現代魔女 第5回

魔女のイメージの形成 19世紀以降

円香

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。
第5回では、魔女のイメージが19世紀から現代にかけてどのように変遷していったかをみていく。

19世紀のロマン主義と美しき反逆者としての魔女 ―― ジュール・ミシュレの『魔女』

今日、私たちが魔女という言葉から連想するイメージは、必ずしも否定的なものばかりではない。優しくて美しい魔女、自然と調和して暮らす賢女、神秘的な魅力を放つ妖艶な存在 ―― こうしたポジティブな魔女像はしかし、いつどのようにして生まれたものなのだろうか。

その転換点となったと言われているのが、18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで興隆したロマン主義の時代だ。産業革命による急速な工業化と都市化、そして啓蒙主義がもたらした合理主義への反動として、人々は失われゆく自然や伝統的な農村生活への郷愁を強めていった。この時代精神を背景に、それまで害悪魔術を行う邪悪な存在とされてきた魔女は、まったく新しい解釈を与えられることとなる。

この変容を象徴的に示すのが、「ルネサンス」という言葉を広めた人物としてよく知られているフランスの歴史家ジュール・ミシュレである。彼は著書『魔女』(1862)において、魔女を抑圧された女性の象徴として描き出した。ミシュレによれば、魔女とは女性固有の性質とその気質の体現者だった。彼は、魔女を予言者として、また自然との深い結びつきを持ち、癒しと知恵をもたらす存在として、再定義したのである。

ミシュレの『魔女』は、反キリスト教的な大胆な主張によって、出版当初から物議を醸した。本書はカトリック教会からの批判を受けたが、彼が描き出した新しい魔女像は、その後の魔女研究や魔女のイメージに大きな影響を及ぼすこととなる。

彼の描く魔女はしかし、正統的な歴史研究の産物というよりも、19世紀のロマン主義的想像力が生み出した創造物だった。ミシュレは中世後期から近世にかけての魔女イメージを抵抗の象徴として、知恵を持つ治療家、予言者(シビュラ)、あるいは自然の力を理解する賢女として描いたのである。

とりわけ特筆すべきは、ミシュレが魔女を被害者としてだけでなく、抵抗者として描いたという点だろう。彼の描く魔女は、教会の権威や封建領主の圧制に対して立ち上がる革命的な存在であり、民衆の解放を象徴する存在でもあった。サバトに集う魔女たちを支配的な社会秩序への反逆者として表現した。
ミシュレのロマン主義的な魔女の描写は魅力的ではあるが、一方でミシュレの解釈が歴史的事実というよりも、ミシュレ自身の政治的・社会的理想の投影であり、実際の魔女狩りの事実を歪曲しているという点も、やはり見落とすことはできない。魔女狩りによって殺された人々の大多数は、地域差はあれど、多くは身寄りのない貧困層だった。民間魔術に従事している産婆やワイズウーマン(伝統的な植物療法を行なっていた女性たち)が告発されたケースは全体から見れば少数派の例外であり、しかも告発されるケースは医療ミスが起こった場合であり、実は一般的に信じられているよりも非常に少ない割合である。この分野の研究はオーウェン・デイヴィスの研究に詳しい。ちなみに彼らの行うカニングフォークはキリスト教の祈祷文を使用していたことがわかっており、彼らの実践は教会から見れば確かに異端的ではあるが、彼らは表向きにはキリスト教徒であったことがわかっている。そのため、魔女の大多数が教会権力に対する抵抗者だったという考え方は、魔女狩りの歴史と照らした時、明らかに事実とは言えないのだ。後に紹介する「魔女カルト論」などにおいても、実際の魔女狩りの事実が捻じ曲げられて伝わっているケースが多い。ちなみに魔女狩りが激しく起こったのは近世であるが、中世であると誤って広まってしまった原因の一つもミシュレの著作にあるといわれている。

彼は当時のフランス第二帝政下での政治的抑圧に対する批判を、中世の魔女たちの物語を通じて表現しようとした。つまり『魔女』は、きわめて現代的な政治的寓話としての性格を持っていたのである。

ミシュレの著作は、後の研究者たちによってその歴史的正確性を疑問視されることになるものの、魔女を社会的抵抗の象徴として捉える視点は、その後のフェミニズム運動や反体制運動に大きな影響を与えることとなった。特に、魔女を単なる迷信の犠牲者としてではなく、知識と力を持つ存在として描いた点は、その後の魔女の表象と現代魔女運動にも多大な影響を及ぼしている。

実際、ミシュレの描いた魔女像—自然の力を理解し、支配的な社会秩序に抵抗する女性—は、後の現代魔女たちの自己理解とも重なる部分が多い。彼の著作が提供した、魔女を悪魔の手先としてではなく、抑圧された知識と力の担い手とする視点は、後の世代が「魔女」という言葉を肯定的なアイデンティティとして受け入れる素地を作ったということもまた間違いないのだ。

ファム・ファタールと大地母神

こうした新しい魔女像は、世紀末芸術において華々しい開花を見せることになる。クリムトやウォーターハウス、オーブリー・ビアズリーらの画家たちの描いた妖麗な魔女たちは「ファム・ファタール(運命の女)」として知られる。そこでは魔女が、月光のように幽玄な美しさを湛え、神秘的な魅力で人々を魅了し、時には破滅へと導く存在として表現されていた。サロメ、カルメン、メデューサ、スフィンクス、キルケやメディアといった魔女たちが、新たな解釈のもとで芸術作品の主題として好まれるようになったのだ。

理性信仰への幻滅が広がった時代、ロマン主義の芸術家たちは「狂気」「夢」「幻想」「死」など、理性では捉えきれないものを呼び覚まそうとした。非合理性や理性の限界、そしてそれを超えるものへの憧れ、それらが「周縁化された女性」に投影されたのだ。こうして、ファム・ファタールという魔女は生み出されたのだろう。この時期に形作られた「反抗的で美しい魔女」というイメージは、文学やポップカルチャーにも大きな影響を与えていった。

代表的なファム・ファタールであるアダムの最初の妻リリスには、家父長制社会における「理想的な女性像」からの逸脱、解放への憧れが投影されている。リリスはアダムと対等であることを主張し、従属を拒否してエデンの園を去った。こうした反抗的な姿勢から、後世には悪魔的存在として語られるようになり、現代では「最初の魔女」として、女性解放の象徴としてフェミニズムの文脈でも再解釈されるようになった。

だが、当時のロマン主義的魔女解釈はその後フェミニスト魔女たちが生まれる土壌を作る一方で、現代のフェミニズム的視点からするといくつかの重要な問題点も抱えていた。ロマン主義の時代において、確かに魔女は、抑圧からの解放や自然との調和と創造性といったポジティブな価値を体現する存在として描かれるようになっていた。その一方で、魔女や女性を「自然」や「感情」「母性」と結びつける本質主義的な見方は、むしろ既存のジェンダー規範を強化する働きも持っていたのである。現代の視点からすれば、ロマン主義時代に生まれた魔女像は、全く女性解放運動と相性が良いものではなかった。むしろ、19世紀〜20世紀初頭の女神信仰やペイガン復興は、進歩的というよりむしろ保守的な思想や文化的傾向と密接に結びついていたとさえ言える。

当時の自然崇拝や女神信仰の再興は、産業化へ向かう世界への反発から生まれたもので、ケルト信仰や自然との一体感を理想化する当時の風潮は、近代合理主義に対する反動として、秩序や伝統を重んじる保守的な感性と深く結びついていたのだ。

19世紀~20世紀初頭のヨーロッパでは古典教育を受けた上流・中流階級の人々は、ギリシャ・ローマの神々への関心を通じて、自らの文化的優位性を主張していたという。また「大地母神」のイメージは、しばしば伝統的な女性の役割—出産や母性—を強調する形で描かれ、既存のジェンダー規範を強化する効果をもたらした。このように、当時の魔女像にはフェミニスト的観点からすると批判すべき点も多い。しかし、それまで一方的に邪悪な存在とされてきた魔女に、新たな解釈の可能性を開いたことの歴史的意義は大きい。特にミシュレが「創造的」で「夢見る存在」「賢い女性」「予言者」として魔女を描いたことは「物語」を通して一部の先進的な女性たちをエンパワーメントした。この時期に形成された「もう一つの魔女像」は、非常に複雑なものを内包しつつ、後の現代魔女術や魔女たちのアクティビズムの展開に、その多大な影響を認めることができる。

異教と民間伝承への関心

すでに触れたように、ロマン主義は産業革命による急速な工業化と都市化、そして啓蒙主義がもたらした合理主義への反動として起こったものだ。19世紀、産業革命の進展と都市化の波は、人々の不安を生み出していた。その一つが、失われゆく農村文化への郷愁であり、古代の神秘への憧憬だった。1810年には英国人口の約8割が農村部に住んでいたが、1910年までにその比率は完全に逆転し、約8割が都市部に居住するようになった。この劇的な変化は当然ながら、人々の精神生活にも大きな影響を及ぼしたといわれている。

都市化と工業化の進展は、多くの知識人たちにもまた不安と懐疑を抱かせた。彼らは、近代化による自然との乖離や、共同体の解体、そして精神性の喪失を危惧した。農村から都市への劇的な人口移動は、社会構造の根本的な変革をもたらすとともに、失われゆく農村文化への郷愁を彼らのうちに呼び起こすことになった。

この時期、農村は単なる生産の場としてではなく、安定性、信頼性、そして根源的な知恵の源泉として理想化されていった。それは都市の喧騒を離れた静謐な空間であり、永遠の価値が宿る場所と考えられた。実際、英国の文化的風土には豊かな民間伝承の蓄積が存在し、妖精譚や古い習俗の記憶は、文学作品や口承を通じて世代から世代へと継承されてきた。

これらへの関心の高まりは、急速な産業化がもたらした社会の変化に対する反動として、過去に失われた理想郷を求める文化的想像力の表れと捉えることができる。

英国ロマン派の詩人たちが好んで描いた牧歌的な風景は、そのような理想化の典型的な例だろう。このように19世紀の英国では、異教への関心が近代化への対抗軸として機能していたのである。それは失われた調和への郷愁であると同時に、新しい精神性の探求でもあった。

すでに挙げたジュール・ミシュレの『魔女』、世紀末美術における「ファム・ファタール」はこうした文脈の中で生まれてきたものだ。そして、それらが後の現代魔女文化運動に基盤を提供することになった。だが、それとは別にもう一つ、この時期に成立し、後に現代魔女文化にとって多大なインスピレーションを与えることになったある学術分野がある。文化人類学と神話研究だ。

とりわけ大きな影響力を持ったのは、19世紀の文化人類学の金字塔であるジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(1890年)と、20世紀中葉に出版されたロバート・グレイブスの『白い女神』(1948年)だろう。フレイザーは死と再生の神という主題を通じて、グレイブスは月の三相の女神という概念を通じて、後の現代魔女文化にとって重要なイメージソースを提供することとなった。

1890年の初版から1915年までの改訂を重ねる中で、フレイザーは世界中の神話や儀礼を比較研究し、その根底にある共通のパターンを見出そうとした。しかし、フレイザーの研究には当時の知識人の典型的な傾向が色濃く表れていた。スコットランド自由教会の敬虔な家庭で育ったフレイザーは、のちに信仰を失い、宗教的儀式や装飾を嫌悪する傾向を強めていった。彼は部族社会の習俗を「野蛮」という言葉で形容し、それらを人類の「幼年期」の表れとして位置づけた。フレイザーは宗教、特にキリスト教を失墜させ、理性の進歩を称揚しようとした。つまり、フレイザー自身の意図は宗教を科学的に分析し、その非合理性を暴くことにあったのだ。しかし皮肉にも、彼の著作は多くの読者に原始的なものへの官能的でロマンティックな憧れを呼び起こすこととなった。フレイザーが記述した儀式や信仰の形態は、むしろこの時代の創造的な人々に積極的に受容され、新たな異教的実践の源泉となっていったのである。

1948年に出版されたロバート・グレイブスの『白い女神』も後の魔女のイメージに大きな影響を及ぼした。グレイブスは古代ヨーロッパに、月の女神を中心とした詩的な宗教が存在したと主張した。彼の描く三相の女神—処女、母、老婆—のイメージは、後の現代魔女信仰の神学に決定的な影響を与えることとなる。グレイブスの著作は学術的な正確さよりも詩的な真実を重視したものだったが、それゆえにかえって多くの読者を虜にし、想像力を刺激した。
こうした知的潮流は、マーガレット・マレーの著作を経由することで、より直接的に後の現代魔女文化の誕生に影響を与えている。マレーは魔女裁判の記録を分析し、そこに古代からの異教信仰の生き残りを見出そうとした。特に1921年の『西欧の魔女カルト』によって打ち出された「魔女カルト理論」は、後のジェラルド・ガードナーによる現代魔女信仰の理論的基盤ともなっていくのだが、この点についてはまた追って詳述したい。

『オズの魔法使』と婦人参政権運動

ここまで見てきたように、19世紀末から20世紀初頭にかけて、魔女のイメージは大きな転換期を迎えていたのだが、その転換を象徴するような作品が1900年に出版されている。L・フランク・ボームの『オズの魔法使』だ。この作品は1939年に映画化もされ歴史に残る傑作として語り継がれている。日本人にとっても馴染み深いこの作品には、西の悪い魔女とグリンダ呼ばれる善い魔女が登場することで知られる。

この善い魔女像の背景には、ボームの義理の母であるマチルダ・ジョスリン・ゲイジの存在が影響していると言われている。ゲイジは19世紀アメリカを代表する女性解放運動家の一人であり、スーザン・B・アンソニーやエリザベス・キャディ・スタントンとともに、全米女性参政権協会の創設に携わった人物である。

ゲイジの思想は当時としては極めて急進的だった。その思想は婦人参政権の要求にとどまらず、先住民の権利擁護や政教分離の徹底、さらには教会による女性抑圧の歴史的分析にまで及んでいた。特に1893年の著書『女性、教会、そして国家』において、彼女は魔女狩りを、教会が主導した女性に対する組織的な抑圧の一形態として批判的に論じた。組織的なキリスト教が何世紀にもわたって女性を抑圧してきたという彼女の主張は、当時、他の急進的な女性たちにとっても過激なものであったという。その結果、多くの婦人参政権論者が彼女を排斥したため、その名前は長らく忘れられ、歴史から消えかかっていた。

このような革新的な思想を持つゲイジは、娘であるモードの結婚相手となったL・フランク・ボームにも影響を与えたといわれている。彼らは一緒に暮らしていた時期があった。『オズの魔法使』に登場する主人公ドロシーや、善い魔女グリンダに体現される女性の自立性や主体性は、ゲイジをモデルにして昇華させたものだといわれている。特に注目すべきは、このポップカルチャーとして大成功を収めた物語における魔女が単純に邪悪な魔女だけだとは描かれなかった点である。

女性解放活動と魔女のつながりは1960年代以降に突如として現れたものではない。実はウーマン・リヴを背景に登場したフェミニスト魔女たちの多くはゲイジを引用していた。

19世紀末には既に、ゲイジによって魔女狩りのフェミニスト的解釈が提示され、それがポップカルチャーを通じて新しい時代の魔女像の形成に影響を与えていたのである。その後もポップカルチャーには、魔女の持つ政治的・社会的な意味を考える上で、重要な示唆を与えてくれる作品が多く生み出されている。

1964年に放送が開始されたテレビドラマ『奥さまは魔女』は、この時代における魔女表象の新たな展開を示している。『奥さまは魔女』は主人公のサマンサが、魔法の力を持ちながらも「普通の」主婦として振る舞う現代的な魔女として描かれたシチュエーションコメディである。人間の男性を極端に見下しているサマンサの母、魔女エンドラの存在もサマンサの人間社会での葛藤を煽る存在として印象的である。サマンサは強力な力を持ちながらも極力それを人前で使わないように奮闘し、トラブルに巻き込まれていく。魔女であることを隠しながら主婦として生きるサマンサという人物像は、1960年代という変革期における女性の立場を象徴的に表現していたとも言えるだろう。

新しい時代の魔女たち

魔女は私たちの心の鏡のような存在だ。その時代ごとの人々の恐れと希望が、魔女という存在には投影されてきた。これまで見てきたように、魔女はまた虚実ない交ぜの存在として、人々の想像や物語の中の存在であると同時に、その幻想は現実の人々を恐怖に陥れ、実際にヨーロッパ全域で4万人から6万人もの犠牲者を出した魔女狩りという悲劇を引き起こした。中世後期から近世にかけてのヨーロッパでは、「魔女」はキリスト教の神学者や法学者によって体系化された悪魔学(デモノロジー)によって、悪魔と契約を結ぶ存在として描かれた。彼女たちは、作物を枯らしたり、天候を操ったり、家畜や人間に病をもたらし、牛の乳を盗むなど、反社会的かつ終末をもたらす危険な存在とみなされた。こうした観念は、共同体の不安や対立のスケープゴートとなった人々に投影された幻想であり、実際にそのような力を持つ者がいたわけではない。この告発の被害者には男性も子供も稀に裕福な人物も含まれていた。また、宗教的不安や社会的不信から、他のマイノリティ(宗教的異端者、ユダヤ人、ハンセン病患者など)も別の形で迫害の対象となっていた。しかし、犠牲者の多くは貧困層、特に年老いた女性であった。地域差はあるものの、犠牲者の約8割が女性であったという事実は、魔女狩りがある種のフェミサイド(女性に対する組織的な暴力)としての側面を持っていたことも示している。

このような複雑な歴史的背景を持つ「魔女」という言葉を、あえて自称する運動が20世紀半ばに現れる。「現代魔女運動」である。この運動の中心だったウイッカがイギリスで興った当初、それはヌーディズムや近代魔術復興運動との関連を持ち、また19世紀のロマン主義の影響を強く受けていた。しかし、この実践がアメリカに渡ると、社会の様々な層を巻き込みながら大きく変容していく。

20世紀後半のアメリカでは、公民権運動、女性解放運動、ゲイ解放運動、冷戦下での反核運動、公害問題、環境破壊など、様々な社会問題が次々と噴出していた。現代魔女運動はこれらの問題と絡まりあいながら、1970年代から80年代にかけては社会運動との接続を強めていく。例えば、アメリカとイギリスの反核運動では「魔女」や女神を崇拝する女性たちが軍事基地を取り囲んでウェブ(網目状のつながり)を編むという象徴的な抗議行動を行ったことも知られている。

1990年代に入ると、現代魔女文化の大衆化が進む。ハリウッド映画『The Craft』では森や海岸やウイッカの儀式を行う10代の魔女たちが描かれ、アメリカのティーンの間でウィッチクラフトの実践者を急増させている。1997年のテレビドラマ『バフィー 恋する十字架』にはウイッカのキャラクターが現れ、1998年にはサンドラ・ブロックとニコール・キッドマンが魔女を演じた映画『プラクティカル・マジック』も公開されている。さらに2009年には人気アニメ『シンプソンズ』でリサが森でウイッカの人々と出会うエピソードが制作されるなど、ウイッカはポップカルチャーの中でも徐々に認知されるようになっていった。

これまでステレオタイプの邪悪な魔女を描いてきたディズニーは、2010年代のミレ二アル世代の魔女ブームに際して、魔女の描き方を大胆に変えている。2014年公開の『マレフィセント』で『眠れる森の美女』に登場した魔女を主人公に据え、ヨーロッパの妖精信仰の文脈を再接続し、かつてフェアリーゴッドマザーと呼ばれた主人公が恐ろしい魔女になった背景を描いている。

続編となる『マレフィセント2』では、ディズニーが過去に制作した『眠れる森の美女』の物語そのものが、一種のプロパガンダだったという大胆なメタ設定が打ち出された。近年のディズニー作品に見られる自己パロディ的な手法は、ますます複雑で多層的な物語構造を取り入れるようになっている。

2022年に公開された映画『ホーカスポーカス』の続編では現代魔女文化が脚本に取り入れられ、個性的な3人の魔女たちの間のシスターフッドが強調されている。近年の注目株としては、映画監督のロバート・エガースだろう。彼は2015年の「ウィッチ」と2022年の「ノースマン」で、魔女や異教的要素をテーマに選び、そうした神話や民間信仰の題材を、細部へのこだわりと忠実な時代考証によってリアリティを構築し、驚くほど美しく幻想的な作品を生み出している。

フェミニズムの世界でも魔女への関心は高まっている。シルビア・フェデリーチは著書『キャリバンと魔女』で、資本主義の成立過程における共有地の喪失、土地の囲い込みと魔女狩りの関係を明らかにした。フランスでは女性の歴史という視点から魔女をとらえるモナ・ショレの『魔女』が注目を集めている。

魔女たちのアクティビズムは2000年代には反グローバリゼーション運動、反資本主義運動にも参加していくこととなった。1999年、シアトルで開催されたWTO(世界貿易機関)第3回閣僚会議に対し、大規模な抗議活動が起こった。これは、自由貿易による環境破壊や労働者の権利侵害、途上国への経済的圧迫に反対する市民団体や労働組合、環境保護団体などが結集したためである。1999年11月30日から12月3日にかけて開催されたこの会議では、全米及び世界中から反グローバリズムを掲げる市民団体が4万人~5万人集結し600人以上が逮捕された。経済のグローバル化が一部の大企業に利益をもたらす一方で、社会的不平等を拡大し、民主主義を脅かすとの懸念が広がったのだ。スターホークらのアフィニティ・グループ「ペイガン・クラスター」は、この大規模な抗議活動に参加し、儀式によって抗議者たちを鼓舞した。

2001年から2003年にかけては、9.11同時多発テロ後に高まった戦争への機運に対しても魔女・ペイガンたちは平和を求める声を上げた。特に2003年のイラク戦争開戦前後には、サンフランシスコのリクレイミング系魔女や「ペイガン・クラスター」がワシントンD.C.の数十万人の平和行進に参加し、太鼓やチャント(詠唱)で平和を訴えた。また、2011年の「ウォール街占拠運動」では、カリフォルニア・オークランドのゼネストでリクレイミングの魔女たちが数百人規模でスパイラルダンスの輪舞を実施し、経済的不正義への抗議に霊的エネルギーを注入した。「ペイガン・クラスター」は、世界銀行・IMF抗議(2000年ワシントンD.C.)やG8サミット抗議(2001年ジェノヴァ)など各所に現れ、歌や儀式を通じた独自の抗議文化を築いている。

さらに、ミレ二アルとZ世代では彼らの活動の仕方も多様化している。2017年、インターネットでは反ドナルド・トランプの魔女たちが儀式を呼びかけ、メディアが取り上げた。オレンジの蠟燭を立てて集団で大統領を呪う様子が広くニュースで広まり話題になった。マイケル・M・ヒューズは、『抵抗のための魔術』を執筆し、この「トランプ封印の呪文」を広めた人物として知られている。インターネットでミームマジックを行う新しい魔女たちは従来のウイッカンと異なり「何ものも傷つけない」というタブーや「3倍返しの法則」も一切気にも留めないようだ。

これには現代魔女コミュニティからも賛否両論があり議論になった。モダン・トラディーショナルウィッチクラフトの実践のガイド『境界を織る』の著者であり、民間信仰や神話から着想を得つつ、現代的な問題意識を反映した魔術を実践する魔女ラウラ・テンペスト・ザクロフは米移民税関執行局(ICE)へ抗議する活動や拘束された人々を守るための保護シジルを2018年に発表。2021年ブラック・ライブズ・マターでも抗議者たちの安全を願う魔女たちによって広く拡散された。2025年現在もLAでICEへの大規模な抗議活動が起こっており、再度このシジルがネット上で拡散されている。2025年にロシアがウクライナに侵攻した際は#Hexputinとういうタグが登場。今度はプーチンが呪われた。TikTokのハッシュタグ#WitchTokでは若者たちがプーチンへと向けた様々なスペルをポストして大変な人気を博した。

2022年12月のWカップではアルゼンチンを応援する魔女たちがリオネル・メッシを守るためにネットで呼びかけ1000人以上が協力したとも噂される。その甲斐あってアルゼンチンはフランスに見事勝利している。

インターネット上では、こうした魔術的な行為がミームとして拡散され、「マジカル・レジスタンス」と呼ばれる現象として注目を集めている。確かに、そうSNSを通じて魔女たちの活動が可視化されるのは興味深い現象だが、それは現代魔女文化のごく表面的な一部に過ぎない。
私の周囲を見渡す限りでも、気候変動や環境破壊への深い危機感を抱き、脱植民地主義に関心を寄せる魔女たちが多く存在している。彼らはSNSには映らない場所で、地道に儀式を行い、活動家たちのネットワークを築き、資金を集めながら、芸術とスピリチュアリティとアクティビズムを結びつける非常に実践的な取り組みを行っている。

また近年、クィアの魔女たちが自身の実践を出版するなどして、ウイッカとは違う現代魔女の流れが多く見られるようになり、彼らの実践がますます多様化しているのも興味深い。私の周りにもクィアの魔女が非常に多い。アメリカにはもともとクィアの現代魔女たちの歴史があり、クィアであるということ自体が、現代社会において「悪魔化」され、差別や排除の対象となることすらある。今日において「魔女」はもはや女性だけの問題ではなく、むしろあらゆる周縁化された人々の象徴、貧者、そして声なき声、人間以外の声を聞く者として再解釈されつつあるのだ。時代の中心が変化すれば、魔女もまた変化して当然だ。魔女はすみっこにいて、いつの時代も時代に逆らって飛ぶ、境界線から飛び出るパンクなのだ。

私には沢山の魔女の先生がいるが、そのうち最も信頼するクィアの魔女術の実践者であるフィオのウィッチクラフトの定義を引用したい。
「(ウィッチクラフトとは)帝国によって認められていない妖術とスピリットワークであり、それはしばしば逸脱的である。」

魔女は私たちの心の鏡のような存在だ。今日、「魔女」という鏡は、ジェンダー、環境問題、植民地主義、資本主義など、現代社会が直面している様々な問題について、人々に再考を迫っている。それこそ私が「魔女」が面白いと思う理由だ。

(次回へつづく)


第4回・第5回 参考文献&資料
ミシュレ『魔女』上(篠田浩一郎訳、岩波書店、2004年)
ミシュレ『魔女』下(篠田浩一郎訳、岩波書店、2004年)
サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー『図説 金枝篇』(メアリー・ダグラス監修、サビーヌ・マコーマック編集、内田昭一郎・吉岡晶子訳、東京書籍、1994年)
カルロ・ギンズブルグ『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』(竹山博英訳、せりか書房、1986年)
カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史 サバトの解読』(竹山博英訳、せりか書房、1992年)
キース・トマス『宗教と魔術の衰退』(荒木正純訳、法政大学出版局、1993年)
マーゴット・アドラー『月神降臨』(江口之隆訳、秋端 勉 監修、国書刊行会、2003年)
田中雅志『魔女の誕生と衰退 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(三交社、2008年)
シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女――資本主義に抗する女性の身体』(小田原琳・後藤あゆみ訳、以文社、2017年)
「近代における魔女神話――ロマン主義からフェミニズムまで」(「思想」2018年1月号、岩波書店、2018年)
ノーマン・コーン『新版 魔女狩りの社会史』(山本通訳、筑摩書房、2021年)
高島葉子『畏怖すべき女神の源流 最果ての妖婆たち 山姥とハッグ妖精』(三弥井書店、2021年)
モナ・ショレ『魔女――女性たちの不屈の力』(いぶきけい訳、国書刊行会、2022年)
イーサン・ドイル・ホワイト『Pagans 多神教表象大全』(河西瑛里子日本語版監修・訳、定木大介訳、東京書籍、2024年)
Ronald Hutton『The Triumph of the Moon: A History of Modern Pagan Witchcraft』(Oxford University Press、1999年)
Ronald Hutton『The Witch: A History of Fear, from Ancient Times to the Present』(Yale University Press、2017年)
Owen Davies. 『Popular Magic: Cunning-folk in English History.』 Hambledon Continuum, 2007.
Kristen J. Sollee. 『Witches, Sluts, Feminists: Conjuring the Sex Positive.』 ThreeL Media, 2017. 
Michael M. Hughes.『 Magic for the Resistance: Rituals and Spells for Change.』 Llewellyn Publications, 2018. 
Laura Tempest Zakroff『Sigil To Protect Protesters & Those Detained by ICE』(Patheos, The Tempest blog, 2018年7月6日)
Ethan Doyle White, Wicca: History, Belief, and Community in Modern Pagan Witchcraft (Sussex Academic Press, 2015)
The Craft(アンドリュー・フレミング監督、コロンビア・ピクチャーズ、1996年)
シンプソンズ(アニメーション・シリーズ、1989年〜)
プラクティカル・マジック(グリフィン・ダン監督、ワーナー・ブラザース、1998年)
マレフィセント(ロバート・ストロンバーグ監督、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、2014年)
マレフィセント2(ヨアヒム・ローニング監督、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、2019年)
ホーカス ポーカス(ケニー・オルテガ監督、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、1993年)
ホーカスポーカス 2(アン・フレッチャー監督、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、2022年)
ウィッチ(ロバート・エガース監督、A24、2015年)
ノースマン 導かれし復讐者(ロバート・エガース監督、フォーカス・フィーチャーズ、2022年)
バフィー 〜恋する十字架〜(ジョス・ウィードン製作・監督・脚本、1997-2003年、全7シーズン)



 第4回
現代魔女

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。

プロフィール

円香

まどか 

現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。

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