二〇二一年からセンター試験を廃止し全ての国立大学の入試を実質AO入試化しようとの文科省の受験改革の試みに対して、「知識の暗記や再生に偏りがち」と貶(おとし)められた従来型の受験教育を守るべきだ、との深刻な危機意識が、評者の畏友で灘校の同級生でもある著者和田秀樹博士を本書の執筆へと衝き動かした動因だ。
この大学受験改革により、高校生が従来型の受験勉強に替えて真の学力を身に着け、主体性、多様性、協働性など生きる力を養うようになる、という一見もっともらしい文科省の言い分が実は根拠薄弱な暴論であることを、著者は該博な学識と豊かな実体験に基づいて立証していく。
好奇心で勉強している大学生に報奨を与えると却ってやる気を失わせるとの心理学の発見に基づき、一九六〇年代の米国では、宿題やテストを避け自分のやりたいことをさせる教育法が流行ったが、学力低下と少年犯罪の激増に終った。飴と鞭が学習意欲を殺(そ)ぐのはもともと意欲が高い子であり、低い子には有効な方法であることが判明し、先進国では主体性、多様性、協調性の育成は大学、大学院における目標とし、初等中等教育では日本の受験勉強の従来型のような詰め込み式による基礎学力の習得に重点が置かれるようになる。
欧米では、高級官僚や政治家は博士号を持っていることが普通だが、日本は博士号を持つ官僚や政治家が殆どいない世界でも稀(まれ)な低学歴社会だ。米国で失敗が実証された五〇年遅れのモデルを持て囃しているのは、日本の文科省の官僚たち自身が高等教育の素養に欠け初等教育と高等教育の違いが正しく理解できていないためだ。
しかしこの受験改革案の最大の問題は、主体性、生きる力を強調しながら、子供たちを教師が(そしてその教師を文科省が)評価による賞罰でコントロールしようとするダブルバインド状態に置くことだ。子供は大人に逆らうことで大人になるとの発達心理学の知見は、身をもってそれを生きてきた著者の反骨精神の表明でもあり、本書の通奏低音となっている。
なかた・こう●イスラーム学者、同志社大学客員教授
青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」4月号より