
できることなら触れたくない、どのように語り出したらよいかわからない――そう感じるテーマは、たしかに存在するはずです。原発や死刑制度の是非、差別の問題など、賛否がわかれたり、内面に立ち入ったりする話題を、避けたいと思う気持ちは否定できません。それでも話していきたいし、話していかなければならない――でも、どうやって?
ともに今年7月に刊行された『ルポ 被爆二世』(集英社新書)と『せんそうって』(講談社)のダブル刊行記念として、ジャーナリストの小山美砂さんと哲学者の永井玲衣さんの対談を前編に引き続きお伝えします。小山さんによると、新刊で扱った被爆二世というテーマも、語り合うことが「難しい」ものだといいます。
取材・撮影/集英社新書編集部
「その人のそのままの言葉を受け止めたいと思っています」(小山さん)

小山 これは今日是非聞きたかったことなんですが、話しにくいことを、どういうふうに話していったらいいのかなあ、と。被爆二世もそうだし、水俣病とか、あるいは原発事故とか……いろいろな立場や考え方の人がいる中で、何か言葉を発することで誰かを傷つけるんじゃないかと、怖くなる時ってないですか?
被爆二世もそうなんですが、いろんな立場や考え方にわかれるテーマを、どのように話していけばいいのかを、玲衣さんと考えてみたいと思っています。
私は『ルポ 被爆二世』を、めっちゃ怖いと思いながら書きました。被爆二世というテーマに触れることで、不安や差別を引き起こしてしまうんじゃないかと、おそれる気持ちがあったんですね。ある被爆二世は、「遺伝的影響が『ある』と言えば、『ない』と信じている人から怒られ、『ない』と言えば、『ある』と信じている人から怒られる。だから何をどう伝えていくかが難しい」と、話してくれました。私もまさに、誰にどんな言葉を届けていったらいいのかと、すごく悩んだんです。
永井 私はいろんな対話の場を試していて、その一つが哲学対話という実践なんですけれど、問いが真ん中に差し挟まると、ちょっとずらして語れるのが面白いなと思っているんですよね。
例えば「死刑制度賛成ですか、反対ですか」みたいなことって、すごくひりひりする。だけど、「そもそも償うってどういうことなんだろう?」という切り口なら話せるんです。その問いを介して、自分の体験に関する話も出てきたり。問いの周りを、ゆっくり、ゆっくり、みんなでなぞっているみたいな。
語りにくさというのは、たしかにある。だけど、被爆二世の方もそうだと思うんですけれど、沈黙という表現でも、すでに語っている。沈黙せざるを得ない、という仕方で語っていると思います。何かしらの方法で、私たちはすでに語っているんです。だから、聞き手の問題なんじゃないかな。どれだけ私たちが、聞くことができるのか……。
みさみさ(註:小山さん)は「語りにくさ」に、どうやって近づいていったの?
小山 私も今、同じことを聞こうとした! どうすれば聞くことができるんだろう、って。私はどうしてきたんだろう……。
めっちゃ大事にしてるのは、先入観を取っ払うこと、ですかね。取材の基本として下調べはするんですよ。その人のありとあらゆるものに目を通す。その中で、「ここはこういうふうに語ってほしいな」とか、「こんなふうに書けたらいいな」という下心を、書き手としては抱いてしまうんですね。
でも、それをできるだけ取り払いたいと思っていて。だから、あんまり誘導しない。伝えたい真意はこういうことですかと投げかけて、補助線を引くことはするんですけれど、できるだけその人のそのままの言葉を受け止めたいと思っています。そうなると、やはりお付き合いする時間は長くなる。一緒に出かけたり、飲んだり食べたりして過ごす中でしか見えないこともあると思うので……それで十分なのかはわからないですけれど。
どうすれば聞けるんでしょうね。
永井 うーん、「聞ける」に、あんまり重点を置かなくなったかもしれない。成果主義的に考えるとしんどいなというか、生産性みたいな話になってきちゃう。どうやったら聞こうとし得るか、聞くという試みをできるか、そういうことに集中するようになりました。
対話の場でも、「聞けたかチェックリスト」みたいなのを作ってくださいと言われることもあるんですけど、それはちょっと切な過ぎるなあ、と。私たちが探求すべきは、いかに聞こうとできるか? 聞こうとし続けられるかという、成果じゃなくて態度の問題なんじゃないかと思います。
「どうして私たちは聞くんだろう」(永井さん)

小山 今聞いていて考えたのは、わかった気になっちゃいけないということ。取材でもめちゃめちゃ気をつけるんですよ。黒い雨の時は、100人以上の方にお話を聞かせていただいたんですが、でも、それでもわからないんですよ。絶対に「わかった」って言っちゃいけないと思っていて。とはいえ、「小山さんこれだけ取材してるから、もう黒い雨のことは全部わかってるでしょう」と言われたり、自分でもそういう気持ちになったりすることがあって、怖い。「聞き切れた」「わかった」と思ってしまった時点で、絶対に取りこぼすことが出てくるんですよ。だから、聞けていないと思うことが大事なのかなあ。
永井 あともう一つは、何で聞いているんだろう、ということですかね。どうして私たちは聞くんだろう、ということも考えたいですよね。
それに関連した質問なんですけれど、『ルポ 被爆二世』の「おわりに」で、「被爆二世の存在に目を向けるとき、私たちは核がもたらすものの本質を見つめている。この時代とどう向き合い、いかに終わらせるのかを考える手がかりも、そこにあるはずだ」と、書いてますよね。これを書いた理由を聞いてみたい。
小山 それこそ、被爆二世という原爆被害がみつめられてこなかったという思いがあるからですね。自分自身が取材をする中で、あっ、こんなに聞けてなかったんだ、見えていなかったんだ、とすごく思って。
「核の時代」という言葉を大切にしたいと思っています。昨年は2025年で「被爆80年」とか、「戦後80年」という言葉がよく使われたと思うんですけど、私、「被爆80年」ってあんまり言いたくなかったんですよ。ヒロシマ、ナガサキは、核開発の長い歴史の通過点の一つとも捉えられるんですよね。米軍が広島・長崎に原爆を投下する1か月前に、アメリカでトリニティテストと呼ばれる核実験があり、そこからずっと核開発が続けられている。「被爆80年」というのはたしかに重い節目だけど、この時代を終わらせることができていないということに目を向けるべき。だから私たちは今年、「核の時代81年」を迎えたわけです。
永井 すごく大事だと思いましたね。核の時代81年、これをある種、許し続けてしまった自分のあり方も問われるんだ、と。でもじゃあ、「どうしてそうなってるんだっけ」と、さらに問い返されますよね。
私は人間に興味がありすぎて、取替えがきかないそれぞれの生に強く惹かれます。だけど、一人ひとりに目を凝らして、ずぶずぶと入っていくことによって、抜けちゃうこともあると思うんですよね。
小山 何が抜けちゃう?
永井 例えば、被爆者の話を伝承しますという時に、「この人はこういう大変な目に遭ったそうです。平和」で終わっちゃう、みたいな。
小山 ああ。
永井 どうして落とされたの、日本政府は被爆者にどういう対応をしてきたの、これとこれも関係あるよね、とか……大事な「語り」だけがバトンタッチされて、構造の問題が全然描かれない結果になりがちだと、何人からか聞いたことがある。
小山 戦争報道のテンプレート化と通ずるものがあるかなと思います。戦争体験に関する証言を伝えて、最後に「二度と繰り返してはいけません」で終わる。清算されていない被害があって、全然戦争は終わっていない。それに、あの頃から変えられていない社会の構造とか政治的な問題がたくさんある。被爆二世もその一つだと思います。
玲衣さんが哲学対話を始めたのは、防衛費増額が決まった日からなんでしたっけ。
永井 「せんそうってプロジェクト」を始めたのはそうですね、ここ3、4年かな。
「被爆二世というテーマを通して、救われもしたんです」(小山さん)

小山 最近、国会前のデモとか、憲法を守るペンライトデモとか、関心が高まっているような感覚があるんですけれど、そういう社会の空気を感じることってありましたか?
永井 それはあるかもしれないですね。全国いろんな場所で、小学校にも哲学対話をしに行くんですけれど、子どもは社会の言葉を食べているんですよ。彼らはそれを最初に吐き出す。社会の、ある種「最前線」の言葉を吐き出すわけです。なので、優生思想とか、役に立つ人間じゃなきゃいけないとか、そういうことを子どもが言うんですよね。
小山 えー⁉ 言わせちゃってるわけですよね。
永井 そうです、そうです。子どもがそういう子なんじゃなくて、「あ、これは社会の言葉なんだ」と。ここ1、2年、必ずどの現場でも戦争の問いが出ます。これは、これまでなかったことですね。
小山 子どもたちがめっちゃ敏感に感じているということなんでしょうね。
永井 戦争って何なのとか、結局力でねじ伏せるしかないっしょ、とか……。いわゆる抑止力みたいな言葉が、彼らの方から出てくる。
小山 そういうことを聞いていると、本当に変えたいって思うんですけれど、対話の場でそういうふうに語っている相手を変えるというのは、それこそ力でねじ伏せるみたいなことになっちゃうじゃないですか。どういう風に向き合うんですか?
永井 私も参加者なので、私は私で考えを言うわけですよ。でも子どもたちの話も聞く。さっきのような語りを受けて私が、「オッケー、じゃあ力でねじ伏せるってことでいいんだね?」と反応したら、子どもたちは「よくない!」と返してくる。「あ、よくないんだ」みたいな(笑)。
さっき「吐き出す」と言いましたけれど、口の中に入れられた異物的な言葉を、本当に文字どおり吐き出すので、吐き出し切った後に、子どもたちの言葉が始まるんです。
小山 「せんそうってプロジェクト」の中でも、そういうことが起きていたわけですよね。自分が「せんそうって」と問われた時に何を思うか、そういえばこんなふうに感じてきたということから始まって、戦争への向き合い方を獲得していく人もいるんでしょうね。
永井 そうだと思います。あと、人って自分の語りに飽きるんですよ。「本当に自分には何もできなくて」「戦争を止められなくて」と、毎回来て言う人がいるんです。みんな「はい」と言って、2年ぐらい聞き続けるんですよね。そうしたら、2年何カ月目かで、急にその人が変わるんですよ。「いやそうじゃない」「この間、こういう勉強会しました」と言い出して、え、どうしたの急に?って。
語りは、その人の中でずっと動き続けています。みさみさもすごく長く聞き取りをしてきたけれど、みさみさもまた聞かれたと思うんですよね。聞くだけじゃなくて。
小山 本当にそうかも。被爆二世の声を聞き続ける中で、私自身も変わったなと実感しました。『ルポ 被爆二世』は、その記録でもあると思います。自分の中の差別心を見つけてしまって、どうしたらいいんだろうとうろたえて、被爆二世の声を聞き、またそこで感じたことを聞いてもらって、そうやって書いた一冊なんですよね。だから、聞くことって……玲衣さんが言ってたっけ、「希望」って。
永井 うん。
小山 本当にそうだなと思いました。私はこの被爆二世というテーマを通して、救われもしたんです。それは最後の方にも書いたんですけれど、自分の中にある、自分自身をも苦しめる優生思想に気付くことができて、そこの呪縛からちょっと解き放たれたかな。完全にとは言えないかもしれないですけど、でも、すごく生きやすくなりました。
だから、語る方にどうしても意識が向いてしまうんだけど、実はお互いの声を聞き合うことから、同じような社会を向いていく、そういう挑戦ができるのかなと思いましたね。
永井 うん、ね。そうできたらいいですよね。やっぱり社会を変えないといけないですから、絶対に。
小山 はい、絶対に社会を変えましょう。
永井 あはは、二人して「社会を変えたい人間」になっちゃった。変えていきましょう。
〈了〉
プロフィール

小山美砂(こやま みさ)
ジャーナリスト。1994年、大阪市生まれ。毎日新聞記者を経て、2023年からフリー。広島原爆投下後に降った「黒い雨」の被害を記録した『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)で第66回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞。旧ソ連のセミパラチンスク核実験場(カザフスタン)を訪れるなど、核被害をテーマに取材を続けている。近著に『気象学者 増田善信 信念に生きた101年』(本の泉社)ほか。広島市在住。
永井玲衣(ながい れい)
人びとと考えあい、ききあう場を各地でひらく。問いを深める哲学対話や、政治社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、戦争について表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社)、『さみしくてごめん』(大和書房)、『これがそうなのか』(集英社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
小山美砂×永井玲衣







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