対談

メディアの「無知」が引き起こす人権後進国・日本

藤田早苗×南彰 対談
藤田早苗×南彰

私たちの行動は日々、人権によって守られている――そう言われても、ピンとくる人は少ないだろう。しかし、国際人権の基準を日常生活や社会問題に照らし合わせると、それが途端に見えてくる。エセックス大学人権センターフェローであり、国連の人権機関を使って世界に日本の問題を知らせる活動をしている藤田早苗氏は著書『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』でそのことを明らかにした。本書の大きなテーマの一つが「報道」。「報道の自由」だけでなく、貧困問題や差別問題について人権意識を高めるためにも、メディアが重要な役割を持つと藤田氏は説く。今回の対談では元新聞労連委員長の南彰氏とともに、メディアの現場の現状から、あるべき人権報道を考える。


『武器としての国際人権』(集英社新書)

「ゆでたブロッコリー」に日本の人権は支えられている

――藤田さんのご著書『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』は、サブタイトルに「報道」という言葉が入っているとおり、メディアのあり方についての提言をおこなっています。実際に報道現場に携わっている南さんは、この本をどう読まれましたか?

 藤田さんと最初に出会ったのは2017年末。安倍政権のもとで、どんどん自由度が後退していった日本の報道のあり方を考えるシンポジウムでした。その時以来、藤田さんには、国連などから日本社会に対して「もっとこう変えたらいい」という指摘がさまざまあることを教えてもらってきました。この本は、その集大成ですね。「これを実行に移していけば、世の中はもっと変わるんじゃないか」「みんなで一歩を踏み出そうよ」という期待感や勇気をもらえる一冊だと思います。

藤田 あのシンポジウムは「ヒューマンライツ・ナウ」の企画で、国連特別報告者のデイビッド・ケイさん(*1)の勧告が出た半年後でした。12月10日は世界人権デーで、そこで「ケイさんの勧告をどう活かせるか」ということで、南さんと東京新聞の望月衣塑子(いそこ)さん、青木理(おさむ)さんという、現場で戦っている3人のジャーナリスト、プラス、私はおまけで(笑)。「ケイさんの訪日調査の実現に貢献された藤田さんです」と紹介されて、最後の5、6分話したんです。その時にお会いしたのが最初でしたね。

*1米国の法学者。国連特別報告者として、2016年4月、来日して調査を行い日本における報道の自由について懸念を表明し、放送法4条や特定秘密保護法について改正が必要だと提言。政府とメディアの癒着を招くとして記者クラブ制度の廃止も求め、報道の独立性を守るためメディア横断的な組織設立の必要性を訴えた。

――南さんがこの本で特に印象に残った部分は?

南 第二章の冒頭「ゆでたブロッコリーを携えて」ですね。国連の人権機関があるスイスは物価が高いため、食料としてゆでたブロッコリーを持っていくというお話は、藤田さんの献身的な行動にいまの日本の人権運動が支えられている印象的な場面ですね。ここはぜひ本で読んでいただきたいところです。加えて、イギリスのエセックス大で研究している藤田さんも当初は「日本は外国から人権問題を指摘されるような国ではないだろう」と思っていたことが書かれていて、「藤田さんも『まさか日本が』という感覚を持っていたんだ」というのは意外でした。

 藤田さんが日本社会の人権状況を検証し始め、国際的なスタンダードとあまりにもかけ離れていて、そのことによって皆の権利や生活が侵害されている、という現実をわかっていく過程も、読者がこの本を読んで国際人権について学んでいく中で、追体験できるだろうと思います。

 

藤田 そう、2013年の9月までは私も日本の人権問題や政治に、全く関心がなかったんです。

 政治部記者の方には悪いんですが、日本の政治ニュースって超つまらんから関心持たなかったんですよ(笑)。やたら政局の話ばかりで、一市民として見ると面白くないから。政治部の中だけで「あの政治家から何かスクープを取った」とかで喜んでいる印象でしたし。

イギリスのメディアを見ていると、政治が「自分ごと」になる

藤田 でもイギリスのメディアを見ていると、政治報道が面白い。政治が自分ごとになるんですよ。自分の生活に直結しているっていうことがわかるし、やっぱりpublic watchdog(公的な番犬。権力を監視する役割)をしてるなって感じがする。メディアが私たちの側にいて、政治家に聞きたいこと聞いてくれるというのがわかる。

でも、日本のことに関心を持った理由は、それとはまた別です。Facebookで見た「特定秘密保護法」のことがきっかけでした。「これはほっとけない」とわかって。それまでは日本のことには何も関わってなくて、何のコネクションもなくて……。だから本当にゼロからのスタートでしたね。

南 藤田さんは特定秘密保護法をきっかけとして、日本の人権問題にたずさわるようになったわけですが、この本でも書かれているようにウィシュマさんの件で「日本の入管はおかしいな」と思い始めた人もいるし、ジェンダーの問題で「選択的夫婦別姓がなかなか認められないのはおかしいな」と感じている人もいる。いろいろと皆がモヤモヤを感じながら、「どうせ日本の政治は思うように変わらないよね」と突破口を見いだしにくかったテーマがこの本には詰まっています。それぞれの人が何かを色々な入口から国際人権の問題に入っていけるんですよね。

(南彰 氏)

過去十年の自民党政権は人々の「負の感情」を利用して支持を取りつけ、さまざまな問題が始まった

――藤田さんが2013年の特定秘密保護法のときに「日本に何かしなきゃいけない」と気づいたと著書の中で書いています。南さんは報道の現場に長年いらして、特定機密保護法の前後での変化は感じていたのでしょうか?

南 私が政治取材の現場に入った2008年、ほどなくして麻生政権のときにリーマンショックがあり、年末から年明けにかけて、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」ができました。日本の政治・行政の中心地に、住む場所すら失った人があふれる、という状況を目の当たりにしたんです。当時、私は政治部の中で厚労省担当でした。

派遣労働を中心に労働法制を緩めていく中で、今まで企業による終身雇用などによって取り繕われてきた社会のセーフティネットの底が抜けて、それに代わる政府としての公のセーフティネットが、実は日本にはないということが露呈しました。

大勢の人々が職と同時に一気に家まで失い路頭に迷ってしまうという現実に直面し、あの頃は「貧困」に関する議論が活発で、テレビでも連日のようにそうした討論番組が放送されていました。みのもんたさんが司会を務め、与野党の論客が出演していたTBS系の情報番組『朝ズバッ!』はその代表格でした。国会でもそうした論争が続き、その流れに乗って、民主党が2009年に政権を取ったんです。

ただ、民主党政権は、東日本大震災などいくつかの要因はあったと思いますが、政権内の混乱が続き、うまくいかなかった。

そうした状況のなかで、政権奪還をめざす自民党議員や、大阪で勢力を拡大していた維新のメンバーが、生活保護受給者に負のレッテルを貼るようなバッシングをして、国民の負の感情をあおりました。

「貧困に対してきちんと手当てしよう」ということが道半ばなまま、バックラッシュが噴き出してきて、2012年にそのまま自民党が政権に復帰しました。

そのような形で誕生した安倍政権によって、生活保護の支給基準額が下げられたり、特定秘密保護法が強行されたり、人権の観点から考えたときに「おかしいよね」という問題が次々と出てきた。

しかし、国内政治のパワーゲームだけだと、政権側が押し切ることができた。「無理が通れば道理が引っ込む」ような、非常にすさんだ政治情勢になった。そして東京を中心としたメディアも、その権力のなりふり構わぬ姿勢にひるみ、すくんでしまった。そうした状況がこの10年あまり続いてきたと思います。

 

――自分も苦しい生活しているのに、ネットなどで「生活保護を受けている連中はけしからん」というようなことを言う人もかなりいます。

 日本という国が成長できず停滞している閉塞感の裏返しなんだと思います。その中で、人々の負の感情を利用して、政治的な支持につなげようとする。以前の自民党政権はそこまで露骨にやらなかったと思いますが、一度、民主党に政権を取られて「何とか奪い返したい」という局面で、そうしたものまで利用し、政権運営もしていったのです。

――日本で「弱者」とされる人たちへの風当たりが強くなり、自民党政権がそのような世論を利用するようになってきた一方で、イギリスでは弱い立場の人と政治のかかわり合いは、どのようなものでしょうか?

藤田 メディアに関して言えば、貧困層で困っている人、たとえば父子家庭のお父さんや母子家庭のお母さんとかをどんどん取材して、「報道ステーション」みたいな番組のスタジオに3人くらい来てもらい、どんなに大変な思いをしているか聞いたりしています。その後で専門家の意見を聞き、与野党の政治家にぶつけて「国民はこんなふうに言っていますが、あなたの政策でいいのですか?」と噛みついていますね。こういうのを連日やっています。特にこの春ぐらいから、燃料費がバーッと上がってという中で、すごく生活に密着していて、弱者の視点を取り上げてくれているし、そこで終わらずに政策決定者にぶつけるんですよね。

だからさっき言ったみたいに「メディアが私たちの側に立って政治家に聞いてほしいことをぶつけてくれている」という感じを、イギリスで報道番組を見ていると感じます。そういう点が日本ではあまりない気がします。

(藤田早苗 氏)

メディアの体力が弱る一方、政権批判をするメディアには政府の締め付けが厳しくなった

――『武器としての国際人権』でも、日本のメディアの人が貧困問題を取り上げようとすると、「弱者ネタはやめろ」と上司に言われるという話がありますね。権力側が弱い立場の方をバッシングするようになってから、「そこをちゃんとジャーナリズムが報じるんだ」とか「弱者の声を届けるんだ」という意識は、メディアの中で弱くなったのでしょうか?

 個々に頑張っている記者はいますが、構造的に弱くなっていることは間違いないと思います。国際人権を無視し、差別的な政治が続いたこの10年間は、既存メディアのビジネス基盤が崩れたことと重なり、経済的にある種、権力側に握られるような状況が生まれてきている。

商業性が優先され、メディアの上層部は「できるだけ幅広い人に愛されるもの/嫌われないもの」を求めるマインドになっています。

また、ビジネス基盤が崩れたことによって、取材態勢が縮小していることも響いています。体制寄りの記者はどの時代も残念ながらいますが、「それ、おかしいんじゃないですか」と異議を唱える記者がどの社にも一定のボリュームでいました。

ところが、そこがどんどんそぎ落とされ、しかも人数が減って忙しくなり、「いや、そういう問題も大事なことはわかるけどさ……」と後回しにされがちです。

しかも、この10年余りの政権は、自分たちの異常さを指摘するメディアに対して、今までになく厳しく当たり、メディアの分断をはかるようになりました。その中で「そこをどこまでやり続けるか」という部分でメディア幹部の覚悟がより問われる状況になってきて、結果的にどんどん押し込まれていってしまったのです。

最近、旧統一教会の報道に関しては、政治家との関係や、宗教二世など人権を侵害されてきた人たちの声が盛んに取り上げられ、それはとてもいいことです。しかし、「安倍元首相がいなくなった権力の空白でメディアが活気づいている」という面も忘れてはなりません。権力の中枢がにらみを利かしているときに、理不尽な目に遭っている人たちのことをどこまで報道できたのか。できなかったからこそ、被害が広がってきたわけです。

――2016年2月に当時の高市早苗総務大臣は、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」などと言って(*2)、電波停止の可能性に言及する恫喝をしましたね。あの影響はやっぱりあるんですか。

南 高市発言に対してテレビ局が正面から「これはおかしい!」と抗議して押し返せなかったところに、影響が表れていると思います。放送監督機関が政府から独立していない日本において、「政府から何をされるかわからない」という恐怖感は常にあるでしょう。また、政権の中枢は芸能界とか有識者にもいろんな人脈を持っていて、「紹介」という形で影響力を及ぼすこともできる。一度、そういう便宜を受けると、それを引き上げられる恐怖感も生じるでしょう。

今回の藤田さんの本のキーワードの一つに「独立性」がありますが、「どうやって独立の機関を作っていくか」「時の政権と違う軸をどうやって作っておくか」というのが大事です。

官邸に権力を一極集中させる一方で、そこから独立してチェックしたり、異なる選択肢を示す存在をあまりにも育ててこなかったことが露呈した10年だったと思います。

内閣人事局ができて官僚機構が支配され、国会も与党多数で強行する。検察の人事にまで介入するようになって、捜査当局の動きも鈍くなる。たとえば、メディアも司法取材を担当している社会部と、政権取材を担当している政治部の間でチェック・アンド・バランスが働いてきた面もありますが、検察が動かなくなると、社会部も「検察も立件できないと言っている……」と感度が鈍くなっていくわけです。権力から独立してチェックをし、改善を促していく道筋を作らないといけない。そのためにも国際人権を使って、国際社会としっかりとつながっていくことは重要な武器になると思います。

*2:放送法4条には「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という規定があり、当時の高市総務相はこれを拡大解釈してテレビ局の恫喝に使った。

藤田 私が2013年をきっかけに日本の人権問題のことをやりだして、2015年ぐらいから、腹をくくってこれをメインでやろうとしたときに考えた青写真があるんです。一つは「国際社会に向けて日本のことを知ってもらうこと」。さっき南さんも言われたように、国際社会とつながって、連帯して助けてもらわなきゃいけない。そのために「日本のことを知ってもらう」。

そしてもう一つは「日本に向かって国際人権について知ってもらうために発信する」こと。ターゲットは一般市民、学生、そしてもう一つがメディアです。「メディアが言ってくれないと誰も知らんやろう」と。そして政治家。そして法曹界、弁護士ですね。

いつも南さんに「やっぱり私たち自身がもっと連帯しないとだめだよね、ケイさんも言ってるよね」って言ってて。メディアにこういうことを知ってもらって、発信してもらわないと「個人通報制度」(*3)だって知らないわけですよ。

私が2022年11月に日本に戻ってすぐ、自由権規約委員会からの勧告について記者会見をしたんですが、そこに来られたある記者の方はすごく人権のことに関心を持ってやってらっしゃるんですけど、残念ながら基本的なことをわかってらっしゃらなかった。たとえば「国連の機関について、これとこれの違いがわからない」みたいな質問をされていて。

それで「ああ、人権に関心がある記者の方でもこの程度なら、難しいよな」と思いました。だから政府が国連の勧告などに対して変な反論をしても、そのまま垂れ流しちゃう。「いや、その反論はおかしいじゃないか」っていう報道は絶対してくれない。それで一般の人も「政府がこう言っているんだから、国連が勝手にややこしいことを言っているだけなんだな」みたいな印象を持ってしまう。

だから「ちゃんと批判的に政府の反論を分析して報道してもらうためには、基本的なことを知ってもらわないといけない」ということで『武器としての国際人権』を刊行した直後の12月19日に、初めて日本のメディア向けに講演会をやることにしたんです。耳が痛いかもしれないけど、「少なくともイギリスのメディアはこうやってpublic watchdogをやってますよ」ということも知ってもらって刺激になってくれるといいかな、と。

 

*3:人権侵害を受けた個人が、その国において利用できる国内的な救済措置を尽くした後、不服が残る場合に

各人権条約の条約機関に直接訴え、国際的な場で自分自身が受けた人権侵害の救済を求めることができる制度。個人通報制度を定めている条約には「自由権規約」「社会権規約」「女性差別撤廃条約」「障害者権利条約」などがある。人権条約の締約国が選択議定書という人権条約とは別の条約を批准してこの制度が利用可能になるのだが、日本政府はどの条約に対しても批准していない。

(藤田早苗 氏)

藤田 それプラス、視聴者がメディアを作っていくという側面も、実はすごく強いんです。講演会をやると「じゃあ私は何ができますか?」というような質問が来ますが「あなたの声を届けることによって中で頑張ってる記者やプロデューサーを助けることができます」と言うんです。Twitterでつぶやくだけじゃなくて、メディアの窓口に感想を電話をしたりメールを送ったり、テレビ局や新聞社の「ご意見募集」とかに投稿して直接声を届けることが重要です。テレビ局も新聞社もそうした生の声をすごく気にしてるんですよね。

ほめるのと批判するのと、両方やる必要がありますね。さっきの「弱者ネタはやめろ」って上司に言われたプロデューサーの人の話だと、「やっとニュース動画を作成したのに、上からワーワー言われてつぶされたことが何度もある。それでもやっと番組の最後のほうだけど放送された時に、視聴者から『よかったです』っていうメールや電話が何人かからきたら、上司も『やってよかったな』ってなるんですよね」と(笑)。ほんの3人くらいからメールや電話が来ただけでも変わるそうです。だからそうやって外から、頑張ってるプロデューサーや記者を応援する意味でも、視聴者はよく見て、応援も批判も両方やらないといけない。

日本と比べてイギリスの視聴者はすごく積極的で「何月何日の何時何分のニュースのここはおかしいと思います」と、おじさん、おばさんがスマホで自撮りした動画をBBCに送りつけて、それをBBCが紹介するんです。自分の耳に痛いコメントも、視聴者からの生の声は「こんなふうに言ってます」って、1週間の終わりにやる。でも日本の場合は一応、「ご意見蘭にお寄せください」とか言うけど、それがどう活かされているかわからないから、あまりやる気が出ないのかも。

メディア同士の連帯と女性記者のつながり

――藤田さんが先ほどおっしゃった「メディア同士の連帯」というのは、日本のメディアの世界では進んでいるのでしょうか?

 この本の中にも書かれていますが、基本的な構造として、日本のメディアに所属している人間は、自社への帰属意識が強い。このことは権力に締めつけられた際に抵抗する力が弱くなる一つの大きな要因でしょう。たとえば官邸の記者会見問題で東京新聞の望月衣塑子記者が政府を追及し、官邸側から執拗ないやがらせを受けた際、官邸記者クラブの他社のメンバーが助けようとしているようには見えなかったことに表れています。

ただ、萌芽はあります。望月さんの問題が起きた時に、首相官邸前でメディア関連労組が市民と一緒になって抗議活動を行い、全国各地の現役記者が社を越えてマイクを握り、政府に対応を改めるよう訴えました。

もう一つは、女性記者たちのつながりです。男性中心のメディア業界で、社内でも少数派として苦労されてきていた中で、2018年4月に財務省事務次官のセクハラ問題(*4)が起きた時、「こんなことを繰り返しちゃいけない」と「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)ができた。そこに集まったメンバーたちが今、重層的につながって、ハラスメント・性暴力にとどまらず、報道の自由を揺るがすおかしなことが起きた時に立ち上がって声を上げています。望月さんの問題での官邸前デモで、マイクを握った記者もいます。

「メディアの本来的な立ち位置は、権力の側で御用聞きをすることではなく、あくまで市民の側に立って、権力をしっかりチェックし、市民に情報を伝えていくことだ」と訴え、いまのメディアの問題を非常に敏感に感じ取って動いていました。こうしたネットワークは、会社の枠を越えて、メディアのあり方を変えていく可能性を持っていて、希望を感じますね。

*4:財務省の福田淳一事務次官が飲食店で一対一だったテレビ朝日の女性記者に対し、「胸触っていい?」「手縛っていい?」などのセクハラ発言をしたことを『週刊新潮』2018年4月26日号が報じた。記者は当初、テレビ朝日の上司にこれを報道してほしいと訴えたが断られたという。これに対し福田氏は「週刊誌報道は事実と異なるものであり、私への名誉毀損に当たる」として、新潮社を提訴する準備中だと発言。麻生太郎副首相兼財務相も「嫌なら、その場から去って帰ればいいだろ。触ってないならいいじゃないか」と被害者側を批判する発言をした。これに対し週刊新潮は続報を掲載、次官発言の音声データも公表され、結局次官は辞任に追い込まれた。

――日本では、メディアで働く人たちの社をまたいだ労働組合はないんでしょうか?

南 新聞労連、民放労連、出版労連などのメディア関連労組が集まった「日本マスコミ文化情報労組会議」という組織があり、私が議長を務めていたときに、望月さんの件で官邸前デモを主催しました。

ただ、基本は会社ごとにつくられた労組の連合体で、公共放送のNHKのメンバーは入っていません。韓国では、「全国言論労組」という様々なメディアのジャーナリストが加盟する労働組合があり、公共放送への介入が起きたときにストライキをして、戦いました。私は韓国の崔承浩(チェ・スンホ *5)さんたちに話を聞いたことがあるんですが、彼は、メディア経営者たちが李明博(イ・ミョンパク)政権・朴槿恵(パク・クネ)政権と一緒になって、政権の不正を追及する記者やプロデューサーを排除していった時に弾圧されていたメンバーで、その後MBCテレビ局の社長になった人です。崔さんは「労働組合があったから自分たちは戦えたんです」と言っていました。

*5 MBC(韓国文化放送)テレビのプロデューサーだったが李明博政権下の2012年に不当解雇された。李政権は閣僚候補の不正など新政権を脅かす報道に危機感を持って放送への介入をはじめ、MBCだけでなくKBS(韓国放送公社)でも経営陣と対立するプロデューサーや記者らが解雇、左遷、懲戒を受けた。その数200人超。政権批判的な番組の多くが打ち切られ、「こんにちは大統領です」と李大統領自らが登場する政権応援番組まで作られた。そこで崔氏らは言論労組で闘うと同時に、「ニュース打破」という非営利ネットメディアを2012年に立ち上げ、テレビが伝えないスクープを連発。2017年には『共犯者たち』という映画を作り公開、李明博・朴槿恵政権の約9年間のメディアへの介入と、これに迎合するKBSやMBCの幹部の「共犯関係」を暴き、それと闘うプロデューサーやジャーナリストら、労働組合、市民の連帯を描いたこの作品は韓国で26万人以上の観客動員を記録した。

藤田 イギリスとアイルランドにも会社の枠を超えたジャーナリストの労組「ジャーナリスト全国組合」があることをこの本でも書きました。

本来は、研究者とか弁護士もそうですけど、大学の先生も助手の時からだんだん上がっていくわけですが、ずっと研究者であることには変わりない。弁護士も弁護士事務所を替わっても弁護士だし、弁護士会とか横のつながりがある。アメリカやイギリスでも、まず雑誌の記者やって、地方紙に行って、今はガーディアン紙にいます、みたいな感じで、会社を替わっても記者としてずーっとキャリアを上げていく。だから横の連帯がすごく強いし、プロフェッショナル意識も高い。それで何かあった時に横の連帯になるのは自然です。労働組合もそう。

それに対して日本の記者クラブってすごく特異で、日本独特のものです。

 この連帯の話はすごく大事ですね。連帯がきちんと実現していけば、会社への帰属意識を優先してジャーナリズムを曲げることも減ってくるでしょう。政権や会社組織が圧力をかけるのは、ある種、権力者の性(さが)で、常に起こりえます。「それにどう対抗していくか」というのが大事で、その基盤となる記者同士の連帯や労働組合が必要です。

望月さんの問題で官邸から変な申入れ(*6)があった際に、新聞労連や日本マスコミ文化情報労組会議で声明を出したり、官邸前で抗議デモをしたりしましたが、その前から、彼女に対して陰湿な嫌がらせが起きていました。比べて欲しいのが、2018年11月、アメリカ中間選挙直後のホワイトハウスでの記者会見で、CNNのアコスタ記者がトランプ大統領に対して厳しい質問をしたところ、マイクを取り上げられ、記者証まで剥奪されてしまう事件が起きたときの米メディアの対応です。

ホワイトハウスの記者たちは、アコスタ記者が好きか、嫌いかとか、政治的意見の相違などを乗り越えて「この政権の対応はおかしい!」と一斉に抗議しました。普段はCNNと全く真逆の論調のFOXニュースも含めてです。

このとき、新聞労連も「CNNやホワイトハウス記者協会と連帯する」という声明を出しました。「今回のホワイトハウスでの出来事は、日本で働く私たちにとっても他人事ではありません」と書いて。日本のメディア、記者たちに求められていることと感じたからです。

*6:2018年末、当時の菅義偉官房長官の記者会見で東京新聞の望月衣塑子記者の質問を事実上封じるような申し入れを上村秀紀総理大臣官邸報道室長名で内閣記者会に行っていた。

(南彰 氏)

市民、弁護士、学者、メディアの連帯を

藤田 日本では、学者さんの世界にも頭のいい人がいっぱいいるのに、その知識とか学問的なスキルがうまく社会にインパクト与える側につながってない気がします。学者の中でも分野を越えた連携がないというか。

 イギリスだと、たとえばエセックス大学の人権センターってすごく学際的で「この問題を解決するためには法律だけではできないから、医療の人も、教育の人も、法律の専門家も必要だ」と、一つの問題を解決するためにいろんな人が関わって「どうしていこうか」って討論する。

 学者だけじゃなくて「本当にインパクトを与えよう」という意志を持ったら、実務家だろうが学者だろうが、問題解決のために結集して。でも日本ではそれがあんまりないかもしれない。

 この本の中で「アカデミック・アクティビスト」という単語が出てきますよね。「活動する学者」というか、「単なる学者ではなくて、ちゃんと行動する学者」ってことだと思うんですけど。

藤田 そうそう。

 近年、日本社会全体が「権力」にとりつかれていたように感じます。政治の世界は、「政権を取ったほうがすべて取り仕切るんだ」という体質に変わり、そこに連なる人たちは権力にすがるようになりました。学術会議問題のように、学問の世界まで政権がコントロールしようとする動きが出ています。メディアもその中で権力との距離感を見失いつつあります。

権力を握った者が政治やさまざまな組織の運営をするなかで、メディアや労働組合など、権力から独立した存在が、しっかりした軸を持ち続けることが大切です。「権力を握ること」「権力に近づくこと」がすべてではなくて、「本当の公平さや社会的正義」とか「一人一人の人権が守られる」ということを、どう担保していくのか。そのために連帯するもう一つの軸を、日本社会の中で作っていかなくちゃいけない。

藤田さんがこれまでの活動で働きかけてきた4つのセクター――市民と、弁護士、学者、メディア――が、連帯していくときに、鍵になるところです。そこがちゃんとつながり、そして、「国際人権」という世界とも普遍的につながれる武器やネットワークを手にすることができれば、だいぶ違う社会にしていくことができるんじゃないかと感じますね。

国内人権組織を作れば他国の人権組織ともつながり切磋琢磨できる
 

――国連とか他の国の人権組織とつながって助けてもらおうとするときに、日本にもそういう国内人権組織を作らなきゃいけない、と藤田さんも『武器としての国際人権』で記されていますね。

藤田 はい。外から見ていると、本当に日本は損しているんですよ。この前、ジュネーブに行ったときに国連の日本担当の女性と話していて思ったんですけど。国連機関は、いろんなことで締約国の人をサポートしに行くことができるんですよね。たとえばジェンダーのことに関して、国連からその国のジェンダーにかかわってる法律家を集めて訓練したりしに来てくれるんです。要望があれば。

だけど彼女は「日本は難しい」と言っていました。「カウンターパート(対応組織)がないから、すごく動きにくい」と。

 たとえばタイには国連のオフィスがあるので、そのオフィスがカウンターパートとしてすぐに連携して動くので、訪問しやすい。韓国には国連オフィスはないですが「国内人権機関」があるので、そこがカウンターパートになって段取りしてくれるので、行きやすい。「でも日本は何もないからすごく難しい」と言われたんです。

 だから、国連人権機関の助けを借りられるはずのことでも、なかなかうまくできない。

それと、「日本は大丈夫だろう」と、かつての私自身のように、海外でも多くの人が思っているんです。そこもすごく損をしている。手助けしてほしいのに、注目もされないので。

そういう意味でも、日本はすごく取り残されている。外と全然接触がないから、人権問題を日本の価値観だけでズブズブでやっていて……。

国内人権機関があると、もう一つのメリットは、アジアと太平洋の国々で、国内人権機関同士のネットワークがあるんです。その中で意見交換したりサポートし合っている。韓国はそこに入っていますが、日本はそこに何の接点もなくて、ポツンと取り残されているんですよ。

日本にも国内人権機関があれば、他の国の人権機関の人から「私たちはこういうふうにして闘っていますよ」とか「あなたたちが何かやるとき私たちも応援します」という感じで連帯したり切磋琢磨できる。今はそれが何もない。その必要性を知っている人もほとんどいない。

 この本にも韓国の実践例などが書かれていますね。「いや、欧米の人権とは違うでしょ」などという言説がありますが、これを読むと同じ東アジアの国である韓国もここまでやっている、ということがわかる。

藤田 そうですね。そして私がターゲットにしてる政治、メディア、法曹界にも連携してもらって、この国をちょっとでも前進させたいと思います。

南 他の国の人権機関とつながって、国内でも、連帯する仲間と専門家が集まってくる、そういう仕組みができれば、十分変えていくことはできると思いますね。藤田さん、頑張ってください。

藤田 そんな人ごとみたいに言わないで!(笑)。「一緒に頑張りましょう」じゃない?

南 「ともに頑張りましょう」とならないといけないですね(笑)。

藤田 人任せでは、何も変わらないですから(笑)。

(取材・構成:稲垣收 撮影:内藤サトル)

関連書籍

武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別

プロフィール

藤田早苗×南彰

藤田早苗(ふじた さなえ)

法学博士(国際人権法)。エセックス大学人権センターフェロー。同大学で国際人権法学修士号、法学博士号取得。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。大阪府出身、英国在住。写真家。特定秘密保護法案(2013年)、共謀罪法案(2017年)を英訳して国連に通報し、その危険性を周知。2016年の国連特別報告者(表現の自由)日本調査実現に尽力。著書に“The World Bank, Asian Development Bank and Human Rights“ (Edward Elgar publishing,2013)。

南彰(みなみ あきら)

1979年生まれ。18年9月から20年9月まで新聞労連委員長を務める。 著書に『報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったか』『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)、『黙殺される教師の「性暴力」』(朝日新聞出版)、共著に『自壊する官邸 「一強」の落とし穴』『ルポ橋下徹』(朝日新書)、『安倍政治 100のファクトチェック』(集英社新書)、『権力の「背信」「森友・加計学園問題」スクープの現場』など。

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