息苦しさと不登校が増すばかりの学校は、どうしたら変えられるか

『公教育をあきらめるな!』出版記念イベントレポート第2回
木村元彦

久保先生は、先生というよりも友だち

 刊行記念イベントということで、書かれていることをなぞるだけではなく、先生のかつての生徒に登場をお願いするという試みは、第一部に続いて久保先生についても行われた。やって来てくれたのは澤井君。久保先生のかつての教え子であったお笑いコンビかまいたちの濱家君が、自らのYouTubeの中で、同じクラスにいた笑いの天才として紹介していた人物である。

 澤井君は濱家君に笑いの道に誘われたが吉本の養成所NSC(吉本総合芸術学院)には行かず、笑いの道には進まずに家業のコンビニを継いでいた。名を成した人物について、かつての恩師からどんな子どもだったのか聞く企画はよくあるが、今回はそれの逆で、久保先生はどんな教師であったのかを司会は聞いた。

木村 久保先生が大阪市長に対して意見書を出して、それが訓告処分を受けました。新聞報道などでも有名になってしまったわけですけども、澤井君はどんなふうに感じていました?

澤井 全然そんなん知らなかったんです。新聞に出ていましたけど、あの人、本当はそんな大した人じゃないんです。

木村 大したことないっていうのは、松井市長のこと? 久保先生のこと?

澤井 久保先生のこと(笑)。普通のことを普通にしたら、普通に大げさになったんや、ぐらいな感じです。ほんと、濱家も今、芸能人やから、みんな偉いねとか言うけど、先生もほんまに大した人じゃないんです。でも、だからそれがちょうど良くて面白かったんですよ。

 僕、学校行くの嫌になったことないんです。とにかく楽しかった。楽しかったのは、友だちがおるからなんですよ。それで、先生も偉くなくて大したことのない、ちょうどいいあんばいでいてくれた。教師っていう立ち位置ではありますけど、僕、今に至るまで敬語使ったことないんです。友だちなんです。さっきもこの会場来るときに横断歩道でばったり会ったけど、「おおっ」て普通に挨拶しました。たぶん、うちのクラスの人間全員、先生というよりも友だちやと思っています。

久保先生の教え子の澤井さんと久保先生  写真:隆祥館書店

木村 いつも久保先生が最初に挨拶するときに登場する腹話術のQちゃん人形は、澤井君の小学生の頃からデビューしてた?

澤井 全然いなかったです。だから、今日それを見て、また校長になってから新しい、しょーもないこと覚えたなって、びっくりしてしまった。

木村 びっくりて……。校長の別人格としてQちゃんという分身が生まれはったのは面白くない?

澤井 僕は結構、嫌ですね。あんなん練習している時間があったんか、と。

久保 でも昔も面白いことはしていたやろ。テレビの『おはよう朝日』の「頑張れ先生」に出たやんか。

澤井 面白くないことをやるけど、とりあえず、みんなが苦笑いしてるだけやから。だから、僕はほんと心痛くて。

久保 澤井君、覚えてるかどうか知らんけども、うちのクラスは朝会でいつも並ぶんが、ぐちゃぐちゃやったんで、校長先生が「6年3組」と言わずに、「久保学級、前へならえ」って言ったことがあった。そのときに朝会終わってから、澤井君が「あれってオレらじゃなくて、先生が責められているんちゃうか」って言うて、「かわいそうやから、やっぱり真っすぐ並ぼうや」みたいな提案をしてくれた。

木村 すごいね。

澤井 違うんですよ。だから、友だちやからですよ。

久保 彼はほんまにすごくて、小学生はしょうもないことで、これは男子か女子かどっちが上やみたいになるときあるんですよ。で、澤井君が何かのときに「それってこうちゃうんか」って言ったら、男子が「おまえ、女子の味方するんか」みたいに冷やかしながら責めてきた。普通はこのぐらいの年やったら、うろたえて「ちゃうわ」とか言うねんけども、「何があかんねん」とか、「男も女も、ほんな関係ないやろ」とかそういうことを、ぱっと言った。当時1995年やから、男女平等教育とか始まってないし、まだ男子が名簿も上で、女子が下が当たり前みたいな時代ですけど。そしていつも濱家君より面白いことを言うんですよ。

 澤井君は、そもそも教育について語り合うイベントに出て語るようなタイプではない。今回も何や分からんけど、呼ばれたから来たで、という体であった。勉強は好きやないけど、友だちがいてフラットにつきあってくれる担任がいて楽しいから、学校は休んだことがないという。澤井君のため口での久保先生とのやり取りによって、当時がどんなクラスであったのかが自然と想像できた。教師と生徒がお互いを一人の人間として認め合っていたのだ。澤井君の登壇後、西郷先生がその学校の楽しさについてあらためて発言した。

西郷 学校の役割は、つまらない授業を耐えることではなく、経験を積むことです。実際、大人になって授業の内容なんて覚えていないでしょう? 友達とはしゃいだり、失敗したりすることこそが重要。今の学校が『通信制』のような柔軟な形、つまり来たい時に来られ、一人でいたい子はそうできる場所になれば、不登校も減るはずです。

 あのつまんない授業を1時間我慢して座っているだけだったら、僕が生まれ変わったら行かないですよ。僕が桜丘中学で考えていたのは、通信制の中学校のような形です。来たい子は来りゃいいし、家で勉強したい子は家で勉強すりゃいいんです。それだと、一人だから良くないって言う人もいるけど、その価値観もおかしい。一人でゆっくり、いろんなこと考えるタイプの子もいる。僕だって、ヘルマン・ヘッセのように、いつも窓の外の流れる雲を教室から見ているのが好きでした。

子どもを分断させる政策はやめるべき

 やはりイベントの後半でも不登校が大きなテーマとなって議論が続いた。

 ここで、大阪の不登校特例校である市立心和中学校に勤務している中林沙也加先生がゲストとして登壇した。不登校特例校とは、文部科学省があらたに作った制度で学びの多様化学校のことである。不登校児童生徒を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校と定義されている。大阪市ではこの心和中学校が初めての不登校特例校として、2024年度に開校している。中林先生は次のように現状を報告した。

中林 一昨年、大阪で最初の学びの多様化学校ということで開校しまして、3月に卒業した生徒が69名います。うちの学校も校則なし、チャイムなし、授業も入るか入らないかは生徒が決めるという状態でスタートしています。そうじゃないと生きていけない、それがあるからこそ存在することができるっていう子たちなんです。

 開校した当初、すごくヤフーコメントでたたかれて、何で不登校の子のために11億円も使って学校を造るんやとか、それやったら、一般の学校の子のほうをもっと充実させたらいいんやないかとか、新聞に出たら、私も甘やかしているとか、いろいろ言われました。子どもたちは本当に背景はさまざまで、大阪市中の問題を煮詰めて一つの学校にすると、心和中学校になるっていうような状態です。我々も、決して不登校の問題に特化してやりたいとか、希望してきた人間ばかりじゃないんです。普通の人事異動で来て、これでいいのかとか、悩みながらの毎日です。私は希望して行ったんですが、日々いろいろと教員同士も議論や意見の対立もしながら、対話を忘れずに頑張ってやっています。

 ここから議論が広がっていった。

大阪市立心和中学校に勤務する中林沙也加先生  写真:隆祥館書店

宝上 学びの多様化学校っていうものについて、確かに場所はできて、それはすごくいいことなんだけど、例えば、私が関わっている子どもたちとかだったら、家から出るのがまず難しい。また電車に乗っていくという距離感があって、1校では足りないというのは感じるんです。学校の中身もとことんユニバーサルデザインにするのかとか、その辺のところはどうでしょうか。

中林 結局、登校ができるかどうかなんですね。定員が70名で、毎日来るのが5~6割。年間通しても、だいたいその出席率になるんです。多様化学校をつくったからといって不登校の問題は解決しないし、すごい非行傾向にある子なんかやったら、本当は地域で包摂してやっていくべきというのは、すごく思います。

西郷 特別支援学校ってのがあって、いわゆる障がいのある子が通う学校なんです。本来、地域に自分が通うべき学校があるんだけど、そこでは引き受けられない、世話ができないから特別支援学校に行ってくださいって言われて、遠くの学校に通わせられる。

 今、全く同じですよ。地域の学校に通えないから、遠くの学びの多様化学校のほうへ行ってくださいと。結局、それは分断されているわけ。その子は自分の地域に戻っても友だちはいないし、一緒に草野球やることもできない。本来このやり方は間違っています。学びの多様化学校を一つつくって、そこに通わせるというのではなく、地域にある学校が、そういう子も通えるような学校にしないと問題は解決しません。

 最近は、「多様な学び学校」をつくるときに、その目的は不登校の子が通えるような学校ではなくて、その学校を見せて、今ある既存の学校がそういう学校に近づきなさい、通えるように変えていきなさいというモデルとして提示する、そういう動きに変わってきています。

 特定の学校を作ってそこに通わせるのは、結局のところ地域からの『分断』です。本来は、地域にある既存の学校が、どんな子でも通えるようなユニバーサルな場所に変わっていくべき。「多様な学び校」はそのためのモデルケースであるべきです。

鈴木 僕は学びの多様化学校という名前からしておかしいと思うんです。そもそも学びって多様なわけだから。アクティブラーニングも同じです。国が推奨して押しつけてきて、その時点でアクティブではない。せっかく大阪で話しているので大阪の話に戻すと、アメリカにおいて、新自由主義教育改革の実験場となったのが、ニューオーリンズなんです。ニューオーリンズで、全ての従来の公立学校を取っ払って、100%公設民営の学校にしたんです。

 どうなったかといったら、学区がないわけですよね。代わりに、一つの巨大な教育市場が誕生し、ヨーイドンで、各学校が生徒を奪い合うようになる。そうすると、僕と隣の久保家の子どもたちが、同じ地域に住んでいながら、全く違った地域の学校に通うことになるんです。その結果、地域コミュニティーが成り立たなくなるんです、やりとりがなくなるから。そして地域の課題なんかでも声が上げられなくなっていく。

 今の大阪でも同じような状況になってきましたよね。日本における新自由主義教育改革における実験場となったのが、まさに大阪です。早くから「市場型」学校選択制を導入して教育市場をつくり、しまいには全国学力調査の結果を教員評価に反映すると吉村(元市長)さんが言い出した。テストの点数で先生たちの給料、校長のボーナス、学校への予算配分を決めるようにする、と。そうなるとしんどい地域、テストの点数が取れない地域でどんどん学校がつぶれていく。そうやって大阪が先陣切って、実験場となっていった。どういうふうに人々が声を上げづらくなってきたのかというのも、すごくつながっている話だなっていうふうに感じました。

木村 相対評価のテスト至上主義の「チャレンジテスト」導入の旗振り役をやっていたのが、大阪市特別顧問の大森不二雄(東北大学教授)でした。その大森さんが、提言書を書いた久保先生への懲罰を市教委に命じていたことが情報公開請求であきらかになりました。多様どころか、異論を政治でつぶしに来た。それこそ、背景がつながっていましたね。

 最後に会場からの質疑の時間となった。

 私は今、天王寺区でこどもの居場所をやっておりまして、平日の火曜から金曜日の、午前中から午後の途中まで、不登校の子の居場所をしています。その子たちに自由に勉強してもらって、放課後は子どもたちが、どっと遊びにやってくるというような状態になっています。

 新学期以降もこれを続けるつもりなんですけども、私自身は教員経験もありませんし、塾で生徒を指導したという経験もありません。企業経営を長く続けてきたという人間なんですけど、注意すべきこと、あるいは、これはやめたほうがいいよっていうようなことがありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。

西郷 自由にやってみてください。失敗を恐れて何もしないのが一番いけない。失敗からしか得られないものがあります。今の学校の常識に縛られず、思いついたことにチャレンジしてください。

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プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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