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日々、動物の生死と直面する作家が考えた「殺生の意味」──羊飼いの作家、河﨑秋子氏インタビュー【第2回】

河﨑秋子・作家
河﨑秋子
北海道別海町。河﨑秋子は、都会から隔絶した土地で羊飼いを営みながら小説を書き続ける、稀有の作家だ。『颶風の王』『肉弾』……。著した小説ではいずれも、動物の、そして人間の生死が徹底的に描かれる。異色の作家に「殺生」の意味を問うプラスインタビュー。第2回は生き物の生存戦略、そして、人が動物の死に向き合うときの意外な側面を訊いた。

 

家畜は互いの生存戦略

──食肉加工場で牛や豚の解体を専業にしているある方から、「さばくとき、自分も、動物も、感情というものはないんだ」というような話を聞いたことがあるのですが、自分で飼育している生き物を自分の手で殺すとなると、また違うものなのでしょうか。

同じでしょうね。人間は慣れますからね。それは、残念ながらと言うべきか、歴史が証明しています。個人的には手を合わせるぐらいのことはありますけど、畜産業の場合は食べるために育てているので、それに負い目を感じるべきではない。子羊を出荷して、帰ってきて、その手で母親にまた餌をやるわけですよ。そこに私が矛盾を感じることはありませんが、見る人によっては非情に映るかもしれません。その感情を否定はしません。でも、私は仕事をしているときは、その感情論は持ち込まないようにしています。だったら、畜産という仕事に就くべきではないと思うんです。

──畜産も、ある意味、畑で農作物をつくっているのと同じじゃないかと思うときがあります。ナスが生ったら枝をハサミで切って食べるのと、成長した生き物をさばいて食べるのと、違いはあるのでしょうか。

個人的には、その違いはほぼないと思います。ただ、動物は血が流れますし、声も出るので、人によっては、大きな違いを感じるのではないでしょうか。私は物を書く立場なので、そういう、自分とまったく違う考え方も想像できるようにしておこうと思っています。仮に「こんなにかわいい羊を殺すなんて」と言われたとして、理屈立った反論はできますけど、そう非難する人たちの感情も書けるようにはしておきたいですよね。

──ある人が、家畜の歴史は人間がつくりあげた壮大なロマンだというような言い方をされていました。

ロマンかどうかはわかりませんが、必要な殺生と、必要ではない殺生を、ものすごくシステマチックにつくりあげたと言うことはできると思います。家畜として管理することによって、その動物は絶対に絶滅しないわけです。人間と家畜って共生関係だし、互いの生存戦略でもある。サラブレッドなんて、家畜改良・育種の極致ですよね。ただ、動物からしたら望みもしない進化をさせられて、それがいいことなのか悪いことなのかみたいなことは、時折、考えます。けど、その答えはまだ出ませんね。

 

いつからか河﨑家に住み着いたという、大きな猫。これも貴重な生存戦略……なのかもしれない。

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プロフィール

河﨑秋子

羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊を飼育・出荷。2012年『北夷風人』北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。2014年『颶風の王』三浦綾子文学賞受賞。翌年7月『颶風の王』株式会社KADOKAWAより単行本刊行(2015年度JRA賞馬事文化賞受賞)。最新刊に『肉弾』(KADOKAWA)。

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