■ 「この目で見たら信じるよ」——ある知的な誠実さについて
前回の連載では、科学哲学者のリー・マッキンタイアらの議論を参照しながら科学的な知識について論じた。科学的な知識を持つということは、逆説的ではあるが、科学的な営みを通じて提示された命題が不確実性をはらんでいると認めることだ。そして同時に、わずかでも不確実なところがあればそれを信じるに値しないと切り捨てる態度を拒絶することだ。この両義性のうえに立ってバランスを取ることでようやく、僕たちは科学的な知識をたしかな知として運用することができる。
しばしば陰謀論的な装いで現れる科学否定論は、そんな科学的な知識の在り方へのアンチテーゼだ。科学否定論者たちは、わずかでも不確実なところがあればその理論は信じるに値しない、と表明するのが科学的な態度だと言い張る。彼らは、科学的な営みが漸進的でつねに不確実性をはらんだものであることをあえて看過しているのだ。絶対的な証明こそが科学によって達成されるものであると過大評価することによって、彼らは自分たちの気に入らない科学的命題をすべて退けることができる。なぜなら、絶対的な科学的真理などどこにもないからだ。したがって、科学否定論者たちとの論争はすぐに泥沼に陥ってしまう。
ところで、このような科学否定論者との論争について考えるたびに、僕はある不安に襲われる。それは「知ること」をめぐる不安だ。この不安を呼び起こすのは、科学否定論者たちがしばしば口にする「この目で見たら信じるよ」という言葉だ。マッキンタイアの『エビデンスを嫌う人たち』のなかでも、フラットアーサー[1]のひとりがこのような趣旨のことを口にしていた。そのフラットアーサーがマッキンタイアに述べたところでは、誰かの出資でロケットをつくり高度三三万フィートまで上昇すれば、地球が丸いことを(あるいは丸くないことを)自ら確認できる、そうなれば自分の信念を変えたっていい、ということだった[2]。
「この目で見たら信じるよ」という宣言は、それが虚偽や議論を避けるための方便でなければ、むしろ知に対して誠実な態度に思える。そして僕のような人間は、このように「誠実な」宣言を聞かされると不安になる。なぜならば、本ばかり読んで多少なりとも世界を知った気になっている人間にとって、「この目で見る」ことはもはや、世界についての知を拡張させていく主要な手段ではなくなってしまっているからだ。したがって、「この目で見たら信じるよ」と爽やかに言い放つ陰謀論者に対し、僕ができるのは「○○という学者が書いた本にはこんなことが書いてあって」とか「中学校の理科の教科書で学んだように」とかいったふうに、知識をひけらかすことだけだ。もう少し頑張れば、「高校で習った物理でもこれくらいのことは証明できるんだ。一緒に計算してみよう」くらいは言えるかもしれない。
しかしそれがなんだというのか。「この目で見たら信じる」という態度の誠実さに対して、僕が寄りかかっている机上の知識たちは不誠実で心許ない。自分は本当に、自分の目で確かめたわけでもないのに世界について何かを——たとえば、地球が丸いこととか、地球温暖化が確かに進行していることとか——知っていると言ってしまっていいのだろうか? 科学的な権威の受け売りを「知識」などと言ってしまっていいのだろうか? 僕も自分のこの目と耳で、ちゃんと確かめなければいけないのではないか。
おっと、危ない。これこそが陰謀論者たちの戦略なのだ。こんなふうに、僕たちが正当な仕方で学んだ知識を頼りないものだと思わせ、科学コミュニティが積み重ねてきた営みよりも自分と自分に好意的に語り掛けてくる人たちの見解を優先させるように仕向けてくる。こういった戦術から距離を取るためにこそ、科学的な知識がどのような性質のものであるかという問題を前回の連載で確認してきたばかりではないか。
だが、そう思い直してみても、自分のなかに兆した不安は消えてくれない。僕は、実際にこの目で見たわけでもないたくさんの事象のメカニズムについて、知っていると言ってしまっていいのだろうか。反対に、もしも知ることを「この目で見る」ことと同義だと言ってしまうのなら、ひとりひとりがせいぜい八〇年とか一〇〇年程度しか生きられない人類が、世代を超えて科学的な知識を蓄積してきたということそのものを否定することになってしまわないだろうか。
「知る」ということのモデルについて、もう少し考えてみる必要があるのかもしれない。たとえば、世界がしかじかのようになっていると「思う」ことと「知る」ことのあいだにはどんな違いがあるのだろうか? この問題への直接の回答を導けるかはわからないが、ヒントになるのではないかと思っているトピックがひとつある。だから今回は、ソクラテスの話をしよう。
■ 「無知の知」という誤解
「無知の知」という言葉がある。高校の倫理の教科書にも載っているし、ビジネス書や自己啓発書のような媒体にもしばしば登場する。この言葉は、西洋哲学の始祖として位置づけられるソクラテス(B.C. 469頃~399)が実践した、知についての哲学的な態度を指す言葉として流布している。日常的な場面では、だいたい「自分が何でも知っていると思わず、謙虚に振る舞いましょう」くらいの意味で使われているイメージがある。
無知というと、前回の連載でも扱った「無知学」という研究分野に関係があるような気もするが、さしあたって直接の関係はない。無知学は、社会のなかで知識がどのように生産されるのかという視点を「無知がどのように生産されるのか」という視点へと転換したところにポイントがある科学社会学的な分野であるが、「無知の知」とは僕たちひとりひとりが真理の認識へと歩みを進めていくための方法論のようなものだ。
高校の教科書にも載っている「無知の知」だが、古代ギリシア哲学の研究者である納富信留は、ソクラテスの思想を「無知の知」という標語によって理解することは大きな誤りであるとして、長らく定説とされたソクラテス像を批判してきた[3]。文献学的にみれば、「無知の知」あるいはそれに相当する表現がプラトンによるソクラテス対話篇のなかにいちども表れないというのが、その根拠だ[4]。彼は次のように述べている。
この有名な標語〔=「無知の知」〕は、驚くべきことに、ソクラテスの解釈としては完全な誤りである。誤解のなかにはとくに害のない類もあるが、私の信じるところでは、この誤りは哲学の始まりを妨げる大きな害悪である。「無知の知」という言葉は、ソクラテスがくり返した「不知」の自覚とは、およそ正反対に位置すると解釈されるからである。[5]
激しい口調の批判だが、ここで納富が言っているのは「無知の知を大切にしよう」といったメッセージを発する人たちは害悪だとか、そういうことではない。ただ、僕たちが「無知の知」と呼んでありがたがっている知的な態度がソクラテスに由来するものだという学説については、原典を丹念に紐解けば明確に誤りだと主張できるということだ。だから「無知の知」として知られる知的態度を実践することが有効だと思えば、ソクラテスの名前を出して権威づけすることなくそれをやればいい。
——とはいえ、納富の主張は「無知の知をソクラテスに帰属させるのは誤っているからやめよう、ソクラテスとは関係なく、こういう知的態度が重要だと思えばそれを主張すればいい」というのに留まるものではない。「哲学の始まりを妨げる」と書いてあるように、このような誤解がソクラテスに定位されることによって、ソクラテスの知的態度の重要なポイントが見えなくなってしまっているのだと彼は考えている。そのような意味で、ソクラテスに帰属させるかどうかにかかわらず、「無知の知」という態度をありがたがることそのものも哲学的には批判されるべきだと納富は考えているようだ。
僕が今回深掘りしたいのも、まさしくこのポイントだ。「実はソクラテスはそんなこと言ってない」といった文献学的な批判ではなく、ソクラテスという思想家が僕たちにとって重要だとしたら、どのようなポイントにおいてそう言えるのか。納富の助けを借りながら迫っていこう。僕の直観では、それは冒頭で吐露した不安を捉え直すヒントをくれるはずだ。すなわち、僕たちが依拠する科学的知識が、僕たちひとりひとりが検証可能な(直接見聞きすることが可能な)範囲を大きく越えているときでさえ、なにかを「知っている」と言ってもよいのだろうか? という不安である。
■ 「無知の知」ではない「不知の自覚」という解釈
引き続き、納富の議論を参照しよう。彼は、無知の知ではなく「不知の自覚」としてソクラテスの知的態度を正しく解釈し直すべきだと主張する。そしてそこで賭けられているのは、「知る」と「思う」という二つの動詞との向き合い方だ。これから詳しく見ていくことになるが、ソクラテス解釈のなかで浮かび上がるこの二つの動詞の微妙な違いが、僕たちの知的な在り方を考えるうえで非常に重要になってくる。
ソクラテスに特徴的な態度は、実のところ「知らないことを、知っている」という二重の知、メタ的な知の表明ではなく、「知らないことを、知らないと思う」という「不知の自覚」であった。納富の主張を簡潔にまとめるなら、このようなものになるだろうか。そこで対比されているのは、自分が知らないことについて「知っている」という態度を取るか、知らないのだと「思う」という態度を取るかということだ。しかし、「知らないことを、知っている」のと「知らないことを、知らないと思う」のにはいったいどんな違いがあるのだろうか? 日常的な感覚では、その差を上手く理解することは難しい。
「知る」と「思う」の差を理解するためにも、納富の議論をもう少し詳しく追ってみよう。重要な参照点になっているのが、プラトンが書いた対話篇のなかでも『ソクラテスの弁明』や『メノン』といった作品だ。ソクラテス自身は著作を残していないので、彼の思想はほかの思想家たちが書き残した記述から窺い知るしかない。とりわけ、プラトンやクセノフォンが残したものが重要な史料とされてきた歴史がある。『ソクラテスの弁明』は、ポリスの信ずる神々を信仰せず、若者たちを堕落させたという不正によって告発されたソクラテスが法廷で演説する場面を描いている。また、『メノン』では、弁論術の練習を積んだ少年メノンがソクラテスに「徳(アレテー)を教えることはできるか?」という問いかけで挑むという内容になっている。
『メノン』には、ソクラテスがメノンの召使いの少年と対話をする場面がある。ソクラテスは少年に幾何学の問題を解かせようとする。一辺の長さがわかっている正方形の二倍の面積を持つ正方形の一辺の長さはどれくらいか? 少年は最初、それを知っていると自信満々に宣言し、もとの正方形の一辺の長さの二倍だと答えてしまう。
学習指導要領によれば、僕たちは中学三年生の数学で「平方根」を習う。それを使えば、もとの正方形の一辺の長さを仮に「a」としたとき、面積が二倍になる正方形の一辺の長さが「√2a」となり、その長さはもともとの正方形の対角線の長さに等しいということがすぐにわかる。すぐにわかるのだが、それは僕たちがすでに体系化された知識としてそれを教えられているからであって、その場で知識を構成しているわけではない。「二倍の面積を持つ正方形の一辺も二倍になる」という召使いの少年のミスは、平方根を習う前の僕たちが犯してしまうものとして非常に共感できるものだ。
ソクラテスは、少年の誤りを即座に訂正したりはしない。そうではなく、地道に質問を重ねることで彼の認識の状態が変わっていくように仕向けている。ソクラテスとの問答を経て、少年は正方形の一辺の長さについて(知らないのに)知っていると思っていた状態から、それを知っているとは思わない状態に移行したのである。ソクラテスは少年に対して難問をぶつけて悩ませたわけだが、それによって彼は少年に害を与えたことになるのだろうか。むしろ、自分がその問題の答えを知らないという事実に思い至ったのは、知っていると思い込んでいたときよりもいい状態になるのではないか。ソクラテスはメノンに対し、次のように問いかける。
それではきみは、この子が難問に陥って、自分は知らないと分かり、ぜひ知りたいと思ったときよりももっと前の時点で、知らないのに知っていると思ったことがらを探究したり、学んだりしてみようと考えることができたと思えるだろうか?[6]
ここでソクラテスが試みているのは、「探究の対象が何であるかを知らなければ探究することはできないが、探究の対象が何であるかを知っていれば探究の必要はない」と苦し紛れに唱えたメノンに対する反論だ。ソクラテスは、探究の対象が何であるかを知らないと思った少年に対して答えを教えるのではなく、ただ質問を重ねるだけで彼が答えに至れることを示した。対象が何であるかを知らなくても探究することは可能なのだが、その条件となるのは自分がそれについて知らないと思うことなのである。納富はこの箇所を引きながら、次のように述べている。
〔『メノン』において〕対比されているのは、「知っていると思っている」か「知っていると思っていない」かの二つの認識状態である。前者は自らのあり方を認識しておらず、後者のような「知らない」ことの自覚に至って、初めて探究の可能性が拓ける。[7]
このように「不知の自覚」として定式化されるソクラテスの立場は、なにかメタ認知によって相手より優位なポジションに立つためのものではなく、知らないことについて知ることを求め、探究したり学んだりしようと試みるための条件になっている。「無知の知」という標語は、自分があるトピックについてよく知らないことを知っている、独断論を避けることによって、独断論に陥っている人々よりも道徳的に「善い」状態を指すような意図で使われるのが一般的である。しかし、納富はそういう道徳的な善さの指標としての「無知の知」解釈を退け、探究の条件としての「不知の自覚」という解釈を提示している。
ソクラテスの知的態度を「不知の自覚」として位置づける解釈は、『ソクラテスの弁明』を紐解くことによっても裏づけることができる。有名なエピソードにおいて、ソクラテスの友人カイレフォンがデルフォイの神殿で巫女に「ソクラテスよりも知恵のある者はいるか」と尋ねると、「より知恵のある者はだれもいない」という神託を受けた。その神託を聞いてひどく驚いたソクラテスは、自分より知恵があると思われる人物との対話に繰り出す。しかし、対話を通じてソクラテスは別の結論を得る。他の多くのひとたちから知恵があると思われていて、なおかつ自分でも知恵があると思い込んでいるそのひとが、実際には知恵が備わっていないことがある。そこでソクラテスは次のように推論する。
私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で[8]
納富による翻訳だからということもあるが、たしかにソクラテスは知恵について「知らないと思う」ことが重要だと述べている。知らないのに知っていると思い込んでいるひとよりは、自分がそれを知らないのだと正しく認識しているひとのほうがよい状態にあるというのは感覚的にも頷ける。ここでも、ソクラテスの態度を「無知の知」ではなく「不知の自覚」として定式化するほうが解釈としては適切なように思える。
■ 「知る」と「思う」の違いに何が賭けられているのか
しかしながら、僕のなかにはまだもどかしさが残っている。探究の条件としての「不知の自覚」解釈にはもっともなところがあると思いながらも、いまだに納富が述べる「(自分が)知っていると思っていない」を「(自分が)知らないと知っている」と言い換えてしまうのがどうして問題なのか腹落ちしていないからだ。
納富は、ソクラテスの哲学的な態度が表明されている箇所では一貫して「知る」ではなく「思う、考える」といった表現が用いられていることを指摘したうえで両者の違いについて次のように述べている。
「思う、考える」は、「知る」という確固とした認識状態を意味しない。「知る」とは、つねに根拠づけられた真理の把握である。これに対して、「思う、考える」とは、主体がそう見なしているが、真理の保証がない状態である。「知る/思う」の区別こそソクラテス哲学の基本であり、両者を混同することはけっして許されない。[9]
「知る」というのは、根拠に基づいて真理を把握している状態であり、それに対して「思う」はいまだ保証されていない不安定な把握に留まっている。言い換えれば、「知る」というのは真理に守られ安定した状態に到達することであり、「思う」というのはそれが真理として確固たるものだとは思えないが少なくともいまの時点で自分にはそのように把握されているという不安定な状態の認識である。すなわち「知る」と「思う」あいだに見出されるのは、主体を探究へと突き動かす「不安」の有無である。知っているというのは、たとえそれが「知らないということ」についての知であっても、自らの状態についての安定した認識に留まり、そのひとを「知らないこと」への探究に促すエネルギーを持たない。それに対して、自分が知らないと思うことというのは、その不安定さによって主体を探究へと駆り立てる。納富は、自身が訳した『ソクラテスの弁明』の解説において次のように述べている。
アポロン神託を受けてそれを「謎」として解明すべく、知者たちの吟味を遂行しながら、ソクラテスはついに最初に抱いていた「不知」の思いをはっきりと確認することになる。これは、いわば自己認識を深めていく過程であり、その一連の流れは、最初から自分が「知らない」と知っている者であれば、けっして行わないような探求の営みなのである。[10]
不知の思いを確認し、自己認識を深めていくために様々な対話へと繰り出したソクラテス。そこに見出されるのは、「無知の知」といった標語が僕たちにもたらしてくれる安心感ではない。「無知の知」と言っているとき、僕たちは自分たちが大して何も知らないことについて肯定的に捉え、そこに安住できるような気がしてはいなかっただろうか。何かを知ろうとする代わりに「無知の知」と言って済ませるような態度。実のところそこには、「この目で見たら信じるよ」と言って誠実さを装いながら、自ら探究するのではなく相手に挙証責任を押しつける態度に繫がる側面がある。それが自らの「無知」についてであれ、自分はそれについて知っているのだと宣言することは、「この目で見たら信じるよ」と表明することと同様に、探究を駆動するのではなくむしろ停止させてしまう。
それに対して、納富が探究の条件として見出した「不知の自覚」は、そのひとを探究へと駆り立てる不安定さのなかにある。ここに僕は、人間ひとりの見聞きできる範囲では到底すべてを確かめることのできない現代の科学的知識の不確実性とそれに由来する不安との接点を見出したくなる。前回の連載で確認した、科学的知識がつねにそのうちにはらむ不確実性は、科学的な営みが観察と実験と論証によって可能な限り根拠づけられた「思い」を蓄積していく原動力になっている。科学者が「現時点ではこのように考えられている、しかしさらなる探究によって修正されるかもしれない」と述べるとき、そこにこそ「不知の自覚」があると言うべきだろう。そしてそうした営みのごくわずかな上澄みを受容する僕たちは、科学的知識のなかに「思い」という不安定な側面があることを受け容れるという条件でそれらを運用すればよいのではないだろうか。不安を取り除くために「知」に安住しようとするのではなく、不安こそが「知」を前に進める原動力になっていると認識するべきなのだ。
知ることを「この目で見る」ことに限定することは、あえて知のモデルを限定することでそこに本質的に伴う不安を取り除こうとすることだ。しかし「知る」のではなく「思う」こと、つまり不確実性を引き受けながらも根拠に基づいて暫定的に把握しているという態度で世界に臨むなら、この目で見たものの範囲を大きく超えて探究を続けていくことができる。教科書で学んだことも、論文で読んだことも、科学コミュニティの合意として報告されていることも、それらは「見た」から知っているのではなく、根拠づけの連鎖のなかで「そう思われる」ものとして暫定的に受け取り、必要があれば自分でもさらに探究を進められるような仕方で保持されている。ソクラテスの言葉を借りるなら、僕たちはそれらを「知っている」のではなく「そうだと思っている」のだ。そしてそれは不誠実なことではなく、探究が開かれたまま持続するための条件そのものだ。
——ここまで述べてきたことは、媒介された知を振りかざす僕自身の正当化だろうか? それも引き続き考えていくことにしよう。
(次回へつづく)
(註)
[1] 地球は球体ではなく平面であるという「地球平面説」の支持者たちのこと。
[2] マッキンタイア(二〇二四)『エビデンスを嫌う人たち』西尾義人訳、国書刊行会、六一。
[3] 納富の批判を受けて、一般的なソクラテス像も徐々に変容してきている。納富自身が編集委員として参加した、東京書籍発行による令和五年度(二〇二三年度)版の倫理の教科書では、従来「無知の知」と記載されていた箇所を納富の提案による「不知の自覚」に変更している。また、それ以外の教科書の記述においても、「無知の知(不知の自覚)」といった折衷的な記述に移行しているものがある。無知の知と不知の自覚がまるで正反対の態度だと断じる納富の立場からすればこの折衷的な記述は許しがたいものだろう。これが単に過渡期的な現象である可能性もあるが、後述するように「知る」と「思う」の区別の力点は非常に微妙なところにあるので、表記をあらためる判断が難しいという可能性もありそうだ。
[4] 文献学的には「無知の知」なる特徴づけがまったく見出されないにもかかわらず、どうして日本でこれほどまでに広まったのか。それについても納富は自らの調査をもとにした議論を展開している(cf. 納富信留(二〇一七)『哲学の誕生』、筑摩書房、二九九—三一二)。
[5] 納富信留(二〇一七)『哲学の誕生』、筑摩書房、二七五。
[6] プラトン(二〇一二)『メノン:徳について』渡辺邦夫訳、光文社、六九。
[7] 納富信留(二〇一七)『哲学の誕生』、筑摩書房、二七七—二七八。
[8] プラトン(二〇一二)『ソクラテスの弁明』納富信留訳、光文社、三一—三二。
[9] 納富信留(二〇一七)『哲学の誕生』、筑摩書房、二八〇。
[10] プラトン(二〇一二)『ソクラテスの弁明』納富信留訳、光文社、一二五。

生成AIの登場によって、人類はより情報や知識にアクセスしやすくなった。それゆえ、「知識があるだけの人間は意味がない」「いっぱいものを知っていることより、創造的なアイデアを持っている人のほうがいい」といった言説も流通し始めている。人間にとって「知る」ことの意味とは何か。そして、現代の「知る」ことの困難とは何か。 哲学・批評・クイズ・ビジネスの領域で活動し続ける田村正資氏が、さまざまな分野を横断しながら、「知る」ことの過程をひもといていく。
プロフィール

たむら ただし 哲学者。1992年生まれ。東京都出身。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は現象学とモーリス・メルロ゠ポンティ。著書に『問いが世界をつくりだす メルロ゠ポンティ 曖昧な世界の存在論』(青土社)、『独自性のつくり方』(クロスメディア・パブリッシング)など。
田村正資




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