被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第11回

「幻」となった報告書

戦後史⑦
小山 美砂(こやま みさ)

 被爆者の子どもとしてうまれた「被爆二世」の戦後を見つめる本連載。文献の参照を中心としながら、彼らを取り巻く社会の変遷をシリーズで伝えている。
 前回は、東京都議会において、被爆者の子孫を「絶滅」させる方法はないかという議員の発言について考察した。暴力的な差別発言は当事者たちにショックを与え、大きな批判を呼んだ一方で、被爆二世たちを運動に駆り立てる一因にもなった。
 被爆二世への援護施策を求める声も高まる中で、国はある計画を打ち立てる。

「不可解」な国の計画発表

 被爆二世による運動が本格化する中、1978年9月26日付の新聞各紙で、こんな計画が報じられた。厚生省(当時)が、被爆二世への「健康診断」を次年度から実施すると発表したのだ。

 本連載でも見てきたように、神奈川県川崎市や京都府、東京都では自治体独自の施策として、被爆二世への健康診断や医療保障が実施されてきた。同日付『朝日新聞』によると、この他に北海道や千葉市、広島市でも実施されている。国が全国規模で実施するとなれば初の試みになるとして、紙幅を割いて報じていた。

 予定されている検査内容については、「被爆者」に行われている一般検査に準じたものになると伝えている。具体的には、「①視診、問診、聴診、打診検査②赤血球沈降速度③赤血球計算④血色素検査⑤尿検査⑥ふん便検査⑦血圧測定⑧肝機能検査、など」とされた。

 実施に踏み切った理由としては、被爆二世に「白血病の発生率が高い」とする研究結果は得られていないものの、「健康面の不安を訴え、健康診断の受診を希望する人がふえている」ことが挙げられた。

 被爆二世が立ち上がり始めた頃だ。計画はさぞかし歓迎されただろう――私はそう受け止めた。

 しかし、『中国新聞』は「『研究目的』と反発」「医療保障に問題 プライバシーも守れぬ」との見出しを立てて、計画に反対する被爆二世のコメントを伝えていた。なぜ反対するのだろうか? 私は当初、その理由をはかりかねた。しかし、厚生省が計画を打ち出すまでの経緯を見ていくと、その「不可解さ」が浮かび上がってくる。

 国会での議論を見ていこう。会議録が閲覧できるサイトで「被爆二世」と検索すると、最も古いもので1967年6月13日、参議院内閣委員会での議論がヒットする。「被爆二世には健康手帳というものは渡されませんか」と制度の確認をするもので、被爆二世の健康問題や保障の議論には立ち入っていない。

 1970年代に入ると、被爆二世への対策について問う議員の発言が急増する。闘病の末に亡くなった被爆二世のことが報道され、関心が高まってきた時期だ。被爆者の子どもにも健康診断や実態調査を実施し、心身や生活を支える施策をとるべきではないかという質問が繰り返された。対する厚生省(当時)の回答は、慎重になるべき問題で、あくまで「研究結果」を重視するとの姿勢が貫かれている。

 例を挙げてみよう。

「現状の研究の成果全体を踏まえますと、二世が影響を受けているという調査結果が明らかなものがございませんので、(中略)現状、対策を具体的に講ずるというような段階に至っておりません」(1971年3月23日、滝沢正政府委員)

「二世、三世対策につきましては就職、結婚、その他いろいろむずかしい社会問題がございます。したがって、これ(健康診断)を正規の施策として大っぴらに実施するということについては希望なさらない二世や三世の方も少なくないわけでございますので、今後の問題として慎重に検討しなければならないことであろうと考えております」(1975年7月1日、佐分利輝彦政府委員)

 中でも、地方自治体が独自に取り入れた施策への受け止め方が目を引いた。例えば、1976年5月20日の参議院社会労働委員会で、この年から被爆二世への医療費助成を始めた東京都の対応について、佐分利政府委員はこう述べている。

「地方自治の本旨からやむを得ない面もございますけれども、私どもは二世の健康障害については、その方たちの結婚とか就職について非常にむずかしい社会的な問題がございますので、こういった問題は慎重に対処しなければならないと考えております」

 憲法において地方自治が保障されているため、国が実施していない被爆二世対策を都が独自に実施するのは「やむを得ない」が、国としては「慎重に対処」すると述べている。都の取り組みを苦々しく感じているようにも受け取れる答弁だ。

 以上から明らかなように、国は、医療保障はもちろんのこと、健康診断についても消極的な姿勢を見せている。

 1977年4月27日の衆議院社会労働委員会では、やはり佐分利政府委員が「たとえ希望者であろうとも、二世、三世の方の健康診断をするということが一般の方々に誤解を与えるのじゃなかろうかという非常に大きな不安を持っている」と述べている。どんな「誤解」を招くのか詳細は語られていないものの、対策を講じることが当事者に「不利益」をもたらすことを案じての発言だろう。

いつまでも「モルモット」か

 ところが、潮目は突然変わった。

「被爆二世の健康面の不安については私どももよく理解できるところでありますので、たとえば調査研究の一環として、申し出による希望者に対しましては健康診断を実施するなど、この面で何らかの措置が講ぜられないものかどうか、真剣に検討してまいります」(太字は筆者、以下同)

 1978年4月27日の衆議院社会労働委員会で、小沢辰男厚生相がこう述べたのである。8月8日には訪問先の長崎で記者会見し、次年度から国の費用で健康診断を実施すると発表した。同月9日付『読売新聞』は、会見で語った内容を次のように伝えている。

「被爆二世、三世には健康上も、遺伝的にも問題はないと確信しているが、結婚、就職などに際して健康上の不安を抱く人もいると聞くので、不安解消のため、希望者には健康診断など諸検診を実施したい。ただ、二世にはいろんな疾病や不安があるから検診すると受け取られるのは困る。財政措置としては、現在ある被爆者のための健康管理対策など、調査研究費を増額してあてたい」

 この発言を、どのように感じるだろうか? 遺伝的影響はないと「確信している」ため、健康診断を実施することが、被爆二世に「健康上の不安がある」というメッセージになっては困る。だから、「調査研究」の名目で予算を計上したいという内容だ。しかし、遺伝的影響はないという結論を腹に据えながら、調査研究として健診を行うのは矛盾するのではないか。

 不安の存在は認めつつ、その不安が生じる理由自体は否定する――このねじれたロジックを維持したままで、冒頭に伝えた9月の計画発表へと続いたのだ。

「不可解」ともいえる、厚生省の劇的な方針転換。被爆二世たちも、困惑をもってその知らせを受け止めた。

 大阪被爆二世の会は同年12月発行の事務局通信で「はっきり言って今年に入ってなぜ厚生省が態度を急変させたか、その背景の真実をつかむことは非常に困難」とした上で、「被爆者・被爆二世運動自体を骨抜きにしてしまおうという意図も私達は見ることができる」と推測している。

「調査研究」という文言に着目したのは、「全国被爆二世連絡会」事務局長の森川聖詩さんだ。小沢厚生相の言葉だけでなく、計画内容を伝えた前掲の『中国新聞』でも、厚生省公衆衛生局企画課長による「二世の不安を取り除くことが主眼であくまでも研究、調査の一環だ」とのコメントが紹介されている。

 問題の肝は、ここにある。同紙には、森川さんのコメントが掲載されていた。彼も計画に反対の立場を取っていたが、「健康診断で疾病が発見されても治療する医療が保障されていない」「調査、研究が目的」などを理由としていた。

 私は森川さんと2020年に出会って以来、当時の運動や国とのやりとりについて聞かせてもらってきたが、『中国新聞』に寄せたコメントの真意について、こう語っている。

「厚生省は、被爆二世の不安を解消するために実施すると言いながら、医療保障にはつながらない施策であると明言していました。それではいつまでもデータが吸い上げられるだけで、私たち被爆二世は調査・研究の対象……つまり、モルモット扱いではないかと思ったんです。プライバシーが侵害されるおそれもあります。私たちは、医療保障がない限りは応じない、という姿勢で反対しました」

 調査はいかなる状況で実施されるべきなのだろう。医療保障のような「救済策」が準備されていない状況で健康診断を受けて、果たして「不安」を取り除くことはできるのだろうか。何の異常も見つからなければ、その一時は安堵もするだろう。だが、本人が不調を自覚している場合は? 何らかの病気が見つかった時は? 「調査・研究」をうたった国の計画に、こうした懸念に対する視点やフォローアップは用意されていなかった。だからこそ、「モルモット扱いではないか」と反発したのだ。

 森川さんはハンガーストライキなどを通して計画の実施に反対したが、結局止めることはできず、被爆二世への健康診断は実施された。

『広島市原爆被爆者援護行政史』によると、広島県と広島市は1980年2月1日にその実施要綱を発表。診断を希望する人ははがきで申し込み、指定の医療機関で受診する体制が整えられた。検査は日本公衆衛生協会に委託され、問診や聴診、血液検査や尿検査に加えて、必要に応じて精密検査も実施された。被爆地以外でも、全国各地で検査が行われた。

「幻」となった報告書

 私の手元に、その結果をまとめた報告書がある。

『昭和54年度 原爆被爆者二世の健康に関する調査研究 報告書』とガリ版刷りされた報告書の写しだ。

 その中には、広島や長崎など39府県の計1万7212人の既往歴の他、健康診断で得られた白血球数や血圧などの平均値が示されていた。被爆二世のデータと国民健康調査などを比較した上で、「おわりに」で次のように結論づけた。

被爆2世健診の結果からつぎの点が指摘される。

① 被爆二世の健康状態は、健診で行なわれた検査内容から判断する限りにおいては、一般国民の健康状態と全く変りない。

② 被爆2世であることに対する不安をもっている者がかなりおり、それに関連した自覚症状の訴えも多い。

今後は、被爆二世の不安解消を目的としたカウンセリングに重点をおいた被爆2世対策の実施が必要であろう。

③ 被爆2世については、原爆放射線に起因する健康障害は発生していないというのが現在の学問的事実である。今回実施の被爆2世健診結果はあらためてこの事実を肯定したものである。

※原文ママ

 原爆の被爆二世への健康影響を否定した内容だったが、全体を通して読むと疑問が残るところも多い。例えば、実施されたはずの肝機能検査の結果が記載されていない。

 比較する調査結果が対応していないものもある。精密検査の結果報告では、「要治療の指示のあった者」が、広島では男性が2.8%、女性が5.8%だった。報告書がこの比較対象としたのは、厚生省「国民健康調査結果」における「性・年齢階級別にみた有病率」と、疾病を持つ人の総数を表した労働省の「定期健康診断実施結果」。これでは項目が対応しておらず詳細な分析は困難に思われるが、「一般国民の健康状態と大差ないと判断してもさしつかえない」と結論づけている。

 既往歴を巡っては、広島と長崎の結果が男女ともに1.1~4.4%と、その他の府県(約20%)と比べて著しく低い。この点については「情報が正確に入手できなかった」ことが考えられるとして、調査の不備も指摘されている。

 このような内容で、被爆二世への健康障害は発生していないというのが「学問的事実である」と言い切れるのだろうか……そんな疑問を持たざるをえなかった。

 厚生省は、この報告書を公開する前に森川さんたち被爆二世団体に、あらかじめその内容を伝えていた。1982年7月に報告書の原案を受け取った森川さんは、この公表に反対した。「遺伝的影響がないという結論の根拠がない。誤った結果が独り歩きしてしまう」と、考えたからだ。

 1982年11月、厚生省と話し合いの場が持たれた。

 交渉の場には、東京大学医学部講師で、薬禍の問題を追及していた高橋晄正さん(故人)も立ち会った。高橋さんは報告書の不備ではなく、むしろ結果の値に注目した。広島の被爆二世と全国平均を比べたところ、白血球数は約2割少なく、尿たんぱくの異常者の割合は小学生女子の年代で約5倍だった。これらの数値を挙げて、高橋さんはこう迫った。

「『異常がない』ことになっていますが、異常が出ていると言えます。ずさんな結論で、間違っている。公表すべきではありません」

 そしてついに、報告書が世に出ることはなく「幻」となったのだ。

 ところがその後も、国による被爆二世への健康診断は続けられている。現在の名称は、「被爆二世健康診断調査事業」。事業の目的は、被爆二世の中に「健康面での不安を訴え、健康診断を希望する者が多い現状に鑑み、健康診断を実施して、二世の健康状況の実態を把握するとともに健康管理に資すること」とされ、各都道府県と広島市、長崎市に委託されている。

 当時と変わらず、検査の結果何か異常が判明したとしても、医療保障を受けられるものではない。しかも、法律に基づく施策ではなく単年度ごとの予算措置のため、いつ打ち切られるかわからないという不安定さもはらむ。

 つまり、「不安の解消」のための「調査・研究」だとうたわれた1979年度の健康診断から、本質は変わっていない。森川さんは「幻」となった報告書を、これまで大切に保管してきた。私に現物を見せてくれたのは2021年5月。写しも託してくれたのは、被爆二世とその後に続く世代の未来を思ってのことだ。彼が本当に求めているものは、「健康診断」ではなく「援護」なのだ。

 シリーズで伝えてきた「戦後史」は、次回で最終回とする。それぞれの声に呼応するように広がっていった被爆二世の運動を辿りながら、被爆者の子どもたちが担う「継承」のかたちを考える。

(次回は2月19日更新予定)

 第10回
被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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