ユビレイヌィで、こんな母と娘を見た。
セキュリティゲートの近く(長身の屈強な警備員が常駐している)で、入館の許可を待っていたときだった。
リンクの方から母親に引っ張られ、10歳くらいの女の子が現れる。今まで練習をしていたのだろう。黒い上着の裾からピンクの短いスカートがのぞいている。お団子に結った髪も乱れている。
女の子は「嫌だ、帰らない」と、泣き叫んでいた。食事制限を始めているのだろうか。すごく痩せている。
母親の顔は、激しい感情でゆがんでいる。娘を出口の方へ引っ張りながら、大声で叱りつける。人の目を一切気にしてはいなかった。
彼女は娘の練習態度が気にくわないようだった。気持ちのこもらない練習なら続ける必要がない。もう、止めてしまいなさい。で、止めたくない娘は、床に座り込んで泣いている。
日本のリンクにだって、涙や叱責はある。保護者から注意を受けるのも、まったく珍しくない。
だけど、そのとき、私はだいぶ驚いた。迫力がぜんぜん違っていた。ユビレイヌィはまぎれもなく戦いの場なのだ。
結局、女の子はリンクに戻っていった。母親はもう怒鳴ってはいなかった。手段だったのだと思う。
彼女は、娘にスケートを続けさせたくて、「止めろ」と言った。そして、自らの思うようにことを運んだのである。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。
プロフィール
宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。