震災、津波、原発事故という、この途方もないカタストロフィ(破局)をどう書けばいいか。15年前、3・11の現場に立った時、災害の巨大さに呆然とするしかなかったというジャーナリストの青木理氏。長い煩悶の末に巡りあった事件が、青木氏を動かした。原発事故後の福島県・飯舘村で、「全村避難」を強いられた老農夫の自死。実に齢102だった彼はなぜ自ら命を絶ったのか──その背景を仔細に追跡すると、先の大戦を含む「国策」に翻弄された家族の悲痛な運命が浮かびあがってきた。現場に寄り添い、10年の月日をかけて上梓したルポルタージュが『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』(集英社)である。
災害や原発事故ばかりではない。日本が突き進んだ近代化は、命をはぐくむ環境をもじわじわと破壊し続けてきた。「挽歌」とは、その中で踏みにじられた命すべてへの哀悼か。人間と環境をめぐる思考の書『生類の思想』(かたばみ書房)の著者、藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所教授)との対談では、汚染と破壊の中でどう人は生きるべきかを真摯に問う。
構成:宮内千和子 撮影:三好祐司

「この風景は私」という世界観
青木 食の話をさらに伺いたいと思います。今作を書くためにこの10年、飯舘村に通い、主人公ともいえる大久保文雄さんの取材を進めるうち、その家族以外にも友人と呼ぶべき村人が幾人もできました。なかには村のさらに奥深い山中で暮らす老人がいて、「全村避難」を指示されて一時は仮設住宅暮らしを強いられたものの、指示が解除されるとすぐに自宅に戻って息子さんらとの生活を再開していました。
やはり農業で代々生計を立ててきたというその老人は、一見無愛想なのですが、一面でとても人懐っこくて、取材で話を聞くうちに意気投合し、自宅に泊めてもらってバーベキューパーティーをやるほど親しくなりました。そこで食べた山菜は味が濃厚で絶品でしたし、近隣に自生している山椒の実も老人が清流で育てたワサビも、あるいは天然のキノコ類も、これ以上の贅沢があろうかというほど美味かったんです。
ただ、飯舘村はいまだ放射線量の高い場所も多く、除染されていない山中の山菜やキノコ類は危険性が伴います。老人は自力で線量を測っているから大丈夫だというんですが、果たしてどれほど精緻に測っているのか、僕は問いただすこともできませんでしたし、問いただそうとも思えませんでした。
藤原 その人の話、本にも関心をもって書かれていましたね。
青木 ええ。なぜ記したかといえば、原発事故によって壊されてしまった村の「豊かさ」をあらためて紹介したかったことに加え、食というものの本質がそこにあるようにも感じたからです。老人はすでに70歳を優に超えていて、「こんな山の中で長年暮らしてきた俺が街場のアパートに暮らせるわけがねえだろ」と言う。そして彼は、その故郷がもたらす恵みを食べて70年余の人生を営んでもきた。だから避難指示が解除されるとすぐに戻り、ほぼ従前通りの生活を営んでいるにすぎない。
それを上から目線で「線量をきちんと測ってるのか」とか「危険だからやめた方がいい」などと言うことは、僕にはできなかったし、するべきでもないと思いました。ましてや取材者というより友人として、あるいは客人としてもてなされ、しかも都市生活者として原発を押しつけてきた側でもある僕に、果たしてそんなことを言う資格があるのか、とも感じました。
もちろん彼自身もそんなことは十分承知していて、仮に僕がもっと若年だったなら、山菜もキノコもワサビも無理に勧めることはなかったでしょう。こうした老人の生き様というか、故郷の実りとともに暮らすことにこだわる生活をどうお考えですか。

藤原 食とは何かというテーマにずっと振り回されてきた人間としては、重要なところだと思います。その人の食への哲学的ともいうべき姿勢には、頭が活性化する思いがしました。近代科学的にいえば、キノコが放射性物質を吸いやすいとか、山林土壌の中に蓄積した汚染物質の影響とか、調べることはたくさんあるでしょう。でも、そうしたことをさして気にせず食べているのは、たぶん、そのおじいちゃんたちが、それを問わなくていいレベルの話にしているからですよ。このことは端的に食べものの本質を表していると思います。
青木 食べものの本質……。どういうことですか。
藤原 何かと近代批判ばかりになってしまいますが、食文化にもたらした非常に大きな爆弾のひとつが栄養学です。何を摂取すれば体に効くのか、これを食べれば長生きするといった栄養分析ですね。20世紀初頭にヨーグルトブームがありましたが、これは、ロシアのノーベル賞学者イリヤ・メチニコフの「ロシアのコーカサス地方に長寿が多いのは、ヨーグルトを毎日食べているからだ」という説が発端になっている。ヨーグルトがおいしいからではなく、体にいい、長生きできるから食べると。このように、食を機能的なものとして捉えるようになったのは、栄養学の間違った進み方だったと思うんです。
どういうことかといえば、こう食べればこうなるというその機能に、食べものの本質があるのではない、ということです。私たちは、本来的には地球という大地の養分を吸い取った植物を、あるいはそうした植物を養分に育った動物や魚など食べているだけなんです。この地球上にある物質でしか私たちは成り立っていない。食べ物はあくまでその媒体であって、本質は地球の大地と私の関係にあるという考え方。山暮らしのおじいさんも、亡くなった文雄さんも、飯舘で暮らす美枝子さんも、間違いなくその世界観の中で暮らしてきたと思います。誤解を恐れずに言えば、「この風景は私」なんです。この土地を何百万で買ったというレベルの話ではなく、その土地が自分たちの体と切り離せない一部になっているという世界観です。
青木 栄養学的に優れているから食べる、という発想ではなく、生まれ育った地の山や川や海に自生するものを、あるいはそれぞれの地の気候風土に即して手がけた田畑などで収穫できたものを食べて暮らす、藤原さんの言葉を借りれば目の前の「風景」から現れてきたものを喰らって生きると、それが本来は当たり前のことだったと。
土地のものを食べる
藤原 そうなんです。食べるという行為はそもそも土地に限定される行為です。私たち都市生活者は、外側から危険を察知して、それは食べないほうがいいとアドバイスをしがちだけれど、食というのは、そういうレベルでは収まらない非常に壮大な世界観の中にあるんですね。書かずにはいられなかったとおっしゃる青木さんも、土地の人たちのそうした世界観に触れたからだと思うんです。

青木 余談かもしれませんが、僕の故郷・信州は蕎麦が名物で美味いよねと言われるけれど、もともとはコメが取れなかったから蕎麦が育てられるようになった面が大きいわけですね。さらに脱線すれば、僕は幼少期からイナゴをよく食べていて、学校に持っていく弁当にも必ず隅にイナゴの佃煮が添えられていました。良く言えば“珍味”かもしれませんが、大半の都市生活者にとってみれば“ゲテモノ”でしょう(笑)。
ではなぜイナゴなどを食べるのか。いうまでもなく信州は海から遠く、現在のように輸送や冷蔵技術が発達していなかった時代、動物性タンパク質を摂取しようと思えば鯉のような川魚やタニシなどを食べるしかなく、イナゴだってそのひとつにすぎなかった。
藤原 でも日常的には、そんなこと考えもせずに食べてきたんですよね。
青木 もちろんです。田んぼの畦道などを転げ回って遊びながらイナゴを捕まえ、それが溜まると母が佃煮に調理してくれたりして、ある意味で僕にとってはソウルフードのようなものです(笑)。まさに藤原さんのおっしゃる「この風景は私」であって、そこで生きているから、そこのものを食うしかないという典型かもしれません。
藤原 今の青木さんの長野の話もそうですが、人は大なり小なり食を媒介に郷土と一体化している部分がある。これは重要なことだと思います。
土地に縛られて生きる意味
青木 そう考えると、避難指示が解除された村に戻り、従前通りの暮らしを再開した古老の判断も、主体的な選択肢として排除されるべきではないと。
藤原 はい。その判断を僕たちはできないし、そういう行政指導も意味をなさないのではないかと思っています。繰り返しますが、私たちは土地に制限されてしか生きていけないんです。今は土地に制限されなくても生きていける夢のようなフィクションを抱かされて、みんな移動しまくっていますよね。でも、もうこんな時代は例外で、恐らくもうすぐ崩壊すると思う。基本は土地に縛られること。いい意味で土地に縛られることでしか生きていけないとも、と思います。
青木 なるほど。
藤原 それが失われたから、今、いわゆる「環境問題」が起きているわけです。土地に縛られないという生き方を発見した人間は、自由を勝ち得た。これは否定できませんが、移動の自由によって欲望は無限にあらわれるようになる。世界中を探しまくって、こんな食べ物もある、あんな食べ物もあると言って、それを1か所に集めて売ったり、投機したりする。僕はこれを食権力と呼んでいるんですが、食権力の中でどんどん人間が飼いならされて統治されていくんですね。しかし、それをやってきたから、物がたくさん捨てられて飢餓が発生しているわけです。
そうではなく、食べ物は、本来自分の土地との関係性の中でしか手に入らない、関係する人間及び自然との関係の中でしか口に入らないものとする原理からいえば、外からそれを壊すべきじゃない。だから軽々しく、危険があるからしっかり測れとか、食べないほうがいいと言うべきではないと思う。
青木 先ほど申しあげた通り、僕が親しくなった老人自身もそうしたことは十分にわかっているんです。今作でも記しましたが、自分は高齢だから戻ってきて従前と同じ生活を再開しているけれど、小さな子どもや若い連中には難しいだろうなと、一方で彼はそう漏らし、眼に涙を溜めたりもしていた。同じようなことは、他の村人からも聞きました。実際、原発事故前は6000人余りいた村の居住者は、いまに至るも1500人ほど。いわゆる「帰還率」は20%少々にとどまり、多くは高齢者とみられています。

命をないがしろにする国策
青木 ですから、長年にわたって村人たちが必死に育んできた土地と食の関係を、根本から破壊してしまった原発という国策の罪はあまりに大きく、あらためて僕は立ちすくんでしまうのです。藤原さんの言うように、切っても切り離せない土地と一体化した人びとの暮らしを、近代化された現代では稀少ともいうべき営みを、一瞬にして無惨に奪い去ってしまったのですから。
藤原 同感です。そしてそれは原発だけにとどまらない。青木さんが力を入れてお書きになっているところなので、あまり詳しくは明かしませんが、文雄さんの過去をたどるうちに、原発から先の大戦へと話が飛んで、硫黄島の凄絶な描写が出てきます。え、なぜ突然硫黄島? と驚きました。ここは取材対象が青木さんを引きずり込んだとしか思えません。
青木 まさにそうです。立ちあらわれてきた、という感覚を抱きました。
藤原 硫黄島に少しだけ触れると、そこは水がない離島です。離島って、水がある島とない島でまったく違っていて、例えば、水の少ない小豆島では水田ができない代わりにサツマイモがよく取れる。隠岐の島の海士町などは、ちっちゃい離島なのに地下水が湧くので、水田ができる。離島においての、水のあるなしは、決定的なものなんですね。この戦場になった硫黄島は、決定的に水がない。そこに何万もの兵士が投入されたわけだから、その苦悩は想像を絶するものだったと思います。喉の渇きと栄養失調の中で、多くの人が亡くなっていったわけですね。しかも敗戦を待つばかりの時間稼ぎの中で…。

こうして若い人たちの命をないがしろにしていく目線と、福島で起こった原発事故で、人々の暮らしを根元から破壊しておきながら、「直ちに、健康被害はない」と発表する政府の目線は一緒ですよね。意図せず、その国策の在り方を重ねられたのは、やはり死者の導きかなという気がします。
事実が私を鍛える
青木 死者の導き、ですか。そうかもしれませんし、同時に僕は、この業界の先達の言葉を思い出したりもします。かつて僕が属した通信社に斎藤茂男さんという大先輩がいました。『父よ母よ!』とか『わが亡きあとに洪水がきたれ!』といった名作ルポを書いた敏腕記者でしたが、その斎藤さんの言葉に「事実が私を鍛える」というフレーズがあるんです。
藤原 なるほど。新聞記者らしい言葉ですが、青木さんはどう解釈しています?
青木 組織記者だろうがフリーランスの記者だろうが、ある事象の取材にとりかかる際は、あらかじめ一定の仮説を立てて現場に赴くわけです。これはこういうことじゃないかとか、こういうことなんだろうな、などと想像をめぐらせつつ取材に着手する。それは時に“先入観”へと転化しかねない危険性を孕みますが、それなりの問題意識に基づく仮説を立てて取材を開始すること自体は珍しくもないし、むしろそれは取材にとりかかるモチベーションにもなるわけですからね。
ただし斎藤さんは、その仮説通りの成果しか得られないような取材なら、それは十分に取材を尽くしていない証左だ、というんですね。そうではなく、事前に立てた仮説が木っ端微塵に打ち砕かれるような、仮説がいかに陳腐だったかを思い知らされるような結果に突き当たることこそが本当の取材なんだと、そんな趣旨のことを生前に指摘している。すなわち「事実が私を鍛える」のだと。
藤原 なるほど。でも事実が青木さんを鍛えるというより、事実が襲いかかってくるような本になっています(笑)。
青木 そうかもしれません。最初は震災と原発事故の巨大さにたじろぎ、何をどう書けばいいのか頭を抱えていた僕が、102歳の古老が自死した事実に衝撃を受け、いったい何があったのかを知ろうと取材にとりかかった。そして飯舘村に通い詰めるうち、その村や村人たちの古(いにしえ)からの営みに触れ、藤原さんが指摘されたような近代の矛盾にも気づかされた。しかも硫黄島のエピソードに行き当たり、さらには取材対象との距離も縮み、信頼を得て、思いもよらぬ事実にも出くわすことになりました。
これも詳しくは今作を読んでいただきたいのですが、“霊能者からのメッセージ”はそのひとつかもしれません。大久保家に嫁いできた美江子さんは、じいちゃんと呼んで慕っていた義父・文雄さんの死に衝撃を受け、じいちゃんの異変に気づけなかった自らの責任に煩悶を抱きつづけていました。ところがある時、“霊能者”から委ねられたという“文雄じいちゃんのメッセージ”を僕に見せてくれたんです。取材をはじめて何年も経ってからのことでした。

藤原 ああ、そうだったんですか。あの手紙には僕、感涙しました。文雄おじいちゃんの言葉を口移ししたようなあの慈愛に満ちた内容は、誰かの作為ではなく、文雄さんや美江子さんたちが生きてきた場所から沸き起こっているような気がして。
青木 もちろん美江子さん自身、霊能者などというものを信じているわけではないんです。ただ、それを読むと心が癒されるというんですね。だから大事にしていて、気持ちが辛くなった時に読んでいると。じいちゃんの異変に気づけなかった自分の責任を、取り返しようもない自責と後悔の念に苛まれた時、それを読むと心が束の間落ち着くのだと。これを誰が書いたのかも今作でなぞ解きしていますが、何年も経ってからようやくそれを明かしてくれたのは、長く取材していたからこそなのかな、と思ったりもします。
藤原 そんなふうに心を開いてくれたのは、青木さんの取材のおかげだと思いますよ。1回聞いてさようならではない。2回聞いてさようならでもなくて、取りあえず通い続けると。そういう生身の触れ合いが心を解きほぐしていくんです。で、実はあまり見せたくなかったり、あるいは隠しておきたかったものを、「もしよかったら……」と提供してくれる。またそれが思いもよらない事実にめぐり合わせてくれることになる。まさに「事実が私を鍛える」ですね。
歴史の地層から吹き出てくるもの
藤原 事実もそうですが、この人の生きた100年とは何だったのかというテーマを追うこの本では、歴史研究をしている人間としては、すごく歴史観も鍛えられました。本を読んであらためて感じるのは、やっぱり歴史とは地層だなということです。決して物語ではなくて、突然、地表に吹き出てくるものだなあと思う。大地が突然ぱちっと割れて、ボーンと吹き出てきたのが硫黄島の話だし、それに対して青木さんは、きっとこうだったかもしれない、いやそうは言い切れないという推量をまじえつつ、行きつ戻りつ検証している。その突っ込み方が、僕は、すごいいいなと思って。それがあるから、読んでいて面白いんですよ。

青木さんは、この本の中で、なぜ文雄さんが命を絶ったのかについてはアンサーとして書いていませんね。最後までクエスチョンなのは、読者に投げかけているのでしょうが、そう簡単に答えられる問いではないということがメッセージにもなっている。だから私もなぞ解きに参加して、同じようにあれこれ推量していく。それがこの本を読む醍醐味でもあると思いました。
青木 文雄さんが自ら命を絶ち、もはや直接話を訊くことが叶わない以上、本当の意味での真相は確かめようがありません。ただ、「国策の過ち」に殺されたことだけは間違いない。そして、本当にそれだけが要因だったのか、102歳の自死から僕たちが何を読み取るべきか、それを一人でも多くの読者と一緒に考えるきっかけにしたい。それこそが10年近い歳月をかけて事実と向きあい、文雄さんとその家族に誘われてきた著者としての想いであり、願いです。藤原さんにも深く読みこんでいただき、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。(了)
プロフィール

(ふじはら たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は農業史、環境史。主な著書に、『生類の思想 体液をめぐって』(かたばみ書房)、『ナチス・ドイツの有機農業』(第一回ドイツ学会奨励賞、人文書院)、『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(第1回河合隼雄学芸賞、共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『戦争と農業』(インターナショナル新書)、『給食の歴史』(第10回辻静雄食文化賞)、『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(第41回サントリー学芸賞、青土社)、『縁食論 孤食と共食のあいだ』(ミシマ社)『食権力の現代史 ナチス「飢餓計画」とその水脈』(人文書院)などがある。

(あおき おさむ)
1966年生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。慶應義塾大学文学部卒業後、共同通信社に入社し、社会部で警視庁などを担当、その後は外信部に移ってソウル特派員などを歴任。2006年に退社後はフリーランスとして独立し、各種の事件や事故、災害、刑事司法、朝鮮半島、メディアなど多岐にわたるテーマの取材・執筆を続けている。主な著書に『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』(集英社)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『日本会議の正体』(平凡社新書)、『絞首刑』(講談社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)等、共著に『スノーデン 日本への警告』(集英社新書)等多数。


藤原辰史×青木 理









