泉房穂が師と仰ぐ石井紘基が日本社会党の書記長だった江田三郎の秘書をしていたと知って、なるほどと思った。革新の星といわれた江田は、江田がリーダーになったら自民党にとって恐いと田中角栄に言わせた先見性のある政治家だった。教条的な社会党からは批判され続けたが、現実を直視した新しい政治家だったのである。
社会党を離れて市民運動家の菅直人と組んだ江田を私は「師弟」の連載で書いたことがある。タイトルが「花枝動かんと欲して春風寒し」。これは江田が好きな王維の詩の一節である。
「春風寒し」でも突き進む精神を石井は江田から受け継いだのだろう。
2002年10月25日、石井は右翼団体代表を名乗る男によって刺殺された。石井の選挙区の成城に統一教会が進出するのを石井は住民と共に反対して退去させた。私はそれが殺される原因になったのではないかと思うが、事件の前に「国会質問で日本がひっくり返るくらい重大なことを暴く」と周囲に話していたというから、あるいは別件かもしれない。
日本を「官僚社会主義国家」と規定し、官僚主権の官制経済をやめさせるべく奮闘した石井は特殊法人に焦点を定めた。その石井の動きを邪魔するのが財務省である。泉は、戦後の政治は「財務省対厚労省」の抗争史であると説く。そして驚くべき一件を明かす。
「厚生族のドン」だった橋本龍太郎が首相になり、介護保険法を成立させたが、前厚生次官が汚職で逮捕され、実刑判決を受けた。「これは財務省によるリークで厚労省潰しを目的としたものだった」というのである。
財務省には東大法学部を出たエリートたちが入るが、同じ東大生として泉が驚いたのは「学生たちのレベルの低さ」だった。「ゼロから一を作り出す力」がない。
「すでにある数字の置き換えとか、作業効率は高く、要領はいいのです。受験というせこい競争を、よりせこく勝ち抜いた者が財務官僚ですから、私は財務官僚を賢いと思ったことがありません。国民の負担を減らし、国民を笑顔にするのが賢い人間だと私は思います」
泉はこう語っているが、明石市長として実績を積んだ泉の言葉だけに反論のしようがないだろう。「一九九〇年代にフランスは日本と同じように不祥事があって、企業・団体献金を廃止した」という指摘など、この本は改革への具体的ヒントに満ちている。
プロフィール
(さたか まこと)
1945年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、高校教師、経済誌編集長を経て、評論家に。著書に『石橋湛山を語る いまよみがえる保守本流の真髄』(田中秀征との共著、集英社新書)、『西山太吉 最後の告白』(西山太吉との共著、集英社新書)、『佐高信評伝選』(第1~第7巻、旬報社)、『統一教会と改憲・自民党』(作品社)、『この国の会社のDNA』(日刊現代)、『当世好き嫌い人物事典』(旬報社)など多数。