高額療養費制度を利用している当事者が送る、この制度〈改悪〉の問題点と、それをゴリ押しする官僚・政治家のおかしさ、そして同じ国民の窮状に対して想像力が働かない日本人について考える連載第6回。
高額療養費制度に関する話題を、このところ新聞やテレビなどのメディアではめっきり見かけなくなった。政府・厚労省が昨年末に掲げた上限額〈見直し〉案は、患者団体や医療関係者、そして世間からの大きな反発を受けて3月7日に石破茂首相がひとまず凍結する旨の発表を行ったが、それ以降は、報道量の減少と比例して世間一般の関心もかなり薄れつつあるように見える。
だが、政府と厚労省が計画していた上限額引き上げは、けっして可能性がなくなったわけではない。現在の状態は、あくまで当初案が凍結されているにすぎない。3月7日に凍結を表明した首相発言で「本年秋までに改めて方針を検討し、決定することといたします」と述べていたことからもわかるとおり、政府と厚労省にしてみれば、制度見直しを仕切り直しにする、と表明しているだけのことだ。その意味では、今のこの時期こそが、政府と厚労省の主張する「方針の検討と決定」に向けて地に足の付いた議論を進めていくための重要な期間であるといっていい(ただし、「秋まで」と政府側が定める刻限が妥当かどうかについては、ここではひとまず措く)。
そこで今回は、首相が凍結を発表してから現在に至るまでの、霞ヶ関界隈で高額療養費制度に関する各方面の動向について、簡単に整理をしておこう。
首相が当初案の凍結を発表してから約2週間後の3月24日には、衆参議員90数名が参加する超党派議連「高額療養費制度と社会保障を考える議員連盟」が発足し、第1回総会を開いた。参加議員はほどなく140名を越え、4月の第2回総会では立教大学教授安藤道人氏が政府・厚労省案の問題点を検証する勉強会を行った。『高額療養費引き上げ案の衝撃と教訓』と題したその際の講演内容は、当連載第5回で安藤教授との質疑応答をつうじてさらに深く掘り下げ、政府・厚労省案の問題を詳細に究明し、さらに、これからの高額療養費制度が目指すべき方向についても検討しているので、未読の方は是非ご一読いただきたい。
一方、政府・厚労省側の動きとしては、4月3日に第193回社会保障審議会医療保険部会を開催。その場では、当初案実施の見送りと今後の再検討について、事務局である厚労省側から審議委員に対して簡単な報告が行われた。次の第194回医療保険部会はその1ヶ月後、ゴールデンウィーク期間中の平日5月1日に行われた。第4回記事の末尾にも記したとおり、その会議では、医療保険部会の下に「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」を設置することが議題に上がり、患者等の当事者や医療者の委員を加えて議論を進めていくことが確認され、設置が了承された。

この審議会は現場で一部始終を傍聴していたのだが、議論の過程である委員が「数日前のテレビで、あるがん患者さんが『入院して治療手術をし、退院すれば終わりではなく、その後も定期的に検査や治療が続いて大きな費用が長期間かかる』と言っているのを見て、そういうこともあるのだなと思った」という主旨の発言をした。あまりに呑気なこの言葉を聞いたときは、非常に驚いた。正直なところ、聞き間違いではないかと我が耳を疑ったほどだ(この発言は、厚労省サイトで公開されている議事録でも確認できる)。
高額療養費制度の多数回該当(直近12ヶ月のうち、1ヶ月分の支払いで自己負担上限額が3回続くと、4回目からの自己負担額がさらに引き下げられる制度)を利用している患者は、病気を少しでも寛解へ近づけるために、あるいは寛解状態を維持するために高額な治療を続けている人が多い。
自分の場合でいえば、生物学的製剤の点滴治療と免疫抑制剤の服用をかれこれ16年ほど継続しているのだが、現在のQOL(健康水準)を保つためには、この治療を死ぬまでずっと続ける必要がある。そんなふうにして多数回該当を利用している人々は、厚労省資料を元にした全国保険医団体連合会(保団連)の調べによると、全国で142.5万人ほど存在しているという。これほどたくさんいる多数回該当利用者の治療や生活実態を理解していない委員が、自己負担上限額の引き上げをさも当然と考えて「審議」していたのかと思うと、怒りを通り越して呆れかえってしまう。
制度を利用することで文字どおり生命を繋いでいる我々の切実な実態を理解していない審議委員の、このような脳天気な姿勢は、患者団体が委員として参加する「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」が医療保険部会の下に設置されたことで是正され、より真摯に向き合うようになってくれることを期待したい。
5月26日に第1回の会合が行われたこの専門委員会には、日本医師会や国保、健保組合の代表者などに加え、全国がん患者団体連合会(全がん連)理事長・天野慎介氏と日本難病・疾病団体協議会(JPA)代表理事・大黒宏司氏が患者団体の代表として参加した。
この第1回会合では特に具体的な制度設計論などが議論されたわけではないが、天野氏と大黒氏から制度を利用する当事者の視点で、凍結された当初案の問題点や、現行制度が抱える課題、今後の議論で目指すべき方向性について、いくつもの重要な指摘や示唆があった。
全がん連天野氏からは、
- 高額療養費制度を利用する者の費用負担が家計に与える影響を分析・考慮するとともに、必要かつ適切な受診への影響に留意すべきこと。
- 大きなリスクに備える高額療養費制度は公的医療保険制度の根幹である以上、医療費予算節減を検討するのであれば、他の代替手段を優先かつ充分に考慮すべきこと。
- それでもなお、高額療養費制度自己負担上限額引き上げの検討が必要、という結論に至るのであれば……
- 破滅的医療支出(世帯収入から住居費や食費を引いた「所得」のうち、医療支出が40%を超えると貧困に陥る可能性が非常に高い、とするWHOの定義)を充分に考慮し、過重な負担にならないように留意すること。
- 多数回該当利用者の負担は大きく、多数回該当からはずれてしまう利用者の負担はさらに大きいため、年間支払い上限額の検討など、自己負担の軽減や影響緩和について特段の配慮を行うこと。
- 退職や転職などで所属健保が変わると多数回該当がリセットされてしまう問題について、保険者が変わっても多数回該当を引き継げるように取り扱いを検討すること。
……等の、いずれも重要な論点が指摘された。
また、JPA大黒氏は、自身が長年にわたり難病の治療や様々な手術を行いながら生きてきたことを克明に明かしたうえで、
- 医療の進歩によって難病患者の生命予後は改善しているが、制度に起因する経済的な高負担と困窮によって予後が短くならないように、委員会の叡知に期待する。
- 公的補助のある指定難病は348疾患約109万人、指定外の難病患者は約500万人いるという推計値もある。全国で約80万人といわれる関節リウマチなど、指定難病外の難病患者は高額療養費制度を利用して治療を続けている。
- 高額な生物学的製剤の治療を行えば患者は良好な状態を維持し、結果的に医療費や社会保障費全体の抑制につながる。自己負担が高額になって受診抑制が発生すると、病状の進行により、かえって医療費や社会的コストが増大することにもなりかねない。難病患者に不可逆的な病状悪化をもたらす受診抑制の発生は、人道的にも問題がある。
- 当初政府案によると、保険料軽減額はひとりあたり月100~400円。現役世代の保険料軽減が大切なことは充分に理解しているが、難病患者も現役世代が多く、月数百円程度の保険料軽減と引き換えに高額療養費の自己負担額が数万円上昇する計算になっていた。病を持ちながら仕事を続け、生きてゆくことは生涯現役社会を目指す日本全体の課題であるはず。自分たちも同じ国民なのに、なぜこういう制度設計になってしまうのか。
- 高額療養費制度を利用するときは人生最大のピンチに陥っている場合が多い。保険が何のためにあるのかということも含め、社会全体の安心に繋がるセーフティネットのありかたについて、叡知を集めて議論してゆきたい。
……等、制度と社会のありかたに対する意見陳述が行われた。
また、「秋までに検討し決定する」という方針を崩さない政府側の姿勢に対して、全がん連理事長天野委員からは「では、どれくらいの頻度でこの専門委員会を開催する予定なのか」という質問が投げかけられた。事務局である厚労省側の保険課長は「月に何回と決めているわけではないが、丁寧に検討して議論していくことが大事」「丁寧な議事運営に努めていきたい」と、〈丁寧さ〉を強調。続いて保険局長も「結論ありきで議論することではないと考えている。患者の医療費負担などのデータを丁寧に作らせていただきながら、真摯に対応してきたい」と〈丁寧〉に議事を進める旨を述べた。
この方針表明には、JPA大黒委員から「〈丁寧〉ということがずっと言われているが、患者の立場からすればヒアリング回数だけではなく、理解や納得こそが重要。現行の制度は複雑で難しいので、議論を成立させるためには、わかりやすい制度についてわかりやすい意見交換をして理解できる、ということが丁寧さにつながってゆく。〈丁寧〉であればいい、というわけではない」という牽制があり、この意見を最後に第1回目の専門委員会は終了した。やはり、制度を実際に利用する患者団体の参加は意義が大きく、当事者の意見が審議の方向性に重要であることが、第1回目の会合から実証された議事進行になった、といっていいだろう。
この専門委員会開催から3日後、5月29日には、参議院議員会館で超党派議連の第3回総会が行われた。この総会では日本乳癌学会理事長・石田孝宣氏と東京大学大学院薬学系特任准教授五十嵐中氏が講演。石田氏は「日本における乳癌薬物療法の現状」と題して、乳がん治療の現状と医療コスト、およびその治療に高額療養費制度が重要な役割を果たしていることについて解説した。また、五十嵐氏は国保や健保のレセプト(医療機関が保険者に提出する診療報酬の明細)を用いて独自に分析したデータから高額療養費制度の利用実態について解説を行った。

石田氏の講演では、診断と治療の進歩で乳がんの予後は大きく改善しているが、その治療に際しては病態のステージによって薬剤の投与が長期間にわたるため、高額療養費制度が非常に重要な役割を果たしていることが指摘された。五十嵐氏は上記レセプトデータとスマートフォンを用いたデータベース会社のアンケートに基づいた調査の結果、全体では4人にひとり、年収550万円未満の所得階層ではふたりにひとりが破滅的医療支出に瀕している、という衝撃的な分析結果の紹介などが行われた。両講演とも、多面的な角度から制度の利用実態や問題点に光を当てる内容で、参加議員もそれぞれ配布された手元資料にメモを記入するなどしながら両氏の講演を熱心に聞き入る様子が印象的だった。
会合を終え、議連事務局長の中島克仁衆議院議員(立民)は「3名の有識者の皆さん(安藤氏、石田氏、五十嵐氏)から聞いた内容や、当事者団体(全がん連、JPA)と議論してきた内容を踏まえ、6月9日の週に第4回の超党派議連総会を開催して論点を整理し、今後の専門委員会のありかたについて厚労省に提言したい」と今後の方針を説明した。これらの議連や各審議会の動向については、制度の根幹にかかわる大きな動きなどがあれば今後も随時紹介をしていきたい。
次回は、政府と厚労省が進めようとしている上限額見直し以前に、そもそも現在の高額療養費制度にいくつもの大きな〈バグ〉があり、制度利用者を苦しめていることについて、五十嵐准教授との質疑応答をもとに詳細に検証する。
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。