『トランスジェンダー入門』刊行記念イベントレポートvol.5〜『トランスジェンダー入門』の向こうに〜

高井ゆと里×西田彩ゾンビ
周司あきら

 『トランスジェンダー入門』(集英社新書)の発売を記念し、2023年11月12日に大阪の梅田ラテラルにてトークイベントが開催された。登壇者は、本書の著者である高井ゆと里さんと、長年トランスジェンダーのコミュニティと関わり、現在はきんきトランス・ミーティングの開催に携わる西田彩ゾンビさん。

 二人は、2023年3月に同志社大学で開催されたイベント「経験と言葉を取りもどす――トランスジェンダーとノンバイナリーのリアル」でも言葉を交わしている。今回のイベントは、以前も話題になったという「ジェンダーアイデンティティや性自認」の話から始まった。

高井ゆと里さん(左)と西田彩ゾンビさん

なぜ「心の性」で説明するのか

 トランスジェンダーの説明として、「出生時に割り当てられた性別と、ジェンダーアイデンティティが一致しない人」と言われることがある。しかしジェンダーアイデンティティによる説明を、トランスの当事者が積極的に引き受けているとは限らない。

 西田さんは、「自分が何者なのかという問いかけを世間から受けてしまうからこそ、自身を語るためのアイデンティティを必要とする」と述べる。また医療現場では、性同一性障害(GID)の医療を正当化して介入できるようにするために、「心の性と体の性」の不一致という説明が必要とされた背景もある。

 高井さんも、性自認とは「医療の中で作り上げられてきた概念ではあるんですよ。それなのに、今さら当事者の人たちに『ジェンダーアイデンティティ(性自認)の定義を教えて』と聞くのは謎だなと。あなたたちが必要にしてきたから作ってきた言葉なのに、何でこっちが説明しなきゃいけないんだという感じはある」と応じた。

 ちなみに現在では、ジェンダーアイデンティティ(gender identity)よりもexperienced genderやexpressed genderという表記の方が、米国精神医学会によるDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)などで用いられている(*1)。本人の体験し、表出するジェンダーに重きをおく表現だ。

 西田さんは説明する。「私たちは常にあらゆるところで性別、ジェンダーに関する経験をいっぱいしてるんですよ。日常的な例でいうと、たとえば電車に乗った時にどこに座るか。他人の性別を気にしているし、相手からも気にされているはず。化粧品売り場で試供品を渡されるか、商店街で女性向けサービスのティッシュを渡されるか、そういう場面でも『ジェンダリング』されている」。逆に自分も他人を絶えずジェンダリングしているはずで、そこでは染色体や戸籍情報を確認しているわけではない。

 人々は絶えずジェンダリングし合っている。そうした実践の蓄積の果てに、ジェンダーアイデンティティが出てくる。西田さんが自助グループや医療機関の専門医と交流してきた経験によると、「SRS(性別適合手術)をして、戸籍を変えて、初めて自分の性別を、つまり『ジェンダーアイデンティティ』を確信的に言えるようになったという方は非常に多い」という。

 こうした複雑な社会の状況があるにも関わらず、これまで「心の性」という言葉でトランスジェンダーが説明されてきたのはなぜか。西田さんは「『心の性と体の性が違う』と言っておけば、何か語れたような気がするし、説明コストを省くことができるんですよ。だから性別・ジェンダーに関する多元的ともいえる感情的・心理的な体験を明確に言語化することに取り組んできた人は、実は当事者の中でもあまりいない」と振り返る。

 高井さんはその背景として、「トランスの人たち自身が教育の場や知識のリソースを剥奪されてきた状況」を指摘する。「『心の性ってバカみたいじゃん』と言う人がいて、確かに『心に性別がある』という発想をそれだけで聞いたらバカみたいだと思いますよ。でもその言葉を使うことでしか周囲を納得させたり、自分を捉えられなかったりした歴史がある。トランスコミュニティーが長く教育や知識から排除されてきた環境を全部無視して、『ちゃんと説明してみろ』と求めるのは本当に許し難いと思っている。『心の性』は出来の悪い言葉ではあるけれど、すごく大事な言葉だったはず」。

 トランスの当事者がどの言葉で自分を説明するか、それが可能になるかは、状況による。「自分の人間関係の中で、自分のあり方を守りながら説明する言葉を選んでいく。最初は『男の娘』と名乗ったりもする」と西田さん。やがて自分の安定できる姿が成立していくと、自分を説明する言葉が変わることもある。そのため「男の娘」や「女装」と名乗っていた人が、のちに「トランス女性」を名乗り、アイデンティティを確立していくこともままある。

 西田さんは「音楽をやっている人」を例に出す。「自分をミュージシャンと言うのか、トラックメーカーと言うのかって、色々な言い方があるんですよ。その言葉で音楽に対する自分の立ち位置の微妙なニュアンスを伝えたいわけです。シンガーソングライターという人もいるだろうし、でもやってることみんな一緒だったりする」。

 高井さんも同意する。「トランスの人たちが外見や書類表記を理由に困っているから世の中の在りかたを変えていこうと言うと、『トランスジェンダーの定義がわからないから賛成できない』みたいな反応が返ってくる。おかしなことですよね」。

(*1:https://www.psychiatry.org/patients-families/gender-dysphoria/what-is-gender-dysphoria
American Psychiatric Association)

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プロフィール

周司あきら

(しゅうじ・あきら)
主夫、作家。著書に『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)、共著に『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』(明石書店)、『トランスジェンダー入門』(集英社新書)。

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