就職先や転職先としていま圧倒的人気を誇っている「コンサル」。この職業の人気の背景を読み解きながら、いまの日本人の仕事観を解き明かしたのが発売即重版の話題作『東大生はなぜコンサルを目指すのか』である。
本記事では、東京に住む若者たちを題材にした作品を発表し続けてている麻布競馬場氏と著者のレジー氏が対談。現代人にとっての「肩書」と「仕事」の向き合い方を考える。

港区の「外資コンサル」
レジー 『東大生はなぜコンサルを目指すのか』では、現代において「コンサル」の価値が上がりすぎていること、その背後に過度な「成長」意識があることを指摘しています。
ところでちょっと下世話な話なんですが、麻布競馬場さんが観測されている港区で、コンサルという職業はどういう風に扱われているんですか?
麻布競馬場 「東カレデート」をやっている女の子から聞いたんですが、今、マッチングアプリにいる男性で最も多いのが「自称コンサル」らしいんです。システム系もリサーチ系、会計系や人事系に至るまで、みんなわざわざ「コンサル」と書く。更に、Facebookには「転職しました」を表示する機能がありますが、ただ「コンサルに転職しました」ではなく、わざわざ「アクセンチュア(戦略)に転職しました」だなんて書く人までいる。
それと、最近は外資コンサルも裾野が相当広がっているので「外資コンサル」でも高給取りではない人もいる。アプリによっては年収のレンジを表示できるのですが、「それってJTCとあまり変わらないじゃん」みたいな数字を堂々と書いている人も多いそうなんです。でもそういう人たちほど「外資コンサル」と名乗りたがる傾向があるようで、もはやお金を稼いでいる事実より肩書自体が自慢になっているようです。
レジー わざわざ「戦略」と言うところなど含めて、とても面白いです(笑)
麻布競馬場 だから、今港区で「コンサルです」と言われると、「東カレデートにいそう」みたいな悪口が湧いてくる(笑)
レジー もはや量産型の職業になっていると。
麻布競馬場 稼いでるけどサラリーマンだよね、という感じです。結局、外資系サラリーマンも飲み会で話している内容は日系サラリーマンと同じなんですよ。上司がどうとか、仕事できないやつが俺よりえらくなってむかつくみたいな(笑)。コンサルの自意識ってすごくサラリーマン化してます。昔は経営者と普通のサラリーマンの中間ぐらいにいるイメージだったんですけどね。
一方、自営業者と飲むとみんな、「AIで仕事がなくなる」という話しかしていない。その筆頭に上がるのがコンサルで「コンサルは『推論モデル』で死ぬんだ」って、みんな嬉しそうに言っている(笑)。「経営者目線を持っている」みたいなことを偉そうに言ってるけど、結局はただのサラリーマンだし、自分たちより稼いでいるわけでもない昨今の量産型コンサルへのヘイトが溜まってきているのをひしひしと感じます。
レジー 「お前が徹夜してたリサーチ、AIのディープリサーチで10分でできるぞ」という話になってきてるわけですね。

「武器としての〇〇」の罠
レジー 結局のところ、コンサルでみんなが得ようとするスキルの多くはフレームワークなので、そこには「お皿をどんなにきれいにして調理する技を覚えたとしても、材料が腐ってたらおいしいものにならない」みたいなリスクが必ずあるんですよね枠組みと同じかそれ以上に中身も大事なのに、そういう発想にならない人が一定数いるように感じます。
麻布競馬場 昔、投資家の瀧本哲史さんの『僕は君たちに武器を配りたい』(星海社新書)って本があったじゃないですか。あれ自体はめちゃくちゃいい本だと思うんですけど、「武器」という言葉はやはり取り扱いに気を付けなければならないと思っています。本屋さんのビジネス書コーナーにいくと、常に新しい武器が出荷され続けている。何なら「宴会力」みたいな本までありましたよね。あれを見ると、働いている人が際限なく不安になってしまう気がするんです。ああ、自分にはあの武器もこの武器もない、すべて手に入れなければビジネスの世界をサバイブできない、と不安を煽ってしまうのではないかと。
レジー 最新の武器を搭載したい気持ちになりますもんね。
麻布競馬場 「言語化力」も良くないと思っています。三浦崇宏さんが『言語化力 言葉にできれば人生は変わる』(SBクリエイティブ)という本を書いているのですが、言いたいことがない人に言語化力だけ付けさせるのは悪ですよ、って話を僕はずっと思っていて。もちろん、あの本の中にはそもそも「どうやって自分と向き合い、言いたいことを見つけるか」というメソッドがちゃんと書かれているのですが、「言語化力」という言葉が独り歩きしているせいか、「人を動かしたいのでパンチラインを書く方法を教えてください」みたいな、結果だけをコスパよく求める人がグッと増えてしまった印象です。
レジー まさにですね。「どう言葉にするか」の前にあるはずの「何を言葉にするか」がごっそり抜け落ちた話をしている人って実際にいると思います。
麻布競馬場 シンプルといえば、最近SNSを見てて目立ってるキーワードとして、冷水シャワーっていう界隈があって。
レジー 冷水シャワー?
麻布競馬場 冷たいシャワーを朝30秒とか1分浴びるとしゃきっとして、最高の形で1日のスタートを切れる。だから、真冬だろうが冷たいシャワーを浴びて最高のスタートを切れ、と発信している界隈があるんです。ここにおける冷水シャワーを、たとえば筋トレやナンパに置き換えた界隈もあります。何かひとつの行為に100%の信頼というか、信仰に近い感情を置いているんです。
問題なのは、「冷水シャワー」という単一のソリューションしか示されていないし、その先にある幸せは、結局「年収を上げる」みたいなところでしかないということです。もちろん、頭がシャキっとしたほうがいいし、年収は低いより高い方がいい。ただ、人生の目的は年収を上げることだけではないし、少なくとも年収を上げるための手段もまた冷水シャワーだけではない。それってつまり「コンサルに入って圧倒的成長」という構造と相似で、自分だけの人生のゴール設定や、そこに至るための複雑なルート設定から逃げることになってしまうんじゃないかと危惧しています。
レジー 「シンプルに考え、行動する」みたいな話の行きつく先という感じですね。

すべてが「ゲーム」になる時代
麻布競馬場 そういう「すべてをシンプルにしていこう」というコンサル的な考え方について、僕もレジーさんと同じ問題意識を持っていて。僕の近作の『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋)も、人生をゲームにしちゃいけないだろう、という意識から付けたタイトルです。自分含めて、多くの早慶MARCH以上ぐらいのエリートサラリーマンと呼ばれる自分の友人たちが、人生のゲームをやっているな、という肌感覚があったんです。人生は本来複雑なのに、それを取り巻く社会の複雑さを過剰に単純にしている。いわば、人生を数値化して人と競う単純な「成長のゲーム」にしてしまっていると思っています。
レジー 「ゲーム」の定義としてすごくわかりやすいと思いました。複雑な人生が勝ち負けで単線化され、かつ全てが数字になって現れていくことに色々な問題の根っこがあると思います。
麻布競馬場 かつては東大を出てようが、正直、給料の幅はあまり変わらなかったじゃないですか。それが「外資」「起業」などという概念が入ってきて、ホリエモンのように年齢も学歴も関係なくドカンと稼げる人が増えてきた。頑張れば頑張るほどゲームの特典がカンスト的に入ってくる。世の中の「ゲーム」の高点数ラインが出てきて、それがまた人を成長に駆り立ててしまったんだなと思いました。
レジー コンサルがそういった「ゲーム」との相性がよい職業だと思うのは、今、麻布競馬場さんがおっしゃってた高得点に一般人でも肉薄できるところですよね。それから、やはり組織のピラミッドがすごくシンプルでわかりやすい。コンサル・シニアコンサル・マネージャー・シニアマネージャー、と役職の階級がはっきりしている。
麻布競馬場 『キングダム』ぐらいわかりやすいですもんね、役職の上がり方が(笑)。
レジー 以前山口周さんが、そういったコンサルという仕事の「わかりやすさ」を「オウム真理教」になぞらえていました。オウム真理教には高学歴の人が多かったのですが、その背景の一つにシンプルなピラミッド構造の分かりやすさがあったといわれています。それと同じことがコンサルで起こっているのではないか。ゲーム化が進んでいく社会のあり方に最適化された仕事として、とてつもなくシンプルになった職業がコンサルなんだと思います。
麻布競馬場 それとゲームを考える上では「暇」も大事なんじゃないかと思ったんです。人類、暇だと、どこかおかしくなる。「成長のゲーム」にはまる人は突き詰めていくと、暇だからなんじゃないかっていう仮説を持っています。
レジー わかります。
麻布競馬場 僕の友人でアナウンサーがいるんです。その人は昔からアナウンサーになりたくて大学生のときにアナウンサースクールに入って、テレビ局の内定をもらったんです。それを見ていると、僕含め、確たる夢がなかった人間がサラリーマンになっていくんだなあ、という事実を突きつけられたんですよ。
そのあとも趣味があればよかったんでしょうが、仕事をするしかやることがないし、社会人になってからも、結局、仕事以外にやることがない人が休日になって出社したり、何となくそれが本当に仕事に使えるかどうかもわからないのに、自己啓発書を読んだりしています。
レジー 前編の話とも通じますが、社会全体の流れとして、暇なときに「成長のゲーム」に没入させて会社と一体化していくことを選ばせてる感じはしますよね。

しょぼい「私の履歴書」が必要?
レジー 誰でもエントリーできる「成長のゲーム」ですが、ちょっと違う角度からの問題提起として、そこのゲームで勝っているとされる人たちが「本当に勝っているのか?」というのはそろそろ考えてもいいのかなと思っています。
麻布競馬場 すごく分かります。本来、世の中には色々な不幸があるじゃないですか。それらは色が違うだけで、誰かの不幸が誰かよりも軽いことはないと思う。でも、今はタワマン文学で出てくるような「30代で年収1000万円いったのにタワマン住めない」とボヤく連中と、「明日食べるお米もない」と嘆く人がいたときに、前者の人が「辛い」と言えないし、いざ言おうものなら「お前は恵まれているんだから」と口を塞がれるような空気が強いと思う。前者だって歪んた資本主義社会が生んだ犠牲者であるはずなのに、勝ち組なのだからいいだろうと決めつけている。まさに「ゲーム」の結果だけで世の中のことを判定する言い方ですよね。
レジー いわゆる「勝ち組」「負け組」みたいな線引きをされたとき、勝ち組側の人の苦しみだったり、抱えてる悲哀だったり、そういうものが語られることは少ないですよね。
麻布競馬場 そうなんです。そういうコンサルの人たちが本当に楽にお金稼いで、あこぎな商売してるかというと、そんなこともない。むしろ、割とメンタルを病むか病まないかとか、体がいつ壊れるのかわからない瀬戸際で戦ってる人たちも多い。
レジー サラリーマンの場合、仮に給与が高かったとしても、例えば地主みたいな人に比べたらだいぶ脆弱な基盤で生きていますよね。一生裕福で安泰なんてことはなくて、一度でも健康を損ねたら即終了みたいなぎりぎりのところでしのいでいるというか。
麻布競馬場 そういう人たちを見てると、「勝ち組」である圧力によってSOSを言えない人が結構いると思っています。なまじ、偏差値50の幸せを持っていることによってその苦しみが共有されない現象が、アッパー層の憂鬱を生んでる気がするんです。
その意味で、僕が今一番欲しいコンテンツは、しょぼい「私の履歴書」なんです(笑)。成功しなくてもいいし、そこに波瀾万丈がなくてもいいし、読み物としてつまらなくていいから、noteでもはてブでもいいから、とにかくあなたの人生について教えてくれ、とすごく思っている。それは、文芸の裾野を広げるみたいな崇高な目的じゃなくて、人が死なないとか人が病まないこととかの大事な処方箋になる気がするんですよ。
レジー 最近「ケア」とかよくいわれるじゃないですか。自分の話をすることは、セルフケアの一つだと思うんですよね。AIに愚痴を言うみたいな話も徐々に一般化してきていますが、あれは吐き出せる場所がないことの裏返しのような気もするんです。「自分語り」って異常に嫌われますもんね、今。
言っていただいた「アッパー層の憂鬱」というのは僕自身も大きな問題意識を持っています。今回コンサルタントという職業に注目したり、職場における成長について考えたりした背景にはホワイトカラー、それも表向きには勝ち組とされている人たちが直面している空気や圧力をほぐすきっかけになればという思いもありました。こういう話は、人によっては「相対的には恵まれている側の人たちの戯言」に映るかもしれない。だけど、その人たちのために必要な言葉というのも絶対に存在するし、このテーマは今後もちゃんと考えていきたいと思っています。
(構成:谷頭和希)
プロフィール

レジー
批評家・会社員。1981年生まれ。一般企業で経営戦略およびマーケティング関連のキャリアを積みながら、日本のポップカルチャーについての論考を各種媒体で発信。著書に新書大賞2023入賞作『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)のほか、『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。X(旧Twitter) : @regista13。
麻布競馬場
あざぶけいばじょう 1991年生まれ。慶応義塾大学卒。2021年からTwitterに投稿していた小説が「タワマン文学」として話題になる。2022年、ショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』でデビュー。2024年、『令和元年の人生ゲーム』が第171回直木賞の候補作に選出。