ときどき訊かれる。フィギュアスケートが好きになったのはいつですか。きっかけはなんですか。
似たような問いかけを、私はこれまで何度もしてきた。小著『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』でも、都築先生にこう訊いた。フィギュアスケートを始めたのはいつですか。
答えは「高校生の時分」だった。現在からすれば、だいぶ遅いスタートだが、その一歩は、日本フィギュアスケート界に大きな足跡を残す一歩になった。
少し話が逸れるが、都築先生は、小著を「人生の特別な喜び」と仰ってくださった。その理由のひとつに、読者の皆さまからの感想がある。
担当編集者がコピーしてくれた読者カードには、都築先生への思いが溢れていた。功績を称える言葉が綴られていた。著者としてたいへん嬉しく、ありがたく、胸が熱くなった。心から、お礼を申し上げたい。ありがとうございました。
さて、冒頭の質問に答えよう。新連載の初回だから、自己紹介を兼ねて、少し昔話をする。
小学校の高学年の頃(だったと思う)、家からそう遠くないところにスケートリンクができた。頑丈な白いテントで出来ていて。冬の短い間だけオープンしていた。
なぜ、作られたのかはわからない。当時、スケートはブームではなかった。案外、たまたま広い空き地があって、有効利用といったことだったのかもしれない。
オープン中、私は何度かリンクに通った。入り口でお金を払って、貸し靴を借りて、リンクに出るシステムだった。
リンクはわりと混雑していたが、中央あたりで、可愛い衣装を着た女の子がひとり、スピンやスパイラルをしていた。
スピードもなかったし、足が高く上がっていたわけでもない。今思えば、さほど上手ではなかった。だけど、それはすごく素敵に見えた。
手すりにしがみつきながら(しがみついていないときは、転んでいた)、私はその子を見ていた。綺麗だなあと思った。
私はそのとき、「すごく素敵なスケート」を見たのだ。そして、フィギュアスケートが好きになった。どんどん好きになって、今では人生の一部になっている。
大人になってから、プリンスのショーに出ていた美しい女性に「教えてあげます」と誘ってもらったが残念ながら辞退した。教えてくれる人に怪我でもさせたらどうするのだ。
以来、私は観客を貫いている。数年前にがんになったときも、フィギュアスケートに大いに支えられた。試合を観られて、嬉しかった。
一方、昨シーズンは夏の終わりに体調を崩して、一試合も観戦できなかった。取材を始めてから、こんなことは一度もなかった。でも大丈夫だ。シーズンは、これからも長く続いていく。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。