弾圧と闘う表現者たち
水上 本の中に出てきた、検閲を避けるためにある詩人の詩を文字に起こさず記憶で伝えた人がいたとか、詩の朗読が反体制運動として行われていたといったエピソードも衝撃的でした。今のロシアでは、反体制的な表現への弾圧はどのような状況でしょうか。
高柳 出版できないものを口伝えに伝えるとか、銅像の前で朗読をするといったことはソ連時代のエピソードですが、同じような手法は今も使われています。たとえば、モスクワのマヤコフスキー広場での詩の朗読──「マヤコフスキーリーディング」は反体制派のシンボリックな行動になっていて、ウクライナ侵攻後も何度も朗読が行われました。反戦詩を読み上げる人がいるとあっという間に警察が来て逮捕されるのですが、すぐまた次の人が来て、朗読しては急いで逃げる。逮捕覚悟でそういうことをしている人たちがいるんです。
一方で、今はインターネット上にもいくつかプラットフォームがあって、そこには反体制的な詩が膨大に掲載されています。偽名なども多く使われていますが、おそらく有名な詩人が書いてたものだろうとわかるときもあります。また、反戦的な内容の書籍や、「同性愛宣伝禁止法」で禁じられているものやLGBT関係の出版物など、あえて発禁になるような本だけを出版してオンラインで販売するといった活動をしている人たちも少なからずいます。
そんなふうに、さまざまな人が利益は度外視して、あらゆる手段を使って文学の自由を存続させようとしています。もちろん政府も規制しようとはしているのですが、追いついていないのが現状ですね。
水上 本を出版することも、できないわけではないのですか。
高柳 大きな出版社などでは反体制的な作家の本を出すのを控えているところもあるでしょうが、まったく出版できないというような話は今のところ、聞いたことはありません。私が今一番好きな女性作家も、毎年新作を発表しています。ただ、有名な文学賞からは完全に排除されていますね。
水上 その一方、反政府的な表現活動をした結果、ロシアを出て今は国外で活動している文学者がいることも書かれていました。高柳さんが翻訳された小説『女の子たちと公的機関:ロシアのフェミニストが目覚めるとき』の著者である、フェミニストで詩人のダリア・セレンコなどもそうですね。私はセレンコよりも1歳上の92年生まれなので、あの本を読んで「自分よりも年下の女性がこんな本を出しているのか」と衝撃を受けたのですが、国内で活動を続けている人と、そうではない人との違いはどこにあるのでしょう。
高柳 セレンコはロシアのフェミニストの中でも一番活発に活動していた人ですね。街頭での抗議活動もずっと続けていたし、「フェミニスト反戦レジスタンス」という反戦グループを立ち上げ、YouTubeでロシアの女性たちの現状を世界に発信したりもしていました。それで脅迫を受けたり、「男性国家」という男尊女卑を掲げるナショナリストグループから暴力を振るわれたりして、最終的には彼女のパートナーが「危険だ」と半ば無理矢理ロシアを脱出させたんです。最初は「いつでも帰れるように」と隣国のジョージアにいたのですが、ロシア政府の圧力でパスポートの更新が認められず、今は亡命を受け入れてくれたスペインで暮らしています。
彼女は政府に国外追放されたというよりは身の危険を感じて逃げたという形ですが、政府批判を続けているジャーナリストが一度国外取材に出たらそのまま入国できなくなったなど、実質的な国外追放を受けたケースもあります。政府から「外国の代理人(エージェント)」、つまりはスパイだと名指しされ、逮捕される前に国外に逃げた、という人もいますね。「これ以上やったら逮捕するぞ」という警告を発して、それでもやめなければ逮捕するという、ソ連時代のやり方がそのまま踏襲されているんです。
一方、積極的な活動は中断して、匿名で作品を発表したり、直接的に政府を批判しているわけではない小説を書いたりと、違う形の活動に切り替えて国内に残った人もいます。とにかくロシアを離れたくないから、と。国外に出た人たちもみんな「一日も早くロシアに帰りたい」と言っています。中には、「国外に出るくらいならロシアの刑務所のほうがいい」といって、国外にも出ず、活動もやめずに逮捕されてしまった人もいますよ。
水上 なるほど。セレンコが男尊女卑を掲げるグループから暴力を受けたとのことですが、そうしたグループはいつごろ出てきたものなのでしょうか。
高柳 2010年代ごろだと思います。そのころからロシアでも、フェミニストやLGBTQの人たちの活動が活発化して、SNSでそうしたテーマの芸術作品を発表する人も増えていました。その中で出てきたのが「男性国家」のSNSアカウント。殴られて顔が腫れ上がっている女性や、髪をわしづかみにされて暴力をふるわれている女性の写真をアップしたりして、1万人以上のフォロワーを得ていました。もともとロシアのフェミニズムは、家庭内暴力の被害に遭った女性たちを救おうというところから始まっているんですが、それを否定して「女が暴力を受けるのは当たり前だ」というメッセージを発していた感じですね。
さらには、男性も含め同性愛者やトランスジェンダーの人たちを標的にした殺人事件が相次ぎ、「男性国家」の若いメンバーが逮捕されたりもしました。それでも、彼らを支持して活動に加わる男性たちが後を絶たず、団体はどんどん大きくなっていって。最終的には政府が解散命令を出したことで、ロシア国内での活動はできなくなりました。
ただ、もちろん復活してくる可能性はあるし、他にもレズビアンの「殺害リスト」をネット上で公開して「順番に殺していこう」と呼びかけているようなグループがあって、すでに犠牲者も出てしまいました。正直なところ、彼らにどんな政治的な主義主張があるのかよく分からないのですが、やはりこれもプーチン政権の独裁政治が生んだ一つの結果だという気がしています。
水上 オンライン上のミソジニーは日本でもとても大きな問題ですし、世界的にもそうだと思いますが、実際に殺害リストを作って公開する人がいて、さらには本当に殺されてしまう人がいるというのは、すごくショックです。

プロフィール

高柳聡子(たかやなぎ さとこ)
福岡県出身。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。現在は早稲田大学、東京外国語大学などで非常勤講師を務める。専門は現代ロシア文学、フェミニズム史。ロシア・ソ連で歴史に埋もれた人たち、特に女性たちの声を拾い集め、記録することに努めている。著書に『ロシアの女性誌』『埃だらけのすももを売ればよい』『ロシア 女たちの反体制運動』、訳書にダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関』などがある。
水上文(みずかみ あや)
1992年生まれ。文筆家・批評家。書評・文芸批評等の執筆に加え、ジェンダー・セクシュアリティに関連したエッセイも執筆。「文藝」と丸善雄松堂「學鐙」で文芸季評、「朝日新聞」で「水上文の文化をクィアする」、「小説TRIPPER」で「客体から主体へ 変革の現代日本クィア文学」を連載中。また「SFマガジン」で「BL的想像力をめぐって」を瀬戸夏子と共同連載中。単著に『クィアのカナダ旅行記』(柏書房)。企画・編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)。フェミニズム雑誌「エトセトラVOL.13」にて「クィア・女性・コミュニティ」特集編集。