「オジサン」から「クィアな主体」へ
杉田 本の中で扱っている「キモいオジサン」という表現について、僕は結構大きい問題だと思います。「あくまでSNS内だけの話では?」という意見もありますが、僕は#MeToo運動以降、ネットとリアルというのは、そんなに明確に区別できないと考えています。
性加害事件を起こし、芸能界の表舞台から追放された松本人志にせよ、中居正広にせよ、皆「オジサン」ですよね。そういう事態を目の当たりにして、世間の多くの中年男性も、「自分もアップデートしないと、問題を起こしてしまうかもしれないぞ」と不安に思っているのは、間違いないことだと思います。
川口 私がオジサン問題に拘るのは、端的に自分がオジサンだからなんです。今43歳です。先ほど述べた論文で、私は「男性問題」(男性が男性であるが故に抱える問題)を批判的に見つめ直そうとする男性学自体が、むしろ「男性問題」を構築していってしまう危険性について論じました。自分で言うのもなんですが、20代の若手研究者として年長世代をバッサバッサと斬ろうとしたわけです。元々周囲から「男らしくしろ」と言われずに育ってきたこともあり、プライベートでもリーダーシップを取ると言うよりも、周りでわちゃわちゃしている「ちょっと変わった年下の男の子」的なポジションにいることが多く、例えば伊藤公雄さんが提起した「男らしさの議論といった議論があまりピンとこなかったりもしたんです。
ところが、時が経つにつれ、そんな立ち位置も徐々に変わっていき、今では立派な「オジサン」になりました。「ちょっと変わった年下の男の子が、20年経って「変なオジサン」になったわけです。そうすると男性学の先達たちが取り組んできた問題に、昔の自分は若さゆえに向き合わずに済んでいたのかなとか、あるいは比較的年代の近い杉田さんや西井さんが提起なさってきた問いにどれほど真剣に向き合ってきたのだろうか、と考えるようになっています。最近は、表現が難しいのですが、「男らしくしなくてはならない」と思っているわけではないのに、自ら巻き込まれていってしまう「男らしさの磁場」みたいなものに、ある種当事者的に考えていきたいな、と思っています。
杉田 川口さんが個人的な話をしてくださったので、僕も少し、個人的な話をしたいと思います。僕は数年前に、『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』という本を出版しました。その本は、「シスヘテロの男性はマジョリティなのだから、その特権性に自覚的であらねばならない」ということを訴えたものだったんですね。
基本的に、その考えは今でも変わらないのですが、最近、作家の周司あきらさんと対談したんです。そこで周司さんに指摘されたのが、「杉田さんの言う『男』の中には、トランスジェンダー男性が含まれていないんじゃないか?」ということだったんです。周司さんご自身はトランス男性なんですが、「杉田さんの本には自己嫌悪みたいな話がよく出てくるけど、自分はそういう感覚が全然分からない」とも言われたんです。トランス男性である周司さんにとっては、男性の肉体を手に入れたことがすごくポジティブなことだし、健康的なことなんだと指摘をされた。
そう考えてみると、僕の今まで書いてきたものって、あまりにも「マジョリティ男性のオジサンである」ということに拘りすぎていたのかな、と思って。やっぱり、僕自身の中にも、クィア性とかトランス性みたいなものは、確実にあるわけです。だったら、そういった感覚を、もうちょっとポジティブに、あんまり遠慮しないで書いていくっていう作業も、大事なんじゃないかと思い始めていますね。
自分自身のクィア性やホモセクシュアルな部分を自覚したことのきっかけの一つに、西井さんと二人で浅草の花やしきに遊びに行ったことがあったんです。
それで、二人で空中ブランコみたいな遊具に乗ったりして、それがすごく楽しかったんです。そういったクィア性って、誰しもの中にあると思うんですよ。だから、自分が「オジサン」であることにあまり固執しすぎないで、もっと自分のクィアな部分に目を向けてみるのも、一つの解決の方法かな、とは思いましたね。「オジサン」な自分からクィアな自分へと生成変化していけたら、と今は思っています。

「解決策」はどこにある?
杉田 それでは、会場からの質問にも、少しお答えしていきましょうか。
Q 社会問題を考えるときには、「現状分析」と「解決策」という、別個のフェイズがあると思います。皆さんのお話を聞いていると、分析は旺盛にされているのですが、解決策は全然ないように聞こえます。その辺りについては、いかがでしょうか?
川口 ミクロな観点でいうと自分自身の体験から加齢に伴う心身の変化に否応なく向き合っていく過程に、男性の変化の可能性があるのでは、ということを考えています。やっぱり、加齢と共に色々な問題が出てくるわけですよ。私くらいの年齢になってくると、尿漏れとか、胃もたれとか普通にあるわけです。そういった日々の「不具合」に対応しようとすると、これまでいかに自分の心身の問題に向き合わずに済んできたのか、と思い知らされます。「弱さ」と言えるかどうかわかりませんが、そういったものを内に抱え込むことで、これまでの生き方を捉え直して、変化していく契機になるんじゃないかと自分自身に期待しています。
杉田 「解決策」を、というご質問でしたが、僕はもう、答えは出ていると思うんですよ。女性や障害者たちが差別をされたり不利益を被っていたりするのは、道徳の問題じゃなくて社会構造の問題なんだから、「社会構造を変えればいい」というだけのことなんですよね。シスヘテロの男性が、様々な面で社会的な「特権」を持っていることは、統計的なデータでも証明できますしね。
僕は長年、障害者介護をやってきた人間です。「何を解決すべきか」ということは、障害者である当事者の方々に聞けば、分かるわけです。何が不満で、何が問題なのか、彼らはみんな知っている。あとは、当事者の要望に合わせて、社会制度を変えればいいだけなんです。でも、権力者の側はそれを当然邪魔してくる。だから、世の中の多くの男性たちが意識をアップデートさせるには、どうすればいいか。それを考えるのが、僕らの仕事かもしれません。
ただね、これが非常に難しい。なぜかというと、「男性と女性、そして性的マイノリティが平等な社会になると、男性も自由で楽になるよね」っていう言説があるじゃないですか。僕はそう思ってないんです。平等が実現すれば、はっきり言って従来に比べ、男性は明確に特権を失いますよ。具体的に言えば、生涯賃金も下がるでしょうし、昇進などで上席のポジションを得る機会も、少なくなるでしょう。女性や性的マイノリティがこれまでより活躍することになるのですから、それは自明なことです。
だから、男性たちが自主的にその特権を手放す可能性は、皆無に等しい。そこで、自分は損をするのだけれど、より公正な社会を実現するために、己の特権を手放すような、倫理的な男性が多くいればいいのですが……。それこそ、革命のような何か大きなことが起きない限り、差別の「解決策」というのは非常に難しいことかと思います。
西井 僕は逆に、「現状分析のみ」で何がいけないんですか? と問いたい。むしろ現状分析も十分にできないと感じています。男性学って社会学の一分野ですが、歴史社会学や 教育社会学などの他の社会学分野では、解決策がそこまで強く求められることはないのに、なぜか男性学だけは、解決策の提示を求められる。これはかなり奇妙で、興味深い現象だと思っています。これまでにも同じような質問を何度も受けてきましたが、そこで想定されているものの多くはライフハック的な技術なのではないかと感じます。しかし、当然のことながら人間というのは複雑な存在ですから、そんなわかりやすい解決策がすぐにでるはずないんです。
かつてピエール・ブルデューという社会学者がいました。権力と社会の階層性の分析を専門とした社会学者が、個人は大きく社会構造の影響を受けるという彼の理論は、社会決定論ではないかと批判を受けてきました。しかし、彼はこのような言葉を残している。
「重力の法則は飛ぶことを可能にする」
これ、すごくいい言葉だと思っています。つまり、自分を縛る社会的な構造や制約を分析し、把握して初めて、その構造から脱し、自由に選択する術を展望できるようになる。だから、安易に問題解決に飛びつく前に、じっくり現状分析をすることを、むしろもっと重視するべきじゃないでしょうか。
Q でも、西井さんは臨床心理士としても活動されているわけじゃないですか。クライエントさんに対しても、「現状分析」するだけなんですか?
西井 基本はそうです。私は暴力をしてしまった男性へのカウンセリングをしていますが、その暴力がどのようなメカニズムで表出したのか、一緒に探っていくのが主な関わりです。そのメカニズムをメタ的に把握することができれば、同じことが起こらないよう普段のふるまいを少しずつずらしていったり、これまでしていなかった新しい取り組みを始めたりすることが可能になるわけです。暴力のメカニズムの中に、断片的に男性性の問題がかかってはいますが、やはり人それぞれではあるので、「男性全般」に当てはまるわかりやすい解を提示することは難しいと思っています。
Q その際に、何か役に立つメソッド、方法はないんですか?
西井 臨床を実施する上での姿勢という意味なら、相手を「他者化」しない、ということは大事だと思います。相手を「暴力をふるう困った人」と、自分よりも一段下の存在と見なして、こちらが暴力のメカニズムを勝手に解釈したならば、先ほど話した共同的な探索は立ち行かなくなってしまいます。暴力は全く他人事ではなく、自分と地続きにある問題としてとらえることを意識してやっています。

男性学は楽しい
杉田 この鼎談もそろそろお時間ということで。最後に言い残してしまったことがありましたら、お一人ずついただけますか。
川口 今、ちょっと「解決策」の話で盛り上がりましたけど、結局、専門家だけじゃなく、私たちみんなで、少しずつでもコツコツとやっていくしかないな、と。私自身も、細々とやっていきますんで。今日のイベントが皆さんの意識を変えるきっかけになればいいな、と思っています。
杉田 今回、男性学の素晴らしい本を、多くの方に知ってもらいたいと思って、『名著でひらく男性学』を書いたんです。でも、正直言うと、フェミニズムと比べると、男性学の本って似たようなものが多くて、まだ全然バリエーションがないんですよ。学問的に言えば、まだまだ種まきの段階なんで、もっとバリエーションが増えれば、面白い本も増えて、必然的に読者も増えると思うんですよね。
じゃあ、具体的にどうやってバリエーションを増やしていけばいいかというと、まずは世界中のフェミニストやトランスジェンダー当事者と、男性学の研究者がどんどん対話をしていけばいいと思うんですよ。そうした対話の中から、様々な影響を受ければ、自然と男性学もアップデートされていくのではないか。今日は、そんな予感がしたイベントだったと思います。
西井 私は今、36歳なんですけど、杉田さんと川口さんの話を聞いていて、自分も数年でオジサン問題が来るのか、と少し憂鬱になりました(笑)。とはいえ、今日はお二人と話せて楽しかったです。
男性学って、世の中からは、結構否定的に見られがちなところがあるじゃないですか。鬱屈した、罪悪感を抱えた男たちが、延々と反省の弁を述べているみたいなイメージを一部の人たちから持たれていると思うんです。でも今日話しながら改めて思いましたが、男性学を語るのって楽しいんですよね。ジェンダーというフィルターを通しながら、新しい自分の側面を再発見していく喜びがある。そういう面白さを、『名著でひらく男性学』を通じて、一人でも多くの方に知ってもらえたらな、と思っています。
杉田 皆さん、今日は本当に、長いお時間ありがとうございました。
撮影/野本ゆかこ
構成/星飛雄馬
プロフィール

杉田俊介(すぎた しゅんすけ)
1975年生まれ。批評家。『非モテの品格』『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』ほか著書多数。
西井 開(にしい かい)
臨床社会学研究者、一般社団法人UNLEARN理事。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』がある。
川口 遼(かわぐち りょう)
社会学修士。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。共著に『私たちの「戦う姫、働く少女」』など。


杉田俊介×西井開×川口遼






菱田昌平×塚原龍雲



大塚英志
石橋直樹