人間はいつ言葉を理解し、操れるようになるのか? そのメカニズムはまだ完全には解明されていない。「人間の発達」の謎を探究するべく、子どもと向き合う発達科学者の萩原広道が、研究のドタバタ劇と科学のロマンを綴る。
【今回紹介する研究】
Hagihara, H., & Sakagami, M. (2020). Initial noun meanings do not differentiate into object categories: An experimental approach to Werner and Kaplan’s hypothesis. Journal of Experimental Child Psychology, 190, 104710. https://doi.org/10.1016/j.jecp.2019.104710
初期名詞はモノのカテゴリーに分化していない:ウェルナーとカプランの仮説に対する実験アプローチ
Hagihara, H., Yamamoto, H., Moriguchi, Y., & Sakagami, M. (2022). When “shoe” becomes free from “putting on”: The link between early meanings of object words and object-specific actions. Cognition, 226, 105177. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2022.105177
「クツ」が「履く」から自由になるとき:初期のモノ語の意味とモノに特有の行為との発達的関係
●赤ちゃんをたずねて770キロ
「研究にご協力いただけそうな、他の保育園や幼稚園ってご存知ありませんか?」
大学院生だったころ。私は行く先々の園長先生に、何度も同じ質問を繰り返した。今から思えば、ずいぶんと図々しいお願いである。初対面に近い園長先生にこれから実施する発達研究について説明し、空き教室や廊下に間仕切りを置いて研究スペースを確保する。保護者の方から事前に同意の得られた、まだよちよち歩きの1歳児をそこに招いて、いくつかの課題に取り組んでもらう。数日後にようやく終えたかと思えば、お礼もそこそこに「次の園を紹介してほしい」と尋ねる―。
なかには日程が合わず伺えなかった園もあるが、このリレー形式で、最終的に全国14か所ほどの保育園や幼稚園、こども園を訪ね歩き、100人以上の赤ちゃんに研究に参加してもらった。言うなれば「こども園数珠繋ぎ」。知人や親戚、学会で声をかけてくれた親切な人、そして園長先生から次の園長先生へ。研究に協力してもらえたとある長崎の園の先生から「滋賀なら紹介できそうな園がある」と聞けば、迷わず「行きます!」と答える。九州から関西までの距離なんて気にしない (ただし交通費や宿泊費をいかに安く抑えるかには頭を捻った)。大学院生のなりふり構わない勢いを見て、ちょっと引かれてしまったかもしれない。いずれにしても、本当に多くの人の親切で研究を進めることができた。
いま振り返ってみると、当時はとにかく必死だった。というのも、私は発達心理学・発達科学を専門とする研究室には所属していなかったからだ。どちらかというと理系寄り、むしろ自然科学系の研究室に所属していて、その中で私だけが赤ちゃんの発達を主軸に研究していた。赤ちゃんを研究したければ、まずは赤ちゃんを自分で探しに行かなければならなかったのだ。
●発達研究は一日にしてならず
大きなスーツケースに、モニターやビデオカメラ、三脚などの機材、書類の束、着替えを入れて、園から園へと渡り歩いた。別の研究者からは「さすらいの発達心理学者」と呼ばれた。褒められていたのかは定かではない。そういうことにしておこう。
当たり前だが、赤ちゃんはこちらの思い通りには動いてくれない。米国の発達心理学者アリソン・ゴプニックの著作『思い通りになんて育たない』(邦題) は、子育て経験のない大学院生にとっても実感を伴うテーゼになった。
モニターの画面を見てほしいのに、目の前にある記録用のビデオカメラや三脚にばかり気を取られる子どもがいる。モニターを「見る」よりも、モニターに付いている光るボタンを「押す」ことにとにかくご執心な子どももいる。加えて、どうやら眼鏡や襟付きシャツ、そもそも成人男性に対して「怖い」と思う子どもも少なくないらしい。あの子は私を常に警戒している。さらに、同じ子どもでもそのときの眠気や空腹度合いによって、課題にどれだけ取り組んでくれるかが大きく変わる。そんなこと、論文にはまったく書かれていなかった。実際にデータを収集するよりもはるか手前で何度も行き詰まった。
子どもだけでなく、大人同士のコミュニケーションにも難しさを感じる場面があった。念のために付け加えておくと、これは園の先生や保護者の方が悪いという話ではない。そうではなくて、研究者が日常的に使う言葉と、子どもに日々向き合っている人たちが交わす言葉とのあいだに、思いのほか距離があったということだ。発達科学も「科学」のひとつなので、研究室や学会では「研究」「実験」「課題」「評価」といった言葉が日々飛び交っている。しかし、こうした言葉は、園の先生や保護者の方にとって、ときに不安を喚起する表現になりうる。「子どもの気持ちを無視して、研究者が好き放題に扱うということだろうか」「子どもの振る舞いから、子どもの賢さや、ひいては自分の育て方まで評価されてしまうのではないか」――。研究者にそんな意図はなくても、そう受け取られてしまう場合がある。
もちろん、発達科学の研究は、研究者の思いつきだけですぐに始められるものではない。少なくとも私たちが行う研究では、事前に大学などで倫理審査を受け、子どもの安全や権利をどう守るか、研究への参加にどのような心身の負担がありうるか、撮影した映像や記録をどのように管理するかといったことを事前に検討し、倫理委員会の承認を得てから実際の研究をスタートする。ただ、そうした手続きを踏まえることと、初対面の園の先生や保護者の方、さらには子どもたちに安心してもらえることは、必ずしも同じではない。研究者にとっては日常的な「実験」や「課題」という言葉も、子どもと毎日向き合っている人にとっては、何かを試されたり、値踏みされたりするような響きをもつことがある。発達科学者が知りたいのは、特定の子どもの優劣でも、特定の大人の関わり方の良し悪しでもない。それをどう伝えたら良いだろう。
赤ちゃんが研究対象というだけでなく、私自身もまた、研究者としてはよちよち歩きを始めたばかりの「赤ちゃん研究者」なのだと痛感した。
●小さな工夫の積み重ねが科学を左右する
もしかすると、「人間の発達を科学したい」と思って単身大学院に飛び込んだ私が無謀だったのだろうか。そういえば、清少納言を研究するために、休職してまでフィンランドから京都に向かったミア・カンキマキもこう言っている。
「夜に目が覚めて叫ぶようになる。もしかして私は人生で最大の過ちをおかそうとしている? なぜ、自ら進んで一年間ホームレスになり、とてつもないストレスに自分を追い込むのか? ようやく寝付いても、狂った殺人者に囚われた凶暴な悪夢を見る。」(『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』p.30)
それでも、既に協力してくれている多くの人――園の先生、保護者の方、そして赤ちゃんたち――の恩には報いたい。そして、自分も「人間発達の不思議」を解明する糸口を見つけたい……! 泣き言は言っていられない。
赤ちゃんが実際に過ごしている生活の場に飛び込み、試行錯誤を続けるなかで、すべてとはいかないまでも、いくつかの事柄については少しずつ解決の見通しが立ってきた。カメラの置き場所を調整して子どもから見えにくくする。モニターのボタンや点滅するところには黒いビニールテープを貼って目立たなくする。安定してモニターを見てくれる赤ちゃんが増えてきた。かわいらしい動物や恐竜、食べ物がプリントされたTシャツを着てみる。ゾウのシャツを着た子が寄ってきた。「おんなじゾウさんだね」と互いのTシャツを愛で合う (GraniphのTシャツを何枚買っただろう)。ほかの子たちも「どうしたの?」と言わんばかりに寄ってくる。あの子の警戒も多少は解けてきたかもしれない。どの子どもにいつ協力を依頼するか、担任の先生と一緒にタイミングを見計らうこともしばしばあった。「お昼寝の後の方がいいかも」「あの子に先に参加してもらって、楽しそうに戻ってくる様子を見せてあげると、この子も参加しやすくなるかも」。子どもの機微を捉えた担任の先生からの提案にも幾度も助けてもらった (先生、ありがとう……!)。
こうしたちょっとした「ハック」や「コツ」ともいえる対応の調整は、論文には書かれていない。子どもと、子どもに日々接する大人に学ぶしかなかったのだ。発達科学は、彼らの日常に支えられている。
園の先生方や保護者の方とのコミュニケーションも、ぎこちないながら「以前より通じている」感覚をもてることが増えてきた。「実験」の代わりに「調査」と言う、といった単なる言葉の置き換えだけではない (ちなみに、英語圏では “experiment” (実験) という用語をそのまま使うことが多いようだ。日本よりもこの言葉が日常に溶け込んでいるらしい)。むしろ、「なぜ赤ちゃんを科学するのか」という態度や姿勢の話を最初に丁寧に伝えることが重要だったのだと思う。特定の子どもの優劣を調べたいわけではなく、「子どもがどんなふうに世界を捉えているのか」「その認識の仕方は大人とどんなふうに違うのか」を知りたい、と強調した。それらがわかることで、子どもと関わるときのヒントが得られるかもしれない、と。常にうまくいくとは限らない。それでも、とにかく「子どもを理解する」ために科学的研究をするのだと伝えた。発達科学は、思っていた以上に、人との関係に支えられた営みなのだと学んだ。
●「クック」の意味を追いかけて
「研究」「実験」といった言葉に対して抱く印象は、研究者と保護者や先生とで (あるいは日本語話者と英語話者とで) 異なる場合がある。言葉に抱く印象、もっと踏み込んで言うなら言葉の意味は、その人がどのような経験を積み、どのような世界に身を置いているかによって変化する。だとすると、この世界に生まれ落ちてまだ日が浅い子どもたちは、私たち大人とは異なる独自の仕方で、言葉の意味を捉えているのかもしれない。今回紹介する発達研究 (Hagihara & Sakagami, 2020; Hagihara et al., 2022) で共同研究者と一緒に私が挑んだのは、まさにこういう問いだった。
子どもの単語の捉え方って、きっと大人と違うんだろうな――。赤ちゃんや小さい子どもと関わるなかで、そう感じる場面がいくつかあった。紫色の液体が入ったペットボトルを見て「バナナジュース」という子ども (え、黄色くないよ?)。折り畳み式の鉄棒にぶら下がって遊んだあと、片づけるときに「ブランコ、バイバイ」という子ども (これ、ブランコなんだ……)。いったい、彼らは世界をどんなふうに捉えて、特定の単語と結びつけているのだろう (なお、筆者の近著『子どもとめぐることばの世界』では、これら以外にもいくつかのエピソードを紹介している)。
大人なら、紫色の液体は「ブドウジュース」などと言うだろうし、ぶら下がって遊んだとしても「鉄棒」は「鉄棒」と呼ぶだろう。でも、子どもは必ずしもそうではない。単なる言い間違いだろうか。それとも、こうした言語表現は、幼い子ども独自の「世界の認識」を反映しているのだろうか。もしかしたら、子どもは〈ぶら下がって遊ぶモノ〉を、あるいは〈ブランコ的な出来事〉を「ブランコ」という単語の意味だと理解しているのかもしれない (関連して、ゆる言語学ラジオの水野太貴さんによる書籍『きょう、ゴリラをうえたよ』では、“言い間違い”や“勘違い”と言うにはあまりにもったいない子どもの独特な言語表現がクイズ形式でたくさん紹介されている)。
多くの言語圏において、子どもたちは「コップ」「クツ」「ワンワン」など、具体名詞を中心に初期の語彙を増やしていくことが知られている (Frank et al., 2021)。でも、〈ぶら下がって遊ぶ鉄棒〉が「ブランコ」になるのなら、名詞の意味は、モノをどのように使うのかという行為の情報にも大きく左右される可能性がある。その点で、発達初期の名詞は名詞というよりも、名詞と動詞が癒合したもの (私は「胚性詞」と呼んでいる) だと考えられるかもしれない。たとえば、〈足にはめるモノ〉を見て「クツ」(幼児語で「クック」と言うこともある) だと理解できる赤ちゃんでも、〈全然別の使い方をしている靴〉を見せられると、「クツ」を見失ってしまうこともありうるのではないか。
●「クックはどっち?」課題
単語の理解を調べるときに、その対象が赤ちゃんなら、当然「あなたにとって『クック』とはどういう意味ですか」などと尋ねることはできない。そこで、モニターに2つの異なる動画を左右に並べて提示し、「クックはどっち?」と尋ねて、それに対応する方を見たり指差したりして選んでもらうという課題を用いた。選択形式のクイズである。
まず、片方には「靴を履いている」動画を、もう一方には「カゴをこすっている」動画 (つまり、靴ではないモノで、靴とは関係のない行為をしている) を出し、同時に再生する (図1; モノ-行為合致条件)。この状況で、子どもに「クックはどっち?」と尋ねる。もし、「クック」という単語に関する何らかの理解があれば、靴を履いている方の動画を選ぶと考えられる。実際に、1歳半ごろの子どもたちは、このような状況で「靴を履いている」方をよく選び、2歳に近づくほどその傾向は強まっていった。

別の条件では、ちょっとイタズラをしてみた。今度は、片方には「カゴを (あたかも靴のように) 履いている」動画を、もう一方には「靴をこすっている」動画を提示して、同様に「クックはどっち?」と尋ねたのである (図2; モノ-行為不一致条件)。大人なら、ほぼ迷わず「靴をこすっている」方を選ぶだろう。ちょっと奇妙な使われ方をしていても、「靴はどちらか」と聞かれれば、モノ自体に即して判断する。2歳に近い子どもたちも同様の選択傾向を示す。つまり、どんな使われ方をしているかという行為の情報に惑わされずに、モノの名前としての「クック」に対応する動画を選べる。

ところが、興味深いことに、1歳半の子どもたちは、この状況では選択が「当てずっぽう」に近くなってしまった。モノと行為とが合致していれば (つまり、靴を履いていれば) 「クック」がわかるのに、モノと行為の対応関係が崩れると (靴で変なことをしていると) 「クック」がわからなくなってしまうのだ。
これは、1歳半の子どもたちがカゴを靴だと誤解した、という理由では説明できない。というのも、さらに別の条件で、「カゴを履く」動画と「カゴをこする」動画とを提示し (つまり靴が出てこない状況で)、「クックはどっち?」と尋ねると、1歳半でも2歳前の年齢でも、当てずっぽうに近い反応を示したからだ。もし、カゴのことを靴だと考えていたのなら、この状況では「履く」方の動画を選ぶはずである。しかし、実際にはそうはならなかった。
こうした研究知見から、「クック」などの具体名詞の意味は、発達初期にはモノだけではなく、〈靴を履く〉のようにモノと行為とが分かちがたく結びついたものになっていることが示唆される。発達とともに、子どもたちはやがて、どのように使われているかに惑わされることなく〈靴〉というモノだけを取り出して「クック」だと理解するようになる。つまり、「クック」は最初は出来事全体を意味する単語になっていて、その点では「名詞」とは異なる、未分化な意味をもっている。モノとも行為ともつかない曖昧性は、幼い子どもが「ピョンピョン」などのオノマトペを使う場面を想像すると理解しやすいかもしれない。これは名詞か。それとも動詞だろうか。どちらにもなれるし、その両方かもしれない。
余談だが、このクイズ課題で用いた動画は、共同研究者の娘さん (当時は小学生) がモデルになってくれて作成したものだ。靴を履くだけならまだしも、カゴをこする、カゴを履く、靴をこする、さらにはパントマイムで靴を履くふりをする――。なんとも奇妙な無茶ぶりに対して、想定以上にしっかりと演じ切ってくれた。素晴らしい演技力。脱帽である。「刺激動画を作成した」という、学術論文の短い文章。その背後にも、こうした協力者の尽力が隠れている。
●科学のレンズで、赤ちゃんの世界をのぞく
私たち大人はつい、言葉の発達を「言えるようになったか/まだ言えないか」「わかっているか/わかっていないか」といった二分法で考えてしまう。しかし、今回紹介した一連の研究が示しているのは、そのあいだにある「発達的な変化」である。子どもはある日突然、大人と同じ意味で「クック」を理解するようになるわけではない。最初は、〈靴-履く-玄関-おでかけ〉など、ひとかたまりの出来事と特定の単語とを結びつけているのかもしれない。そこから、経験を重ねたり、周囲の人と言葉でやりとりしたりするなかで、そのまとまりがほどけていくのだろう。やがて「靴」という単語の意味は、特定の行為や場面から切り離されて自由になる。「靴をかぶる」「靴を食べる」といった、通常ならありえないことを聴いても理解できるようになる。単語が意味するものは赤ちゃんと大人とでは異なるし、1歳児と2歳児でも違う。言葉は、ひとたび覚えたあとにも発達し変化する。
実は、発達初期に単語の意味が未分化であることは、19~20世紀の哲学者や心理学者も指摘していた (たとえば、Dewey, 1894; Werner & Kaplan, 1963)。彼らも大真面目に、一見すると言い間違いや勘違いにみえる子どものことばに向き合っていたのだ。私が最初にこの問いを思いついたときには、不勉強ながらそういう先人がいることを知らなかった。芋づる式に引用文献を辿って大学図書館の書庫に潜ったり、大学院時代の友人で哲学者の谷川嘉浩さんなど、何人かの人に教えてもらったりしてこれらの文献に出会った。半世紀以上、ともすれば百年以上前の文章に、自分の研究テーマに通じる洞察を見つける。私が考えていたことは、孤独な妄想ではなかった。
赤ちゃんを探し求め、赤ちゃんが見ている世界を科学のレンズで捉えようと試みる。よちよち歩きの赤ちゃん研究者だったが、多くの人の協力を得て (字義通りよちよち歩きの子どもたちにも協力してもらって)、何とか論文出版に至った。データを収集してから何年もかかってしまったけれど。
そして、まだまだ疑問は尽きない。
赤ちゃんはいったい、どんな世界を生きているのだろう。
発達の過程で、赤ちゃんが見ている世界はどんなふうに変わっていくのだろう。
赤ちゃんを探し求める科学者の旅は、これからも続く。
(次回へつづく)
【文 献】
アリソン・ゴプニック (渡会圭子 訳) (2016/2019).『思いどおりになんて育たない: 反ペアレンティングの科学』森北出版.
ミア・カンキマキ (末延弘子 訳) (2013/2021).『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』草思社.
萩原広道 (2024).『子どもとめぐることばの世界』ミネルヴァ書房.
水野太貴 (2024).『きょう、ゴリラをうえたよ』KADOKAWA.
Frank, M. C., Braginsky, M., Yurovsky, D., & Marchman, V. A. (2021). Variability and consistency in early language learning: The Wordbank project. MIT Press.
Hagihara, H., & Sakagami, M. (2020). Initial noun meanings do not differentiate into object categories: An experimental approach to Werner and Kaplan’s hypothesis. Journal of Experimental Child Psychology, 190, 104710. https://doi.org/10.1016/j.jecp.2019.104710
Hagihara, H., Yamamoto, H., Moriguchi, Y., & Sakagami, M. (2022). When “shoe” becomes free from “putting on”: The link between early meanings of object words and object-specific actions. Cognition, 226, 105177. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2022.105177
Dewey, J. (1894). The psychology of infant language. Psychological Review, 1(1), 63-66. https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/h0065788
Werner, H., & Kaplan, B. (1963). Symbol formation: An organismic-developmental approach to language and the expression of thought. John Wiley.
H. ウェルナー,K. カプラン (柿崎祐一 監訳) (1963/2015).『シンボルの形成:言葉と表現への有機-発達論的アプローチ』ミネルヴァ書房.

人間はいつ言葉を理解し、操れるようになるのか? そのメカニズムはまだ完全には解明されていない。「人間の発達」の謎を探究するべく、子どもと向き合う発達科学者の萩原広道が、研究のドタバタ劇と科学のロマンを綴る。
プロフィール

HAGIHARA Hiromichi はぎはらひろみち 大阪大学大学院人間科学研究科講師。長崎県出身。専門は発達認知科学、発達心理学。博士 (人間・環境学) (京都大学、2021年)。公認心理師、作業療法士。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。東京大学特別研究員、Trinity College Dublin客員研究員、University of Warwick客員研究員などを経て現職。主著に『子どもとめぐることばの世界』(ミネルヴァ書房、2024年)、『〈京大発〉専門分野の越え方:対話から生まれる学際の探求』(共編著、ナカニシヤ出版、2023年) など。ボードゲーム型教材『DAIGAKU:いばら色のキャンパスライフ』(クリエイツかもがわ、2024年) の開発も。好物はトマト、ホタテ、ウニ。
https://babylab.hus.osaka-u.ac.jp/people
萩原広道 




亀石倫子×ダースレイダー
平尾剛


森野咲