江戸時代の京の画家、長沢蘆雪の展覧会が府中市美術館で開かれ、連日多くの人が詰めかけている。企画したのは、同館学芸員で20年以上続く展覧会「春の江戸絵画まつり」を担当し、ユニークな視点から近年の江戸絵画ブームを牽引してきた金子信久氏。「かわいい」という視点で長沢蘆雪を捉え直す試みと、これまでの「江戸絵画まつり」にかけた思いについて語っていただいた。
※①~⑮の番号を振った掲載作品はすべて展覧会出品作。展示期間は前期が~4/12、後期が4/14~5/10。【参考作品】は非出品作。
取材・構成/新書編集部

「かわいいもの描き」としての長沢蘆雪
――府中市美術館の「春の江戸絵画まつり」(以下、江戸絵画まつり)は、館の看板とも言える人気の展覧会ですが、今年の「長沢蘆雪」展が最後とのこと。長沢蘆雪(1754~1799)は、21世紀に入ってから、伊藤若冲らとともに「奇想の画家」として注目されてきた存在です。今回の展覧会では、「かわいい」がテーマとなっているのが新しいですね。
金子信久(以下、金子) 今の日本美術の「奇想ブーム」のきっかけとなった辻惟雄先生の『奇想の系譜』(1970年刊)はとてもすばらしい本で、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪らが18世紀京画壇の「奇想の三羽烏」のように取り上げられていました。ただ、私がこれまで蘆雪の展覧会を見て思ったこととしては、蘆雪は「奇想」というにはちょっと弱いんですよね。
――その点は、『奇想の系譜』刊行当時から辻先生も自覚的でした。1980年代以降に提唱された日本美術の3つの特質のうち、「あそび」「アニミズム」あたりが蘆雪にはしっくりくるように思いますが、「奇想」の方が一般的にはキャッチーなんでしょうね。
金子 今や「奇想」という言葉がものすごく大きくなってしまったけれど、辻先生が1968年に『美術手帖』で連載を始められた時には、あくまで一般的な言葉として捉えておられたはずです。それがいつの間にか巨大化して、まるで流派みたいなイメージにまでなってしまって、ちょっと当惑されている部分もあるんじゃないかと思いますね。
それで、蘆雪のどのあたりが「奇想」かというと、後期展示の無量寺の「虎図襖」の虎(図⑭)がびっくりするくらいの大きさであるとか、出品作ではありませんが厳島神社の「山姥図」がグロテスクで不気味だとか、だいたいそのあたりなんです。でも、蘆雪の作品をいっぱい見ていくと、決してそういうものばかりではありません。
「蘆雪は円山応挙の弟子で、最初は応挙風に描いていたけれども、その殻を破って奇想に走った」という今までの語られ方も、ちょっと違うんじゃないかな、と。蘆雪は応挙とは違う根っこを持っていて、禅僧であったり、当時の文人(中国の古典に精通し、詩作や書画に秀でた知識人)、特に大きいのは皆川淇園という儒者の存在ですが、そういう人たちとの交流が作風に影響していると思います。
――蘆雪は職業的な画家でありつつ、当時の知識人たちとの浅からぬ付き合いがうかがえるわけですか。
金子 そうなんです。そうやって見ていくと、晩年まで手がけていた応挙風の作品も素晴らしいし、もっと崩して描いたかわいい絵もたくさんある。まさにつかみどころがないくらいいろんなものを描いた、それこそが蘆雪なのかなという気がしますね。
――展覧会は、前期と後期でほぼ総入れ替えの構成になっています。前期は「子犬」がたくさん登場しますが、これがまさに「かわいい子犬」という応挙の型に学びつつ、蘆雪らしさを加えた「かわいい」になっていきますね。


金子 よく見比べると、蘆雪の子犬は最初からちょっと漫画チックになっていますよね。応挙のオリジナルは、あくまで淡い絵の具を少しずつ重ねていって、ボリューム感を出しています。あまり線的な印象はありません。一方、蘆雪はまずモチーフの形を線できちっと押さえて、その中を、濃淡をつけて塗っていくという感じです。
――目元や口元は、よりメリハリが効いています。だんだん締まりのない描き方になってくると、正面顔のマズルは円状で表され、「へ」みたいなクセのある輪郭線が目立ってきます。新発見の作品③では、「やだやだ」とこちらを見る子犬の姿が可笑しいです。

金子 この子犬をSNSでうまく表現する人がいて、一部では「予防接種犬」と呼ばれています(笑)。
――そんな犬の姿をゆるい線で大づかみに描いていて、絵全体としても線の主張が強めです。
金子 蘆雪は線が好きで、線に対する意識が強いんでしょう。でも、奔放で無造作な感じに見せつつも、しっかり形は押さえなきゃいけない。犬に見えなければ、絵としては成立しないですから。
――くずし具合も腕の見せどころということですね。「くーたくん」として酒田市の本間美術館の人気者になったわんこになると、ゆるキャラみたいです。

金子 一番ゆるい、脱力系ですね。ちょっとありえないです。応挙が見たら怒るんじゃないかと思うんですけど(笑)。
――「思いのほか柔らかさが出ていてよろしい」となるかもしれません。珍しいポーズなので、形のとり方は、案外、慎重なのかなとも思いました。
金子 なるほど。この絵では、朱墨も使われているんですよね。上の方は普通の墨だけど、体の下の方は墨に少し朱を混ぜて描いている。蘆雪はけっこう朱墨を使うんですよ。確かに、すごくゆるく見える絵だからといって、何も考えないで描いているわけじゃないんです(笑)。
――朱が加わることで、カラー寄りに見えることを狙ったのでしょうか?
金子 そういう面はあるでしょうね。江戸時代の画家たち全般に言えることですが、墨の色に対する感覚が非常に鋭敏です。前期に展示している蘆雪の朧月の絵がありますが、これが見るたび色が違うんです。おそらく少し藍を混ぜているんだと思いますが、墨の中にも青っぽく見える「青墨」というのもあるにはあって、墨一色なのかどうか何度見てもわからない。それだけ繊細なんですね。
――もうひとつ線ということでは、蘆雪は絵に合わせて落款(サイン)を入れている感じがします。曲線が多めの「くーたくん」の場合は、へろへろと。
金子 円山応挙の落款はほとんどが真面目な楷書ですが、基本、絵描きはそうでした。中国から伝わった文人画のスタイルで描く池大雅(1723~1776、図⑥)のような人が出てきてはじめて、おかしな落款が登場します。この扇面の落款は、大雅寄りとも言えますね。
――そして、展覧会のキービジュアルにもなっている「菊花子犬図」は、ころころ・もふもふの世界です。

金子 これは2019年春の「へそまがり日本美術」で初めて展示した作品ですが、最初に見た時、あまりにきれいでびっくりしました。絹地に描かれていて、墨色も丁寧に選んでいてとてもきれいなんです。画面の上側には薄墨を刷いていて、黄色と白の菊、葉の緑が点じられています。田んぼの畔道に咲いているような菊ってまさにこんな感じですよね。
――斜めに伸びていくような枝ぶりで、小花が宙に浮かぶような……。
金子 主役の犬には茶色と墨しか使っていないんですけど、菊の存在がしゃれていて効果的ですね。この絵はもうすっかり蘆雪の代表作になりました。
――吊り上がった線目の犬もかわいいですね。ひとつ気になるのは、こういうかわいい絵を江戸時代の人たちはどう見ていたか、ということです。今の私たちは動物のSNS動画を見るように眺めてしまいますが、わざわざ床の間に飾るくらいなので、何か意識が違ったのでしょうか? それとも素直にかわいいものとして愛でていたのでしょうか?
金子 かわいいものとして楽しんでいたと思いますよ。当時、どのくらいの庶民まで掛け軸を楽しんでいたかというのは私も知りたいのですが、なかなか手がかりがないんです。
――やはり、一定の財力のある町人や豪農あたりですか?
金子 でしょうね。とはいえ、応挙の絵などは画料が高いので普通の町人ではなかなか買えません。でも、蘆雪の場合は「これはちょっと……」という絵もあって、とにかくものがいっぱい残っているんです。ということは、それだけ多くの需要があったということなんだろうと。ですから、応挙にとっての三井家のような特別な富裕層だけじゃなくて、かなり大勢の人たちが掛け軸を楽しんでいたんだろうと思います。
有名な『東海道中膝栗毛』の中にも、弥次喜多の二人が立ち寄った茶屋の床に鯉の滝登りの掛け軸が飾られている場面があります。それを見て、喜多さんが「鮒が素麺食ってるのかと思った」と言うのですが、そういう庶民が立ち寄る場所にも、掛け軸はかかっていたんじゃないかと考えられます。
幅広い層の人たちが掛け軸を飾って楽しんでいたんだろうという状況証拠としては、江戸時代の掛け軸には表具が粗末なものも多いんですよ。表具にまでお金をかけると高価になってしまうので、やはりそれよりは数を作ることが優先されていたのでしょう。
「文人」と「禅」というバックグラウンド
――蘆雪は旅をよくしたので、出向いた先で、ささっと描いたりもしたんでしょうか?
金子 それもありますね。蘆雪は応挙と違って文人的な面が強いので、念入りなものだけじゃなく、ささっと表現することの価値を自覚していたと思います。
――「文人画」というのは、絵を生業とする職業画家的な技巧を離れて、ラフであったり拙い表現に俗世を離れた清らかな境地を求めるタイプの絵ですね。そういうものが中国から伝わってきて、18世紀の京画壇でもそれに倣う人物が出てきたわけですが、仲間内で集まってその場で描くとか、宴席で気が乗ったから描くといった、即興的な面が強かったのでしょうか?
金子 文人画において即興性はひとつの大事なポイントです。展覧会の冒頭で展示している「松鶴図」(前期・後期展示)は、「東山新書画展観」の時の寄合書きという可能性もあります。皆で集まって何かする、というのが好きなんですよね。そして、文人画は心の問題が大きいので、絵を念入りに作り込むことよりも、誰が描いたかというのが大事ですから、一般的な絵画の上手い・下手とはまた別の価値観の世界でした。
――立派な人物、知識人の描いたものだからいい、という価値基準ですか?
金子 そうです。文人の世界では、書は絵よりもっとさかんです。それはプロの書家ではなく、学者とか知識人といった人たちが書くわけです。だから、技術的な面よりも誰が書いたものかというのが非常に重要になってきます。

文人画は19世紀に入ると一般化するんですけど、蘆雪が生きていた時代には、まだそれほどさかんではありませんでした。18世紀の『平安人物志』(※京の文化人の人名録)を見ても、文人画家で名前が出てくるのは、池大雅と与謝蕪村くらいですよ。ところが文政年間、1820年代に入ると、『平安人物志』は「画家の部」から「文人画」を独立させるんです。それだけ、文人画が「売り絵」のジャンルとして確立したわけですね。そこまでになってしまったら、文人画というのは描き手の心の問題ではなく、スタイルの問題になってくるんだろうなと。こざっぱりして清らかな感じがするもの、それが文人画として楽しまれる時代になったということです。
蘆雪が活動したのはそれよりも前の時代なので、本当に学者たちと交わって、文人たちが漢詩を作り、書を書きっていう中にも加わっていたんじゃないでしょうか。皆川淇園というすごい儒者がいて、この人と芦雪は非常に強い結びつきがありました。蘆雪がささっと描いた絵に淇園が賛をつけたものは今でもいっぱい出てきますね。
――職業画家・応挙のやんちゃな弟子というだけでは、そういうところに入っていけない気がしますね。
金子 そうです。文人画プラス禅。蘆雪の場合、このふたつが大事なのかなと思います。禅僧との合作でも、かなり面白いものを作ったりしているので、それは単に交流がありました、というのではなくて、むずかしい禅の世界のお坊さんをちゃんと相手にできるわけですから、応挙以上だと思いますね。精神というか思想というか、そういうところでの交わりがなければ、あのような作品は描かないと思うんです。ラフで大胆な描き方についても、白隠(1685~1768)などの禅僧が描いた禅画から、影響を受けています。

意外にも学究肌。温故知新でユニークな絵をめざす
金子 そして、蘆雪は研究熱心です。たとえば、江戸時代の蓬莱山の絵って、普通の山水画なんですよ。そこに鶴を飛ばせば蓬莱山になる、みたいな(笑)。それが、蘆雪の場合はまったく他にない蓬莱山の作り方をしています。
――不思議の島、みたいな感じの描写をしていますね。
金子 砂浜がぴぴぴと白い小さな点々で表されて輝くようだったり、亀が上陸していたり、鶴の上に仙人が乗って飛んでいたりと、そんな絵は江戸時代に他にないんですが、平安時代の歌集『梁塵秘抄』に似たような記述があるんです。蘆雪は、そうやって原典までさかのぼって、それでもって新しい図柄を作るようなところがあったのかもしれません。
――他にもそういう例があるのでしょうか?
金子 応挙譲りの定番画題の「郭子儀図」もそうです。郭子儀は唐時代の軍人で、家が繁栄して孫が数十人もいたので、江戸時代には縁起ものとしてたくさん絵が描かれたんですが、たいていはおじいちゃんの郭子儀がぽつんといて、20人に満たないくらいの子どもと孫が周りにいるという描写です。ところが蘆雪のこの絵の場合、孫が何十人と出てきます。

――孫、大増殖!みたいな描写です(笑)。
金子 しかも、最前列にいる子供の前に札がいくつか落ちていて、おそらくそれは名札なんですよ。『新唐書』という中国の書物に、こんなことが書いてあります。郭子儀は孫が大勢いすぎて覚えられず、挨拶に来られても区別がつかないので、ただうなずくだけだった、と。
応挙も郭子儀を描いていますが、蘆雪は先生の型通りに写すのではなく、原典を研究してそれをふまえた上で、どこにもない斬新な作品にしています。よくある定番の画題であっても、インテリジェンスのあるアプローチをしたということですね。
――ただ、そこでインテリらしくまとめるのではなく、「おそ松くん」みたいな世界に飛ぶんですね。
金子 そうそう、根っこでは禅的であったり、文人的で学究肌なんだけど、やはりそれを面白さまで持っていっちゃうというのがすごいですよね(笑)。
――応挙の郭子儀と違って、表情が渋い理由もわかった気がしました(笑)。前期の出品作では、子どもたちが寄ってたかって、おじいさんの頭の上に石を積んでいる絵も気になりました。初めて見た画題です。

金子 「郝大通図」ですね。私も他に作品として描かれた例を見たことがないです。版本の中に小さい図では出てくるんですけど。昔の中国で郝大通という人が座っていると、子どもたちがその頭の上に小石で塔を作り始め、「動かないでね」と言われたまま6年もじっとしていたそうです。この作品も、真面目に研究して、子どものかわいらしさを絵にしている例ですね。蘆雪は真面目に立派な絵を描くだけじゃなくて、終着点がおもしろい。そこのところが大事かな、と。
子犬の絵に関しても、応挙風に描いた初期の絵もありますけど、蘆雪は結局それを思いっきりくずしちゃうじゃないですか。そのくずし方に、私は昭和40年代の赤塚不二夫のギャグ漫画の作風を思い出すんですよね。赤塚不二夫の漫画は、TVアニメになると穏やかになるんですけど、原作はかなりはち切れているんですよ。蘆雪の描き方というのは、それくらいのはち切れ方をして、それでもって人を笑わせるところがあると思います。
考えてみると、近代の日本は、明治時代に西洋の絵画を本格的に受け入れて、どんな美術をやる人でも、西洋式のデッサンをやるようになりましたよね。それが基礎だっていう時代が長く続いたけれど、昭和の後半になって、さっきの赤塚不二夫じゃないですけど、それをぶち壊すような絵の面白さが出てきます。蘆雪の場合、応挙がかっちり描くという写実的な描き方を確立して、それをいったんは丸呑みするんだけど、すぐさま赤塚不二夫にしちゃうという、近代日本が何十年とかかった歴史をその二人の間だけでやってしまったような感じがします。
蘆雪の「奇想」もまた、古典研究の証?
――蘆雪はとんでもない瞬発力と爆発力をもっていたんですね。
金子 そうですね。そういう発想には、禅の後押しもあったと思います。それと、蘆雪が「奇想」と言われてきたことに関しては、辻先生の鋭い感覚的な捉え方があったと思うんですが、中国には昔から「奇想の画家」がいっぱいいるんですよ。奇抜なふるまいをした画人伝みたいなものがたくさん残っています。画家の作風にそうした奇抜さが結びつけられて、造形としての奇想の手法みたいなものもあるわけです。
おそらく蘆雪が知っていただろうと思うのは、郭忠恕という北宋時代の画家のエピソードです。濃い墨を絹にぶちまけてから水で洗って、残ったにじみに合わせて描いて山水画にしたとか、巻物にする長い絵絹の端に凧を上げる子供を描き、そこからひょろひょろっと数メートルの長い線を引いて、もう一方の端に凧を描いて「凧揚げをしている図」にしたら、注文主が怒っちゃったとか。
そういう中国の画人伝は江戸時代の日本でもたくさん知られていたわけで、「奇想」というと、自分の中から湧き出てきた生来のものという感じがするんですけど、江戸時代の画家たちが中国の奇人のあり方とか表現手法を真似るところは絶対あったと思いますね。
――実際、蘆雪にも墨をぶちまけたような絵がありますし、似たようなエピソードも残っています。
金子 そうなんです。以前から、蘆雪は郭忠恕あたりの奇想を意識しているんだろうなと思っていたんですよ。そうしたら最近、皆川淇園の描いた「凧揚げ図」を写した作品が出てきまして、そこに淇園自身の賛があって、郭忠恕に倣ったという意味のことが書いてあるんです。
――非常に親しい間柄の淇園が知っていたのであれば、蘆雪も共有していた可能性が高いだろう、と。
金子 そういうことです。展覧会では後期に展示されますが、蘆雪にも、朝顔の蔓を大画面にひょろーっと描いた襖絵があるんですよ。それが、私の中で結びつきましたね。あんなひょろっとした一本の線だけで幅6メートルもある襖の絵にしてしまうというのは、やはり「奇想」ですよ。

――それはスタイルとして、意識しているわけですか?
金子 ええ。そういう意味では、私は、蘆雪は「奇想」というよりも「かわいい」だと言ってはいますけど、中国の「奇想」というジャンルを写している面もあるにはあるんです。
――きっと両方なんでしょうね。蘆雪は画面の端に小さなカエルを添えています。この二匹ともが静止していたら絵としては白けてしまいそうですが、一匹が体をひねるようにぐいっと石によじ登ろうとしていることで、画面に一瞬のリアリティとかわいらしさが生まれているように思います。

金子 おっしゃる通り、ぬめっとしたカエルが後ろ脚をゆっくり動かしている感じがよく出ています。応挙譲りなのかもしれないですが、蘆雪も、動物のどのポーズ、どの瞬間を捉えて描くかというのが非常に上手い。子犬を群れで描く場合も、一匹一匹が今何をしているところかというのをすごくおもしろく見せていますよね。写真がなかった時代にあんな風に描くのは、決して簡単なことではないと思います。
――岩や大気を描く場合の、墨をにじまるせる手法も攻めていますね。にじみをコントロールするギリギリの感覚をつかむためには、相当、実験をしないとむずかしいはずです。そこまでの技術を応挙が教えてくれていたのなら、すごいことですが。
金子 どうなんでしょうね。応挙が蘆雪から影響を受けている部分もあるかもしれないですよ。応挙の絵でも、絵の端っこにモチーフを思いっきり寄せて描かれていたりすると、ちょっと蘆雪っぽいなと思うことがあります。「蘆雪は応挙から四回破門された」という事実かどうかわからない話がよく好まれますが、兵庫県の大乗寺の障壁画で、蘆雪は蘆雪のスタイルで描いていますよね。応挙が蘆雪のことを認めていなければ、あんなことはできないと思います。二人の関係をいろいろ想像するとおもしろいですね。
プロフィール

かねこ のぶひさ
1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。福島県立博物館などを経て、府中市美術館学芸員。専門は江戸時代絵画史。府中市美術館でシリーズ化した「春の江戸絵画まつり」として、「動物絵画の100年」「かわいい江戸絵画」「へそまがり日本美術」「リアル 最大の奇抜」「ふつうの系譜」「江戸絵画お絵かき教室」など、子どもから美術ファンまで楽しめる展覧会を多数企画。『もっと知りたい長沢蘆雪』『もっと知りたい司馬江漢と亜欧堂田善』『日本の動物絵画史』など著書多数。


金子信久






佐田尾信作×前田啓介
高畑鍬名×伊賀大介

田村正資