2021年8月、アフガニスタン情勢が急展開した。アフガニスタンに駐留する米軍・NATO(北大西洋条約機構)軍が同国から撤退を開始すると、首都カブールがあっけなくタリバンの手に落ちた。
米軍の撤収は完了しても、現地では数万人のアフガン市民(現地協力者や女性解放運動家など)が国外へ脱出すべく空港に殺到し、混迷を極めている。タリバンの勝利に、ハマスをはじめ各イスラーム組織が次々と祝意の声明を出しているが、危機感を深める欧米諸国を尻目に、いち早くタリバンへの支援声明を出したのが中国だ。今後のアフガン情勢はどんな展開を見せるのか。そしてタリバン政権にすり寄る中国の真意は──。9月17日に集英社新書『中国共産党帝国とウイグル』(橋爪大三郎・中田考)を上梓したイスラーム学者・中田考氏と、思想家・内田樹氏に対論していただいた。
*本稿は9月17日に週プレNEWSより配信された同記事に未掲載の情報を大幅加筆したロングバージョンです。
構成=宮内千和子 写真=三好妙心
誰も予想できなかったカブール陥落
内田 こんなに早くアフガニスタンが落ちるとは、誰も予想できませんでした(タリバンのカブール入りは8月15日)。
中田 これまでの政権は傀儡政権なので、米軍が撤退すれば一夜にして落ちると、以前からタリバンは言っていたのですが、本当に一夜で落ちるとは思わなかったので、私もびっくりいたしました。
内田 「傀儡政権」という言葉はありますけれど、まさかここまで「マリオネット」のようなものとは思っていませんでした。
中田 はい、そうなんです。しかも、大統領のアシュラフ・ガニは国民に挨拶もせずにいきなり逃亡してしまいましたから。
内田 ひどいですよね。ゴジラが来るときだって、鉄塔で放送するアナウンサーの人たちは「ゴジラがやってきます、ここももうすぐ危なそうです。皆さん、さようなら」と言いながらゴジラに踏みつぶされるのに。大統領が国民に一言の挨拶もなしにどこかに行っちゃうって、それはないですよ。しかも、車四台とヘリコプターに金を詰め込んで、積めなかった分は飛行場に置いていったとか*1。映画だとよくそういうシーンがありますよね。独裁者が逃げるときにダイヤとか金塊とか一生懸命運び出そうとして、運びきれない分を泣く泣く置いていかざるを得ないって。そういうことって本当にあるんだ(笑)。
*1 同大統領は国庫から1億6900万ドル(約186億円)を盗んだとロシア系メディアで報じられた。
中田 アシュラフ・ガニは、現在はUAE(アラブ首長国連邦)にいるようですが、この状況ではさすがにもう戻れないでしょうね。
内田 戻る先がない。
中田 政府がなくなっちゃいましたからね。
内田 アフガニスタン政府は腐敗しているということは中田先生も内藤正典先生(中東研究者)もずっと書かれていましたね。日本政府だってずいぶん腐っていると思っていましたが、腐り方のレベルが違いました。中田先生は、これまでもサウジアラビアやシリアをろくなものじゃないとよく批判されていましたけれど、今回のタリバン復権でよくわかったのは、21世紀になっても、まだそんなろくでもない独裁者があちこちにいるということですね。
中田 そうなんです。次元が違うんですよ。
内田 その次元が違うが僕たちにはうまくわからなかった。日本もアフガニスタンもどちらも国民国家だからというだけで、自分たちの常識を当てはめて、何でアフガニスタンは日本みたいに統治されていないんだろうと思ってもしようがないんですね。
中田 アシュラフ・ガニというのは、アメリカでドクター取った学者で、もともとカブール大学の学長やっていた人ですので、随分西欧化されている人なんですが、それでも中身は結局ああいうことなんですね。
内田 欧米に行って高等教育を受けて、学位を取って、欧米的なマナーを身につけた人たちが、イスラーム圏の国に戻って、民主制の指導者になってみたら昔ながらの強欲な族長とたいしてふるまい方は変わらなかった。そういう文化って、深く内面化していて、容易には変わらないものなんですか。
中田 基本的に異文化を総合すると、互いの良いところを取って素晴らしいものを創ろう、と、みんな口では言うのですが、大抵の場合は、互いの悪いものと悪いものがあわさってどうしようもないものになります。夢も希望もありませんが、そうなるのが普通なんですね。いいところといいところを混ぜ合わせてよくなるというのはまずありません。ガニの場合は、それが最悪の形で出た典型でしょう。西欧の上から目線の独善的な正義の押し付けと、アフガニスタン土着の縁故主義が組み合わさって最悪の強権専制汚職国家が出来上がってしまったわけです。
タリバンの粛清は起きるのか
内田 先生の見通しではこの後、アフガニスタンどうなるんでしょうか。
中田 ロシア、中国、イラン、パキスタンなどが、タリバン政権を承認する方向になっていますので、もうアメリカやヨーロッパは手出しはできないと思います。
今回のタリバン側の代表者のインタビューが、昔イラン革命(1979年)があったときのホメイニー氏や側近のインタビューによく似ているんですよ。あの時も、これから少数派や女性の人権はどうなるのかと聞かれて、それはイスラーム法に基づいてちゃんと守るから心配ないという答え方をしている。
もちろん欧米側は、そんなコメントは信用できないという話になるんですが、我々イスラーム学者から見ると、イランはきちんとイスラーム法の範囲内でやってきたのです。概して大学進学率など男性と女性の比率は拮抗しており、時に女性の方が高くなったりする。インタビュアーがイスラームを理解していなかったので、勝手に誤解しておいて、後になってイランに騙されたと騒ぎたてているだけなんです。ですからタリバンもイスラームのやり方に徹するだろうと思います。
しかしそれは当然欧米が言うような人権とは違います。欧米的な人権概念などいくら大声で叫んでも、賄賂がはびこり泥棒や誘拐が増え、治安が悪化しアフガニスタンの社会はどんどん貧しくなり、人権どころか普通の暮しさえもが成り立たなくなってしまったから、タリバンはイスラーム政府をわざわざ樹立したわけです。でも、違いはあっても、原理主義ではない、普通のイスラームの人たちが見て、これはこういうものだろうなというような形になっていくのではないかと思います。
内田 20年前のタリバン政権の時にはいろんな驚嘆すべきことがありました。特にバーミヤンの石仏を破壊したことが映像的にはインパクトがあったと思います。あの一件で、タリバンへの嫌悪感が一気に高まったような記憶があります。それまでは「アフガニスタンの国内の出来事」だと無関心だった人たちも、あれを見てから国際世論が一気に反タリバンに流れたような気がします。今回はタリバン政権も国際世論をわざわざ逆なでするようなことは自制するくらいの配慮はするようになるんでしょうか。
中田 今回は、驚くほどうまくやっていますね。中国やロシアとも如才なく手打ちをしていますし、そういう意味では、アフガン人はもともと政治には長けているんです。もともとタリバンというのは、言葉の意味からいっても「神学生」なんです。彼らは、大体子供のときに難民になってパキスタンの寄宿舎で勉強していた。タリバンというのは、ソ連軍が撤退した後、北部同盟などムジャヒディン(戦士)と言われる人たちの内戦がひどかったので、これはもう見ていられないと、世直しのために立ち上がった神学生たちで、それまでは何の政治経験もなかった。それが20年経って、いろいろ苦労して、アフガン人の政治的なうまさを習得したのだと思います。特に幹部連中はみんな国外にいて経験を積んでいますので、それほどばかなことはしないと思います。
内田 今回、タリバンは、いくつかの地方では、政府軍とも軍閥とも交戦しないまま「無血開城」させていますね。それが可能だったのは、事前に「根回し」をしていたからだと思いますが、そういう水面下のネゴシエーションは、事前にそれなりの人間的な信頼関係が構築されてないとできない。この20年間、地方でゲリラ戦を展開しながら、タリバンは体制側とのそういうパイプをひそかに構築してきたということなんでしょうか。
中田 そういうことですね。
内田 つまり、20年前は若くて、無茶をしたけれど、雌伏していた間に、政治的に一皮むけて、いくぶん「ずるいおやじ」になってきたということでしょうか。
中田 今は、イスラーム学ではない自然科学や社会科学のドクターを持っている人間たちもたくさん協力しています。今回も旧政権の人員に恩赦を与えるなど、より合理的で寛容な統治機構を考えているようです。
内田 恩赦というのは、アフガニスタン政府の官僚たちにですか。
中田 そうです。そういう人たち全員に、普通に仕事に復帰してくださいと言っています。
内田 統治機構を「居抜き」で使うというわけですね。
中田 はい。私が以前イスラーム国に行ったとき(2014年)も、そうでした。イスラーム国は神学的にタリバンよりもはるかに敵、味方をはっきりさせて、自分たち以外は敵だという思想的立場なのですが、占領した市庁舎がそのまま動いていて、もとの役人たちに給料もちゃんと支払われていました。
内田 アフガニスタン政府軍が弱かった理由は、給料がきちんと払われていなかったからだと報道されていますね。タリバンの方が行政機構をきちんと管理していて、政府側の行政機構が機能していなかったので、人心が政府から離れてタリバンに向かったということですね。
中田 政府高官たちが運び切れないほどお金を横取りしていて、下っ端の役人たちに給料を払わなければ人はついていきませんよね、という非常に分かりやすい話です。
内田 統治機構も前政府のものを再利用するということになると、欧米の協力者を粛清するというようなことはそれほど恐れなくてもよいということなんでしょうか。
中田 内戦時代にタリバンに対してひどいことをした人たちにも、一応アムネスティ(恩赦・特赦)が与えられていますので、「恐怖政治」というほどのものにはならないでしょう。ただし恩赦というのは過去の罪に対するものですから、恩赦の発表があった後でも出頭せず、隠れて反タリバンのプロパガンダや破壊工作、タリバン政権転覆の陰謀を企てた者には当然及びません。残念ながら、西欧のメディアは内乱を扇動していますので、それにのせられた「反乱分子」が数百人レベルで処刑される、といったことは起こるでしょう。日本でも外患誘致罪は死刑一択ですからね。しかし欧米が反タリバン勢力を軍事援助して本格的な内戦に陥らない限り、悪くてもその程度で済むと思います。
内田 バイデンは、もう撤退してしまったので、どれほど内外から批判されても、この選択で正しかったと押し通すつもりでしょう。ですからこれから先にアフガニスタン国内で大規模な粛清や人権弾圧が起きなければ、今回の撤兵判断は正しかったということになる。逆に粛清や人権弾圧の事例が報道されると、アメリカが国際世論の非難を浴びることになる。今回の撤兵は戦略的には合理的だったにしても、人道的配慮が足りなかったという批判をアメリカはどうやってクリアできるんでしょうか。
中田 もし仮にそういう事態になったとして、また派兵するとなると、もっとひどいことになるのは目に見えています。ロシアも中国も黙っていないので、泥沼戦になるでしょうね。批判については、国家がコントロールできることでもないし、フェミニストの人たちが何を言っても言うこと聞かないでしょう。いろいろと問題が起きるにしても、外から何かができるわけじゃないと思います。
プロフィール
内田樹
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書は『日本習合論』(ミシマ社)、『サル化する世界』(文藝春秋)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)など多数。第3回伊丹十三賞受賞。現在は神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。姜尚中との共著『新世界秩序と日本の未来 米中の狭間でどう生きるか』(集英社新書)も好評発売中。
中田考
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)等。2021年10月20日『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)発売予定。