全てがリアリティショー化していく
これまでは、リアリティショーそのものに着目してきた。ここからは、リアリティショーとして作られたわけではないものも、どんどんリアリティショー化していっているという話をしていきたい。フィクションも現実もどんどん〝リアリティショー化〟していき、受け手である我々も、様々なものを〝リアリティショーを見るように〟接するようになっている。
最初にするのは、フィクションの世界がリアリティショーに近づいていっているという話だ。想像の世界の物語であるフィクションと、実在の人物が筋書きのない世界で動き出すリアリティショーは、対極とは言えないまでもかなり距離の離れた場所にあるもののはずである。どういうことなのか見ていこう。
「リアルだった」がエンタメ作品への褒め言葉になっている
「リアルだった」
ドラマ・映画・アニメ・漫画・小説といったフィクションの作品を褒めるときに、この言葉が多く聞かれるようになった。
この言葉自体は、もともとは褒め言葉ではなく、リアルか/リアルじゃないかを判別する機能しか持たないはずだ。虚構であるフィクションに対して「リアルだった」というのは真逆の概念をぶつけているようですらある。だが、近年では「リアルだった」という感想が褒め言葉になっているのである。
本来、リアルではないけど素晴らしい作品があってもいいはずだ。ファンタジー作品に顕著だが、無限に想像の世界を広げられ、現実にはあり得なそうなことが起こるのが、フィクションの醍醐味だと言ってもいい。だが、近年では、リアルな作品が支持を広げ、「リアルな作品=素晴らしい作品」という価値観まで浸透している。いつ頃そういった価値観が広まり、「リアルだった」が褒め言葉になっていったのか。その変化を考えるために、まずは、およそ20年前の映画の興行成績ランキングを見てみよう。
2006年の興行成績ランキングTOP10を見てみると、1位に『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』、6位に『ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女』というシリーズもののファンタジー作品が目に入る。2位には『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』と、派手な洋画が目立つ。この3作はシリーズ作品が2000年代から2010年代にかけて他の年にもランクインしている。
実写の邦画に目をやっても、『日本沈没』や大型フェリーが沈没(にも関わらず愛する人に長電話)する『LIMIT OF LOVE 海猿』など、なかなか実際には起こり得なそうな設定の物語がならぶ。
どれも、リアルか、リアルじゃないかと問われれば「リアルではない」作品群だ。「リアルだった」と褒めたかったとしても、魔法使いや海賊の話など、21世紀を生きる日本人にとって現実的ではなく、リアルかどうかを判別する知識や経験を持ち合わせていない。少なくとも、この時代には、多くの観客が、スクリーンに非日常を求めていたといっても差し支えないだろう。
2000年代は、『ハリー・ポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』といったファンタジーの洋画の興行成績が強かった。しかし、この頃の洋画の、とりわけファンタジーの洋画の強さは2020年代の現在には見る影もない。ファンタジーの洋画を筆頭とする、リアルさとはほど遠い、リアルさと違う面での魅力を持っていた映画たちは、徐々に求心力を失っていった。
2009年には日本でも大ヒットした『アバター』も、2022年以降に公開された続編2作は、世界的にはヒットしているにも関わらず、日本だけ興行成績がふるわない状況で、これは日本人が映画体験に求めるものが変わったことのとても象徴的な出来事といえる。それでは、この『アバター』における空白の13年間とも言える2010年代にどのような変化が起きたのだろうか。
映画業界の〝邦高洋低〟は自国のリアルが求められた結果か
実はこの2006年は、映画の興行成績の邦画と洋画のバランスにおける分岐点となった年である。
日本では1970年代以降洋画(外国映画)のシェアが邦画(日本映画)を上回り続け、長い間〝洋高邦低〟と言われてきた。2002年には邦画のシェアは約4分の1にまで落ち込んでいたほどである。しかし、2006年に邦画が洋画のシェアを上回る。すると、その後、邦画が洋画のシェアを上回り続ける〝邦高洋低〟の状況に。2025年には邦画の興行収入は過去最高を記録し、邦画のシェアは約4分の3を占める状況となった。
邦画が強くなり、洋画が見られなくなっていく―。2010年代を通して進行していった、この完全な逆転の背景には何があったのだろうか。数字では見えてこない作品の中身に迫ってみよう。
2025年現在、最後に国内の映画ランキングで年間1位を取った実写の洋画作品は、2018年に公開された『ボヘミアン・ラプソディ』である。イギリスのバンド・クイーンのボーカルで91年に亡くなったフレディ・マーキュリーの伝記映画だ。
『ボヘミアン・ラプソディ』のような実在するミュージシャンを描いた映画は、ヒットの鉱脈となり、その後も、エルヴィス・プレスリーやエルトン・ジョンにボブ・ディラン、マイケル・ジャクソンなど、近年まで生きていた、もしくは今も生きているミュージシャンの映画が次々と作られ、概ね日本でも支持を得ている。もちろん内容は様々だが、ミュージシャンの家庭環境、セクシャリティや薬物依存などを赤裸々に描いたり、曲と彼らの人生をリンクさせて名曲誕生秘話のようにしたりして、劇中では演奏シーンが見せ場になる。宣伝では「感動の実話」「衝撃の実話」「栄光の裏に隠された真実」などと実話であることを強調することが多い。冒頭に「Based on true story」といった表記がでるような映画を昔より多く見かけるようになったと感じている人もいるだろう。
外国の作品は、言葉はもちろん、社会環境などの前提が違うので「リアルだった」とは簡単には言いづらい。だが、これらは総じて、ミュージシャンの名前や情報をある程度知っていれば入りやすく、「リアルだった」と言いやすい作品群である。
洋画が見られなくなっていったこの十数年の中でも、実在の人物を題材にしたリアリティは求められているという現象は、ファンタジー映画が台頭していた頃と比較しても一考の価値がある現象だ。
とはいえ、実話ベースの作品について論じると、少し長くなりながら話がそれてしまいそうなので割愛し、日本のフィクション作品で、この20年の間に「リアルだった」という言葉とともに評価を高めてきた、象徴的な作家・作品を見てみよう。
場所を明示し、徹底的に現実を再現する新海誠のアニメ
新海誠はフィクション作品にリアリティが求められる流れをいち早く捉えており、またその流れを促した作家と言える。作品の内容を少し見てみよう。
ブレイク前夜の2007年に公開された『秒速5センチメートル』は、徹底的にリアリティが貫かれている。物語の軸は、中学生の主人公が、小田急線の豪徳寺駅から、栃木のJR両毛線の岩船まで電車に乗って会いに行く――という話だ。この作品で新海は徹底的なロケハンを行った。写真を撮ってそれを基にアニメーションにするという手法で、車内や窓の外の風景、駅構内の立ち食いそば屋まで、徹底的に再現されている。(『秒速5センチメートル』リバイバル上映特別映像)時代設定に合わせた携帯電話の機種、「少年ジャンプ」の表紙、劇中で流れるLINDBERGの音楽までズレがない。
新海自身が後に「何も起きないと映画というか……(中略)心の中の波しか描いていないようなアニメーション映画」と振り返るように、決して当時のヒットの主流である非日常を描くような派手な作品ではなかった。だが、この小さくも美しい作品は、強い支持を得続け、約20年後の2025年には実写作品として(ディテールを壊さないように配慮されながら)リメイクされている。(東宝MOVIEチャンネル『松村北斗 × 奥山由之 × 新海誠 スペシャルトークセッション』)現実を徹底的にリアルに描いたアニメーション作品が、実写で作られることを望まれるという、約20年をかけた、ある種の熱狂的な反転が起きたと言ってもいいだろう。
そして、『秒速5センチメートル』から数作を経た後に、2016年の興行収入ランキング第1位・歴代の興行収入でも4位(当時)の大ヒットとなった『君の名は。』は、彗星の衝突を避けようとするという大きな物語だ。男女が入れ替わるという設定自体はファンタジーだが、『秒速~』と同様、新宿や、六本木の新国立美術館のカフェ、最後に2人がすれ違うことになる四谷の須賀神社など、実在の場所が背景に使われている。つまり、細部までリアリティにこだわる新海誠の作家性は変わらず、そこに、これまでとは対照的にファンタジーな設定や 〝何かが起きる〟大きな物語がのっている作品だったのだ。
その後の新海誠作品は、『天気の子』では主人公と天気を操れるヒロインが池袋のラブホテルに入ったあと代々木の街を駆けずり回ったり、『すずめの戸締り』では災いの元となる扉を閉めるために全国を行脚した上で御茶ノ水の聖橋から飛び降りたり……。設定自体はファンタジー要素が強いが、実在の場所をはじめとした細部のリアリティが凄まじいという、一見相反する2つを融合することで、真似できない稀有な作品を作り続け、いずれも大ヒットとなっている。
須賀神社をはじめ、作中に登場した場所は、ファンが実際に訪れる、聖地巡礼とも言われる現象が起きている。受け取る側もリアルとフィクションを融合した楽しみ方――つまり、リアリティを楽しんでいるのである。
また、『秒速5センチメートル』の頃は、例えば「MONO」の消しゴムが「NOMO」と表記されているなど、絶妙な表記のズラしが入っていることがあった。しかし、公開規模が拡大して以降、例えば『天気の子』では、サントリーの天然水を登場人物が飲んでいたり、漫画喫茶マンボーに入ったり、町中をバニラ求人のトラックが走っていたり……と実在する企業や商品がそのまま登場する。実在する企業名・商品名を映画やドラマなどに自然に登場させる広告手法はプロダクトプレイスメントと呼ばれ、日本の作品では2010年代に一気に広まった。2011年放送のアニメ『TIGER & BUNNY』や、新海誠作品がその代表的事例として挙げられることも多い。今や企業側も実在するリアルな商品を、すすんでフィクションの中に溶け込ませようとする時代なのだ。
ひとりのインスタを観察し続けて作られた『花束みたいな恋をした』
その夏、シン・ゴジラが公開されても、ゴールデンカムイの八巻が出ても、新海誠が突如ポスト宮崎駿になっても、渋谷パルコが閉店しても、私たちの就活は続いた
これは、2016年の新海誠の『君の名は』のヒットを解説した文章……ではなく映画『花束みたいな恋をした』の中のモノローグである。2016年の描写としては、すべて正確である。『花束~』は2021年に公開され、6週連続で動員数1位、興行収入は30億円を突破するヒットとなった。
明大前の駅で終電を逃して出会い、カラオケで『クロノスタシス』(きのこ帝国)を歌って距離を縮め、調布で同棲する大学生の男女の物語で、麦(菅田将暉)が就職すると「パズドラしかやる気しない」状態になったり、『人生の勝算』(前田裕二)を立ち読みしていたりと、実在する固有名詞が多く登場する。
「偉いのかもしれないけど、その人は今村夏子さんのピクニック読んでも何も感じない人だよ」といったセリフがあるなど、2人のキャラクター造形はもちろん、2人と合わない人の描写にまで固有名詞が使われる。
さらに、地方出身の麦に比べて、調布市とはいえ都内に実家がある絹(有村架純)のほうが、職場が自分と合わなければ、待遇が下がる転職も厭わない心の余裕があるなど、彼らがとる行動にもリアルな背景が詰め込まれている。社会人になってすぐの麦の「結構人脈広がってきててさ」というセリフや、同棲を終えるときのペットや家具の配分の仕方まで、「いそう」「ありそう」と思えるリアルさに溢れているのだ。
なぜ、こんなにもリアルなキャラクター造形ができるのか―。脚本の坂元裕二はこう語っている。
「脚本を書くときは、だいたいひとりかふたりを対象に決めて、その人たちをネットストーカーのように観察するんです(笑)」
「あまりよく知らない人のインスタ」を参考に、部屋や服や音楽まで含めたキャラクター造形に活かしていることを明かしている。なんと『花束~』は基本的にはひとりのインスタグラムを観察し続けて作られていたのである。坂元はそれを「ひとりだけを掘るマーケティング調査」と自称する。
「こういう人いるでしょ」で、最大公約数的な若者の特徴をサラって、生活者像・ターゲット像といったような形で想像上のひとりを造形するのが、広告代理店などで行われている、いわゆる従来型のマーケティングだとしたら、坂元の手法は、本当に実在するひとりを彫り込むことによってリアルさが立ち上がるタイプのものだ。坂元は絹と麦の日記を「ダーッと20枚くらい書いて」その日記をもとに脚本を書いたという(『花束みたいな恋をした』オフィシャルプログラム)。
時代設定、場所、固有名詞……それらがリアルであることで、作品の世界が実在しているようにも感じられる。
公開時、感想を聞くと、映画そのものからは脱線して、自分の過去の恋愛について話したりする人も多かった。時代や固有名詞が観客自身の記憶を呼び起こす接点となって、自分自身を重ねたり、もしくは、その世界の中に生きているかのような感覚を抱いたりする見方をしていたのかもしれない。
中には「自分はこんな恋愛したことないのに、こんな恋愛をした気がしてきた」と言っていた人もいた。この映画は、自分を重ねて、自分の経験を掘り起こさせたり、もしくは、自分の経験だと錯覚させたりするほどに、「リアルだった」のだ。
湾岸エリアから小田急線へ 〝月9の描く東京のリアル〟が西に移動
坂元裕二はドラマの舞台も明示することが多く、『最高の離婚』(2013)は目黒川の中目黒周辺、『問題のあるレストラン』(2015)は青山といったおしゃれエリアが舞台だ。
一方『花束~』の4年前に同じ有村架純主演で作られたフジテレビの「月9」枠のドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)は雪が谷大塚が舞台だ。雪が谷大塚は、大田区にあり、東急池上線が通っている。調布と同じく多摩川にもほど近い。
『いつ恋』は「最初は『月9』っぽい都会のキラキラしたラブストーリーにしようと思っていた」という坂元が演出の並木道子に「そんな都会のキラキラしたラブストーリー作りたくないです」と言われて企画が固まっていったものだという。(『脚本家 坂元裕二』坂元裕二Gambit 2018)キラキラしていない場所として選ばれたのが、雪が谷大塚なのだ。憧れの街ではなく、暮らしが感じられるような街を選んだということだろう。
『いつ恋』でプロデューサーを務めた村瀬健は、その後、2022年に大ヒットドラマ『silent』を生み出すこととなる。脚本は、坂元への憧れを公言し、同じフジテレビヤングシナリオ大賞出身で、これが連ドラデビュー作となった生方美久だ(第33回「ヤングシナリオ大賞」大賞は、生方美久さんの「踊り場にて」! 「坂元裕二さんみたいに、唯一無二といわれる脚本家に」/めざましmedia)。
『silent』は世田谷代田周辺が主な舞台になっている。2週目の放送後に、小田急線の世田谷代田駅に行くと、いつもはあまり人の多くない駅前に人が多く溢れていて、写真を撮る順番待ちができているなど、聖地巡礼が盛り上がっていた。ちなみに、以前にこの連載で触れた『テラスハウス Tokyo 2019-2020』のペッペのコンビニもこの近くだ。
村瀬は「ドラマの登場人物がこの世界に本当に生きているような気がする」作品を目指していたといい、『silent』で「世田谷代田に行ったら紬と想がいるような気がする」という視聴者の感想があったことでそれが達成できたように感じたとしている(『巻き込む力がヒットを作る “想い”で動かす仕事術』村瀬健 KADOKAWA 2023)。
ドラマの登場人物も自分と同じ世界に生きているような気がする――場所を含む様々なリアリティが作用することで、ドラマの世界ではあれ、自分の生きている世界と地続きのように感じ、没入感も増し、多くの人の心を掴んでいったのだろう。
村瀬が次に生方とタッグを組んで作った『いちばんすきな花』は東急田園都市線の桜新町駅周辺が舞台だ。続く月9ドラマ『海のはじまり』は、小田急線の経堂駅に住む目黒蓮演じる主人公が、成城明正大学(これは実在しないが、成城学園駅の近くには明正小学校という小学校がある)で出会った恋人との間にできた子どもを育てるため小田原と経堂を行き来する話だ。どこもドラマの舞台としては珍しい場所と言っていいだろう。よく使われている場所ではないからこそ、明示された瞬間にリアリティが生まれると言ってもいい。
村瀬健は「連続ドラマは、みんなが自分の物語として見るのが一番いい。だからこの世界の、東京で起こっているドラマなんだっていうのを感じてほしい」とロケーションにリアリティを追求する理由を語っている(『silent』実在スポット「世田谷代田」「タワレコ渋谷」が聖地化 担当者が実感する“silent現象”の熱気 マイナビニュース 2022年11月10日配信)。
一昔前であれば月9のような若者の流行を作り出すような枠は、もう少し、東京の中でも都会を描いていた。地名の明示こそされないケースが多かったが、トレンディドラマと呼ばれる時代は港区寄りで、91年に放送された坂元裕二の出世作『東京ラブストーリー』は、東京タワーや東麻布に神泉の交差点など港区・渋谷区・目黒区を中心とした当時の東京のトレンディスポットが背景になっている。96年の『ロングバケーション』は江東区の湾岸エリアや代官山・目黒川周辺、2000年の『やまとなでしこ』も代官山でロケが行われている。この3つのドラマは全て月9枠のものである。
ロケ地として使用することと、ドラマ内で地名まで明示することは似て非なるものである。ロケ地であることは、あくまでその土地が持っているイメージを拝借するにすぎないが、一方で地名を明示することはその土地と物語が一体化することを意味する。架空のどこかではなく、あくまでその街で起きていることとして認識され、そこにはリアリティが生まれる。かつてのドラマでは湾岸エリアから走って代官山に着いても大きな問題にはならなかったが、近年ではときに「その道を曲がったらそこには出ない!」といったツッコミが入るほど、視聴者はリアルかどうかをジャッジする。
逆に言えば、場所の描写が現実に基づいたものであれば、没入感は増すし、実際に訪れたときの高揚感も増す。昔からロケ地巡り自体はあったが、それが聖地巡礼というひとつの様式として定着したのは、地名を明示しリアリティを生み出したことが背景にあるのではないだろうか。
リアルなロケーションは「自分の物語」に没入する装置
こうした変遷を踏まえると、2024年の月9ドラマ『海のはじまり』の舞台が世田谷区の経堂だったこと、そしてそれをしっかりと明示していることには隔世の感がある。『東京ラブストーリー』の坂元裕二が、30年後に調布を舞台にした〝東京郊外ラブストーリー〟でヒット作を生み出したことも時代の変化を感じる現象だろう。
80年代から90年代にかけては、バブリーな時代のギラギラとした東京を描くことで、それを憧れとともに見上げる視聴者を多く獲得できた。ファンタジーとまではいかないまでも、それは自分の周囲にはない理想の情景をドラマの中に見るという行為だったのかもしれない。
場所に感じられるリアリティは、登場人物への視聴者が抱く距離感にも通じてくる。『東京ラブストーリー』のリカとカンチが、バブリーな時代の東京に生きる偶像としての人気だとすれば、『silent』の紬と想は世田谷代田に行くとその息吹を感じられそうな、リアリティのある人気なのである。
こうして見てきたように、近年は、東京の中でも一部のキラキラとした地域ではなく、東京の中でも小田急線や東急田園都市線、目黒川沿いよりも多摩川沿いの、日常の暮らしをより強く感じさせるような地域が舞台となる作品も強い支持を得るようになってきている。多摩川は、東京都と神奈川県の県境にもなっているし、これらの地域には、戦前は東京(府)には含まれていなかった地域も含まれるため、地方に住む視聴者にとっても、港区よりは親和性が高いはずだ。
ドラマの中の東京像ですら、生活感のある場所になっていく―。これは、今の視聴者が、ドラマの中にリアリティを求めることの表れなのかもしれない。理想として見上げるのではなく、村瀬の言う〝自分の物語〟として没入して見るために、リアリティを感じられる場所は物語の中に必要になっているのである。
そして、これは実は、恋リアそのものとは真逆の現象と言ってもいい。例えば『バチェラー』シリーズは海外ロケが基本だし、『今日、好きになりました。』も2017年のシリーズ開始当初は国内だったが、途中から韓国・ハワイ、2026年にはドバイなど場所が海外になっており、非日常の場所の中での恋愛が映し出されるものとなっている。
『今日好き』のプロデューサーは「非日常的環境で、恋愛に関してのスイッチが入りやすい」とその狙いを語っている。ちなみにこのプロデューサーには「往年の“月9”にしたい」という意図があるという(『日経エンタテインメント』2026年3月号)。
簡単に言えば、〝往年の月9〟を目指す恋リアの舞台がどんどんと派手になっていく一方で、月9自体は地味な場所が舞台になっていっているということである。
〝キラキラした非日常の恋愛〟を恋リアの中に求め、そうではない〝リアルな恋愛〟をフィクションであるドラマの中に求める―という逆転現象のようなものが起こっているのだ。
(次回へつづく)

いま世界中でさまざまなヒットコンテンツが生まれている「リアリティーショー」。恋愛、オーディション、金融、職業体験など、そのジャンルは多岐にわたり、出演者や視聴者層の年齢も20代のみならず50代・60代以上にも開かれつつある。なぜいまリアリティショーが人々に求められているのか。芸能コンテンツの批評やウェブメディアの運営を行ってきた著者が代表的な番組を取り上げながら、21世紀のメディアの変遷を読み解く。
プロフィール

しもだ あきひろ
エンタメライター、編集者。1985年生まれ、東京都出身。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニオタ男子」。大学在学中に執筆活動をはじめ、3冊の就活・キャリア関連の著書を出版した後、タレントの仕事哲学とジャニー喜多川の人材育成術をまとめた4作目の著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書・2019)を発売。3万部突破のロングセラーとなり、今も版を重ねている。カルチャーWEBマガジン「チェリー」の編集長を務めるなど、エンターテインメント全般に造詣が深く、テレビ・ラジオをはじめ多くのメディアに出演・寄稿している。また、音声配信サービス・Voicyでの自身の番組『シモダフルデイズ』は累計再生回数250万回・再生時間 20 万時間を突破し、人気パーソナリティとしても活躍中。近刊に『夢物語は終わらない ~影と光の”ジャニーズ”論~』(文藝春秋)。
霜田明寛




亀石倫子×ダースレイダー
平尾剛


森野咲