちろんその前提として、適正に運用されていることが重要だし、低価値医療や無価値医療などを整理整頓できれば高額療養費制度に手をつける必要もないはずです。月に116円の保険料を削減されてうれしいと思うのか、その金額がそれまで助からなかった子供たちの薬剤や治療に使われるとしても、それでもなお自分の保険料削減を望むのか。医療の「ムダ」を見直すべき面はあったとしても、そのうえで皆が払う社会保険料で社会の皆が助かっている、ということをもう少し理解し合えるようになれば嬉しいですね。誰だって、明日がんだと告知されたりいきなり交通事故に遭ったりするリスクはあるわけですから。
綿野 これから人口が減っていく社会で誰かが負担しなくてはいけないとしても、お互いに助け合うという精神的な土壌の上で議論できればいいですね。
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

(わたの けいた)
1988年大阪府生まれ。出版社勤務を経て文筆業。詩と批評『子午線 原理・形態・批評』同人。著書に『みんな政治でバカになる』(晶文社)、『「逆張り」の研究』(筑摩書房)がある。最新刊は『増補改訂版 「差別はいけない」とみんないうけれど。』(朝日文庫)。


西村章×綿野恵太









樋口恭介×雨宮純
速水健朗×けんすう(古川健介)
森野咲