対談

選択的夫婦別姓と私たちの「家族」「国」はどう繋がっているのか【後編】

井田奈穂×中村敏子

7月17日に刊行される『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)では、明治民法と戸籍によって規定され、現在も引き継がれる「家制度」の問題と、それを解消するものとしての「選択的夫婦別姓」の必要性が明快に論じられている。今回の対談の前編では、著者で政治学者の中村敏子氏と、一般社団法人「あすには」の代表理事・井田奈穂氏の間で、イデオロギーに絡め取られた「選択的夫婦別姓反対論」の問題や、現在の「夫婦同姓」の制度が作られた経緯が語られた。後編では、「夫婦別姓の選択肢はなぜ必要か」という本質的な議論と共に、保守政権による揺り戻しが予想される中での今後の活動の方向性を探っていく。

構成:加藤裕子/写真:五十嵐和博

中村敏子氏(左)と井田奈穂氏

戸籍の何が問題なのか

井田 前編の最後に「原点を議論することが大事」というお話がありました。そこで改めてうかがいたいのですが、先生は今の戸籍のどのあたりに問題があると思われますか?

中村 やっぱり、女性が名前を変えないといけないというところ、それから戸籍筆頭者ですね。それによって、戸籍の一番はじめに書いてある人、つまり夫が家族の代表だという観念を植え付けているわけですから。

井田 これは私の個人的体験から実感したことですが、戸籍筆頭者の氏名を戸籍のインデックスにするという仕様は、そろそろ寿命を迎えているのではないでしょうか。

私たち夫婦は再婚同士で、最初は事実婚のままでいいと考えていました。でも夫が入院したとき、事実婚のままでは、妻として私が医療同意をすることができなかったんです。そこで法律婚に踏み切ったのですが、そのときに苗字をどうするかで悩みました。

私は、前の夫の苗字でキャリアを積んできたことと、子どもたちに望まない改姓をさせてしまうことを防ぐ目的で、離婚後も初婚の氏を維持する選択(婚氏続称)をしました。もし私が再婚で 戸籍筆頭者になると、今の夫は私の前の夫の苗字となり、病院ではその名前で呼ばれることになってしまいます。病気の彼にとってそれはあまりに暴力的だと思い、私の方が夫の苗字に変える決断をしました。

ところが再婚後、戸籍謄本を取ってびっくりしたのは、彼の前妻の本籍からご両親の名前、いつ何歳で結婚したかなどの情報が、私より先に書かれていたことです。知りたくもない個人情報が筒抜けになっているということはもとより、戸籍上、まるで前妻が第一夫人で私が第二夫人のような扱いになっているのがとてもショックでした。戦前はお妾さんも同じ戸籍に入れられていた時期があったそうですが、今も似たような構図が続いているわけです。

中村 遺産相続で戸籍謄本を取り寄せると、今まで知らなかった祖父母や両親の秘密が明らかになったりして、びっくりしますよ。

井田 私のケースでは逆のパターンもあり得て、夫の前妻が相続などで、初婚時の戸籍謄本を取得する機会があったら、私の戸籍情報が彼女に全部わかってしまうことになるんですよね。4組に1組が再婚の時代、ただのインデックスである戸籍筆頭者に、そこまでいろいろな情報が紐づけられることもおかしいし、同じ男性と結婚しただけの知らない人に、自分のプライバシーが暴露されてしまうのは不条理です。「これって、個人情報保護法に違反するんじゃないですか?」と役所の戸籍課に聞いたところ、「それが戸籍です」と言われました。

そこで教えられたのですが、再婚前に本籍地を変えておけばそういう事態は防げるそうです。たとえば私たちが今住んでいる場所に夫が転籍し、私がそこに“入籍”する形で再婚すれば、前妻の情報は入らない新しい戸籍として扱われるということですね。実際、皇居や初デートで行った遊園地を本籍地にすることもできるわけで、結局、本籍も有名無実化していているのだと実感しました。

中村 今回の本の中にも書きましたが、明治の初め頃の戸籍は、ある人が住んでいる場所を把握するためのものでした。でも産業化が進むにつれて、戸籍の住所と異なる土地に住んで働く人が増え、戸籍は単に親族関係を紐づけるものに変わっていったんです。その結果、戸籍に表示されている「家」は現実の家族を反映したものではなくなり、戸籍に定められた「家制度」は「家族はこうあるべきだ!」というイデオロギーとしてはたらくようになりました。それが今に至るまで続いているということですね。

戸籍は人々の家族観に大きな影響を与えていますから、その差別的な面を変えていくことが重要なのだと思います。とはいえ、やっぱり170年も続いてきたものですから、一朝一夕というわけにはいかないでしょう。ひとつずつ変えていくしかありません。

井田 私もそう思います。現実に発生している戸籍の矛盾に対して、「それってリスクじゃないですか?」と、地道に言い続けることが必要ですよね。

時代と共に変わっていく「家族のかたち」

井田 選択的夫婦別姓実現に向けて活動をしていると「戸籍をなくしたいのか」と決めつけられがちなんですが、私は戸籍廃止論を訴えているわけじゃないんです。西洋の事例を見ていると、家族に対する捉え方が日本とは違うなと思うところもあって、日本では時代に合わせて戸籍をアップデートしていく方法が最適解だと考えています。そのためにも選択的夫婦別姓を実現させたいんです。

戸籍という国民登録のあり方や、婚姻制度が大切ならなおさら、誰もが利用できる制度にしていくのは時代の要請です。戸籍だってコンビニで謄本が取得できたり、ふりがながついたり、仕様変更を繰り返していますよね? それに比べたら、「戸籍上の氏名を変えない」という選択肢を一つ追加するのは軽微な規制緩和でしかありません。法律が変われば、「女性は男性の姓にならなければならない」という社会的圧力を軽減させることに繋がりますし、何より、自分で姓を選べるかどうかは人権の面から、すごく大きな前進です。

中村 私も日本に戸籍はあってもいいという立場です。これは「家制度」の話と分けて聞いてほしいのだけれど、個人主義が徹底している西洋と違い、日本人にとっては社会の基礎集団としての家族はとても大事なものなんですよね。私自身、自分は個人主義者だと自認していたのに、イギリスで何年か生活する中で「個人主義って、そんなに甘いものじゃない、これは日本人には耐えられないだろう」と実感しました。そういう体験から、個人戸籍は日本には馴染まないと考えています。

要は戸籍が差別的でなければいいわけで、選択的夫婦別姓が可能になればそこはひとつクリアされますよね。「国民は皆、自由で平等であるべきだ」という近代国家の原則に照らし合わせれば、おっしゃるように自分で姓を自由に選べることがポイントです。私は50年フェミニズムをやってきたけれど、結局それは自分の人生は自分で決めさせてくれという運動であって、その「自分で決める」ものの中に自分の姓も入っているということですね。

井田 それこそ市川房枝(*1)さんの時代から、私たちはずっと「自分で選ばせてくれ」と訴えているわけですよね。

「選ばせてくれ」ということでは、結婚や家族のかたちも同じです。自民党の改憲草案には「家族は、互いに助け合わなければならない」という文言が盛り込まれていますが、明治日本の家族イデオロギーを彷彿とさせるような動きのように思えます。それについて、先生はどうお考えですか?

中村 前編でも少し話しましたが、「家」や「家族」についての考え方は、その時代や社会のあり方に応じて変わってきて、これからもきっと変わっていくものなんですね。「家族」というと、皆が愛情で結ばれて仲良くやっているというイメージも強いけれど、そういう集団だけがイコール家族だという観念を変えていくことが、戸籍の問題を解決していくことと同じく必要だと思います。

今回の本の中で紹介しているフランスのパックス(連帯民事契約)は、いいヒントになるかもしれません。当初は、同性愛の人たちの結婚を正統化する話だと思っていたのですが、調べてみると、これは多様な家族のかたちを認めようという動きだとわかりました。パックスの対象はカップルとは限らなくて、友人同士や近親者のふたり組もその範囲とされるという考え方もあります。つまり、性関係は必ずしも要件ではないわけです。

西洋において、結婚とは最初、神様によって決められるものでした。それが、近代に入ってからは国家が管轄するところとなり、今では当事者たちの自由意志による結合へと変容しつつあります。そうやって、歴史は動いているんですね。日本でも自治体レベルでパートナーシップ制度を利用できるところが出てきていますが、これも時代に合わせて多様な家族を認めていこうという流れなのだと思います。

井田 いろいろな家族のかたちはすでにあるし、あっていいんですよね。お互いに助け合いたい、この人は「家族だ」と思う相手を、もっと柔軟に認める仕組みが日本にもあればいいのに、と思います。

たとえば、私たち夫婦の母親たちは、それぞれ夫を亡くして一人暮らしをしているのですが、二人のように夫に先立たれた女性たちが「家族」として生活を共にできたら、一緒に散歩に行ったり、ご飯を食べたりして支え合うことができるでしょう。「あら、あなたちょっと認知症になりかけてきたんじゃない?」などと互いの些細な変化にも、すぐ気づけるかもしれません。

中村 それは、すごくいいですね。そういう家族のあり方は、独身女性が老後に備えて友人と共同生活を送りたいというケースにも当てはめられますし、ある種のコミュニティーという方法を採ることもできそうです。

井田 私が理事を務めているFamiee(ファミー)は、まさにそういう多様な家族のかたちが認められることを目指して活動している一般社団法人です。日本には、現在の法律では夫婦や親子として承認されないがゆえに、保険や福利厚生などさまざまな権利やサービスを受けられない関係の人たちが存在します。Famieeは選択的夫婦別姓や同性婚の実現も求めつつ、そうした人々が実際に「家族」であるということを、ブロックチェーン技術を使って証明するサービスを行っています。本来は法的保障を平等に受けられる法改正が必要ですが、現状はパートナーシップ制度ですら地域によっては利用できないという問題もあり、Famieeのようなサービスや仕組みが広がっていくことで、「多様な家族はすでにいるのだ」という社会的認知の向上に繋がるのではないかと考えています。

中村 そうやって柔軟に家族のかたちを捉えていくことは、実は国家にとってもメリットがあるんです。従来の「夫婦」「家族」から弾かれてきた人たちが、共同体として正式に認知されることで安定的な集団となり、国家を支えていけるようになるわけですから。

井田 ただ、今の政治状況を見ていると、パックスやパートナーシップのようなものが権力者側に「結婚まがいの制度があるから十分だろう」として言い訳に使われ、それらを利用する人たちは「二級市民」的な扱いに据え置かれるのではないか、という心配が拭えません。国民は皆平等であるという原理原則に立つならば、やはり選択的夫婦別姓や同性婚が先に実現されなければいけないと思います。フランスではパックスも含めて法的に認められているパートナーシップ制度が3つあるそうですが、家族のかたちに合わせて、誰もが自分で選択できることが大事ではないでしょうか。

中村 井田さんのように現実に活動をされている方がおっしゃるなら、きっとそうなのだろうと思います。運動としてはどれもやっていくことが必要で、共通するキーワードは「自由な結婚」ということですよね。

*1 1893~1981。婦人運動家・政治家。戦前から女性参政権をはじめとする女性の権利獲得を目指して活動し、1953年以降は参議院議員として活躍した。

福沢諭吉と日本のフェミニズム

中村 さっき、日本と西洋とで家族に対する考え方が違うという話をしましたが、学生時代に西洋のフェミニズムの本を読んでいて、私は「何か違うな」と感じていたんです。後になってイギリスに留学したとき、「あの時の違和感の元はキリスト教だったんだ」とわかりました。日本で女性の問題を考える際には、その点をしっかり押さえておかなければならないと思います。

私が若い頃、アメリカ人女性が主婦の虚しさを書いた『女らしさの神話』という本が世界中で話題になりましたが、日本では「なぜ主婦ではいけないのか」という大論争が巻き起こりました。それは、日本と西洋とで「主婦」の役割が相当違っていたからです。西洋では、キリスト教の「妻は夫に従うべし」という教えにより家庭における決定権は男性が握っていて、主婦には重要な権限が与えられていませんでした。一方、日本の主婦は伝統的に「家」を維持するための主要な役割を担ってきて、実際、家庭の運営にすごく高い能力を発揮してきたわけですよね。そういうところを切り捨てて、西洋の言説をそのまま持ってくるのは無理があると思います。

井田 今回の本にも書かれているように、日本では、企業という「大きな家」の中に家庭が組み込まれてきました。それは「男は仕事、女は家庭」という性別分業を固定化し、女性を周辺に追いやる構造でもあったけれど、一方では配偶者控除や年金の第三号被保険者の制度が作られるなど、「家庭を守る」という妻の立場を認める面もあったわけですよね。

中村 妻が家計を管理し、夫が妻からお小遣いをもらうなんて、西洋的な夫婦観ではあり得ないことですよ。

そうした日本と西洋の夫婦関係の違いを深く理解していたのが、私が専門としている福沢諭吉です。彼は当時の西洋近代思想を日本に紹介しつつ、単純に西洋を真似ればいいとは考えてはいませんでした。そこが、西洋の制度をそのまま日本に持ってこようとした梅謙次郎との違いです。

井田 明治民法を起草した、あの梅ですね! もう呼び捨てにしてしまいますが(笑)。

中村 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という福沢の言葉は有名ですが、西洋近代の「自由と平等」に女性が含まれなかったのとは違い、福沢は女性と男性を互いに独立した、完全に対等な存在だと考え、儒教の「陰陽説」も厳しく批判しました。

どう苗字を名乗るかが夫婦間の平等に関わっていることも、福沢はきちんと理解していました。1885年以降、つまり明治民法の編成が問題になっていた時期に、福沢は集中的に男女関係論について執筆しており、たとえば「日本婦人論」では、結婚はふたつの異なる家族の出身者が新しい家族を作ることなのだから、男系だけを重視するのは理屈に合わない、結婚に際しては男性、女性一方の苗字だけを名乗るのではなく、その間に新しい苗字を創造するのが妥当だと、述べています。つまり、佐藤さんと田中さんが結婚するなら、両方から一字ずつ取って「佐田さん」にするといった感じですね。

福沢が描いた夫婦関係は日本の伝統的な「家」における夫婦のあり方に重なるもので、もし明治民法に福沢の考え方が採り入れられていたら、私たちはこんなにも長く夫婦別姓の問題に苦しむことはなかったでしょう。いまだに「夫権的家父長制」が日本の結婚制度で続けられていると知ったら、福沢もさぞ驚くだろうと思います。

井田 150年近く前に福沢さんのような主張があったことは、もっと知られてほしいですよね。

中村 今よりずっと「家」というものが重要とされていた時代でさえ、福沢のように考える人がいたわけです。現代の私たちも「家族とは、夫婦とはこうでなければならぬ」という頭の硬い議論に囚われず、もっと柔軟に色々なアイディアを出していけるはずだと思います。

動かない政治に草の根でどう働きかけるか

井田 私が選択的夫婦別姓の活動を始めたとき、「こんなに矛盾だらけの制度を改善しようという合理的な訴えなんだから、2年ぐらいで実現できるだろう」と思っていました。でも、8年経っても政治は動きません。国会議員に話をしていく中で、それこそ陰陽論とか、わけのわからないイデオロギーの壁に直面し、あまりの理不尽さに泣いてしまったこともあります。

第二次安倍政権の後の、菅、岸田、石破の3人の首相は全員、選択的夫婦別姓に賛成した過去がありましたが、それでも状況は変わりませんでした。政治が動かないなら経済界にプッシュしてもらおうと、何年もかけてお願いをして回り、今では経団連や経済同友会が選択的夫婦別姓を認めて欲しいと政府に要望書を出してくれています。また、2024年にはジュネーブの国連女性差別撤廃委員会にも声を届け、夫婦同姓を定める民法750条改正について4回目の勧告を出していただくことができました。

2024年10月、国際連合ジュネーブ事務局前にて(井田氏提供)

2025年には28年ぶりの法案審議も始まったのに、今、高市政権誕生と解散総選挙によって廃案になってしまいました。一歩一歩やるしかないということはわかっていても、いつになったらこの壁を崩せるのかと思うと、なんだか果てしないな、という気持ちになってしまうんです。

中村 世の中、非合理的な人の方が多いんですよ。私たちの世代だって、夫婦別姓の話をもう50年くらいしてきているけれど、その間も揺り戻しは何度もありました。1996年にはもう少しで選択的夫婦別姓が実現するところだったのに、結局、ダメになってしまいましたしね(*2)。

だから、そんなに簡単に世の中が変わるとは私は思っていません。ようやく女性が首相になっても状況はちっともよくならないし、やっぱり地道に草の根から運動していくより他はないんです。女性の参政権獲得だって長い年月がかかったわけで、たぶん、あと10年くらいはかかるんじゃないかしら。

井田 あと10年ですか! 時間がかかるというのは理解できますが、若い世代に「選択的夫婦別姓でないと結婚できない、いつになったら実現しますか?」と聞かれて、はっきり答えられないのは辛いです。

中村 道は長いけれど、それでも私たちが若かった頃に比べれば、少しずつでも前に進んできているし、流れは確実に上向いていると思いますよ。選択的夫婦別姓に抵抗がない人も以前よりずっと増えているでしょう? 男性の育休取得率も2020年代から急激に上がって、2024年には40パーセントを超えました。これは、性別分業というシステムが解体されつつあることの表れだと思います。

井田 時々、絶望的な気持ちにもなりますが、諦めてはいけないんですね。

中村 あなたの活動を見ていてすごくいいなと思うのは、オンラインで情報を公開して、署名集めでも地元の議員への陳情でも、やりたい人が一緒に活動できる仕組みを作っているところで、それによって「夫婦別姓を求めている人がこんなにいる」という多数の声を届けられるようになったわけですよね。さっきは「夫婦別姓の実現にはあと10年はかかる」と言いましたが、そうやってテクノロジーを活用しながら運動を広げていけば、そんなにかからないかもしれません。

井田 今は会議もオンラインでできるなど、先輩たちの時代に比べれば便利になった面はあると思います。でも、1周回って、リアルな対面の場もやっぱり必要だなと実感しているんです。 昨年、『女性の休日』(*3)という、アイスランドのジェンダー平等がテーマの映画が公開され、この映画について語り合う場を全国各地で設けようと、呼びかけました。そうしたら、全国で少なくとも260を超えるイベントが行われ、オンラインでは吐き出せない心の奥底の気持ちを打ち明けてくれる人に大勢出会うことができたんです。ネットに不慣れな上の世代も来てくださって、「日本でも『女性の休日』のようなデモをやろうとしたけれど、こういう顛末で尻すぼみになってしまった」という貴重な体験談をお聞きしました。世代を超えて想いや経験を受け継ぐという意味でも、対面の機会は大事だと思います。

映画『女性の休日』公式サイトより

それで先生にお願いしたいんですけれど、今回の本のトークイベントを対面とオンラインの両方でやりませんか? 選択的夫婦別姓     に関心を持っている人たちに、先生の言葉を直接届けられたらいいなと思うんです。

中村 夏は暑いから、オンラインならいいですよ。

井田 決まりましたね! トークイベントの前に読書会をやって、みんなでこの本を読んで感想を話し合うこともできそうです。皆さん、先生にたくさん質問できるよう、この本を買って読みましょう。

中村 ありがとうございます。

この本を書き終えて思うのは、私の代では夫婦別姓は実現しないだろうし、後は若い世代に託そう、ということなんですね。夫婦別姓の実現がなかなか進まない中、家事の分担や企業での女性の働き方など、目の前の小さな問題をひとつひとつ変えていくアプローチも必要だと思います。 そうやってそれぞれの持ち場で差別の解消を目指す中で常に頭においてほしいのは、大きな方向性として、私たちはどういう社会を望むのかということです。そのことを考える上で「国家の中で女性が自由と平等をいかに保障されるか」という視点は欠かせません。今回の本がそこに気づくきっかけになることを願っています。(了)

*2 1991年に政府の法制審議会で選択的夫婦別姓についての審議が始まり、1996年に選択的夫婦別姓導入が答申された。これを受けて、法務省は民法改正法案を準備したが、国会に提出されることはなかった。法制審から答申があったにもかかわらず立法化されていないのは、この事例のみである。
*3 1975年10月24日にアイスランド女性の90%が仕事・家事のストライキを行った「女性の休日」が題材のドキュメンタリー映画。2024年に製作され、日本では2025年公開。

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関連書籍

プロフィール

井田奈穂×中村敏子

井田奈穂(いだ なほ)

選択的夫婦別姓実現と、ジェンダー平等を推進する一般社団法人あすには代表理事。ライター、PR、政策起業家。

中村敏子(なかむら としこ)

1952年生まれ。政治学者、法学博士。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年、北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』『女性差別はどう作られてきたか』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)。2026年7月、『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)を刊行。

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