文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。
【前回までのバイブス人類学】
文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリと父ハリシュのサロヤ家に住み、娘のミナクシとラヴィーナとともに路上商をしながら暮らす。優希乃は、ときに価値観や文化の違いによりぶつかり、ときに娘のミナクシとその恋人のヨギーシュの行く末を見守りながら、インドでの生活に深く入り込んでいった。
「家族の一員」
2018年1月、私はやっとの思いで修士論文を書き上げた。そしてこれで「フィールドワーク」という名目でのインドへの渡航は終わった。しかし、サロヤ家との繋がりがこれで終わるはずはない。
3ヶ月後、アマルジートが結婚したので、すぐにインドに行った。ずっと付き合っていた彼女・カジャルと恋愛結婚をしたのだ。婚礼の儀礼では豪華に装飾された馬に乗って花嫁を迎えにいくアマルジートを眩しい気持ちで見ていた。本当に、よかったね。
そしてアマルジートが恋愛結婚できるなら、ミナクシも……?という希望もあらためて浮かび上がってきた。
アマルジートの結婚式のあと、両家の親睦を深めるためにヴァイシュノ・デービーというヒンドゥー教の聖地にみんなで行くということになった。合同家族旅行である。
ミナクシに「ユキノも行くよね?」と聞かれた。両家のイベントなのにお邪魔じゃないかな、あとはみんなで旅行とか全然想像がつかない、と少し心配になり「私も行っていいの?」と聞いたら「何を言ってるんだ、当たり前だよ、ユキノも『家族の一員』じゃん!」と言ってくれた。
実は、あんなに儲けを気にしていたマンジュリは、一緒に暮らしているあいだ、私から生活費を1ルピーも受け取らなかった。そして、ことあるごとに、「私の娘」というふうに言ってくれていた。素直に嬉しかった。「ゲスト」として特別扱いされないからこそ、寝込んだ時にスパイスお粥を作ってくれたり、トコジラミに刺された時には目にジャガイモの汁を流し込まれたりと大変なこともたくさんあったが、それが「家族の一員」として扱われているということなのかもしれない。つらかったけど。
ヴァイシュノ・デービーへはサロヤ家メンバー、アマルジートの妻のカジャルと両親、弟のアビシェク、そして私という大所帯で向かうことになった。
「列車の旅」
2018年4月24日、いざ合同家族旅行の日。
ヴァイシュノ・デービーへは近所の駅からニューデリー駅へ向かい、ニューデリー駅から寝台列車に乗るというルートだった。ニューデリー駅方面に行くのにメトロはよく使っていたけれど、列車で行くのは新鮮だった。鉄格子の窓が、さながらインド映画みたいだ。
ニューデリー駅でカジャルの両親と弟と合流し、メンバーが揃った。早めに駅に着いたのでしばらく待つことになったのだが、駅のホームに待つ人用のピクニックシートを売り歩いている人がいた。電車の遅延がこの人たちのビジネスチャンスになるなんてたくましいなあ、と思いながらシートをよく見ると、犬の餌のパッケージの連なったものだ!餌工場から使わないパッケージを仕入れてきたのか、ナイスアイデアすぎる。一気に欲しくなってしまった。欲しい欲しい、と私がいうので売り子さんをマンジュリが呼び止めてくれた。10ルピーか20ルピー、とにかく安かった。面白いものを買えて嬉しい。みんな「なんであんなのが欲しいんだろう?」と思いながらも面白がって「すごくいいものが買えたね!」と笑いながら言ってくれた。
買ったばかりのシートに座って待っていると案外すぐに電車が来てしまった。シートを急いでたたみ、列車に飛び乗る。列車の中から鉄格子越しに見るニューデリー駅のホームは、いろんな人が寝っ転がっていて、人生って感じがした。
出発してからも、停車駅のたびに列車には物売りの人々がたくさん乗り込んでくる。膝掛けをたくさん持ってきた商人がいて、ママたちは大盛り上がりだった。
あまり持ち物を増やしたくなかったのだが、「ヴァイシュノ・デービーは寒いから絶対ユキノも買っておくべきだよ!」と言われ、100ルピーで購入した膝掛けは大判で、良い買い物だった。
壁に張り付いているベッドを下げ、誰が2段目に寝るかという会議を経て寝る体制になった。みんなで移動して列車に乗るだけで大イベントだったので意外と疲れていた。列車の揺れと音が心地よく、気がついたら寝ていた。
朝になると、「チャーイチャーイチャーイ」とチャイワーラー(チャイの売り子)が座席をまわる。この声で目覚めるのは気分がいい。溶けそうな薄いプラカップに入った熱々のチャイを飲む。寝起きのチャイは本当に美味しい。ああ、列車の旅だとじんわり嬉しくなる。マンジュリが私の分もチャイを買ってくれた。
これまでは1人でインドの寝台列車に乗って旅をしてきたけれど、家族旅行となるとベッドを上げ下げするだけでワクワクしたり、普段買わないようなものを買ってみたりするもんなんだな。



「装飾馬へのあこがれ」
朝、カトラ駅で下車した。ヴァイシュノ・デービーの最寄り駅である。たくさんの人が一気に下車し、みんなが目指す聖地なんだなと感じる。
まずは巡礼者向けの休憩どころで少し休んで着替えることになった。
この時点で、列車の中のワクワク感は消え、すでに旅行に疲れていた。列車の旅を経て、みなどこに行くのかわからないのでとりあえずハリシュについていく。しかし、ハリシュもおそらく行き当たりばったりで物事を決めていた。一つ目の休憩所で休むと思ったら違う休憩所に移動し、ここで荷物を預けよう、いやまだ持っていよう、など混乱が生じている。そしてふと目をやると、ミナクシが私の携帯で自撮りをしまくっている。確認したら、角度を変えた同じような自撮りが50枚以上入っていた。そしていつものことだが、家族の間で常に小さな言い争いが起こっている。デリカシーのない発言をする者、ジョークがキツすぎて非難される者……カオス。すでにメンタルがやられている。家族、まじだるい。
どうにかみな着替え、クロークに荷物を預け、近くの食堂でご飯を食べて、いざ巡礼の道へ。入り口は美しい白いゲートで、やっぱりたくさんの人がいた。
巡礼コースは山の上の寺まで13キロの舗装された急勾配を歩く、というものだ。標高5200mの場所にある寺院を目指すのだ。
みんなで歩き始めたのだが、序盤からだいぶキツい。道がコンクリート舗装されアーケード街のように屋根がついているから山歩きのような楽しさもあまりなく、落下防止のためにフェンスが張り巡らされていて景色が見えづらい。ただただ急な坂道を歩く。
天気に左右されないようアーケード式、そして安全第一でフェンスを設置、というのは巡礼の遂行のためにはベストな策かもしれない。でもやっぱりただただ歩くのはつまらない。加えて、大所帯の家族旅行のカオスというのは精神的にも疲労が溜まってくる。来たばっかりなのに、早く帰りたい。途中、商店街のようなものが現れるのだが、軒先のスナックやギフトショップをチラ見しながら歩くことに楽しみを見出すようになってきた。
シャンシャンシャンと隣を装飾された馬とそれに乗ったおばさん、そして見守り役が駆けてゆく。お金を払えば、装飾された馬に乗って上の寺まで行けるのだ。少し疲れているのもあり、「装飾された馬に乗る」というイベントが眩しく見える。するとママも同じように思っていたようで、馬係の人に値段を聞きに行った。すると、みんなが「巡礼だから、きちんと歩かないと」と反対する。みんな馬には乗りたいけど、我慢しているのだ。装飾馬、いいなあ……。
装飾馬に乗れなかったことをとても残念に思いながら歩き続けると、今度は太鼓の楽隊がやってきた。普段なら楽隊だ、最高!となるのに、肉体的にも精神的にも疲れている今は踊る気には全くなれない……。ほんと無理……。お構いなしに楽隊が太鼓を鳴らす。すると、みんなも疲れているはずなのに、しっかり踊るのだ。「ユキノも踊りな!」と手を引っ張られたので、「私は動画を撮るから!」と踊ることから逃れた。ノリが悪くてごめん。ちょっと反省して、次に楽隊が来たときには踊った。楽隊タイムはとくにカジャルのお父さんがノリノリで踊るので、みんな一気に彼のことが大好きになった。カジャルの弟のアビシェクは日本が大好きらしく、ドラえもんの「のび太」っていうあだ名がついているんだ、と教えてくれた。温厚なアビシェクのことも、みんなすぐに大好きになった。こんなに疲れているのに、ずっといいやつですごい。
辛いことを一緒に乗り越えると絆が生まれるとかいうけれど、つらい巡礼で両家の親睦がなんだかんだでだいぶ深まっている。まったくの他人であった「家族」と「家族」の連結を成功させるには、巡礼っていうのはもしかしたら最適解なのかもしれない……。


「心が折れました」
夜になってやっと、目的の寺院の近くに着いた。心身ともにへとへとである。巡礼者用の共同宿泊所に泊まった。トイレに行くと、水洗トイレなのに、水が流れない。そして汚水が溢れ出していて、床がびしょびしょで、よく見たら人糞が落ちている……!ヒィ!
数々の汚いトイレに出会ってきたが、ここが最汚である。世界一です、おめでとうございます。普通に心が折れた。インド中から人々が祈りを捧げにやってくるのだからしょうがないと自らに言い聞かせても、キツいものはキツい。しかもビーサンだから、人糞がしみた水が足にあと数mmで到達する。高下駄が欲しい。心が死にかけたまま宿泊する部屋に帰った。
共同宿泊所は集まった人がみんなでベッド、というか板の上にごろ寝する感じだった。備え付けの毛布もまったく信用できない。絶対にトコジラミがいるに違いない。
「私は毛布使わない」というと、マンジュリにもミナクシにも、パパにすら「寒いから絶対に使え」と言われた。疑いながら、なるべく身体に触れないように服でガードしながらその毛布をかけて眠りに落ちた。翌朝、まんまとダニだかトコジラミだかに刺されていた。かゆい。悔しい。みんなはまったく刺されていなくて、ずるい。私一人で痒がっていて、全然共感してもらえない。過酷だ。でも多分、こんなに辛がっているのは私一人だ。それがまた辛い。早く日本に帰りたい。でも、家族旅行だから帰れない……。
寺院で祈りを捧げ、また歩きだした。もう下山するのかと思ったら、巡礼の道をさらに歩きもう1泊するらしい。もう無理、早く帰りたい。

「神様、マンジュリ様」
山の上での2泊目を終えた。2泊目は前日よりもきれいな宿泊所に泊まり、朝美しい山も見えていい感じだ。みんなで記念写真を撮ったりして、下山することになった。昨日よりはマシだが、精神も肉体も過酷すぎて、早く帰りたいモードは続いていた。一人旅なら、家族喧嘩もなく、もっと楽だったのに。最初の列車の旅のワクワクが懐かしい。家族で行動するというのはやはりストレスが多い。
マンジュリは普段からまったく空気を読まず自分の言いたいことだけ言って一人で爆笑していることが多いのだが、この家族旅行でもそれが炸裂していた。そのマンジュリの才能は誰かの怒りに火をつけることもあれば、イラついている人をいい意味で呆れさせ、空気を変える救いにもなったりもする。
下山中、急勾配を下っているとマッサージチェアが置いてある店があった。マンジュリが見えなくなったと思ったら、マッサージチェアにまっしぐらに向かって、すでに座っていた。カジャルのお母さんも巻き込み、マッサージを受けるマンジュリ。どんな時にも、マンジュリは気になるものには全力で突進する。気がついたら私もマンジュリに呼ばれて店に入っていた。生きる力が溢れ出している。すごい。
マンジュリのパワーに巻き込まれながら、徐々に体力・気力ともに盛り返してきた。なんだか全部が面白く感じてきた。
結局、カジャルの家族もみんないい人たちだし、両家の親睦は深まり、なんだかんだいい家族旅行だったんじゃないか?と思いながら、ついに帰りの列車に乗った。帰りも寝台特急で、私は1段目だった。
全身を駆け巡る達成感と共にふと上を見上げたら、ベッドの2段目からマンジュリが無言で神様みたいに私を見下ろしていた。以前マンジュリが「見て!日本の神様だよ!!」と小さい恵比寿さまを商売道具の中に入れているのを見せてくれたことがあったが、まったく同じじゃないか。笑った。
一人旅だったらこんな面白いことおきないや。家族旅行に来て、よかったかも。いや、よかったわ。人糞もトコジラミ事件も、過ぎてみるとなんだかんだ面白かった。色々愚痴ってごめんなさい。
冷静に考えると、いきなり現れた異国からの貧乏学生を家族の一員扱いして、家に住ませ、家族旅行にまで一緒に連れて行ってくれるなんて、ありがたすぎる。懐が深い。共に生きるには、さまざまな違いのすり合わせや価値観のコンフリクトを乗り越えなければならないと思ってた。もちろんいろんなことを理解し現地に馴染もうと頑張っていたけれど、当たり前だけど、違いが完全に消えることはない。でも違ったままで、ともに暮らし「家族の一員」と呼んでくれた。
結婚によって繋がる「家族」、そして家父長的な繋がりに縛られがちな家族の関係とはまたちがう形の「家族の一員」として私を受け入れてくれたことが、嬉しい。どうかサロヤ家にとっても、それが嬉しい出来事でありますように。
神様、マンジュリ様、みなさま。家族旅行に連れてきてくれてありがとう。
(つづく)





文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。
プロフィール

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。
長井優希乃




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西村章