伝統工藝を現代建築に取り入れた「工藝建築」でも注目を集めている、Z世代起業家の塚原龍雲氏。著書『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)では、日本の伝統工藝が持つポテンシャルをみずみずしい感性で読み取っていく。そんな塚原氏と、これからの日本の工藝をつくる職人との対談。二人目のお相手は、日本とヨーロッパの伝統工法を融合させた建築で注目されている大工アーティストの菱田昌平氏。インスタグラムのフォロワー数31.8万人、若い世代からも支持される「HISHIDAの家」の魅力とは?
構成:高山リョウ 撮影:菱田桔平

1 大工アーティストが開く工藝の可能性
やがて菱田さんは、欧州での「コミュニティ」や「家造り」への向き合い方が、日本のそれと通じることに気づいたという。そこから、旅先で学んだ木骨造の角ログ住宅工法・ティンバーフレームと、日本で古民家などを造るときの伝統工法を融合させた、彼独自の建築意匠が生まれた。日本の伝統的工法を使いつつ、どこかヨーロッパの香りもするデザインや機能美がその魅力だ。その根底にあるのは、日欧共通の自然への敬意や、素材への向き合い方、およびそこから生まれる技術だ。(『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』塚原龍雲・集英社新書より)
菱田 私は建築のしごとをしていますが、塚原さんが出された「工藝」をテーマにした本で紹介していただいていることを非常に嬉しく思います。塚原さんがハブとなり、私もいろんな伝統工芸の職人さんにお会いしてきました。皆さん、私と同年代の40代から50代か、さらにベテランのスペシャルな方ばかりですが、その方たちがみんな塚原さんのことを尊重、尊敬して、同じ目線で向き合っている。そのことを私自身、不思議に思っている節もありました。職人って「ものづくりの人間」なので、その人が敬意を払う相手ってやっぱり自分に近い人たちで、私たち大工だと、大工の言葉しか聞かないようなところがあるんです。
そんななかで塚原さんは、20代の若さで40〜50代以上の職人たちと同じ目線で会話をしていた。私も塚原さんと話せば話すほど、その人柄に深みを感じるようになり、塚原さんが人生をかけて学びきって、歩きまくって得た知識や経験に大きな感銘を受けました。その感覚は今回の本にも詰まっていると思います。こういう方が新しい時代を切り開いてくれるのではないかと期待しています。
塚原 今のお言葉を受けて、恐縮ですとしか言えないですけれども、菱田さんと、菱田さんの会社である菱田工務店で働かれている方々と一緒に、北陸から関西まで工藝の職人さんのしごと場を回らせていただいたんですよね。前回対談させていただいた松岡茂樹さんの工房も一緒に行かせていただきました。これまで工藝というものは建築の中にあまり入ってきていなかったのですが、それってよくよく考えてみたらおかしいなと思って。
今回の本にも出てくる富山県・高岡銅器の折井宏司さんの工房にも、一緒に行かせていただきました。菱田さんが今、軽井沢で手がけていらっしゃる物件にも折井さんの技術が取り入れられているのですが、工藝の職人さんと大工さんが知り合ったことで、工藝側の可能性が大きく開かれたのだと思います。ほかにも菱田さんが工藝の職人さんたちの技術に触れたことによって、彼らの技術のポテンシャルが解放されたり、両者が化学反応を起こすようなところもありました。菱田さんにも新しいものに触れていただきながら、我々の会社KASASAGIも勉強させていただいています。
僕が伝統工藝の職人さんたちにリスペクトしていただいているというのは大変恐縮なんですけれども、あくまで菱田さんみたいなすばらしい方をお連れさせていただいて、何か物事が始まって、それが成果になったりしていく中で、「塚原が連れて来る人は変な奴じゃないぞ」というところを御了解いただいているのかなと思います。僕の実力というより、職人さんたちのすばらしさなのだと思います。
2 「人が暮らせるアート作品」を建てる
塚原 菱田さんとの出会いは強烈でした。僕たちには共通の知人がいて、その方のご紹介で、ここ長野県の坂城町にある菱田さんのご自宅でお会いしたんですよね。僕は出家しているのでオレンジ色の袈裟を着てきたと思うんですけれども、菱田さんの最初の印象はむっちゃ怖かった。菱田さんはど直球に信念的なものを聞いてこられる方なので、「塚原さんは何を大切にしごとされていますか? 塚原さんの信念ってどこにあるんですか?」というのをアイスブレークほぼなしで。(笑)開口一番、「どういう信念でしごとをしているのか?」と聞かれて面食らいました。
そのときは緊張していたのでうろ覚えなんですけど、「職人さんの情熱を欠かないものづくりができるような環境をつくりたい。手しごとの美しさというものをいろんな人に知っていただきたい」といった感じの話を多分しました。そうしてお話しをしているうちに御納得いただけたのか(笑)、「じゃあ話してやろう」という姿勢になっていただいたのかなと思っていまして。
菱田 私は誰に対してもそのスタイルなので、塚原さんのような若い人が来たから試すとか、そういうつもりは全くなくて。自分は今でもまだまだ未熟者だし、学ぶべきことはたくさんある、まわりの人たちに生かされていると思っている節もあるんです。私はいわゆる座学的な学びができなかった男なので、世の中に出て出会う人、あとは自分が触れたものとか見たもの、そこから学びきっていくという生き方しかできない。その中で、初めてお会いした人と意味のない会話をするとか、時間の無駄を感じてしまうんです。
あのときは、「こんな若いのに、なぜ伝統工芸を世界に届けるようなしごとをしているのだろう?」と単純に興味が湧きました。「この方ってどういう生き方しているんだろう? そこから何か学びがあるんじゃないか?」と思って聞いただけです。そんな私のどストレートな質問に、塚原さんは真正面から答えてくれました。
塚原 菱田さんとのおつきあいは2年ちょっとでそんなに長くないんですけど、かなりお会いしていますし、いろんな地方も一緒に行かせていただいています。イタリアも一緒に行きました。イタリアでは、小さな村を拠点にグローバル市場でのビジネスを成功させている高級カシミアの会社「ブルネロ・クチネリ」に行きました。インドも一緒に行きました。
菱田 インドでは「スタジオ・ムンバイ」に行きましたね。施工までを手しごとで行なう世界的な設計事務所で、代表のビジョイ・ジェインさんはものづくりの精神を大切にされている方でした。ブルネロ・クチネリは、創業者のブルネロさんが提唱している「人間主義的資本主義」がどんなものかを確かめたくて、本社のあるソロメオ村まで行きました。

――菱田さんもスタジオ・ムンバイとかブルネロ・クチネリと同様のマインドでものづくりをされていると思うのですが、菱田さんが名乗っている「大工アーティスト」とは、どのような存在なのでしょう?
菱田 この自宅が建てて10年近くになるんですけど、いろんな方が遊びにいらっしゃっていて、ある世界的なアートプロデューサーの方もいらっしゃったことがあります。そのときに現代の大工さんが忘れてしまった鉞()とか手斧()による手しごと、7世紀前後ぐらいに盛んに行なわれていた手しごとが私は一番美しいものだと思っているのですが、その実例を示しながら家の中を紹介していきました。
そしたらその方に「菱田さん、アートとデザインの違いってわかりますか?」と尋ねられたんです。私は座学的なことは知らないので「わかりません」と答えたら、その方は「アートは問題提起、デザインは問題解決です」とおっしゃいました。「菱田さんの御自宅はアートですね」と。なぜかというと、菱田さんが先ほどから説明しているのは問題提起ですよねと。家の建築を通じて、世の中と建築業界に対する問題提起をしている。「だからこの家はアートだ」と言ってくれたんです。
その方はちょうど前日に、東京で有名建築家の展示を見てきたそうですが、「私はこの家のほうが好きだ」とおっしゃいました。世界中でいろんなアート作品を見ているけれど、「人が暮らせるアート作品」は初めて見たと。

3 美しいものが嫌いな人には会ったことがない
菱田 私の一番大きな問題提起は、たぶん塚原さんとちょっと似ていると思うんですけど、「手しごとの職人が生きていけない時代。どれだけ努力しても経済が回らない」ということです。これは世界共通の問題で、海外でも見てきました。どこの国に行っても、職人があふれている社会というものを見たことがない。でも職人は社会に絶対必要な職種です。「きつい、危険、汚い」を理由に技術者が激減して価格が高騰し、トイレの水が詰まったら修理費に25万円ぐらいかかる、ベルギーのような国もあります。すごい時代になってきているんです。
だから私は「手しごとこそ、本来一番価値があるものじゃないか?」ということを、自宅も含めた家の建築を通じて、問題提起したいと思っているんです。
建築という手しごとの本来の価値を、お客様にも建築業界にも再確認してもらいたい。それが大工アーティストとしての問題提起です。
塚原 菱田さんがずっとおっしゃっていることの一つに、「自然と手しごとと美しさが大事」というお話がありますね。菱田さんのご自宅にしても、これまでつくられてきている建築を見ても、本当に「自然と手しごとと美しさ」がリンクしていると思います。
菱田 私の拠点は坂城町という上田市のとなりの小さい町なんですけど、お客様は地元の方々の他に、東京や海外から移住してきた方々も結構いらっしゃいます。そういう方々が軽井沢とか白馬、蓼科など、長野でも自然に恵まれている地域に家を建てたいということで、おしごとをいただくことが多いですね。菱田工務店は年商10億円ちょっとのまだ小さい会社なんですけど、集客はほぼインスタグラムになっています。インスタで会社のアカウントと私の個人アカウントを見ていただいた方たちが、ずっとファンで追いかけてくれて、タイミングが来たらおしごとの御連絡をいただくみたいなことが多いんです。
私は今年で47歳になるんですけど、20代で独立してから20年経ちました。経営も設計も施工も全部やるんですけど、基本的にこの自宅もベルギーの古民家をベースにした形の建物なんです。ベルギーの古民家を見たことない人からすると、なにかすごく新しく見えたりとか、ゼロから1を生んでいるようなことを言われますけど、自分ではそんなこと感じてなくて。
先人が、自然と共存していた時代の暮らしを、モデルとしてつくってくれているんです。なので私にとっては、「その地域のもので、その地域の人たちが、その地域の人のためにつくる」美しい暮らし、古民家から見えてくる「人の暮らし」というものが大切で、この先に残すべきものではないかと思っているんです。世界中を探索して「これいいじゃん!」という建築を実測して再現していく。世界各地でインプットしてきたものを、ここ長野の地でアウトプットする。そういう考え方で家をデザインしていて、シンプルな美しさをつくっていくように心がけています。
その中で、やっぱり自然の素材は尊くて価値がある。だから素材の良さを生かして、手しごとは必要以上に入れない。美しいものが嫌いな人間に私、会ったことがないので、その「美しいもの」を「自然の素材」と「手しごと」でつくり続ければ、今、価値がなくなりそうな職人の手しごとにも再度光が灯るのではないか? そんな思いで「自然と手しごとと美しさ」の三軸を大切にしているんです。
4 自分の道は自分でつくっていい
菱田 私は中学校に3ヶ月しか行ってなくて、小卒なんです。小学校しか行ってなくて、中学校は3ヶ月だけ行って、あとの2年は不登校、3年目はリンゴ農家で働くというちょっと変わったことをしていて、高校に上がるタイミングでアメリカに2週間行って、向こうのフリースクールを見てきました。今から30年前の日本には「自分の取れる点数で、決まった道を歩きなさい」というような選択肢しかなかったんですけど、アメリカで「道は自分でつくっていいんだよ」ということを教えていただけるきっかけがあったんです。それを聞いたのが16歳で、それ以来「自分らしい人生ってどう歩けるんだ?」ということでやってきています。
私みたいな何の学歴もない人間を受け入れてくれたのが、建築業界だったんですね。最初は大工以外のこともやっていたんですけど、19のときに60歳の大工の親方に5年間修行をつけていただきました。私は日本の義務教育は受けてないんですけど、日本の職人教育を受けたんです。そこで一番大切なことは「精神性」でした。気遣いとか気を回すとか、どう生きていくかみたいなことを、親方に5年間叩き込んでいただけた。その方が第一の師匠ですが、その先の人生でも、その都度いろんな方が力を与えてくれました。
自分の人生は、明日なのか50年後なのかはわからないけれど、死が決まっていて、そこまでの道も決まっている。その道に必ず「私の会うべき人」が待ってくれていると思い込んでいるので、出会う方には誠実に向き合って、お力をいただくこともありますし、お返しできることはお返しする。そういう気持ちで生きていこうと決めています。
塚原 僕も出家したときはそうでしたけれども、人生の折々で巡り合わせがあって、その大きな流れに逆らわずに身を委ねてやってきたという点では、非常に菱田さんと近いところがあるのかなと思ったりもします。
その時々で大きな流れみたいなものに抗わず、なるべく大きな流れに身を任せて「自分のやりたいこと」を考えていくという姿勢。菱田さんと出会ってまだ2年ぐらいですけれども、その間に菱田さんの中でも色々な変化が現れたのだと思います。そういったところも見させていただいてきたなかで、「生きる姿勢」がずっと変わらず、それこそ中学生の頃から変わらずに来られているのかなと思いました。

菱田 私が大工として初めて行った国はドイツなのですが、あれは2007年、28歳のときで、大きな人生の転機になりました。日本の「削ろう会」という職人の会があるんですけど、その会がドイツに飛び火して、日本から職人が7名、ヨーロッパ中から約80名ぐらい、合計90名ぐらいで「6メートル間口の日本の鳥居を手しごとだけでつくる」というプロジェクトが立ち上がり、そこに参加したんです。木を切り倒すところから鉞ひとつで、電動工具は一切使わない。現代の大工が使わなくなった工具を使うヨーロッパの職人たち、なかでもベルギーの職人は「アーティスト」と呼ばれ、その気迫、プライド、技術に感銘を受けました。
日本の職人とヨーロッパの職人の違いも感じました、たとえば鉋(かんな)という木を削る道具をとっても、日本人は包み込むように引くんです。海外は向こうに押し出すみたいな感じ。他にも材料に対する扱いとか、手道具に対する扱いとか、しごとへの向き合いかたみたいなところで、やっぱり日本の職人には独特の「気遣い」を感じました。ヨーロッパの職人にも精神性はありますけど、少し力で行くというか、スポーツっぽいというか。日本人は宗教的な感じです。
塚原 「ヨーロッパと日本」となると、かなり対極的なところも多いと思うのですが、同じアジアで同じルーツを持っている技術でも、全く違うなと思ったことがあります。ひとつ例を挙げると、漆塗り。漆の技術は中国から朝鮮半島を渡って日本に入ってきた技術も多いのですが、「それぞれの地域で何が違うんだろう?」と興味を持って、各国の美術館を回ったり、生産者さんや職人さんのところに行って、見せてもらったりしたんです。そうすると、菱田さんがおっしゃっていたとおり、精神性とか思想とか姿勢とかが違うので、出てくる物も結構変わってくるんですよね。
中国の漆の作品って今でこそ繊細なんですけど、昔のものを見ると、大陸文化といいますか、かなり力強いんですよね。それが朝鮮半島に渡ると半島文化になっていくというか、すごく繊細になってくる。繊細微妙なものを表現されている職人さんが多くて、半島文化だなと思うんですけど、それが日本に来ると島国文化になっていくんです。自然へのありがたみを感じたり、自然を尊重する気持ちがあって、島国に暮らす日本人ならではの作風になってくる。
地震があって津波があって、自然には勝てないと思い知らされている、その自然観のもとでつくっていくモノ。日本は最終的な終着点だったので、大陸文化的な強さも持っていますし、半島文化的な繊細さも持ち合わせているんですが、やっぱり島国文化としての「自然に対する畏敬の念」みたいなものが現れている作品が非常に多い。
同じアジアであっても、つくる方々の姿勢、思想、その背景にある価値観が違ってくると、全くもって別なものが生まれてくる。僕は漆というものを通して、そういうことを感じていました。
5 職人を世界の「SHOKUNIN」に!
塚原 今日、菱田さんとこれだけは話したかったというテーマがあるんです。それは「大工アーティスト」という表現にも関わるお話です。菱田さんがおっしゃっていたことの中で一番印象に残っているのが、「大工は職業じゃなくて生きざまなんです」という言葉です。今、ワーク・ライフ・バランスとか言われていますけど、職業としての大工ではなく、暮らしと地続きの、生きざまとしての大工が大事であるというお話をされていたときに、なるほどなと思ったんですよね。
最近、海外の人たちから「アーティストとクラフトマンとアルチザンの違いは何だ?」と聞かれて、もっと言えば、それらと「職人」の違いは何なんだみたいな話をされて、うまく答えられなくて悔しかったんです。悔しくて、僕なりに何なんだろうというのをChatGPTとやり取りしながら考えてたんですけど。(笑)
ひとつは、先ほど菱田さんがおっしゃっていた角度で、クラフトマンシップは課題解決で、アーティストは問題提起という側面もあると思うんですけど、他の側面でいうと、しごとに対する考え方が違うと思ったんです。特に私がいたアメリカをはじめとした西欧諸国では、「ワークライフバランス」という言葉に代表されるように、しごとと暮らしが分けて考えられます。工藝の世界では「しごとが暮らしで、暮らしがしごと」、要するに「ワークライフブレンド」というふうに捉える。だから、職人さんというものは、アーティストとかクラフトマンとかアルチザンとかの外来語に直すのではなく、「SHOKUNIN」として世界に出して、その背景に宿る日本人の姿勢を広めたほうがいいんじゃないかと思っています。
今、「生きがい」という日本の言葉が海外に広まって、「IKIGAI」というタイトルのついた何冊もの本が、すさまじい数で売れているんです。そのように世界中の人が、日本の「生きがい」という言葉を知っていっている状況で、失礼ながら、菱田さんの「大工アーティスト」という表現も、世界に通じる適切な表現がなかった結果、そこに行き着いたのかなと憶測しているところがあります。
職人というものが「SHOKUNIN」という世界語になって、正しくみんなが理解してくれれば、この現代社会でも「職人」という伝統的な職業、そして菱田さんのような生きざまが認知されていくのではないかと思っているんです。(後編に続く)
プロフィール


(つかはら りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国の大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに「KASASAGI」を創業。日本の美意識で世界を魅了することを掲げ、伝統工芸品オンラインショップ「KASASAGIDO」や、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。インド仏教最高指導者佐々井秀嶺上人の許しを得て出家した、インド仏教僧でもある。著書に『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)


菱田昌平×塚原龍雲










大塚英志
石橋直樹