韓国のエンタメが向き合う歴史の暗部
姜 結局、自国の暗黒の歴史を総括できていないということですよね。今の自民党の最大派閥がある意味、岸信介の末裔(まつえい)ということになってしまっているのもそのためで、韓国の場合、岸のカウンターパートは朴(パク)正(チョン)煕(ヒ)でした。
「岸的なるもの」にせよ「朴正煕的なるもの」にせよ、暗黒の歴史を象徴する「亡霊」が徘徊しているのは日本や韓国に限りません。
たとえば、フランスは第2次世界大戦中に対独協力路線を執ったヴィシー政権の問題をまだ総括できていないと、以前、内田さんは鋭く指摘されていましたよね。
内田 ヴィシー政権はフランスにとっての暗黒の歴史です。戦後、フランスはラヴァルとペタンというヴィシー政権のトップ2人に全部罪をかぶせておいて象徴的に死刑宣告し、それ以外の政府要人たちを免罪した。それは第四共和政を成り立たせるためにはヴィシー政権の官僚層をそのまま移行するしかなかったからです。戦争責任者を公職追放したら、フランスの行政機構は機能しなかった。だから、ヴィシーの官僚たちがどのように対独協力したのか、ユダヤ人やレジスタンスを弾圧したのかについては不問に付した。
ようやくヴィシー政権の研究が始まったのは80年代に入ってからのことで、それも北米やイスラエルの歴史学者たちの仕事でした。僕はその頃、ベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』という本を訳していたのですけれど、これが1981年刊行、フランス人が書いたヴィシー政権の歴史研究の最初のものだったと思います。フランスでヴィシー政府の研究が始まったのは、ヴィシー政権の関係者がフランスの行政機構や司法機構からリタイアして、彼らの社会的影響力が失われたからです。それまで40年間、彼らは隠然たる影響力を行使して、ヴィシーについて言及されることを抑圧してきた。
僕はこれを訳しながら、ようやくフランスの学者たちも自国の「黒歴史」を掘り起こすようになったと感慨深かったのを覚えています。これからヴィシー政権だけではなく、インドシナ半島やアルジェリアの植民地統治でフランスがどのように非人道的なことをしてきたのか、それを自分たちの手で抉り出すような仕事が一斉に始まるのだろうと思っていました。
でも、そうならなかった。インドシナ半島の日仏植民地共同統治について史料が開示されると、フランスが実は枢軸国であり、敗戦国であったという歴史の根本的な書き換えを要求するような事態にまでなったはずなんですけれど、それについてはフランス人は沈黙を守った。
その結果、「ヴィシー的なもの」、つまりフランスの19世紀以来の極右思想、反ユダヤ主義、ファシズム、植民地主義……そういうフランス近代史に伏流してきたイデオロギーが、手つかずのまま、今に流れ込んできている。それが現代フランスの排外主義的なナショナリズム、イスラモフォビアを生み出しているんですけれども、歴史研究を怠ったせいで、この流れを清算することができない。
姜 韓国の場合、ベトナム戦争で韓国軍が虐殺を行ったというトラウマを自分たちの問題として引き受けられていないのですが、これまで見直せなかった「朴正煕的なるもの」については、やっと最近になって冷静に捉える方向に向かっています。先ほど話した総選挙での民主派の勝利も、そのひとつの表れですね。
内田 自国の暗黒部分についての掘り下げということでは、世界的に見ても、韓国が最も進んでいるんじゃないでしょうか。
たとえば、光州事件を描いた『タクシー運転手』がありますね。あの映画は、軍人が市民を銃殺する非常に衝撃的なシーンも見せつつ、ドキュメンタリーというより、娯楽映画として作り上げていました。
自国の暗黒の歴史を眦(まなじり)をつり上げて糾弾すると、自分たちの過去を全否定されたように思い込んではげしい拒否反応を示す人が多い。「自虐史観」だ、と。それを回避するために、非常に重い主題を娯楽作品として仕上げている。映画は観てもらってなんぼですから、ヒット作になって、歴史をよく知らない若い人たちにも観に来てもらって、「光州事件て、こんなことだったのか……」と思わせないと作った甲斐がない。「黒歴史を素材にした娯楽映画」を撮れる底力はすごいと思います。
だから、そのうちに、李氏朝鮮末期から韓国併合の時代を描く韓国史エンターテインメントが出てくるんじゃないかと思ったんです。李氏朝鮮末期って、近代化をめざす進歩派は粛清され、日本におもねる売国奴がぞろぞろ出てくるという、韓国からすればほんとうに隠しておきたい「黒歴史」のはずなんです。でも、それを描くだけの力はもう韓国の映画人にはあるだろうと思って、そう書いたこともあるんです。そしたら、今ネットフリックスでやっている『ミスター・サンシャイン』というドラマの舞台がまさにその時代なんですよ!
姜 あれは驚きましたね。
内田 李氏朝鮮末期の非常に退嬰(たいえい)的なところについてもきっちり批判的に描いていますよね。単純な勧善懲悪では割り切れない、非常に難しい政治的な主題を素材にして、エンターテインメントとして成立させています。
韓国にはそれだけのスケールを持ったフィルムメーカーたちが登場してきているということですよね。『ミスター・サンシャイン』のようなドラマによってパンドラの箱が開けられ、タブーとされてきた時代に斬り込んでいく作品が、韓国では次々に登場してくるんじゃないでしょうか。
姜 本来なら文学や歴史学が挑むべき先端的なテーマに向き合ったドラマや映画が色々と出てきていますよね。
内田 韓流ドラマを観ていると「韓国は元気がいいなあ」と思います。ちょっと日本のバブルの頃みたいで、あの勢いには日本はもうとてもじゃないけど勝てないかもしれませんね。
文責:加藤裕子
(中編に続く)
プロフィール
内田樹(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)等多数。
姜尚中(カン サンジュン)
1950年熊本県生まれ。政治学者。東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長・鎮西学院学院長。専門は政治学・政治思想史。著書は累計100万部を突破したベストセラー『悩む力』をはじめ、『続・悩む力』『心の力』『悪の力』『母の教え 10年後の「悩む力」』(いずれも集英社新書)など多数。小説作品に『母ーオモニ』『心』がある。