作品の舞台、福島県浪江町

梅崎 相馬野馬追には軍事教練としての面ともう一つ、地域の安寧、繁栄を祈願する神事としての意味合いがあるそうですね。そして舞台となる地域は、東日本大震災と原発事故で大きな被害を被った、福島県の浜通りです。作品の序盤ですでに、浪江の町の空き地の多さに触れられていて、それが中盤で、被災地で暮らしていた「平本家」の人々の個人史と結びついてゆく。星野さんの作品ならではの、人の呼吸まで伝わってくるような文章を通じて、野馬追が、大震災を経た相馬の人々をつなぐ紐帯になっていることが伝わってきました。
震災についてこれだけじっくり書かれたことはこれまでにありましたか?
星野 いいえ、ありませんし、できれば震災には触れたくないぐらいの気持ちでした。初めて野馬追を見に行った時点で、東日本大震災から10年経っていたし、「震災の時はどうでしたか?」なんて軽々しく聞けないじゃないですか。自分がボランティアで行っていたとか、直後から通っていたとかだったらまだしも。
だから、すごく怖かったし、触れたくないぐらいの気持ちだったんですが、やっぱり浪江町なので、どうしたって震災の話が出てくるわけです。ひまわりがばーっと咲いていて、「ここは昔水田だった」と言われて、ひまわりを植えた理由を聞いたら、要は原発事故の影響で稲作が続けられなくなったからだとか、すべて震災に関わってくる。少しずつ信頼関係ができて、みなさんだんだんしゃべってくれるようになりました。
私も彼らと出会わなければ、震災のことを忘れていたかもしれません。でも常に浪江の人たちの顔が思い浮かぶから、他人事とは思えなくなりました。
梅崎 浪江の町が空地だらけだというところを読んで、やはりンマハラシーとの関連で、沖縄県の北谷町砂辺を思い出しました。ここでは「沖縄こどもの国」で行われる琉球競馬にならって、8年ほど前から競馬を始めたんです。なにしろ嘉手納基地の滑走路の直線上にある集落だから、沖縄県の中でも最も騒音公害のひどいところで、それも最近はステルス戦闘機が多くなったものだから、いままでの音とは別の、金属を刻んでいるようなものすごい音で。住人も耐えられなくて、土地を売って出ていってしまう。特に子持ち世代の流出は激しい。私も集落を歩きましたが、国が買い上げて国有地となった空き地が点々とあって、非常にいびつな景観になっています。
そういうところだから、町おこしの目的でンマハラシーを始めたのです。
星野 競馬をやっている時も上をビュンビュン飛んでるんですか?
梅崎 今年は運よく飛ばなかったけど、たまたまです。開催は日曜日だけど、米軍機は土日でも平気で飛びますからね。
星野 馬も驚いちゃいますよね。
梅崎 それが、驚かない、慣れているんですって。馬の学習能力というやつですね。音がして、後になにもないと、次からは平気だと。競技中の爆音があっても、むしろ人間の方がうんざりするくらいで、島の馬は驚かないよと、みんな言っていました。

──事故を起こした原子力発電所にしても、騒音公害を引き起こす沖縄の米軍基地にしても、中央が地方に押しつけたものと言えるでしょう。それがその土地の暮らしや景観を大きく変えてしまう現実には、考えさせられるものがあります。
梅崎 砂辺に関しては、伝統文化のエイサーもできないぐらい人が減っちゃいましたからね。野馬追の意義を知って、砂辺のンマハラシーにも、爆音公害でばらばらになった人と人をつなぐ紐帯としての役割を持たせたいんだろうなと強く感じました。
星野 浪江町ではいろいろな新しい産業等で雇用機会を作っていて、もちろん入ってくる人はいます。大熊町でも新規の移住を奨励していて、援助を出すから住みに来てくださいと。でも、多少は来るでしょうけど、避難した人々が戻ってくるかどうかはわかりません。
例えば私は馬が好きだから、人があまり住んでいないところに土地を借りて、馬とともに暮らしたいと夢想することはできますし、実現させようと思ったらできるかもしれません。でもそれは私に扶養家族がいないからできることであって、これから子供や孫とともに土地に根差して生きてゆこうと長期的な展望を持っている人たちが、わざわざそれを選択するとは思えません。
梅崎 すると住むところは別で、年に一度の野馬追の時だけみんな集まる、という形で続いていくのでしょうか。
星野 そうですね。本の表紙に写っている山本秀次さんはいま栃木県の那須にお住まいですが、福島県に本当に近いんですね。取材の合間に夜の森(福島県富岡町)に桜を見に行った時も、来ている車のほとんどがいわきと郡山ナンバーでした。かつて浪江や富岡に住んでいた方たちの中には、福島県内の他の地域に定着している人も多いのでしょう。
原発事故の直後はすごく遠くまで避難したかもしれないけど、実際どこかに定住するという場合には、いわき市とか、相馬市とか、南相馬市とか、わりと近くまで戻ってきているんじゃないでしょうか。周辺に戻ってきて、野馬追には出る。それが現実的だと、どこかの時点で切り替えたのではないかと思います。
この本に出てくる菅野富美恵さんは「山が違う」という表現をしていました。もうここに住めないんだったらどこに住んでもいいと思って日本中まわったけど、やっぱり福島県浜通りの、阿武隈山系が好きなんですね。だからまたその近くで住みたい、と。
人間ってやっぱり、強烈な意思や目的意識がない限りは、住み慣れたところからそんなに離れられないんじゃないかな。それに、浜通りってすごくいいところなので。温暖ですし、雪深くもないし、海も山もあって、仙台は近いし東京からもそんなに遠くないし、暮らしやすいところですよね。
梅崎 野馬追の時だけでもみなさんが戻ってきたら、一年に一度、殿様の時代のしきたりが復活すると同時に、共同体もよみがえるということになりますね。
星野 野馬追に参加してきた人に限って言えば、もし野馬追がなかったら帰ってくる機会がなくなっていたわけで。逆に、これがあるから戻ってくる人たちがこれだけいるというのは、すごいことだと思います。
梅崎 まさに地域の紐帯ですね。
星野 もしかしたら震災以前よりも、その位置づけは強くなっているかもしれないですね。私もいまだに、野馬追本番とか、その準備として行われる春競馬とか、そういう人の集まる日に南相馬に行きます。野馬追が人の集まる機会を確実に作っているんです。
梅崎 りっぱなものですね。沖縄の馬行事にはまだそこまでの力はなさそうです。例えば東京に出てきているウチナンチュを年に一度、なにがなんでも呼び戻すほどの力はまだありません。でも島々で行われているお祭りではそういうこともあります。特に八重山なんかが強いんだけど、種子取祭の日には一週間ぐらい前から、他所に出ている人たちがみんなUターンしてきちゃう。だから外来者が行こうとしても、飛行機も船も取れないなんてことが起きています。
星野 それはやっぱりすごいことですよね。
梅崎 祭りがみんなを帰還させちゃうんですね。八重山のお祭りはみんなそう。何度も行こうと思ったけど、満席、満席で結局まだ行けてません。
星野 かなり前から島内に潜んでいるしかないですね(笑)。
(続く)
プロフィール

(ほしの ひろみ)
ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞、『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」・第2回いける本大賞、『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。主な著書に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『みんな彗星を見ていた』『謝々! チャイニーズ』(文春文庫)、『馬の惑星』(集英社)など。

(うめざき はるみつ)
1962年、東京・高円寺生まれ。1986年、スポーツニッポン新聞(スポニチ)東京本社入社。1990年からJRA中央競馬担当。2022年の定年後もスポニチ東京レース部専門委員として記者活動を続けている。『消えた琉球競馬 幻の名馬「ヒコーキ」を追って』(ボーダーインク)で、2013年度JRA賞馬事文化賞、沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞。2025年、同書の増補改訂版を刊行。2024年には絵本『おきなわ在来馬ものがたり』(沖縄在来馬保存事業実行委員会 事務局・琉球新報社発行)を著した。


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