マルケス離脱で始まるホンダのイバラの道

西村章

「他社を真似しているようでは勝てない」(ヤマハ・クラッチロー)

 一方で、ホンダ内部ではスタッフが入れ替わるという変化も、日本GPの週末には見られた。

 HRC開発室室長として開発を束ねながらレース現場にも長年帯同してきた国分信一氏は前戦インドGPでもサーキットへ姿を現さなかったが、10月1日付けでこの開発室長は佐藤辰氏に引き継がれることになった。後任の佐藤氏はHRCでレースマシンの開発マネージャーを担当してきた人物で、国分氏はHRCから本田技研へ移り、ロードレース以外にもモトクロス、トライアルなど二輪モータースポーツ全体を見る役職に就いたという。ホンダ関係者は、これは国分・佐藤両氏とも昇格人事の定期異動だ、と説明する。

 技術開発面の人材変更は上記発表のとおりだが、チームのマネージメント面でも大きな入れ替わりがあるのではないか、という憶測が欧州では様々に乱れ飛んでいる。現在の欧州陣営チームを牽引している人物や、日本企業のファクトリーチームで数々の実績を上げてきた人物などの名前も挙がっているが、いずれも現段階ではゴシップの域を出ない。

 このようなゴシップは、日本的な組織の硬直性や旧弊な意志決定システムがグランプリ界のめまぐるしさに対応できていないように外部から見えるからこそ、根拠の有無に関わらず様々に囁かれるのだろう。とはいえ、その反面では「定期人事」で大きなスタッフの変更を実施し、効果はともかく新たな部品を投入する等の対応を取っているのであろうこともまた、見て取れる。

 ただし、競争の世界である以上、努力は評価の対象にならない。求められるものはあくまでも〈結果〉だ。そして、その〈結果〉は、マシン開発を裏打ちする確固たる設計・開発思想によって、戦闘力という形で実現する。

 この設計・開発思想、つまり、ものづくりの基本に関わる重要な姿勢について、非常に示唆的な発言を紹介しておきたい。今回の日本GPにワイルドカード枠で参戦したヤマハのテストライダー、カル・クラッチローは忌憚のない発言でよく知られた人物だが、ホンダ同様に低迷が続く自分たちの進むべき方向性について、「他社を真似して追随ばかりするのではなく、もっと自分たちの強みを活かして、それを武器にする方法で磨きをかけていくべき」と述べて、走行開始前の木曜に以下のように話した。

「ヤマハに余計な空力はいらない。持ち味である取り回しの良さをもっと活かすべき」と話すクラッチロー。開発首脳は彼の提言を果たして聞き入れるか?(写真提供:Yamaha)

「我々が取り組まなければならない重要な領域は3つ。エンジンと電子制御が2大項目で、空力については自分では一番最後だと思っている。このバイクは、ウィングが今よりも小さい時代のほうがよく走っていた。だから、他のメーカーの方向性についていこうとしない方がいい。このバイクは他のメーカーのバイクではないのだから。

 我々は速いエンジンを作らなければならないけれども、それはスムーズなものでもなければならない。今年のエンジンは正しい方向ではないと言ったけれども、ファクトリーライダー両名がこのエンジンを選んで、その結果、アグレッシブすぎてグリップを引き出せずに苦労している。自分はテストライダーで彼らはレースライダーだから、彼らはいま速いバイクを欲しがる一方で、こっちは彼らが速く走れるようなバイクに改良していきたいと考えている。まあ、物事には順序があるので、来シーズンのスタートにファクトリーライダーたちはもっといい状態で迎えられると思う」

「ヤマハとホンダが世界最高のバイクを作れることは、皆が知っている。実際に、過去何年もずっとそうだったのだから。でもそこから状況が変わって、15年勝てなかったドゥカティや最後尾にいたアプリリア、参入してきて間もなかったKTMが、今は本当に強くなった。その状況もいつかは変わる。5年ほどすれば、日本勢がまた圧倒的な強さを見せるかもしれない。

 ただ、問題は、すでにゲームが変わっている以上、自分たちもそれに合わせて仕事のやり方を変えなければならない、ということだ。それが現実なのだから。ヨーロッパ勢のやりかたのほうがうまくいっている。だから、我々もその方法を取り入れるべきなんだ。

 昨日、ヤマハの社長と話をさせてもらったときには、真摯にこちらの話に耳を傾けてくれたし、復活を果たすためにやる気に充ちていることもよくわかった。今までやってきた方法では、これからはうまくいかない。取り組み方を変えなければならないんだ」

 クラッチローは、ヤマハのテストライダーに就任するまでは、ホンダサテライトのLCR Hondaで長年走ってきたライダーだ。その前はドゥカティファクトリーに在籍し、さらにその前はヤマハのサテライトチームに所属していたという経歴からもわかるとおり、豊富な走行経験を持っている。

 冒頭で触れたダニ・ペドロサも、デビュー以来ずっとホンダひと筋で走ってきた選手だったが、現役引退後にKTMのテストライダーに就任した。ペドロサの卓越した評価能力は誰しも認めるところで、ここ数年で大きく飛躍したKTMの性能にペドロサの貢献が大きな役割を果たしていることは言うまでもない。今回明らかになったマルケスの離脱以外にも、クラッチローといいペドロサといい、ホンダにとっては惜しい人材を手放したことがつくづく惜しまれることだろう。

ホンダはプライドを捨て、外部からマネージャーを迎えられるか

 クラッチローが上で指摘しているとおり、現在のMotoGPの世界では「ヨーロッパ勢のやりかたのほうがうまくいっている」ことはおそらく間違いない。だからこそ、ドゥカティだけではなくKTMとアプリリアもここ数年で戦闘力を一気に向上させ、ホンダとヤマハはともに彼らの後塵を拝する結果になっている。だからといって、これもまたクラッチローが指摘しているとおり、技術面で先行者の真似と追随ばかりしている状態だと、〈アキレスと亀のパラドックス〉のように、俊足のアキレスがたとえ少し追いついたとしても亀はさらに先に進んでいるため、いつまで経っても先行者と肩を並べることはできない。

 要するに、現在成功している欧州的発想や手法を大胆に取り入れながら、ホンダとヤマハが長年育んできた独自の技術をさらに磨き上げて新たな武器とすることが必要なのだろう。

 そこで思い出すのが、まったく勝てなかった時代のヤマハを最強軍団に仕立て上げ、その後は活動休止から5年でスズキをチャンピオンチームへ育て上げたダビデ・ブリビオの大胆かつ入念な方法論だ。

 2000年初期、ヤマハは当時最強を誇っていたホンダにまったく歯が立たない時代が続いた。ホンダには圧倒的な戦闘能力を備えたバイクに加え、バレンティーノ・ロッシという史上最強のライダーがいる。一方、ヤマハのバイクは現状の戦闘力でホンダに及ばず、ロッシと互角に戦えるライダーもいない。だが、自陣の技術者たちはライバル陣営の水準に劣っていないはずだ。ならば、ライダーをこちら側に連れてくればよい。そうブリビオは考え、紆余曲折を経て不可能と思われたロッシ獲得を成功させ、ヤマハ最強時代を作り上げた。

 その後、活動休止中のスズキが2015年に復活を果たした際にチームマネージャーに就任したブリビオは、この陣営の活動予算やチーム規模ではヤマハ時代のように他陣営のエースライダーを獲得することは難しそうだ、と判断した。そこで、若く才能がある選手たちをじっくりと育て上げ、「次世代の強いチーム」を作り上げるビジョンで運営を開始した。その結果、2016年にマーヴェリック・ヴィニャーレスが初優勝を飾り、2020年にはジョアン・ミルがチャンピオンになった。

 圧倒的な不利をかこち続けて後塵を拝する一方の日本企業陣営にいま必要なのは、これらの例に見るように、欧州と日本それぞれの事情を知悉して調整し、欧州と日本双方の発想を理解できる卓越した人物によるチームマネージメントなのではないか、という気もする。

 2024年のヤマハは、ファビオ・クアルタラロとアレックス・リンスというラインナップになる。また、マルケスが去ったとはいえ、ホンダファクトリーにはジョアン・ミルがいる。いずれも、ライダーの資質がトップクラスであることは万人の認めるところだ。また、技術者たちに関しても、開発能力が高いことに疑いの余地はない。

 ならば、クラッチローが言う「ゲームが変わっている」現状にフィットするよう、今は噛み合っていないように見える歯車をどう噛み合わせるか、という問題を解決すればよい。国籍や人種を問わず、欧州と日本の双方の事情を知悉して優れた運営管理能力を備えた人物の登場に、期待をする所以である。

ランキング首位のチャンピオン、バニャイア。彼とマルティン、さらにマルケスもそこに加われば、ドゥカティはさらに強力な陣営になることは明らかだ(写真提供:MotoGP.com)

 そういえば、バレンティーノ・ロッシがホンダとの残留交渉が決裂してヤマハへの移籍を最終的に決意したのは2003年、まだツインリンクと言われていた時代のもてぎの、レースウィーク土曜の夜だったという。ある意味では、その後10年のロードレースの歴史は2003年10月のもてぎで決まった、ともいえる。そして、マルケスの向かう先が明らかになった2023年10月、モビリティリゾートもてぎは20年前と同様に今回もまた、グランプリの裏面史にとって大きなターニングポイントの地になったのかもしれない。

 いずれにせよ、マルケスの去就が明らかになった現在、ホンダの本格的な試練もまた、ここから始まる。遙か遠い高みの頂点を目指す未踏の道についてわかっていることはただひとつ。そこには茨がびっしりと敷き詰められている、ということだ。1年や2年で踏破できる道ではないかもしれない。だが、その茨の道を進みながら、臥薪嘗胆――逆襲を成就すべく、夜は硬い薪の上に伏して寝、食事は苦い肝を嘗めながら、確固たる決意を抱き続けること――の志で臨むことができるのかどうか。復活の成否は、ひとえにその一点にかかっている。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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