対談

選択的夫婦別姓と私たちの「家族」「国」はどう繋がっているのか【前編】

井田奈穂×中村敏子

政治学者・中村敏子氏の2021年の著書『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書)は、西洋と日本の「家父長制」から女性差別の歴史を読み解き、ジェンダーの問題を明快に伝える一冊として版を重ねた。その中村氏の新刊が、7月17日に刊行される『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)だ。政治学の概念を使って日本に存在する女性差別の構造を分析した本書は、社会を変えていく道筋として「選択的夫婦別姓」を捉え、説得力のある議論を展開している。
一方、現実を見ると、選択的夫婦別姓を求める声が長年にわたって上げ続けられているにもかかわらず、反対の立場をとる高市早苗政権が「通称使用の法制化」を推し進めるなど、議論は袋小路に入っているようにも見える。
今回の対談では、選択的夫婦別姓の導入を目指す一般社団法人「あすには」代表理事の井田奈穂氏と共に、「夫婦同姓」に至る歴史的経緯を振り返りながら、日本が真に「自由で平等な社会」となるための突破口を前後編に分けて探っていく。

構成:加藤裕子/写真:五十嵐和博

井田奈穂氏(左)と中村敏子氏

必要な知識はすべてこの本に入っている

井田 今回、先生が書かれた『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』を拝読して最初に思ったのは、「8年前にこの本を読みたかった!」ということです。私は2018年から選択的夫婦別姓の実現を目指して活動していますが、最初はあまり知識がないまま、国会議員に陳情に行ったりしていました。そうすると、「夫婦別姓にしたら日本という国が壊れる」といった自説を展開され、「単に生活上の困りごとをなんとかしてほしいと言っているだけなのに、なぜ『国が壊れる』なんて話になるの?」と、戸惑うことが多かったんです。

あまりに議論が噛み合わないので、ある議員に「どうして選択的夫婦別姓を導入してはダメなんですか?」と単刀直入に聞いてみたところ、「女性にも男性と同じ権利があることに国民が気づいてしまうからだ」と真顔で言われて、びっくりしたこともあります。そういうわけがわからない場面に遭遇する度、「これって、どういうことですか?」と法律の専門家に教わりながら、何を言われても反論できるようにしてきました。この本には、私がそうやってパッチワーク的に身につけた知識が全部、体系的にまとまった形で入っています。「これがあれば、ずっと効率的に動くことができたのに」と、過去の自分に教えてあげたいですし、今回の本を読んで、近代以降の日本の為政者たちが女性の扱いについてどう考えてきたか、その歴史を知る必要があるんだなと改めて痛感しました。ジェンダー平等に関心がある人にとって、必読書だと思います。

中村 「知識がなかった」とおっしゃるけれど、それは仕方ないと思いますよ。私の学生時代はフェミニズム全盛期で、「夫婦別姓が必要だ」「自分の姓を変えたくない」という考えは、私も50年前からずっと持っていました。でも井田さんと同じように、それはあくまで個人の問題だと捉えていたわけですね。今回の本を執筆するときにいろいろ勉強して初めて、「夫婦別姓は国家の問題だ」と気づくことができました。

これは、私が政治学者で、「国家」という枠組みを前提にして考えたから見えてきたことだと思います。どういうことかというと、近代国家の原点は「国民は皆、自由で平等であるべきだ」というところにあるのに、女性にはその原則が当てはめられていないわけですね。なぜそうなったのか、政治学の概念を使って考えてみたら、夫婦別姓の問題が立ち上がってきた、というのが今回の本なんです。

井田 私自身、まさか国家の成り立ちに自分が足を踏み入れていたなんて思いもしませんでしたから、読みながら「そうだったのか!」と衝撃を受けました。

中村 夫婦別姓と国家のあり方が繋がっているという観点からすれば、「国が壊れる」というのは、ある意味、正しいんです。

井田 「国」が何を指しているか、というところですよね。選択的夫婦別姓に反対する人たちが言う「国」は、たぶん明治から終戦直後、1947年の民法改正     までの日本なのだと思います。

夫婦別姓・夫婦同姓は「日本の伝統」だった?

中村 明治政府は近代国家を構成する「国民」を把握しようと、1871(明治4)年に「戸籍法」を制定し、1872(明治5)年に「壬申戸籍」を作りました。戸籍は律令制の時代に中国から取り入れられましたが、「王政復古」を目指す中で、江戸時代に使われていたに替わるものとして戸籍を復活させることになったのです。

これにより、人々を把握する原則に重大な変更がもたらされました。それは父系の重視です。戸籍には「家」を代表する「戸主」がおかれ、必ず前の戸主だった父の名を始めに示して、「家」がどのような「父系」によって繋がるかを明らかにしました。この父系重視は中国由来の考え方です。

その後、明治民法により「戸主」にはさまざまな権力が与えられ、また、夫の妻に対する権力も規定されました。これは西洋から来た考え方です。このように男性が女性の優位に立つ構造が作られたと言えます。でも、江戸時代までの日本の「家」はけっしてそうではなかったんですよ。

井田 夫婦別姓に反対する人の中には、古代から日本の戸籍は夫婦同姓だったと思っている人もいますが、全然そんなことはないんですよね。夫婦別姓に賛同する人類学者の先生方が1996年に出された共同声明でも、「夫婦同姓が日本の伝統」という主張は学術的に誤っていて、明治より前の日本では「姓」は自由に考え、柔軟に扱われるもので、非常に多様性があったと、強調されていました。

たとえば聖武天皇の時代、光明皇后は自分の苗字を書かなければいけないときには「藤三女」、つまり藤原家の三女ですと、生涯にわたって記していました。これは生家の氏を大事にしていたことの表れと見えますが、その話をすると、「それは支配層の話で、庶民はみんな進んで夫の苗字になっていたんだから、お前たちもそうであるべきだ」と言われてしまうんです。でも、実は結婚後も自分の出自の姓を名乗る庶民の女性も珍しくなかったんですよね。

中村 姓を持つ支配階級は誇りを持って自分の生家の苗字を使い続けたのだと思いますが、江戸時代まで庶民は公的には苗字を持ちませんでした。でも人々は、勝手に苗字や屋号を名乗っていたようです。

ここで確認しておかなければならないのは、近代以前の日本の「家」と「家制度」、それから現代の我々がイメージする「家族」は違うということです。「家」は生活の基盤であり、「家業」を継続して「家産・家名」を継承することを目指した、一種の企業体のようなものでした。「家」のメンバーには血縁関係に限らず使用人も含まれており、それぞれの「職分」に基づく役割を分担していたのです。夫は「当主」、妻は「女房」として、「家」の主な運営を担いましたが、そこに上下はなく、いわば共同経営者のような関係でした。

江戸時代は女性抑圧のイデオロギーである儒教の影響が強かったと言われますが、こうした「家」のあり方は中国とは全然違います。儒教の陰陽説では、「陽」の男性の領域は家庭の外とされたのに対し、「陰」の女性は家庭の内が領域とされ、その役割を乱してはならないと説かれました。しかし、夫婦を「共同経営者」とする日本的な「家」のかたちは、そうした男尊女卑的な儒教の教えを「夫婦相和し」「夫婦仲良く」と変換させてしまいました。基本的に家庭内に閉じこもる生活を送っていた中国の女性たちと異なり、江戸時代の日本女性はどんどん家の外に出て、社会的な活動を活発に行い、芝居見物や物見遊山も楽しみました。そして、妻は、「出向社員」のような立場で夫の「家」に属していたのです。また、地方によっては、男性ではなく女性や末子が家を相続するところもありました。

井田 「陰陽論」は、国会議員からもよく聞きます。「陰の女性は陽の男性に従わなければならない」などと夫婦別姓反対の論拠に使われたりするのですが、それは日本の伝統ではない、ということですよね。そういうことも含めて知識を持っていないと、相手を説得する言葉はなかなか出てきません。

この本の中には、日本は元々、出自の家の氏をものすごく大事にしていたということだけではなく、姓のあり方も自由だったと書かれています。江戸時代、苗字は武士にしか許されなかったと言われますが、庶民も勝手に苗字を名乗り、しかも都合に応じて苗字を変えたりしていたそうですね。

そういうことを知らずに、「夫婦同姓は日本の伝統」と思い込んでいる国会議員も少なくないと思います。「世界の先進国で夫婦別姓を認めていないのは日本だけ」と言うと「唯一の日本文化を守って何が悪い 」と反感を持たれることが多いので、「いえ、日本も昔は夫婦別姓だったんですよ」とこの本に書かれていることを丁寧に説明したら、聞く耳を持ってくれるかもしれません。

中村 そういう多様性を全部まとめて、画一的なものにしてしまったのが明治政府だった、ということです。

キリスト教の夫婦観を採用した明治民法

井田 実際のところ、明治維新でガラッと変わったというよりは、1898(明治31)年に明治民法が公布されるまでは、ファジーな姓のあり方が残っていたわけですよね。

この前、1890年(明治23年) に発行された女性雑誌の記事を見つけたんですが、そこに「どうして既婚女性は夫の姓を名乗らなきゃいけないの? モヤモヤする 」という相談が寄せられていて、「結婚したからといって妻が夫に従属するわけではないのだから、実家(里方)の姓を名乗り続けることこそが、最も妥当。後世に残る書類(公的な文書)にまで、むやみに夫の家の苗字を用いる人がいるのは、いかがなものか」という編集部の回答が書かれていました。

中村 「壬申戸籍」が作られて数年後の1876(明治9)年には「妻は嫁入り後も生家の氏を名乗ること」という太政官指令が出されました。明治政府も当初は、江戸時代以来の「夫婦別姓」を維持していました。あなたの言われた文書は、明治民法によって「夫婦同姓」に変更される前のことだからですね。明治民法による変更は、「夫婦は一体であるべし」というキリスト教の価値観に基づく西洋の影響が大きかったと言われています。

とはいえ、日本でキリスト教の信仰は希薄でしたから、「一体化」の手段として、妻を夫の「家」に入籍し、制度上、生家から切り離すかたちで、妻を夫の「家」の家族としたわけです。さらに、妻を夫の「家」のメンバーとして固定させる意図から、法律婚のみを結婚とみなし、安易に離婚できないようにしました。「配偶者」という表記が生まれたのも、このときです。

「夫婦は一体であるべし」と並んで導入されたキリスト教の価値観は、「女性は男性より劣っている」「だから妻は夫に従うべし」というものでした。明治民法の起草者の一人、梅謙次郎はフランスで長く学んだ人物で、彼が書いた民法の注釈には、「妻の無能力」(明治民法第14条)の規定は妻を夫の権力に従わせるためだ、とあります。要するに、夫が家庭内の権力を持つ西洋の「夫権的家父長制」を日本に取り入れたわけですね。「家父長制」は、家族における支配を意味する言葉ですが、「家父長」という地位に基づく「伝統的家父長制」、「父として」子どもを支配する「父権的家父長制」に対し、夫が家庭内の権力を持つのが「夫権的家父長制」です。キリスト教的価値観は西洋社会に深く根付いており、キリスト教が持つ男女差別の考え方も近代西洋諸国の法制度に色濃く反映されていました。そうした法律が、梅たちが明治民法を作るときに参考にされたのです。

井田 私たち女性は、いつまで「アダムのあばら骨から作られたイブ」でいなければならないんでしょうね。明治民法のせいで、夫婦別姓ができずに今も若い世代が苦しんでいるのかと思うと、本当にひどい法律です。

反対派は理屈だけでは動かない

井田 今、私たちが考えていることのひとつに、海外の法律の下、夫婦別姓で結婚し、その証明書を日本でも有効なものとして活用していく、というプロジェクトがあります。2021年に東京地裁が海外法に基づく婚姻関係も法律婚をした夫婦とみなされるという判決を出しているのですが、戸籍に記載されるには家裁へ申し立てるなどのハードルが存在するんです。でも、海外で別姓を保ったまま結婚する事例が増えていけば、法律婚として認められているのに戸籍には書かれていないという矛盾が大きくなって、やがて制度の見直しに繋がるのでは、という意見もあります。先生はどう思われますか?

中村 そういう方法もあるかもしれませんが、日本という国では裁判所の判決が出たからといって、それがちゃんと履行されるとは限らないでしょう? やはり立法府への働きかけが基本だと思います。

井田 ロビイングですね。ただ、選択的夫婦別姓に反対している国会議員たちの壁をなかなか突き崩せないんです。彼らの支持層である宗教思想団体には「男女はこうあるべき」「家族はこうあるべき」というイメージが強固です。「氏名を維持する権利の平等を許さないのは、法の下の平等を定めている憲法と矛盾していますよね」と理詰めで問うだけでは、なかなか議論が動きません。

でも、今や家族のかたちは多様で、制度よりも社会の方が先行しています。「男女は陰陽」と言ったり、戸籍を天皇制と結びつけて夫婦別姓に反対したりする議員には、イデオロギーに囚われるのではなく、目の前の困っている人を助けるという政治の原点を思い出してほしいです。その突破口として、この本を国会議員全員に配りたい気持ちでいっぱいですが、反対派の人たちはたぶん読んでくれないでしょうから、私たち一人ひとりが読み、武器として使うことになるのかなと思います。

中村 井田さんが活動していく中で、この本を武器としてどんなふうに使おうと思いますか。

井田 一番役に立つのは、この本で得た知識から相手の考えが読めるというところですね。

陳情していると、本当に突拍子もないことを言ってくる議員がいるんです。あるとき、「女が三歩下がって男に従うのは、俺たち男が前に出て辻斬りから守ってやっているからだ」「守ってもらうには、苗字を夫に合わせるべきだ」と言われたことがありました。「辻斬り? 今は刀を差して歩いている人もいないのに?」と一瞬、思考停止してしまいましたが、この本を読んでいれば、こういう発言の背景には明治民法の影響があるということがわかるので、相手の議論に巻き取られずにすみます。「ああ、この人は梅謙次郎の時代から来たのね」と冷静に受け止めて、態勢を立て直すこともできるでしょう。家父長制的家族がいいという価値観を持つのは個人の自由としても、それで選択的夫婦別姓に反対する人たちは日本を明治民法の世界に戻したいと考えているのでしょう。

中村 そんなちゃんとしたこと、考えてないと思いますよ(笑)。

井田 たしかに。考えていないかもしれませんね(笑) 。

でも、どんなに荒唐無稽なことを言われても、「この人、馬鹿じゃないの」という気持ちで接したら、相手の心のシャッターが閉じてしまって交渉できません。反対意見を持つ人の考え方がどこから来ているのか、それはどういう語彙で表せるのかということをロビイングする側が知っておくのは、議論を前に進めていく上でポイントになると思います。

あと、よくあるパターンでは、選択的夫婦別姓の話をすると、傷ついたような顔になる国会議員もいます。

中村 傷つくというのは、どういうこと?

井田 沖縄のある議員さんはメンバーの話を聞いて「自分の妻も改姓したくなかったのかなあ 」と傷ついた表情になりました。夫たる自分が否定されたような気持ちになるんでしょうね。ここは個人の信条に関わる部分でもあり、頭から否定するのは違うかなと思っています。

私、こういうときはあえて「奥様」という言葉を使って、「奥様にとっても、夫婦で同じ苗字というのは、きっと嬉しいことだったかも知れません。ただ、改姓して苦しいと感じる人も、お互いに氏名を尊重したいカップルも、この自治体に確かに存在しているだけです 」と、相手を安心させるようにしています。自他の区別をつけてもらうことが「選択制」のポイントなので。          

中村 夫婦別姓の話をされて傷ついてしまう人は、自分と他人の区別がつけられていないのね。そこは、日本人に欠けているところだと思います。

井田 陳情していても、自他の境界が曖昧な人から「自分はこうしているから、お前もそうしろ」と押し付けられることはしょっちゅうです。

だから、まずは「あなたは困っていないかもしれないけれど、私を含めた大勢の人たちが本当に困っている」ということをはっきりさせるようにしています。今は女性も海外に出張したり、駐在員になったりする時代で、仕事で使っている旧姓が外国では認証されないということが起こっています。あるいは、一人っ子同士で、苗字を変えると実家の姓が途絶えてしまう、だから結婚したくでもできないという人もいます。

そんなふうに困っている人が現実にいるという話を膝詰めですると、保守系政党の議員でも「自分の偏見や知識不足だった」と認めてくれることもありますね。

中村 相手の考えを理解した上で歴史的経緯を説明していくと、ちょっと「おや、そうなのか」と思ってもらえる肌感覚があるということですね。

「旧姓の法制化」こそ戸籍制度を「崩壊」させる

中村 今回の本は早く出したかったんです。高市政権になって、旧姓の通称使用の法制化(以下、旧姓の法制化)が進められようとしているでしょう? もしそれが通ったら、夫婦別姓が実現する芽はほとんどなくなってしまうという、強い危機感がありました。

井田 旧姓の法制化には、私も反対です。選択的夫婦別姓についての本質的な議論をしようとしても、いつも旧姓使用の拡大を理由に阻まれてきました。ついに「法的根拠のない氏名では用が足せない」ことを反対派が認めたのが、この旧姓の法制化だと思います。一見便利なように見えますが、「社会的コストをかけて、改姓したくない人にまで一旦改姓させた上に『法的な二重氏名』という前代未聞の状況をつくる」ことは、「マネーロンダリングや組織犯罪に悪用される懸念がある」と、法学者もこぞって反対しています。

矛盾を感じるのは、「旧姓使用をすれば社会的に困らない」と言っていた高市さん自身が、総裁選出馬にあたって一度離婚して、お相手が「高市」に改姓するという方法で再婚していることです。そうやって苗字を取り戻せたから、今、総理大臣として外交文書にも「高市早苗」と署名できるわけですよね。最初から夫婦別姓という選択肢があったら、ペーパー離婚などしなくてすんだのに、と思います。

中村 彼女は矛盾だらけですよ。女性議員の集まりで、「ガラスの天井」ならぬ「鉄の天井」に「大いに穴を開けましょう」と気勢を上げていたと何かで読みましたが、「ガラスの天井」を壊すというのは、男女の対等性が保障されるようになるということです。男女平等の政策を進めているとは思えない彼女は、どんな穴を開けるつもりなのでしょう。

 2026年5月8日、自民党全国女性議員政策研究会での挨拶を終え、出席者の拍手を受けて退席する高市早苗首相。挨拶の中で「みんなの力でばんばん鉄に穴をくりぬいていこう」と発言した(写真:毎日新聞社/アフロ)。

井田 たぶん彼女にとっての一番の優先事項は、保守系の支持母体に議席を守ってもらうことなのだと思います。でも、高市さん自身は今、さまざまな矛盾で苦しくなっているんじゃないでしょうか。

中村 そうだったらまだ希望はありますけど、苦しくなってはいないと思いますよ。真面目に考えていたら、旧姓の法制化のような矛盾だらけのことは言わないでしょうから。

彼女は「選択的夫婦別姓を導入すると、戸籍の根幹が揺らぐ」と主張しますが、私の考えでは全く逆です。そもそも、戸籍は「こういう人間が日本人として存在します」ということを登録して、国家がその人が持つ義務や権利を認めるためのものでしょう? もし通称使用の範囲を拡大したら、社会的に認められているのとは違う名前が、戸籍に記載されることになります。戸籍は国民を把握する帳簿として信頼できるものでないといけないのに、それを揺るがす事態になりますよ。

井田 おっしゃる通りです。高市さんがやろうとしている旧姓の法制化は、住民基本台帳法の改正です。マイナンバーカードや住民票に記載される「通称」を「法的に運用」できる方向で進められようとしていますが、住民票の氏名に法的効力があり、家族関係も書いてあるなら、「じゃあ戸籍はいらないんじゃない?」となりますよね。それこそ、戸籍制度崩壊に繋がりかねないのではと思います。

自維政権合意書では「社会生活のあらゆる場面で旧姓使用に法的効力を与える制度を創設する」としていました。ところが「もし旧姓が単独で法的に使えるとなったら、妻が夫の苗字を使う機会 もほぼなくなってしまう」ことから、言い出しっぺの日本会議が旧姓の単記に反対し始めて、与党内で「併記」と「単記」で揉めています。氏名を維持したい人には、最初から「戸籍上の氏名を維持する」選択肢さえあれば、それで済むのに。

中村 そう、絶対おかしいんですよ。さっきも言ったように、明治時代に戸籍を作って、家族全員に同じ苗字を名乗らせて、それを変えないようにしたのに、通称使用を拡大していったら、それが成り立たなくなります。だから、高市さんは何も考えていないんじゃないかと思うわけです。

井田 旧姓の法制化を進めようとする人たちは「旧姓が認められる場面が増えれば便利になりますよ」と言います。でも、背景にはその利便性を盾に「私は私でありたい」という女性たちのアイデンティティーを奪い、従属を求める意図があるのではないでしょうか。

中村 だから、選択的夫婦別姓が何のために必要なのかという原点を議論することが大事なんです。

(後編に続く)

関連書籍

プロフィール

井田奈穂×中村敏子

井田奈穂(いだ なほ)

選択的夫婦別姓実現と、ジェンダー平等を推進する一般社団法人あすには代表理事。ライター、PR、政策起業家。

中村敏子(なかむら としこ)

1952年生まれ。政治学者、法学博士。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年、北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』『女性差別はどう作られてきたか』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)。2026年7月、『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)を刊行。

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