文化遺産「子連れ鑑賞」顛末記 第三回

文化遺産の石壇に登ってもいいですか?

mina

登っている人はいた、けれど

後日、アイルランドの文化遺産を管理するヘリテージ・アイルランドのウェブサイトや書籍を調べたところ、ドン・エンガスの石壇に人が登って立っている写真が複数あった。公共性の強いメディアに載せるからには、少なくとも不法行為ではないのだろう。少しホッとするとともに、やはり「私はどうすべきだったのか」という疑問に立ち返る。法的に問題がないとしたら、いよいよ個人の選択だ。崖の縁に安全柵がないのと同じように、文化遺産を傷つけない限りは、どう振る舞おうと自由。逆に言えば鑑賞者は、もろもろのリスクを自分で考え、行動しなければならない。

似た状況を、私はアイルランドの旧宗主国であるイギリスに数多く残っている「修道院の廃墟」でも経験していた。欠けた石の柱や建物の基礎、崩れ落ちた石壁がゴロゴロある遺跡で、子どもは当然のように登りたがり、遊びたがる。崩落の危険のある場所には「登らないで」の看板があるものの、そういった表示や柵が現地に見当たらないケースも多い。反対に、イギリス西部のファーネス修道院のように「遊具はありませんが走り回って遊べるスペースは十分にあります」と公式サイトでアピールする廃墟さえある。本来、保護されるべき文化遺産で「遊ぼう」と呼びかけるのは、かなり大胆に思えるけれど、敬遠されがちな文化遺産のハードルをとことん下げようという狙いなのだろう。

ファーネス修道院の廃墟は解説板や表示がほとんどなく、ありのままの景観が魅力的だ。

実際、私の娘たちは赤砂岩の美しい遺跡が残るファーネス修道院でめいっぱい駆け回り、鬼ごっこなどをして遊んだ。「ハイキョ」は彼女たちにとって、どんな城や教会よりも好きな文化遺産カテゴリーの一つになった。万が一、遺跡を破壊したり、石壁を登ってケガしたりしたら、保護者である私に責任がある。それはずしりと重い責任ではあるけれど、引き換えに得られる自由はかけがえのないものに思えた。

見えないものを想像する

崖に安全柵がなく、石壇に表示もなかったドン・エンガスの遺跡で、自由と引き換えに私が責任を持つべきリスクはたぶん、3つあった。文化遺産を物質的に損壊するリスク、子どもにケガをさせるリスク、そして夫が指摘したように文化遺産の尊厳を傷つけるリスク。先の2つは客観的に問題ないと判断できたけれど、3つ目は、見えないところに想像を広げないと向き合えない。

ヒントはあちこちにあった。ドン・エンガスが単なる軍事要塞ではなく、宗教的な意味合いがあった可能性は、持参したガイドブックでも後ろのほうに書かれている。あとで知ったことだけれど、インターネットで調べれば、過去の発掘調査結果も出てくる。それによると、約3000年前から中世初期にかけて、先住民や古代ケルト人の手によって数度にわたって拡張されてきたドン・エンガスでは、城壁の内部に炉や住居の跡が発見されており、一定の定住生活が送られていたことがうかがえる。石壇は創建初期からあったと考えられ、すぐ近くからは青銅製の指輪が出土。研究者は、指輪と石壇が祭祀に利用された可能性を指摘している。『世界建築史ノート』(中川武編、東京大学出版会)には、ドン・エンガス(Dún Aonghasa)とアイルランド神話の神(Aengus)との関連を指摘する説もある、と書かれている。

古代ケルト人は文字を残さなかったこともあって詳細は不明だが、彼らが「ドルイド」と呼ばれる宗教的指導者を中心として、太陽などの自然を崇拝しながら祭祀で生贄を捧げていたことも、ギリシャ・ローマの文献や考古学的調査によって判明している。「ドルイド」の信仰は現在も形を変えつつ残っていて、イギリスの世界遺産ストーンヘンジでは夏至祭のときに限り、普段は立入禁止のストーン・サークル内で宗教者たちが集会を開いていることが知られる。ケルト文化はいまも、あちこちで息づいている。

ドン・エンガスで何が行われていたか、実際のところはわからない。ただ、沈みゆく太陽を仰ぐ舞台装置のような石壇に、生贄を捧げるなど「祭壇」の役割があったかもしれないと考えるのは、的外れではない。ましてやイニシュモア島は、古代ケルト語にルーツを持つゲール語の話者が大勢暮らし、ケルト文化の残り香漂うアランセーターを特産品とする。そんな伝統文化を重んじる島に惹かれてやって来た観光客の一人である私は、やはり場所の聖性を意識すべきではなかったか。歴史的背景を忘れて、ただ景色がいいからと娘たちを石壇に登らせたのは、島の人々が何世紀にもわたってドン・エンガスに託してきた祈りや精神性を冒涜するリスクを犯していたかもしれない 。私は娘たちに、目に見える景色だけでなく、見えないものの存在をこそ教えるべきだったのではないか。

本来なら知識の助けがなくても、文化遺産が背負う歴史や、人びとの心情まで想像をめぐらせるべきなのだろうけれど、なかなか簡単にはいかない。迫力あふれる絶景の背後に隠れがちな「見えない物語」は、遺跡から1㎞離れた場所に2026年5月にリニューアルオープンしたビジターセンターが今後、補足してくれるだろう。

もちろん、すべての行動を自制すべきというわけではない。ドン・エンガスもその精神性を強く意識しながら、石壇に登って古代人と同じ景色を見るという鑑賞方法が十分にあり得るはずだ。文化遺産の保護を前提とした自由な鑑賞環境は、ヨーロッパ文化遺産の大きな魅力でもある。もしも将来、ドン・エンガスやファーネス修道院が「登らないで」の表示や柵だらけになったら、それは一種のディストピアにちがいない。そうならないように、さまざまなリスクに対する責任には向き合っていきたい。

※文中の写真はすべて筆者が2025年4〜5月に撮影。

【参考文献】
『ケルトを知るための65章』(木村正俊編著、明石書店、0000年)
『ヘリテージマネジメント 地域を変える文化遺産の活かし方』(松本茂章編著、学芸出版社、0000年)

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 第二回

プロフィール

mina

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。

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