高額療養費制度を利用している当事者が送る、この制度<改悪>の問題点と、それをゴリ押しする官僚・政治家のおかしさ、そして同じ国民の窮状に対して想像力が働かない日本人について考える連載第1回!
この人々は、おれたちに死ねと言っているのだろうか……?
昨年末に一連のニュースを初めて耳にしたとき、最初に頭に浮かんだ言葉だ。
高額療養費制度という、おそらく一般にはあまり馴染みがないであろう、しかし我々難病当事者には文字どおり命綱になっている医療制度に対して〈見直し〉が行われている、とメディアで報道されはじめたのは、昨年の年末だ。新聞やテレビでの扱いはごく小さなものだったが、この制度を15年以上ずっと利用してきた難病当事者としては、どうにも心がざわつく不穏なニュースではあった。
年が明けて今年の2月以降になるとメディアでも大きく取り上げられるようになってきたので、今ではこの言葉くらいは聞いたことがある人はだいぶ増えたのではないかと思う。ただ、この制度は長年利用し続けている当事者でも困惑するくらい、ムダに複雑な仕組みになっている。まあ、お役所的な制度というものは概してそういうものではあるけれども。なので、まずは簡単にこの制度について解説してみたい。
高額療養費制度とは、1ヶ月のうちにかかった医療費が高額になった場合、一定金額を超えた分は自己負担にならずにすむ、という制度だ。たとえば、あなたがある日突然、がんだと宣告され、その治療と手術で1ヶ月300万円の治療費がかかったとしよう。70歳未満の人なら、健康保険制度により自己負担は3割なので、約90万円が病院からあなたに請求されることになる。しかし、そのような高額な料金をいきなり払えと言われても、簡単にポンと出せる人はそうそういない。そこで、年収に応じて支払額に上限を設け(後述)、どんなに高額な治療を施しても一定額以上の料金を負担しなくていいようにしているわけだ。
この制度があるから、たとえば非常に珍しいがんが発見された若者でも絶望せずにテーラーメイドのような治療で病に打ち勝って、ふたたび希望のある人生を歩みだすことができるのだし、ワタクシのようなめんどくさい難病持ち(これも後述)だって、健常な人々と同じ生活水準を維持するための治療を継続しながら社会生活を営んでゆくことができる。そのような理由から、これは日本の医療制度の根幹である国民皆保険の根っこを支える、非常に重要なセーフティネット、と言われているわけである。現状の制度ではざっくりといえば、年収700万円(手取り月40数万円)のサラリーマンなら、どんなに高額な治療でも1ヶ月に8万円を支払えばすむ制度設計になっている。
ところが、昨年末頃からテレビや新聞、ネットニュース等でさりげなく小さな報道が流れ始めた。冒頭で、我々制度を利用する当事者にとって「なんとも心がざわつく不穏なニュース」と述べたが、たとえば以下のようなものだ。
・高額療養費制度 来年8月から上限額引き上げの方針 厚労省(NHK 12/23)
・高額療養費制度、自己負担限度額を引き上げへ 25年8月から(毎日新聞 12/25)
・年収700万円で月5.9万円増 高額療養費制度の上限額(時事通信 12/25)
これらのニュースによると、2025年8月から2年かけて段階的に毎年値上げをし、最終的には「年収700万円の場合、現在の上限額は約8万円だが、25年8月に約8万8000円、26年8月に約11万3000円、27年8月に約13万9000円へ段階的に上がる」(時事)ことになるという。そして、「こうした見直しで、1人当たり年1100~5000円の保険料軽減効果があり、給付費も年5300億円削減される見通し」(時事)だと説明されていた。
報道内容はあくまでざっくりとした概要だが、8万円から14万円へ支払い上限額が見直されるということは、今までの1.7倍になるわけだ。年収1600万円の場合は、25万円から44万円まで引き上げるという。こちらも従来の1.7倍である。これ、仮に治療が3ヶ月継続したらどうします? ちなみにWHOの定義によれば、住居費用や光熱費、食費などを差し引いた家計所得のうち医療関連の支払いが40パーセントを超えると貧困に陥る可能性が非常に高い「破滅的医療支出」というそうだ。こんな大きな引き上げをされてしまえば、どんな収入区分の人だって一気に困窮してしまう可能性は大いにありえそうな金額で、かなり無茶な値上げ案であることは容易に推測できる。

現在の支払い上限額でも生活はいいかげん厳しいのに、こんなに金額を上げられてしまえばとても払えるものじゃない。しかもこれだけ引き上げておいて、保険料軽減は国民ひとりあたり年間1100円から5000円。つまり、1ヶ月で91円からせいぜい400円少々である。そんな程度の保険料負担を軽減するために、おれたちが生きていくためのハードルをいとも簡単に引き上げてしまうのか……。
そんな絶望に近い驚きをまず感じたのだが、同時に、この制度があるからこそ高度な治療によって社会復帰できたがん患者や、あるいは自分のように高価な薬剤で難病治療を続けながら社会生活を営んでいる人々がたくさんいることくらい、霞ヶ関の官僚や政治家にだって想像できるだろう、という(あまりに純朴な)希望的観測も持っていた。だって、この国は曲がりなりにも国民皆保険を謳う21世紀の近代国家のはずなのだから。だが、それは事態が一層紛糾した今年2月中下旬になって、「あ、この人たちはホントに、おれたちに『あんた、金がなけりゃ死んでもいいからね』という人たちなんだ……」という事実が露呈する。
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。