「アメリカが何をしようと、ついていきます!」ではなく、本当の意味で自立した日本にするためには?

太平洋戦争末期、激烈な地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄戦から、今年で80年。「台湾有事」が取りざたされる今、沖縄を含む南西諸島では自衛隊基地が新・増設され、ミサイル配備も進んでいる。その一方で一部の政治家による沖縄戦での日本軍の行動を正当化する発言も物議を醸した。そんな中、4月に刊行された『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書)が反響を呼んでいる。
本書の著者で沖縄戦研究の第一人者である林博史氏と、昨年(2024年)『従属の代償 日米軍事一体化の真実』(講談社現代新書)を上梓し、長年、自衛隊問題を調査しているジャーナリスト布施祐仁氏が、沖縄戦と自衛隊、米軍、そして「台湾有事」について語り合った。その模様を3回にわたりお届けする。今回が最終回。
構成=稲垣收
今の日本に「純粋に民間の飛行場や港」はなく
米軍がいつでも利用できる「潜在的な米軍基地」になっている
布施 1944年10月10日のいわゆる「十・十空襲」で米軍が那覇に対して大規模な無差別攻撃をした際、当時の日本政府は中立国スペインを通じて、「諸国家間で承認されている人道の原則と国際法に対するきわめて重大な違反だ」と抗議をしたことを、この本を読んで初めて知りました。でも、日本はすでに、中国で都市に対する無差別爆撃をやっていました。

米軍は1945年3月からの沖縄戦でも、「鉄の暴風」とも称される激しい無差別攻撃を行いました。ただ、この本でも指摘しているとおり、日本側が「軍民分離」をしておらず、「民間人も根こそぎ動員して戦わせる」という方針で戦争を遂行していたので、無差別攻撃に一つの口実を与えてしまったところもある。
実は、今の日本の状況も、「軍民分離」をしていないという点で同じなんです。たとえば、今の日本には純粋な意味での民間の飛行場、港湾というのは存在しません。日米地位協定(*1)の第5条で、「日本の港湾と飛行場には米軍はいつでも出入りできる」と認めてしまっているので、日本中の港も飛行場も、まさに潜在的な米軍基地とされています。
そのことが何を意味するのか? 「戦争になったときに、攻撃されても文句は言えない」ということです。
こういう状況は「実際に戦争になったときに国民を、民間人を危険にさらすことになる」ということを、沖縄戦の教訓にも学んで、もっと我々は真剣に考えないといけないと思います。
あと、先島諸島を取材していて、住民の方から「また沖縄が『捨て石』にされるのではないか」という言葉をたびたび耳にしてきました。先の大戦では国体護持のために、本土決戦の時間稼ぎのために捨て石にされ、今度は台湾防衛のために捨て石にされるんだ、と。
南西諸島での軍備強化について、日本政府は「南西諸島の防衛のため」「中国に対する抑止力を強化するため」と説明してきましたが、いきなり中国が南西諸島を攻撃してくるわけじゃない。「台湾有事が起きたときに、アメリカが台湾を防衛するために軍事介入する、そして自衛隊も一緒になって動く。そのときに攻撃の拠点として南西諸島の島々を使う。その結果として相手の攻撃も受ける」ということです。つまり、台湾を防衛するために南西諸島が攻撃されるのはやむを得ないと考えているのです。
しかし、南西諸島が攻撃されるリスクを引き受けてでもアメリカと一緒に中国と戦って台湾を防衛するなんてことを、そもそもどこで誰が決めたのか? 自衛のための必要最小限の武力行使しかしないという「専守防衛」の国是とどう整合するのか? 台湾海峡両岸の対立を「基本的に中国の国内問題」としてきた日本政府の立場とどう整合するのか? 国会議事録を調べてみましたが、こういうことについて議論すらまったくしていません。
南西諸島をはじめ日本が戦場になるかもしれない重大な選択なのに、国民に対する説明も国会での議論もきちんとなされないまま進んでいることに、強い違和感があります。
日本政府として本気で台湾を守ろうとしているのかというと、それも怪しいと思っています。日本政府としての主体的な判断というより、アメリカの世界戦略に追随し、アメリカの要求や期待に応えようとしているだけじゃないのか。実際に今の自民党の政策責任者(政調会長)である小野寺五典氏は、台湾有事でアメリカから協力要請がきたら日本には断る選択肢はない、なぜなら「断ったら日米同盟が毀損してしまうから」と語っています。
でも「日米同盟を守るため、アメリカとの関係を守るために、台湾有事において南西諸島を戦場にし、捨て石にする」ということでいいのか?
こういう思考は、先の大戦のときに「国体」というものを守るために、沖縄だけじゃなく日本国民全体を捨て石にしようとしていたことに通じるのではないでしょうか。

*1 新・日米安保条約第6条に基づき、1960年に日本と米国の間で署名された在日米軍に関する地位協定。
戦後、天皇制に代わって日米安保が
「国体」になった。それでいいのか?
林 「1945年までは天皇制が国体であった。戦後は日米安保が神聖不可侵な天皇制と同じ国体になってしまった」と指摘している研究者がいます。そこから思考が全く出ないようになってしまっている。「ともかくアメリカという親分に言われるままについていって、親分がどんな悪いことをしようと、ひたすらついていく。そうやって生きていこう」という意識から全く出ることができない。
しかしいくらアメリカが強力な国であっても、「おかしいことは、やっぱりおかしい」ときちんと言って、「日本国民と、日本に住んでいる人々をどう守るのか」ということを考えないといけない。
たとえば自民党の西田昌司参議院議員は、糸満市にあるひめゆりの塔で、沖縄戦で犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の説明について「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて、沖縄が解放された、という文脈で書いてある。歴史を書き換えると、こういうことになってしまう」という発言を5月3日にしましたが、「アメリカが解放した」なんて沖縄の人は考えていませんし、ひめゆり平和祈念資料館にも、そんな記述はありません。
米軍にとっては米兵の命が一番大事だったわけで、米軍の損害を減らすためには、そこに日本の軍人と民間人がたくさんいることが分かっていても、まとめて攻撃して殺してしまったのです。また、日本兵が民間人の服を着て夜襲をかけたりしたので、米軍もそれを恐れていて、明らかに民間人の集団であっても容赦なく殺してしまったという側面があります。
だから、沖縄戦では米軍が降伏した住民を保護した側面ももちろんあるけれども、「アメリカが沖縄を解放した」とは、沖縄の人たちも、私も、まったく考えていません。
米軍も、決してそこに住んでいる人々の生命、安全を大事にしてくれるわけじゃない。「あくまでも米軍兵士の命が大事であって、彼らのためには他の人々は少々犠牲になってもやむを得ない」という作戦をしているんです。
「米軍というのはそもそも、決して日本の人々を一番大事にしてくれるような存在ではない」ということ、これは沖縄戦から学べることだと思います。
そういう意味で、西田議員は一体何を考えているのか、と思います。もしアメリカが沖縄を解放してくれたんだったら沖縄の人々はもっと親米になり「米軍は必要だ」と思うはずですが、そうじゃないので。
沖縄戦から学ぶべきことは、日本軍のやり方と同時に、米軍のやり方なんです。これはたぶん今のイスラエルがガザでやっていることにもつながってきています。イスラエル軍は「ハマスの司令部が病院の地下にあるから」といって、病院ごと全部破壊しています。米軍のやり方も、あのやり方なんです。そこに軍事施設、軍事目標があれば、まわりにいかに民間人がいても全部破壊してしまう。そのやり方を、場合によっては日本列島の中でもやりかねないのです。
たとえば日本の南西諸島のどこかが占領された場合、米軍は敵軍を潰すために、仮にそこに島の人々が残っていたとしても、全部攻撃して破壊しようとするでしょう。
ですから「米軍のそういうやり方を、日本が認めていいんだろうか?」と考えないといけない。そして、日本で、だけじゃなく、米軍が他でやることも含めて「認めていいんだろうか?」ということも、沖縄戦との関係で考えないといけない問題だと思います。
かつて米軍は中国に核爆弾を落とす作戦も検討し
爆撃機発進基地となる沖縄が報復されても「しかたない」と考えていた
布施 今のお話を聞いて思い浮かんだのが、1958年の第2次台湾海峡危機です。台湾の金門島に対して中国が対岸の福建省厦門(アモイ)から大規模な砲撃を行ったときに、アメリカが介入を検討したんです。当時アメリカは核兵器を使う戦略を取っていたので、中国本土の砲台といくつかの航空基地を小型の核兵器で攻撃するという計画を軍が立案したんです。
当時はまだミサイルがないので、「沖縄から発進させた戦闘機に核爆弾を積んで中国本土に投下する」という計画でした。それをやった場合にどういう結果をもたらすか分析もしていて、「ソ連が参戦して核で報復してくる可能性がある」と。どこに報復するかというと、米軍基地が集中する沖縄に報復してくる可能性が高い、という分析結果を出した。
それを見た当時の米軍の統合参謀本部議長がコメントした内容がアメリカの記録に残っています。「台湾防衛をアメリカの国家政策とするならば、それはやむを得ない」と。つまり「沖縄が核兵器、核爆弾で報復されても、しょうがない」とコメントしていたんです。
それを読んだ時、私は背筋が寒くなりました。「アメリカにとって日本はあくまで戦争に勝つための手段でしかなく、日本国民の命は彼らにとってそれほど重要ではない」とハッキリわかったからです。アメリカのそういう考えは、おそらく今も変わってないと思います。
今、トランプ政権になって、アメリカの利己的な「自国第一主義」が見えやすくなってはいますが、先生がおっしゃったように、これまでの戦争でアメリカがどういう戦い方をしてきたのかもしっかり見た上で、日本政府は日本の国民の命を守るということを最優先にアメリカとの付き合い方も考えていかないといけないと思います。
ただホイホイとアメリカにつき従って、「アメリカに喜ばれることばかりやろう」ということでは、私が『従属の代償』で書いたように、私たち日本国民がとてつもない代償を払わされることになってしまいます。

権力を持つ側の変わらない精神構造の問題
布施 林先生の『沖縄戦』で非常に納得したのが、日本軍による住民虐殺などが起きた要因の一つとして、「皇軍=天皇の軍隊」という位置付けが将兵たちを「天皇の代理人」のように振る舞わせ、そのエゴイズムを極端なまでに肥大化させた、と分析されていたことです。天皇という絶対的な権威を笠に着て、民間人を見下したり、傲慢に振る舞ったりした、と。
これを読んだ時、戦後の日本政府をリードしてきた人たちにも同じような精神構造があるのではないかと思いました。
覇権国家であるアメリカのアジアにおける「副官」的なポジションをとることで、自分まで偉くなったような気になって、他のアジアの国を見下したり、傲慢に振る舞ったりしているように私には見えます。
自らのエゴイズムを肥大化させることができるこの構造を失いたくないから、ひたすらアメリカに追随していこうとするし、アメリカが覇権国家であり続けられるように懸命に支えようとしているのではないでしょうか。権力を持つ人たちの中にこうした精神構造が今も変わらずあるとすれば、また戦争になった場合、沖縄戦と同じようなことが繰り返されるのではないかと危惧します。
最強国にくっついてナンバー2として威張るのではなく
自立した思考に基づいて、自分たちの未来を自分たちで考えて決める
林 私もそう感じますよ。これは先日の川満彰さん(沖縄戦研究者)との対談でも言ったんですが、日本の近代というのは、最初、日英同盟から始まった。当時の世界で一番強い国と組んだ。その後イギリスが落ち目になってドイツが台頭してくると、ドイツと組んで日独伊三国同盟をやった。でもドイツは一番強くなかったので失敗した。すると今度は第二次大戦後一番強い国となったアメリカと手を組む。つまり「いつも一番強い国と手を組んで、その国がどんなにひどいことをやっても黙ってついていく」と。そういう意識が近代以来の日本のあり方に、ずっとあるんじゃないか。
さらに歴史を遡ると、実は天皇という称号自体、「中国に皇帝がいるから、その次になりたい」という。それまでは中国の皇帝の下に各国の国王がいた。日本にしても朝鮮にしても、各地に。「でも、自分は皇帝に次ぐ地位に就きたい、他の国王より上になりたい」と思って、それで天皇という称号を作った。皇帝を名のると中国に怒られるので天皇を名のって、朝鮮とか他の国王よりは上だ、という。そういう意味で、日本のメンタリティーというのは「一番強い者にくっついて、ナンバー2であることによって、自分が権威ある存在であるかのように示したい」という。それがいまだに継続しているんじゃないかと思えます。
でも私たちは、もっと自立すべきではないでしょうか?
「自分たちの正当性は自分たちの中から生まれる」それが民主主義だと思うんです。つまり「人々の生命や人権を一番大事にするような国家、それを自ら作っていく」というところに価値を置いて、正当性を見出していくこと。そういうふうに転換しないといけないだろうと思います。
そのためには、すぐに今の仕組みを全部ガラッと変えるのは無理でも、少なくとも、この日本という土地に住んでいる人々の生命や安全、幸福、人権を大事にして、それに基づいて、アメリカのような強い国に対しても、きちんと言うべきことは言うような日本社会に変えていく必要があるんじゃないかと。
なかなか厄介だし、簡単には解決できない問題ですが、そういう自立した思考に基づいて、自分たちの未来を自分たちで考えて決めるという、当たり前のことを、とにかく地道にやるしかないだろうと思います。
トランプが「アメリカ第一主義」を
あらわにした今こそチャンス
布施 私が今、ひとつのチャンスだと思っていることがあります。これまでアメリカに対して、日本人は幻想があったわけですよね。「いざというときアメリカは守ってくれるんじゃないか」と。
でも、今、第二次トランプ政権になって、そんな甘い話じゃなく「アメリカは徹頭徹尾アメリカの利益第一で行動する」ということがハッキリしてきた。
それで最近、朝日新聞が発表した世論調査結果でも、アメリカの意向に何でも従うのではなく「なるべく自立したほうがよい」と答えた人が68パーセントいたんですね。「もうアメリカには頼れない、日本は自立した外交を考えるべきだ」という人が多数になった(*2)。
このチャンスを生かして、アメリカにひたすらついていくのではなく、自立した思考に基づいて、自分たちの未来を自分たちで決める当たり前の独立国に脱皮したいですね。
それが沖縄や日本を再び戦場にしないために絶対に必要だし、今それをやらなければこの国の未来はないんじゃないかと強く思っています。
*2 2025年4月27日の朝日新聞デジタルに掲載された全国世論調査結果で、日本の外交について、米国の意向に「なるべく従ったほうがよい」という回答は24パーセント、「なるべく自立したほうがよい」という意見が68パーセントだった。「いざという場合」に米国が本気で日本を守ってくれると思うか? という質問に「守ってくれる」との回答は15パーセント、「そうは思わない」が77パーセント。
プロフィール

(ふせ ゆうじん)
1976年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、および日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を受賞。2018年、三浦英之氏との共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社)により石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。その他の著書に『従属の代償 日米軍事一体化の真実』(講談社現代新書)、『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』『経済的徴兵制』(集英社新書)など多数。

(はやし ひろふみ)
1955年、神戸市生まれ。現代史研究者、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。関東学院大学名誉教授。主な著書に『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書)、『沖縄戦と民衆』『沖縄戦が問うもの』(大月書店)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』『米軍基地の歴史 世界ネットワークの形成と展開』『帝国主義国の軍隊と性 売春規制と軍用性的施設』(吉川弘文館)、『朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本』(高文研)、『BC級戦犯裁判』(岩波書店)等多数。