タイトルを争う2人が見せた「チャンピオンという器」

MotoGP最速ライダーの肖像 2022
西村章

 2022年シーズンも残り2戦となったMotoGP第19戦マレーシアGPで浮き彫りになったのは、〈王者の資質〉だった。

マレーシアGPで優勝に、タイトル争いを絶対的優位に持ち込んだバニャイア(写真/MotoGP.com)

 ここまでの戦いを整理しておくと、前戦の第18戦オーストラリアGPで、それまでランキングトップをなんとか死守してきた2021年チャンピオンのファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)がついに首位の座から陥落した。昨年は高水準の安定感と卓越したライディング技術を発揮し、最高峰クラス3年目で王座に就いたクアルタラロだったが、今シーズンは中盤戦以降に苦しい戦いが続いた。6月のカタルーニャGPとドイツGPで連勝を挙げた以降は、一度も勝つことができないレースが続いた。ポールポジションに至っては第2戦のインドネシアGP以降、一度も獲得できていない。

 対照的に目覚ましい走りでクアルタラロを猛追してきたのが、ドゥカティのエース、フランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)だ。バニャイアは昨年もクアルタラロと王座を争ったが、切れ味の鋭い速さを見せる半面で安定感に欠けるところもあり、それが徒になってチャンピオン争いから脱落した、という経緯がある。

 今年のバニャイアは、シーズン前半を見る限りでは、昨年同様に好不調の波が激しい傾向をまだ残しているように見えた。クアルタラロが連勝を飾ったカタルーニャGPとドイツGPはともにノーポイント。ドイツGPはシーズン全20戦のちょうど中間地点にあたる10戦目のレースだったが、このドイツGP終了段階で、ランキング首位のクアルタラロは182ポイントだったのに対してバニャイアは71ポイント。ダブルスコア以上の差を開かれていた。しかも、この段階でのランキングは6番手。シーズン半ばとはいえ、タイトル獲得の可能性はすでにかなり遠のいているように見えた。

 しかし、ここから状況が一変する。両選手のパフォーマンスと成績は反転し、力関係に大きな差が生まれ始めた。

 クアルタラロは、集団に呑まれて四苦八苦するレースが続き、第10戦以降の成績は8月の第13戦オーストリアGPで2位に入った以外、一度も表彰台に登壇できなかった。一方のバニャイアはドイツGPの次戦オランダGPから破竹の4連勝。その後も、日本GPで転倒ノーポイントに終わった以外は、毎回安定して表彰台に登り続けた。

 そして、10月のオーストラリアGPでバニャイアは三つ巴四つ巴の熾烈な優勝争いを続けて、優勝から0.224秒差の3位でチェッカーフラッグを受けた。クアルタラロはレース序盤にミスをして大きく順位を落とし、そこからポジションを回復しようとした矢先に転倒。じつに対照的なリザルトになった。

 さらに、このときのふたりのレース内容が、明暗の差をくっきりと浮かび上がらせた。

 クアルタラロは、強烈でありながら極めて繊細なブレーキング技術に定評がある選手だ。彼が乗るヤマハのバイクは伝統的に、旋回性能の高さと機敏な取り回しを武器にしている。コーナーを高いスピードで駆け抜けながら、コーナーとコーナーの間の直線をすみやかに繋いで走って速いラップタイムを記録する、というタイプだ。一方、バニャイアのドゥカティは、猛烈な最高速度をたたき出して直線の速さでタイムを稼ぐ方法で長年勝負してきた。エンジンパワーが強烈な分、旋回性が積年の課題だったが、開発陣の努力とバニャイアのセンスでドゥカティはきっちりと曲がるバイクに仕上がってきた。

 このように、バイクの特性も人間の性格のようにメーカーごとに様々な特徴があるが、ブレーキ技術でピカイチのクアルタラロが、オーストラリアではブレーキングでミスをして大きく順位を落とし、それが数周後の転倒に繋がる結果になった。バイクの厳しい戦闘力をライダーの能力で埋め合わせようとするあまり、その無理がたたって転倒に繋がった、ともいえる。オールマイティな強さを獲得するようになったドゥカティの進歩に対し、積年の課題をなかなか解決できずに伸び悩んで苦戦するヤマハ、という見方をすれば、とくに今シーズンに顕著な〈精力的な技術革新で躍進する欧州企業勢〉vs〈悪循環から脱け出せず低迷する日本企業〉という構図を象徴するようなレース結果、ともいえるだろう。

 そして、このレースで3位に入って16ポイントを加算したバニャイアは、転倒ノーポイントで終わったクアルタラロを14ポイント上回り、ついに今季初めてランキング首位の座につき、シーズンは残り2戦という状況でマレーシアGPを迎えた。

……と、かなり長い前置きになってしまったが、ここまでの戦いを見れば、いわゆる〈勢い〉や〈時流〉といったものはバニャイアの側に向いているようにも見える。対照的に、流れを取り戻せず悪循環にハマりこんでいるようなクアルタラロは、このまま失速が続きそうな感もあった。

 さらに悪いことに、土曜午後の走行で転倒を喫したクアルタラロは、左手中指を骨折するケガを負ってしまった。予選結果は4列目12番手。このマレーシアGPは、バニャイアがクアルタラロに対してさらに11ポイント差を広げれば、2022年のチャンピオンを確定させる可能性があるレースだ。その正念場で12番グリッドという低位置スタートは、あまりに厳しい。しかし、バニャイアも予選をうまくまとめきることができず、3列目9番手になった。クアルタラロにしてみれば、ともに低位置からのスタートになったことがまだしもの救い、といったところだろうか。

レース後、骨折した左手を氷で冷やすクアルタラロ。性能で劣るマシン、ケガ、それでも意地の走りで3位入賞を果たし、最終戦まで一縷の望みをつなぐのはさすが昨年のチャンピオン(写真/MotoGP.com)

 このような中段位置からのスタートでは、両選手とも団子になった集団にもみくちゃにされてしまい、そこから抜け出した頃にはトップグループが遙か前方に離れてしまっている、というのはいかにもありそうな展開だ。しかし、この日のバニャイアは、何が何でも王座を獲得してみせる、という気魄が全身からみなぎった走りを見せた。

「人生で最高のスタートを決めることができた」とレース後に振り返ったとおり、9番グリッドから猛烈なロケットスタートを決めて一気に7台をごぼう抜きし、1コーナー手前ではすでに2番手に浮上していた。

「前に出るために、1コーナーのブレーキングではリスクを承知で勝負しようと思った。あの突っ込みが今日の優勝争いの大きなカギになった」

 このスタートで一気にトップグループに出た後は、来シーズンにチームメイトになるエネア・バスティアニーニ(Gresini Racing MotoGP)と最終ラップまで激しい争いを続けた。最後は0.270秒差でバスティアニーニを抑えきってトップでチェッカーフラッグを受け、今季7勝目を達成した。ドゥカティ勢のライダーが1シーズンで7勝を挙げるのは、2007年のケーシー・ストーナー以来。そんな事実にも、現在のバニャイアの勢いがよくあらわれている。この2007年のストーナー以降、ドゥカティが15年間も王座から遠ざかっていたチャンピオンの座を、バニャイアはいま、着実に手元へ引き寄せている。

バスティアニーニ(前)に抜かれた後も守りに入ることなく、攻めの姿勢でトップを奪い返したバニャイアは〝王者〟に相応しい走りを見せた(写真/MotoGP.com)

 バニャイアが優勝で25ポイントを得たことにより、クアルタラロは4位で終われば、点差が26となってバニャイアのチャンピオンが確定することになる。つまり、クアルタラロは何が何でも表彰台を獲得しなければ、次の最終戦にわずかな望みを繋ぐことができない、というわけだ。

 4列目12番手スタート、しかも左手中指骨折という悪条件では、表彰台はいかにも厳しい。しかも、今回の会場セパンサーキットは、ホームストレートとバックストレートがともに1000m近い長さで、エンジンパワーと直線のスピードで勝るドゥカティ勢が武器を発揮しやすいレイアウトといっていい。トップスピードでドゥカティに叶わないヤマハのマシンでは、後方スタートは圧倒的に不利だ。しかし、この不可能にも見える難題をクアルタラロはクリアしてみせた。「何が何でも王座を獲りに行く」という気合いを見せたバニャイアに対して、「そう簡単にはタイトルを譲り渡さない」という意地を見せたチャンピオンライダーの気魄が、それを可能にしたのだろう。

 レース序盤は5番手前後で表彰台圏内からは3秒ほども離れていたが、ブレーキング技術の限界までとことん攻める走りを続けて、やがて3番手に浮上した。バニャイアたちに肉薄できないまでも、追いすがる他のドゥカティライダーを引き離して3位でゴール。

「今日はレースを楽しめた。長い間、楽しく走ることができなかったので、今日は久しぶりにそれをできたということが最も重要なポイント」

一時はベッツェッキ(後)に背後に迫られるも、意地と気迫で突き放し3位を死守したクアルタラロ(写真/MotoGP.com)

 レース後にそう話したとおり、表彰台獲得は8月のオーストリアGP以来、2ヶ月6戦ぶりである。とにもかくにも、こうしてクアルタラロはシーズン最後の最終戦バレンシアGPまでチャンピオン獲得をもつれ込ませることに成功した。

「バレンシアは好きなコースなので優勝争いを目指したい。シーズン最後のレースだから、楽しんで走りたい」

 とはいえ、今回の結果でバニャイアとクアルタラロの差は23ポイントになった。最終戦でたとえクアルタラロが優勝しようとも、バニャイアは2ポイント、つまり14位に入ればチャンピオンを獲得できる。後半戦では着実に表彰台に登り続けてきた実績を考えれば、タイトル決定はほぼ確実、といってもいいかもしれない。しかしバニャイア自身は、最終戦で無理をせず安全に守りの走りをしよう、などとは考えていないようだ。

「用心深くなりすぎると、かえって面倒なことになってしまう。集団の中にいると、フロントタイヤが(風を受けて冷やすことができず)過熱して空気圧が上がりすぎてしまう。だから、いつもと同じ週末の過ごし方にしてスマートに戦い、チャンスがあれば次回も優勝を目指したい」

 おそらく、2週間後の日曜日、11月6日にバニャイアは2022年のチャンピオンになるだろう。シーズン半ばにそのチャンスから一度は見放されかけながらも、その後の圧倒的な成績で猛追を続け、ついに戦況を覆して王座を手元に引き寄せた集中力と意志の強さは、まさにチャンピオンを獲得するにふさわしい資質といっていい。

 また、クアルタラロの、中盤戦で不振に見舞われて成績を落としながら最後の最後まで王座を渡さなかった粘り強い戦いかたもまた、チャンピオンにふさわしい姿だ。過去の王者たちを振り返れば、一度はタイトルを手放しながらふたたび王座に復帰した選手たちは、いずれもさらなる強さとしたたかさを身につけて、ひとまわりもふたまわりも大きなライダーに成長していたことがわかる。

 ニッキー・ヘイデンに6連覇を阻まれたバレンティーノ・ロッシは、その後、円熟の強さを身につけて2008年に王座へ返り咲いた。また、2007年にドゥカティに初の戴冠をもたらしたケーシー・ストーナーは、圧巻の強さと速さにさらに磨きをかけ、ホンダ移籍初年度の2011年にふたたび王座に就いた。また、2010年に最高峰3年目でチャンピオンを獲得したホルヘ・ロレンソは、2012年にさらに高水準の安定感で2回目のタイトルを獲得した。

 チャンピオンたちは一度その座から離れても、さらに強さを発揮してふたたびそこへ戻ってくる。マルク・マルケスも、おそらくいまその途上にある。そして来年のファビオ・クアルタラロもまた、さらに強いチャンピオンとなって返り咲くための戦いを始めることになるのだろう。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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